
おおみや
パートナーについて惚気てるだけのアラサー学生。
音楽
鳥
酒
心理
化学

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音楽、とりわけ旋律のある音楽に宿る、人の心を束ね癒す力の不思議さを知った。
同時に、戦争に関わる音楽は、どこか音楽では無いようにも聞こえた。
あまりに力が強すぎて圧倒され、私は具合が悪くなるような気さえした。
非常に攻撃的で男性的な角のある音の並びだった。
安らぐ雰囲気ではなかった。
穏やかな音楽を安らかな気持ちで聴ける今に生まれたことに感謝の気持ちが湧いた。

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私の楽器を借りて、週に1回練習するようになりました。
楽譜の読み方から教わり始めたけれど、厳しい(?笑)私のレッスンにもめげず、努力の甲斐あって上達してきました✨(これは本当にすごいこと)
「こんなに真剣なのだから、本人専用の楽器を……!」と願っていましたが、社会人学生の私たちは、いかんせん収入が控えめ(笑)
なかなか楽器をお迎えする余裕はありませんでした。
しかし、どうしても諦めきれなかった私は、こっそり努力をしまして……今月、ようやく楽器をプレゼントできるところに辿り着けました👏✨
クリスマスプレゼントにしよう!と、中古のヴァイオリンを色々見ていたところ、ピンとくる楽器との出逢いがありました。
ご対応くださったリペア職人さんは、楽器への愛情が文章からでも伝わってくるような素敵な方でした。
そんなご縁で本日、予想よりも早く届いた念願の“専用ヴァイオリン”をプレゼントできました🌼
丁寧な包装に加えて、楽器そのものの音の響き、調弦をした際の倍音の振動……職人さんの愛が、音を通じて感じられ、本当に素晴らしい出逢いだったと感じました。
これからの私たちの音楽人生に光が差したような、あたたかくて幸せで、どこか誇らしい気持ちです。
だいぶ早いけど、メリークリスマス!!💖




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使うのが楽しみ


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そもそも、「意味」という語の意味するものは何なのか?
「意義」なのか、「目的」なのか、「幸福」なのか。
そして、人生はどこから始まるのか?
胎児から?出生後?
ーーーここからは、私なりの考えです。
人生は、「現時点」「いまこの瞬間」という、過去にも未来にも無限に可能性の開かれた地点から考えるには、あまりに対象が大きすぎる。
その上で私は、「人生に意味はない」と思う。
少なくとも、いまこの瞬間には意味はない。
けれども、この瞬間はやがて過去となり、振り返ることができるようになるだろう。そのとき初めて、意味が立ち現れてくるのだと思う。
そういう意味で、「人生には意味がない」。
ただ、どんな死に方をしようと、「自分の生を全うした」ということには意味があると思う。
偉人でなくても、人は生きているだけで誰かに影響を与えている。
だから、生きていることそのものに、すでに意味は生まれている。
つまり人生の意味は、究極的には「生きること」そのものなのかもしれない。
そもそも、「意味」という言葉には、どこか肯定的な響きがある。
「意味がある」と言えば、それは尊くて、価値のあるもののように感じられる。
では、人はいつ「人生の意味」を考えるのだろう。
それはきっと、死を意識するときや、苦しみの中にいるときだ。大災害、事故、事件、戦争、あるいは日常のなかでも……人は、自分ではどうしようもない出来事に直面した時、人生や世界といったとてつもなく大きなものに想いを向ける。
だから、人生の意味を考えるという行為そのものが、「生きようとする姿勢」の現れなのだと思う。
それは、生きようともがく人間の営みそのものだ。
結局のところ「人生の意味」とは、生きることそのものなのではないだろうか。


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今夜は 金木犀を描きましょう
この街はとてもうるさいけれど
あちらこちらに 小さな花の
隠れた色があふれてる
くもりの朝も 雨降る夜も
きっと たくさんあるでしょう
そういうときに 私はそっと
言葉で絵を描き 色を塗り
あなたに 手渡したいのです
やさしい花の香りのように
ささやかに いつもそばにいる
きっと わかってくれるよね?


