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分からないことを考えている時間が好き 分かったふりをする人が、どうにも苦手 結局のところ、本当のことなんて何一つ分からないまま、人は死んでいく。 それが人間かな? そんな風に世界は、どこまでも不確かで、曖昧にしか映らない。 だからこそ、そこに身を委ねることもしないし価値を測る気もない。 自己中心的で、この我の強さこそが、僕の誇り
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戦争そのものをとやかく言うフェーズは、もうとっくに過ぎ去っている。

問題は戦争という出来事ではなく、それを生み出している構造が、自分たちの日常の在り方と地続きなのではないか
という地点に、すでに矢印が向けられていることだ。

にもかかわらず、そこに立ち止まらない個人の集合体として、社会は今日も淡々と回り続けている。
「へえ、戦争やってるんだ」
「まあ仕方ないよね」
「兵器、やばいね」

そうやって出来事として消費され、当事者性は切断される。
でも本当に問われているのは、戦争そのものではない。

戦争が起きてしまう在り方を、私たちが日常として実行し続けていることそのものだ。

この構造は、戦争に限らない。

会社も、人間関係も、日常も、
驚くほど同じ設計で動いている。
今の社会で「問題」として立ち上がるものの多くは、何かが壊れたから起きているのではない。

壊れる前提の在り方が、毎日きちんと実行されている結果として問題が生産されている。

にもかかわらず、私たちはその構造自体を問う代わりに、構造から生まれた副産物だけを悪として扱う。

それは、汚染物質を垂れ流している工場が、
「なぜこの汚染物質が出るのか?」
「どうすれば少なくできるのか?」

人に恨みを買いまくった人が袋叩きにされて
「あの人は何故暴力を振られたのか?」
「私が暴力から遠ざかる方法は?」
という問いを、本気で、真剣に、誠実そうに議論している姿に似ている。

おいおい、待て待て。
そこじゃないだろ、って思ってしまう。

例えば、会社。
パワハラ、メンタル不調、離職率、生産性低下。
これらが「問題」として切り出される。
社会はこう問う。
「なぜハラスメントが起きるのか?」
「どう防げばいいのか?」
でも日常の運転は止まらない。
成果至上。
代替可能性。
比較と評価。
常に不足を煽る設計。
この在り方を前提にしたまま、「問題行動」だけを切り出して処理しようとする。

その結果、
問題は形を変えて、何度でも再生産される。

つまり問うべきなのは、「問題があるかどうか」ではない。

問題を処理している私たち自身の在り方が、次の問題を生む設計になっていないか、という地点だ。

問題があるのではない。
問題を生み続ける在り方が、あまりにも普通になっている。

だからこそ、誰かを責めるためでも、正義を振りかざすためでもなく、自分たち自身の在り方を問い続けることを、引き受ける責任が、今の時代にはあるのだと思う。

それは答えを出すことじゃない。
立ち止まり続けることだ。

問いを外に投げず、構造を悪にして終わらせず、
自分も含めて引き受け続けること。

たぶんそれだけが、戦争も、分断も、日常の歪みも、「仕方ない」という言葉で自然現象にしてしまわないための、唯一の態度なんだと思う。

#質問をしたら誰かが答えてくれるタグ #今日の1枚 #空を見上げて #ひとりごとのようなもの #雰囲気
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貴方と私、その違いに名前をつけるのは、相手のためじゃない、自分の不安を黙らせるためだ。
多様性を語る人ほど、他人を自分の尺度で測りたがる。
認めるって言葉を使った瞬間、もうその人を下に見てる。
人は本当の違いを受け入れない。受け入れたつもりになりたいだけだ。
みんな「正しさ」を守るために他人を分類する。守りたいのは世界じゃなくて、自分の安心だ。
多様性より怖いのは、多様性という名の同調圧力。
本当に受け入れるって、自分の正しさが壊れることだ。それを望む人はほとんどいない。
違いに名前をつけるのは簡単だ。
名前を外したまま向き合うのが、いちばん難しい。
人は違いを理解するためじゃなくて、自分が間違ってない証明のために言葉を使う。
多様性とは他人を許すことじゃない。
自分を疑う覚悟のことだ。

