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おおみや

おおみや

言葉にならない気持ちが山のようにある。
人はそれを、絵や音楽、身体……あらゆる非言語的手段で表現しようとしてきたのだろう。

表し方はそれぞれだけれど、そこにはきっと言語だけでは耐えられないものーー言語という便利なツールだけでは背負いきれない、人の本質的な感情がある。
考えてみれば、言語は非常に窮屈なツールだ。あまりに明快すぎる。言語に頼ると、その基準によって切り取られた世界しか感じ取れない。

だから人間は、絵や身体表現や音を通して、メタファー的に自分の心を映し出すしかないのだと思う。
私たちが日頃感じる、言語化しがたい感情こそ、本質的で、人間らしいものなのかもしれない。

言語化した瞬間にこぼれ落ちるものがあることに、私たちは気づいている。
それでも言葉を使ってしまうのは、届かなくても「伝えたい」という欲求があるからなのだろう。
その欲求もまた人間らしい。
言語的表現には、心の残響を完全に掬うことはできない。それを掬おうと試みるところに、人間の温かみ、生命が宿っているのだろう。
この文章もまた、そうやって心を掬おうとする行為なのだと思う。
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clown

clown

最後に投稿して忘れようとしたけど無理だよ
ゆゆのこと本気で愛してて好きだよ
言葉だけだと軽く見えると思う
会って思いの重さを確認して欲しい
ゆゆがいないと生きていけないよ

GRAVITY
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Fahrenheit

Fahrenheit

私がいた大学は給付型奨学金なんてなかった(あったとしてもせいぜい授業料の足しにもならない金額)ので、1千万単位の奨学金を借りて、生活費と授業料(免除が利く年もあったしそうでない年もあった)
大学院では専攻内ではトップ入学、トップ卒業できて、GPAは3.8でもあったが、おしゃれなどにはそもそも気を遣おうとも思わなかったし、学生が青春を謳歌していたときも「あの人たちと自分は生まれも育ちも違うから」と割り切ってあまり気にもしてなかった。
なんなら貧乏なのを馬鹿にされても「うん貧乏だよ。でなきゃ奨学金なんて借りないだろ?」と何の恥ずかしさもなかった。
利用できる制度を利用して自分の人生を設計しているだけで、ローンを組んで家を買ってるのと感覚は同じだからな。
惜しむらくは博士課程には進めなかったことだが、論文博士を取ったので別にそれはそれでラッキーではあったが、こういうチャンスの種を自分でまいていたおかげだと思う。

目先の青春を謳歌するという感情的欲求を満たすことに時間とるソースを注ぎ込めるだけの経済的余裕があるならそれをすればいいし、それができないからできるように頑張るというのならそれも一つ(尤もそれなら金を払ってまで大学に行かんでもいいような気はするが)。
何にしても自分の設計した人生に対して検証して、戦略を定期的に見直してれば、他人と比較したってしょうがないことくらいわかるんじゃないのかな。
GRAVITY1
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ほし

ほし

私の心は満たされることはないんだな
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プリンセスティンコウ

プリンセスティンコウ

久しぶりに誰かと話したいな…と思うことある?久しぶりに誰かと話したいな…と思うことある?
話したくないからフォロワー間引き大会開催するわ覚悟しとけな
#雰囲気
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mi

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新たな相互探そうにも出会い厨しか寄ってこないからクソ
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には

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緊張しやすい?慣れたらめっちゃ話すタイプ?緊張しやすい?慣れたらめっちゃ話すタイプ?
お前とは話したくないタイプ
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