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朝の「行ってきます」から夜の「おやすみ」まで、当たり前の時間がどれほど尊いことかを感じる。
近所で遊ぶ子どもたちの笑い声を聞きながら、うみは「街が賑やかなのはいいことだよ」と笑う。
その言葉に、この人の優しさがすべて詰まっていると思う。
人間の日常は、儚くて脆い。
神様のいたずらひとつで、いとも簡単に崩れ去ってしまう。
それでも、私は、自分の半分のような人と共にこの世界に生きている。
こんなに満たされていていいんだろうか。
多くは望まない。
うみとささやかな幸せを分け合いながら、生きていきたい。
たくさんの人に優しさを届けられる私たちでありたい。


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紅茶に、果実酒用の焼酎を入れて飲んで温まる。
気になってた本を読んでみようかと思う。
私は読むのがとても遅いので、寒い季節の間にじっくり読もうと思う。


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その横に立っているお姉さんが、窓の外を見て「うわ、きれい」と言った。
窓の外は、夕陽がとってもきれいだった。向かいに座ってるおばちゃんも、隣に座ってるお兄さんも窓の外を見ていた。
なんだか、心が安らいだ気がした。

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お金のことを心配しているのが馬鹿らしくなってきた。考えても、お金は降ってこない。
それより、論文を読んで、新しい世界を知ろう。もういいや。その方がずっと幸せにいられるから。

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甘ったれるな自分!
やれることをやるんだ!
学問を追究するためにここまで来たんじゃないか。自分の食べるものや温かい部屋が削られるくらいで弱音を吐くなよ!!馬鹿野郎!!!くそったれ!!!

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貧乏飯、節約術、いろんな知識をどうかご教示いただけませんか……
これまでもキャベツ主食に頑張ってきたつもりでしたが、物価や家賃の高い土地柄で、その割に個人店が多くて安いスーパーなどがないので困っております。

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雨予報だったが、晴れ間さえ見えていた。大きな鳥居をくぐった先の境内は、七五三の子どもたちで賑やかだった。
その姿に癒されながら、2人で白虎のおみくじを買った。箸置きにもなるという優れものだ。
「子どもたちが着飾ってニコニコ楽しそうにしているのが、1番平和だね」
と話しながら、神社をあとにした。
帰宅してからは、ずっと雨だった。朝から出かけて良かったねと言って、また幸せな気持ちになった。
うみ がいてくれるおかげで、幸せな時間だけが過ぎていく。神様に1番、言いたかった御礼。


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それは、パートナーと互いに「いつもありがとう」「あなたがいて幸せ」と伝え合う日。
何事も、当たり前になるほど感謝が薄れやすいから。
出逢えたこと、愛せること、笑い合えることーーどれも奇跡みたいなものだから。
私は、本当に「幸せ者」だとしみじみ感じる日。


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「一人暮らしだと気楽でいいですよね!」
と言われた。彼女は、彼氏宅に居候している。
「そうですねぇ〜」
と言ってニコニコしてみたけれど、心の中では『私は、出来る限り うみの横にいたいなあ』と思った。
彼女曰く、「いつかは一緒に暮らすことになるから、今のうちに1人を楽しんでおく」のだそうだ。
なるほどなぁ〜!
2人時間も1人時間も、大切に楽しめる私たちになろうっと。

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なんだか、クリスマス前のワクワク感を思い出している。
私の中で、暖房の音はクリスマスの音らしい。
グォングォン鳴いて、部屋を暖めてくれる四角い箱の下で、喜んで飾り付けをしたクリスマスツリーの電飾がチカチカ瞬いている。
暖かい部屋で、我が家の小鳥たちを眺めながら、外の寒さを想う。外の鳥たちは、こんなに寒くて平気なのかしら……。
クリスマスの次はお正月。
楽しい冬休みの風景。
そんな幻想を、ひとりぼっちの京都の部屋に見る。