人は他人を測らないと居ても立ってもいられない。自分を測り直す勇気がないからだ。

違いを受け入れられないんじゃない。自分の正しさを失うのが怖いだけだ。

多様性を語る前に、自分の狭さを疑う人はほとんどいない。

人は他人を分類して安心したがる。分類されたのは、実は自分の方なのに。

理解できないものを怖がるのは本能だ。
理解したつもりで語るのは、ただの傲慢だ。

違いを認めるって言葉が生まれた瞬間、もう誰かは下に置かれている。

本当に受け入れるとは、自分の正しさを一度、手放すことだ。

名前をつけた瞬間、考えることをやめている。
貼りつけたラベルの中身を、もう見なくなるから。

人は相手を見ているつもりで、ずっと自分の不安だけを見ている。

多様性なんて言葉が必要な時点で、まだ誰も多様じゃない。

#質問をしたら誰かが答えてくれるタグ #今日の1枚 #空を見上げて #ひとりごとのようなもの #雰囲気
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悩んでるふりをした 帰り道の交差点
行き場のない気持ちだけ 胸に抱えていた
「いつか思い出になるよ」なんて言われても
君を二度失う気がして 怖かった

泣けば君の選んだ道を 否定してしまいそうで
喉の奥で涙だけ 静かに震えていた
深いため息だけが 唯一の居場所みたいで
誰にも触れられないまま 君を探してた

開ける箱を知らない鍵だけが
ずっとハマる場所を探しているようで
しまっておける場所があれば
本当の僕で 君に触れられたのに

置き場のないこの気持ちが
子どもみたいに胸で泣くから
大丈夫って言うみたいに
僕は何度も触れてしまう

あの日、夕飯の献立を話すみたいに
「どこで間違ったのかな?」なんて言うから
君のあの 悲しそうな優しさを思い出すたび
胸の奥の全部が 涙になってあふれ出すんだ

猫は最後の日に
ひとりで旅に出るって言うけどさ
その後ろ姿を想像するたびに
少しだけ置いていかれた気がしてるの

でも君が残してくれたものが
こんなにも僕を照らしているから
消さないように 壊さないように
今は、その抱きしめ方を探している

開ける箱を知らない鍵だけが
ずっとハマる場所を探しているようで
しまっておける場所があれば
本当の僕で 君に触れられたのに

#雰囲気 #ひとりごとのようなもの #空を見上げて #今日の1枚 #質問をしたら誰かが答えてくれるタグ
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ルディ

ねぇ どこにいるの?
もう一度 触れさせて
君のいない朝に
まだ涙がこぼれるの

ねぇ 君は今 笑えてる?
優しすぎるその眼差しが
きっと私の涙を
今も映してしまうから

布団で隠すのが精一杯なんです

心配かけてごめんね
もしも私が気づけていたら
君は一人になる道を
選ばなかったよね

悲しませてごめんねって
君はきっと言ってしまうから
どこまでも優しい君に伝えたい
君のすべてを愛してます

ねぇ ここにいるよ
もう一度 頬に触れて
夢の中で過ごす時間に
あの日々を思い出すよ

ねぇ 私は今 幸せだよ
君に会えた日々があったから
会えなかった想いの分まで
生きることで 愛を続けていくよ

ねぇ 君にあったらきっと
また甘えてしまうんだろうな
だけどそんな日々があったから
本当に幸せでした

心配かけてごめんね
もしも私が泣いていたら
君はどんな時でも
私の涙を拭ってくれた

隠した君の涙に
気づけるように生きていく
いつまでも大好きな君に伝えたい
君からもらった日々を愛してます

ねぇ あれからいくつもの季節を越えて
君としたいこと 行きたい場所
話したいことが 今も溢れてる

それでももう一度
あの桜の木の下で
微笑む君に会いたいんだ

来世でも その次でも
君を私は探します
安らぎの場所で傷が癒えたら
この胸に灯る幸せを見せたい

手を繋いで 微笑む君の笑顔
もう二度と見失わないように
涙の分まで生きていく
君を愛して生きていく

ねぇ、もしもまた出会えるなら
今度こそ、君の涙に気づける私でいたい。
だから今日も、生きていくね。
君に見せたい笑顔を抱いて。

#雰囲気 #今日の1枚 #ひとりごとのようなもの #空を見上げて
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正解って、なんだったんだろうなぁ…
探してる間に、息するのも下手になった気がする。

どうせさ、いつか骨になるのに、間違い探しの日々で、俺って結局どうしたかったんだけか?

