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歴史。その信ぴょう性(陰謀論風)

あなたが信じる歴史、それはどこから来ましたか?少なくとも自分の目で見たものではないでしょう。 ここで問うのはあなたがどんな歴史を何を通して学んだか。また、その知識の信ぴょう性はどれほどか。 曖昧な質問でごめんなさい。回答も曖昧でオッケーです。 質問の経緯。中国では「過去に日本とアメリカが手を組んで中国に攻め入った!」と教えられているという動画のサムネイルが目に入ったので。 簡単に言えば『私たちが学んできた歴史は巨大な機関に捏造されている!』かもしれないってことです。遺跡、遺物等を見つけても、事前に何者かが埋めておいたミスリードかも。 あるいは発見者の投稿を何者かが改ざんして世界に広めてるかも。SNSはサーバを経由しているし不可能ではない。 とりあえず、どんな歴史的出来事が好きか、どうやって知ったか、その知識は捏造されたものでないのかについて語ってくださいb
Keith

Keith

勝てば官軍で、勝者の理論を編纂して残ってきたのが所謂歴史として残りがち。
証拠がほぼほぼない状態での検証作業なので、よく科学的進歩と共に新たな発見により歴史教科書が塗り替えられたりすることからも、信憑性の点で言えば、確率論の域を出ない。
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愛善院

愛善院

学問として、史学は常に「テクスト批判」というものを通さねばなりません。要するに、その事実があったとする「史料」は、誰が、どんな目的で、なぜ現存し、どう保存され、いかなる価値を持つのか、という検証に晒さねばなりません。

テクスト批判の授業で私が一番最初にやるのは「魏志倭人伝」ですね。
誰がかいた? 何のためにかいた?

古代中国の一国が、敵国の背後には、俺らの味方がいるからな? という、喧伝のために書いた。

「だから」彼らのテクストを文言どおりに読むと、倭国は現在の日本の位置にはならない。なぜなら「敵国の背面」になかったら、脅しの効果がないからですね。

そうすると「それが書かれている部分」は信用できなくなる、しかし、「他のことが書かれている部分」は、信用できるかもしれない。

どうも、倭人は、その時代からタケノコ派だったようですよ?
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ナトル

ナトル

まあ 基本は当時の政府が国家のスローガンとして乗せたことが多いと思います

しかし 中国の史記、日本の風土記のような 第三者目線で作った歴史書もあります

私はそれを足して2で割ってどくじに理解して人生録みたいに呼んだり調べています

ただ 歴史の本を何回も読んでいると失敗し 滅亡するところは共通とも言えるぐらいの失敗談がありますし

成功する あるいは 天下を取る人物の成功例も共通している部分があったりしますからそういうのは歴史的なデータとしてとても参考になると思っています。


現代でも倒産する企業は滅亡した国と同じような失敗談をしたりすることもありますし

飛躍する企業は歴史の伝説に近いような改革 行動があったりします

歴史の終始 も 人の終始も栄枯盛衰 的な面では重なるところがあると思っています

また孫氏の兵法書 みたいに昔の人の考えやアイディアが今でも通じることはよくありますからね これもある 意味 歴史を参考にして 歴史のような成功体験をしたというイメージを持つこともできると思っています
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

歴史上の出来事とか歴史上の偉人の話しには興味はない。当時の一般庶民の衣食住や、民間信仰や
神話等に興味がある
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たけぽん

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歴史は、そもそも物語。仮に、同じ物語を共有できてたとすれば、それは既に国として分かれる必要すらない。つまり、私が歴史に確信することは「日本に暮らす人の大体は、同じ物語を信じてきた」です。
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ノクスト

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よく云われるけど勝者の歴史ではあるからいろんな側面があるだろうね。いろんな側面でモノを見れる人間になりたいです。
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P

P

歴史について考えたのは、手塚治虫の『火の鳥』でした。クマソタケルが事実だけを書き残した史書を書いているため、大和朝廷が暗殺のためにオグナを派遣し、書を燃やす話です。クマソタケルは名前を譲り、オグナからヤマトタケルになる話でした。

歴史的な信憑性はないものですが、事実を文字にすることには都合の悪い方々たくさんいるのでしょう。
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puspisrow

puspisrow

出来事が歴史になるためにはある程度の時間経過が必要なように思われます。事実はその編纂者たる歴史家を待ち侘びている、つまり歴史はそもそも誰かの解釈以外ではあり得ないのではないでしょうか?ロマンチック過ぎ?
それとも科学が進歩した先に完全に実証可能な歴史が現れうるのでしょうか?
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としゆき

としゆき

自分にとって、歴史の信憑性や捏造されたかどうかは特に問題になりません。
というのも、歴史は過去の政治家たちの実施された政治の結果として積み上げられた歴史事象を、自分の思想に活かすことが重要だからです。
実際、歴史上の過去の政治家や軍事思想家も皆先人の成功と失敗を(当時の)現代に生きる自分の政策や戦略に活かすために歴史を学んでいたのですから。
ナポレオンは、カエサルはもちろんハンニバルや孫子、直近のフリードリヒ大王から過去のあらゆる歴史の記録を学んで世界史に軍事的天才のひとりとして大成したのですから、歴史の信憑性が歴史の本質とは言えないということは明らかです。

歴史の信憑性が重視されるのは歴史そのものというよりむしろ歴史学そのもの、歴史研究家のための歴史研究という、実際の政治思想家や軍事家にとってはあまり関係のない分野の話しになると思います。

歴史の信憑性を求めることに研究の旨を置く学は、ペーパーテストの高得点を目指すための学習のための知識に近いものなので、先人の歴史を学ぶ動機と理由を詳細に解釈し理解すれば、学としての本質には触れていないことはすぐにわかるはずです。
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レフト

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第一次資料、第二次資料による歴史学
第三次資料、第四次資料は論外

アーノルド・Jトゥインビー
サミュエル・ハンチントン他
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