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人はそれを、絵や音楽、身体……あらゆる非言語的手段で表現しようとしてきたのだろう。
表し方はそれぞれだけれど、そこにはきっと言語だけでは耐えられないものーー言語という便利なツールだけでは背負いきれない、人の本質的な感情がある。
考えてみれば、言語は非常に窮屈なツールだ。あまりに明快すぎる。言語に頼ると、その基準によって切り取られた世界しか感じ取れない。
だから人間は、絵や身体表現や音を通して、メタファー的に自分の心を映し出すしかないのだと思う。
私たちが日頃感じる、言語化しがたい感情こそ、本質的で、人間らしいものなのかもしれない。
言語化した瞬間にこぼれ落ちるものがあることに、私たちは気づいている。
それでも言葉を使ってしまうのは、届かなくても「伝えたい」という欲求があるからなのだろう。
その欲求もまた人間らしい。
言語的表現には、心の残響を完全に掬うことはできない。それを掬おうと試みるところに、人間の温かみ、生命が宿っているのだろう。
この文章もまた、そうやって心を掬おうとする行為なのだと思う。

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昨日まで、手袋を出したりカイロを買ったりしていたのが嘘のようにポカポカ!
ああ……ここが地元なら、今日みたいな日は山や海に出かけて、少しだけぼんやり過ごして気分転換するのに。
ああ……。



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それはもはや私の身体の一部のような存在だから、弾かれている楽器の気持ちも分かる気がする。ちなみに、彼が「うまく弾けない」と落ち込む日は、だいたい楽器の方が本調子ではない顔をしている(笑)
いつかうみにも、私の楽器と同じように大切な「音のパートナー」をプレゼントしたい。
そして2人で、「奏でる音楽」の世界を旅したり、お互いの世界を見せ合ったりしたい。


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この世界は本来、連続的で曖昧なものだ。しかし人間は、そこに「言葉」という記号を与えることで、それを切り分け、具体化し、秩序立て、意味を与えてきた。
逆に言えば、言葉があるからこそ、私たちは「世界」を持つことができている。
◯
それは、音楽においても言えるかもしれない。
クラシック、ジャズ、ポップス——心地よい旋律が、耳から心に届くことがある。
けれども、それを言葉にできる力や、音楽的な理解がなければ、せっかく内側に響いた音楽も、曖昧なまま消えていく。
しかし、音楽の仕組みが分かれば、音の流れの中に隠された心の動きを明確に捉えられるようになる。
言語が世界を切り分けるように、音楽的知識は「音の世界」を切り分け、そこに意味を与えるのだ。
だが、知識を持っているだけでも不十分だ。
どんなに難しい理論を説明できても、音に心を揺さぶられる感受性がなければ、音楽は本当の意味で届かない。
「音」という表現は、知識だけでは意味を持たず、感情だけでは形を持たない。
知識という言語が感受性と結びつくとき、漠然としていたものが初めて輪郭を得るのだ。
◯
こんな考えが浮かんだのは、うみにヴァイオリンを教え始めたのがきっかけだった。
私自身は、子どものころから音楽に親しみ、譜面を読んだり、聞いた音が頭の中で楽譜に変わったりする世界を当たり前として生きてきた。
でも、うみは違った。
彼にとって音楽は「聴くもの」だった。そんな彼が初めて触れた「奏でる音楽」の世界。
私がこれまで当たり前にやってきたことも、うみにとってはすべてが未知のことで、楽器を習う彼は、まるで新しい言語を学んでいるかのようだった。
その姿を見て、私は音楽を「聴くこと」と「奏でること」はまったく異なる世界の営みなのだと実感させられた。
同じ音楽を相手にしていても、立っている場所が違えば、見えている景色はまったく違うのだ。
◯
私は、うみの音が好きだ。
楽器と自分に向き合い、慣れない世界にたくさんの疑問を抱え、葛藤や悔しさの中で一生懸命に練習していることが、音や弾き方から伝わってくる。
演奏者の心が反映されるというのも、音楽をはじめとする芸術の特性なのだろう。
多くの芸術がそうであるように、音楽もまた、自分が他の誰かの見ている世界を受け取るための「言語」なのだ。
その美しい世界を、私はうみの音に見せてもらっている。