子供のころみたいに「うざいもんはうざい」って、何も考えずに言えたら、どれだけラクだったかな。

空気読んで、読まれて、合わせて、合わされて、なんかもう、わかんねぇや。

ちゃんとした人になろうとしてるうちに、自分でいられなくなってた。
よくある話か。
でも誰かと一緒にいるために、自分がいなくなるなら意味がないって思うしさ

自分でいるって、当たり前な事の筈なのになんでこんなに難しいんだろうね。

でもさ、自分を裏切ってまで隣にいるくらいならひとりのほうがマシだって思っちゃうんだよ。

俺も、君も、きっと誰かにとっては残念な部類なのかもな。
でも、そう呼ばれることにちょっとだけ誇り感じてる自分もいてさ。

変われ、じゃなくて、変えるなよって心のどっかで叫んでる。

俺は知ってるから。僕がちゃんと、まっすぐ生きてるってこと。

ワガママだって、変わり者だって後ろ指さされてもさ、俺のままの人生で最後まで生き抜いて、人生終わりの間際に少し微笑めたら、きっとそれだけで勝ちなんじゃ無いかって思うんだ

ため息しか出ない日も、まぁ…あるさ。
でも、骨になるその日までは、俺は俺のままで
いようと思ってる。

#雰囲気 #今日の1枚 #ひとりごとのようなもの #空を見上げて
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縁起とは

はじめに、私たちはひとりで生まれてきたように見えて、本当は、無数の祈りと出来事とつながりの中で生まれてこさせてもらった存在

その気づきを、仏教では「縁起(えんぎ)」と呼びます。

1. 「すべては、関係によって生まれている」

この世界に、それだけで存在しているものはありません。
• 木は、土・水・光があって初めて育つ
• 言葉は、誰かが耳を傾けてくれるから言葉になる
• 自分という存在も、出会った人・過ごした環境・紡いだ感情によって形づくられる

つまり、すべては「縁」によって「起こる」。
「縁起」とは、この世界の成り立ちそのもののことなのです。

2. 「生きたいという願いが、縁起のはじまりだった」

「僕たちが生まれ落ちた時からこの瞬間までの根源の願い、それは『生きていたい』という叫び。」

この言葉は、縁起の思想に体温を与えました。
縁起は仕組みではなく、命の願いが交差することから始まる。

僕が「生きたい」と願った。
誰かも、同じように願っていた。
その願いが重なった瞬間に、人と人は出会う

3. 「人生は、つながりで編まれた物語」

僕は人生を物語として捉える
• 章は、誰かの祈り
• 環境は、人々が培ってきた歴史
• 人は、その人が描いた別の物語
• 物語は、自分ひとりでは書けない

僕の物語は、誰かの物語の続きを受け取り、僕の生き方は、また別の誰かの人生の伏線になる。

どんなに小さな行動も、どんなに見えない想いも、物語のどこかに必ず繋がっていく。

4. 「終わりのない連なりの中に、私はいる」

この世には「完結」しているものなどひとつもありません。
どんな出来事も、必ずどこかの土台の上に成り立ち、その土台すらも、また別の出来事の影響を受けています。

自分が立っているこの場所さえ、誰かの努力や、失敗や、祈りや、別れの上に成り立っている。

だからこそ、今、あなたがいる場所には意味がある。
はじまりでもなく、ゴールでもない。
世界の、誰かの、物語の途中にいる、ということ自体が尊いのです。

5. 「貴方の物語が、誰かの呼吸をゆるめる」

「そして、貴方という人生の物語を誰かが読んだ時、きっと静かに胸に手を当てて、そっと一息つく。
そんな繋がりも、縁起なんだろう。」

これこそが、縁起のやさしさだと思います。
• 説得ではなく、共鳴
• 絆ではなく、余白
• 行動ではなく、灯りのやりとり

誰かの生き方に、そっと一息つけたとき、
そこにもう、つながりが生まれている。

結びに

「縁起」とは、世界の全てがつながっているという構造であると同時に僕達が今、生きているということに、無数の命と祈りが応答しているという物語なのです。

そして僕達の灯りもまた、誰かの物語の中で、まだ知らない命の続きを照らしている。

🕯 縁起とは

あなたの「生きていたい」という祈りに、世界が静かに「うん」と応えてくれているということ。

そしてその応答の中に、私たちは互いに生かし、生かされている。

以上、ルディーの思想紐解き解説でした。

#雰囲気 #今日の1枚 #ひとりごとのようなもの #空を見上げて
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僕が本当に見たいものがある。

それは、誰かが、自分の人生と命に「ありがとう」って微笑んで、そっと抱きしめている瞬間。

どんな過去も、どんな痛みも、
誰かのせいにするでもなく、無理やり前を向くでもなく、ただ、「これが私の人生だったんだな」って、あたたかな涙と共に受け入れている、その静かで、尊い瞬間に立ち会いたい。

僕は、何かを教えたいわけじゃない。
救いたいわけでも、導きたいわけでもない。

ただ、その人が、自分自身と繋がるその灯りの瞬間を、そっととなりで見ていたい。

もしかしたら、それは僕自身の願いでもあるのかもしれない。
僕が、僕を抱きしめられなかった日々。
僕が、自分の命に「ありがとう」が言えなかった夜。

でも、そんな僕だからこそ出会えたんだ。

世界が、余りにも美しいということに。
不完全なままの自分でしか、気づけなかった美しさに。
他の誰でもなく、僕という存在でしか感じられなかった瞬間に。

だから僕は思うんだ。

僕がこの時代に生まれて来れて、本当によかった。
僕が不完全で、本当によかった。
僕が僕で、本当によかった。

そうじゃなきゃ、誰かの目に浮かぶ涙のあたたかさも、沈黙の中に漂う優しさも、道ばたの光の粒のような希望も、こんなにも心を震わせながら感じることはできなかったから。

そして今、僕は知っている。

この世界は、余りにも美しい。そして僕達の命は、世界は余りにも尊い
だからこそ、誰かと一緒に「綺麗だね」って言いたい。
その感情が重なったとき、僕たちはもう、ひとりじゃないから。

空っぽだからこそ、水が入る。
名づける前の世界にこそ、ほんとうの光がある。

僕はその名づけられる前の美しさを、灯りのように言葉にして、誰かの心の奥に、そっとともしていきたい。

それが、僕という命の祈りなんだ。

ねぇ、僕達はここに居る、世界は全てここにある、全てを感じ尽くして、共に抱きしめよう

#雰囲気 #今日の1枚 #ひとりごとのようなもの #空を見上げて
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「空」とは何か

はじめに

空(くう)という言葉は、仏教の核心のひとつです。
でもそれは、すべては無であるという冷たい絶望ではありません。
むしろ、すべてが変わり続け、固定されず、だからこそつながれるという希望の思想です。

1「世界には、本当の名前などない」

私たちは目の前のものに、
「これは○○だ」と名前をつけ、「これは正しい」「これは嫌だ」とラベルを貼って生きています。
でもその名前やラベルは、本当に物そのものに元から備わっていたのでしょうか?

いいえ、そうではありません。
それはすべて、私という存在がそう認識したというだけのもの。
つまり、この世界に確定されたものは、本来ひとつもないのです。

その証拠に同じ見ている物、出来事に対し人それぞれ感じる事が違うからです


2「自分という存在でさえ、仮の集まりにすぎない」

「これは僕だ」「私の性格だ」「これは私の痛みだ」
そう思っているものたちでさえ、
実は、生まれた環境、記憶、感情、言葉、他人のまなざし、そういったものが偶然に重なって、今の自分を成り立たせているだけ。