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あの頃よりも着こなせてる気がして笑った😂
多方面から殴られそう。



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👧「あんな、黒いナンバープレートに、黄色で文字が書いてある車があんねん。それを1日に3台見たらな、ラッキーやねんて。でも逆に6台見たらアンラッキーやねんて!」
👧👧「へー」
👧「じゃ、バイバーイ」
👧👧「バイバーイ」
今もあるんだ😂
私が子どもの頃もあったなぁと懐かしく思った。
人類、小難しい話をするより、そういう話とかシール帳とか香りペンとかの話をしていたらいいと思う。

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「線の正しさ」ではなく、「線の意味」を考える。
。◯
たまたま手に取った描画関係の本で、有名な(?)「絵心ない芸人」さんの絵が解説されていて、笑ってしまったのでメモ。
「なぜこの絵?!」
と、初めは笑っちゃったけど、最後まで読んだら「なるほどなぁー」と感心した。(なんか、悔しい笑)
バラエティ番組で、そこまで考えられるとは……!!
心理学って、こういう「普通は人が気にしないこと」をつつくことが結構ある気がする(笑)
あーおもしろい。
ーーー以下、要約メモーーー
そもそも一般的に、「絵の上手・下手」という基準は、現実世界と違いないかどうかで評価されがちである。
したがって、その基準で考えると、チュートリアル徳井氏の描いた「ゴリラ」は、腹部に謎の線が引かれている点で現実とは異なっている。
しかし、その線には描き手独自の「世界の捉え方・概念」が表れるものである。
その証に、徳井氏は周りからのツッコミに対して
「線がなければ、上半身と下半身の区別がつかない」
と答えた。
つまり、ゴリラの腹部の線は、「上半身と下半身は質的に異なる部位だ」という描き手の概念を可視化した境界線だったのである。
描画は単なる再現ではなく、「心の中の世界観の表現」である。
そのため、写実的基準から見れば「おかしい線」「間違った形」も、描き手の内的な意味づけが宿っている可能性がある。したがって、絵の「解釈」に関しては、「上手い、下手」ではなく、「描画という世界の内側の論理」で行うべきである。


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これと、梨をどっさり!



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エウレカエウレカ!!!
そんな気分!!!
ダメ出しは明日の私に任せて今日は喜ぶ!!!

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ありがとう、でも私は、この狭さが好きだったんだ。おかしな人と思われたかな。


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笑ったり喜んだり、ときにはケンカしたりショゲたり……
楽しくやってこられたのは、この人だからだろうな、と思います。
いつだっていいことばかり起きるのは、この人がいてくれるからだな、と思います。
こんなにいつまでも、付き合いたてのカップルみたいなノリを貫けるとは思ってなかった笑
同じ時間を生きられて、本当に幸せ!!


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「あなたが人生において大切にしていることは、何ですか?3つの単語で答えてください。」
とある研究結果では、こうした質問に対して、社会的基準から見て大切だと思われることを答えるよりも、本当に自分が大切にしていることを答える方が、ストレスの度合いが低下したとされているそうです。
私たちは、知らず知らずのうちに、他人の靴を履いて歩いてしまっているかもしれません。
そうすると、いつの間にか靴擦れができていたり、うまく歩けなかったりするものです。
1日の大事な時間の、ほんの少しだけでもいいから、自分が大切にしていることに向き合ってみてもいいかもしれません。
今履いている靴を手放して、あなたが本当に欲しかった靴を履いて歩いてみませんか。