私は私だという感覚すら、変わりゆく幻のようなもの。

この視点は、一見怖く感じるかもしれません。
でも本当は、だからこそ

「自分を責めすぎなくていい」
「誰かと比べなくていい」
「今日の自分を、明日また違う形にしてもいい」

という、やさしい自由がここにある。


3. 「ラベルが生まれるとき、苦しみも生まれる」

本当はただ風が吹いていたのに、
「寂しさ」という名前を貼ったとき、それは痛みになる。
ただそこに人がいたのに、「無関心」というラベルを貼ったとき、それは孤独になる。

私たちが苦しむのは、ただあるものに対して「違う」と言ってしまったとき。

それはまるで、空に浮かぶ雲に、「青じゃないから間違っている」と怒るようなもの。
世界を否定するたびに、その否定が跳ね返って自分を切りつけてくる。



4. 「空とは、余白であり、つながりである」

空は無ではありません。
むしろ、「空っぽであるからこそ、何かを受け取れる器」のような存在。
• 空の器があるから、水を注げる
• 空の心があるから、誰かの言葉が響く
• 空っぽのわからなさがあるから、人と出会える

つまり、空とは「変わりゆくものすべてが、そのまま在っていい」
「つながることを拒まない、否定のない空間」



5. 「空のまなざしで生きるということ」

空の思想は、ただの哲学ではありません。
それは、生き方そのものの質を変えます。
• 判断より、見守ること
• 正しさより、余白を抱くこと
• わかろうとすることより、ただ「在る」ことを尊ぶこと

そうやって、「違い」や「未完成」や「言葉にならないもの」を否定せずに生きること。

それが、空のまなざしでこの世界を見つめるということなんだと思います。



結びに

世界は、そして何よりも、貴方は、名づけられる前から、美しかった。

「ただ在る」ということを否定しなければ、
どんな痛みも、どんな沈黙も、
やがて灯りになる。



📜空の思想とは

確かなものはないということを恐れるのではなく、だからこそ、何にでもなれるという静かな自由に、心をひらいていくこと。

ルディーの思想紐解き解説でした。

#雰囲気 #今日の1枚 #ひとりごとのようなもの #空を見上げて
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前回の投稿の解説

渇きは、否ではない

人が渇くこと自体は、決して悪じゃない。
渇きは、生きている証だ。
足りなさに気づくからこそ、人は問い、探し、動く。

問題は、その渇きに「気づかぬまま」他者や理念を使ってしまうことだ。

自分の中の渇きの輪郭も知らずに、「徳」「愛」「正義」などの美名を借りて、世界を操作しようとしたとき、その行為は、知らず知らずに誰かを傷つける。

善意であることが、必ずしも「やさしさ」ではない。
むしろ、無自覚な善意ほど、世界を冷たくするものはない。

 
「満たされなさ」と共に生きる

「満たそうとしていた心が、もしも、それでよかったなら?」

満たされなさを否定せず、埋めるべき欠陥でも、超えるべき弱さでもなく、
ただ、「今ここにあるもの」として受け入れたとき。
ようやく、人は他者を「使う」ことをやめられる。
ようやく、人は何かを「手段」にしないままでいられる。

渇きは消えない。けれど、渇きの正体を見つめることで、それは敵ではなく風になる。

野党の頭の答え

ある日、頭は国の役人にこう言われた。
「どうか、その才を国のために使ってくれ」と。

頭は笑った。

「俺はこの生き方が楽しいからやってるだけさ。
俺が国を治めたら、どんな惨状になるかもわからねえお前らに、
己を知る力がないってことだけは、確かに言える。」

その言葉の裏にあったのは、
「善を振るうことよりも、己を知ることの方が遥かに難しい」という、
深い自覚の思想だった。

風のように在る

荘子は言う。

「徳など在り得ぬ。
太陽はただ照り、風はただ吹き、花は揺れる。
今の私たちも、それと変わらぬ存在なのだから。」

「徳」や「正しさ」を名乗らずに、
ただ渇きを抱えたまま、己の道を生きる。
それは時に野党として語られ、時に異端として疎まれ、時に英雄として称えられるかもしれない。

でもきっと本人は、
ただ「楽しいから」生きているのだ。

風は、今日も、ただ吹いている。
誰の徳も知らぬままに。

僕達の心の中には世界がある、そして貴方は世界を統治する王なのだ

#空を見上げて #雰囲気 #今日の1枚 #ひとりごとのようなもの
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『風知らずの徳』

それは、世に名も残さぬ一人の野党の頭の話。

彼は、戦の才にも、策略にも、人心にも長けていた。
宝の在処を誰よりも理解し、仲間を前に、敵を前に、常に先頭に立った。
後ろから矢を受ければ、進んでその痛みを引き受け、新たな囮を買って出て、仲間を逃した。

だが彼は、手柄を誇らなかった。
奪った富を平等に分け、自分には何も残らぬ日すらあったという。

だからこそ彼は、万を超える野党たちを、何の束縛もなく率いることができた。

「徳」があった、そう語る者もいる。

けれど、荘子はこう言う。

「徳など、存在しない。」

彼は人として、際立っていた。
それと同時に、確かに野党として、多くの人々を苦しめた。

彼の存在は、矛盾の塊だった。
崇高で、醜く、優しく、恐ろしい。

人々は彼に問いかけた。
「なぜ、お前のような者が、官の職に就かぬのか。国の為に生きてはくれぬのか。」

彼は笑った。

「楽しいから、やっているだけさ。」

「俺に国を治めろと言う前に、お前らは自分を治めてみろ。」

彼は言った。

「どんな知を得ようと、どんな理想を語ろうと、
結局、人は皆、自分の渇きを潤すために徳を使ってるんじゃねえのか?」

「自らの渇きの根源を理解せず、ただひたすらに消費して消耗するのが国家だから、お前らは永遠に満たし方の知らない渇きに嘆いてるのでは無いか?」

「その渇きに気づかぬまま善を語るやつの方が、国を納める王の作る社会の方がよっぽど怖い。」

正義を振るう徳の中にこそ、暴力は潜んでいるのではないか?
その問いを、彼は戦いの中で静かに放ち続けていた。

再び、荘子は語る。

「徳など、もとより在り得ぬもの。
人が自然に抗えば、己を見失い、自然をも見失う。
己を恥じるな。己を否定するな。
太陽はただ差し、風はただ吹き、花は揺れている。
今の私たちも、それと何ら変わらぬ存在なのだから。」

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見る者としての私たち

私たちはいつも、世界を見ているようでいて、
実は自分自身の内側を見ているのかもしれない。

嬉しいことがあった、悲しいことをされた。
そう思っていた感情でさえ、
それを感じた自分がいたというだけ。

外の出来事ではなく、その出来事をどんな心で見つめていたか、その記憶こそが、人生をつくっていく。

感情の定義が生む縛り

私たちはよく、感情を「コントロールしよう」とする。
ネガティブは避けるべきもの。
ポジティブは集めるべきもの。

そうやって、「良い」「悪い」のラベルを貼っていくうちに、感じることそのものが、窮屈になってしまう。

でももし、世界の出来事そのものには
もともと意味なんてなかったとしたら?

世界とは、自分のフィルターでできた鏡

私たちは常に、あるがままの世界をそのまま受け取っているのではない。

心というレンズを通して、
出来事に意味を与え、形を与え、
それを「自分の世界」として生きている。

つまり、世界を見ることは、自分の心のありようを見つめることに他ならない。

だから人生とは

「何があったか」ではなく、それをどう感じてきたかを見る旅。

悲しみがあるから不幸なのではない。
それを悲しいと定義づける自分がいるから、
そこに不幸が生まれる。

もし私たちが、「感じたこと」を善悪で裁くのではなく、ただ自分の内側に咲いたものとして見つめることができたら人生は、もっと自由で、もっと優しくなれるのかもしれない。

「ラベルという鏡」

この話をすると、よくこんな問いが返ってくる。
「でも、ダメなものはダメだよね?」
「悪いものは、やっぱり悪いよね?」と。

そのたびに、僕は静かに問い返したくなるんだ。

なぜ私たちは、そのラベルを絶対のものだと信じてしまうんだろう?

生きるとは問いだ、世界に写された自分を問いかける今なのだろう

#空を見上げて #雰囲気 #今日の1枚 #ひとりごとのようなもの

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