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そんな人に出逢って3年。
そして、いまの大学に入学許可を頂いて1年。
今日のランチは、1人でおめでたい雰囲気に浸りました🌼 あと少し、この場所で踏ん張ろう。


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うみさんとこっそりしようねって話してたけど、派手派手すぎて笑っちゃった。





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「お茶とケーキを準備しておく」と言ってくださった。
有難い……だけどわたくし、ケーキは食べられないかも……だからと言って、食べませんとは言えないので、頑張っていただくしかないか💦

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でも、これはどうしても、オシャレのためと勘違いされることが多い。
説明しないといけないたびに、仕方のないこととはいえ、なんとなく悲しい気持ちになる。

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知ってたけど、やはりいいアルバムだ……!!
全ての曲が最高だし、曲と曲のつながりも素晴らしすぎるし、何より「君と暮らせたら」を最後に持ってきてるのがすごすぎる。
ファン歴長くても結局のところ、1番グッとくる曲といえば「ロビンソン」と言っちゃうのだけど、それはこのアルバムの流れもあってこその部分もある。

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帰宅した時は立てないくらいフラフラで、絶対早く寝てやる!……って思ってたのに、結局、大好きな人の写真とか動画とか見てたらあっという間に日付を跨いだ(笑)
朝も早起きして、掃除も洗濯もさっさと済ませて、朝ごはんもそこそこに、予定より1時間近く早い電車に乗ってしまったウキウキ野郎。
さて、あと一駅……!!!

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“Loving is not just looking at each other, it's looking in the same direction.”
サン=テグジュペリの言葉である。
“loving”の捉え方は人それぞれだろうが、私はこの言葉に深く納得した。
それと同時に、鳥たちの求愛行動を思い浮かべた。
例えば「タンチョウ」は、雪原でオスとメスが向き合って舞う。
「アホウドリ」は、オスとメスが交互に嘴を鳴らし合う。
「文鳥」は、オスもメスも、自分と同じダンスができる相手を探す。
彼らの目的は、ただ相手と見つめ合って絆を確かめることではない。
鳥類の求愛行動の本質は、動きを合わせ、同じ行動をすることで協調性を生み、愛を深めていくことにある。
「おしどり夫婦」の言葉で有名な「オシドリ」は、繁殖期になるとオスとメスが寄り添い、同じ方向に泳ぐ。
この姿こそが、「おしどり夫婦」の語源となったともいわれる(「一生添い遂げる」というイメージは、語源的にも鳥類学的にも正確ではない)。
実際のところ、これは求愛行動というより、社会的な要因による行動であり、オシドリに限らず他の水鳥にもよく見られるものだ。
しかし昔の日本人は、並んで同じ方向を見つめるオシドリの姿に、愛し合う人間の姿を見たのである。
表現は違えど、『おしどり夫婦』の言葉が言わんとすることは、はじめのサン=テグジュペリの言葉と重なるのではないか。
著名な作品を生み出した人の言葉や、壮大な自然の営みに触れるとき、私は自分がとんでもなくちっぽけな人間だと気付く。
そして、自分が、なんと大きな、偉大な知恵に囲まれて生きているのだろうと思い、ワクワクする。
私が日ごろ考えたり悩んだりしていることの多くは、既に誰かが言葉として残してくれているし、自然の世界に目を向ければ、答えは当たり前のように示されている。
いま、私が考えていることは、もうきっと誰かがどこかに答えを残してくれている。
世界は、キラメキに満ちているのだ。
これだから、私は「知ること」をやめることができない。
そのキラメキを集め続け、いつか私も、遠い未来を生きる私のような人に、何かの答えを遺せる人になりたい。
そしてもちろん、サン=テグジュペリの言葉や鳥たちが示してくれているように、大切な人と未来を創造しながら、愛を育める人にもなりたい。


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