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おおみや

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今日は、授業で「人生の意味」をテーマにみんなで意見を交わし合いました。

そもそも、「意味」という語の意味するものは何なのか?
「意義」なのか、「目的」なのか、「幸福」なのか。

そして、人生はどこから始まるのか?
胎児から?出生後?

ーーーここからは、私なりの考えです。

人生は、「現時点」「いまこの瞬間」という、過去にも未来にも無限に可能性の開かれた地点から考えるには、あまりに対象が大きすぎる。
その上で私は、「人生に意味はない」と思う。

少なくとも、いまこの瞬間には意味はない。
けれども、この瞬間はやがて過去となり、振り返ることができるようになるだろう。そのとき初めて、意味が立ち現れてくるのだと思う。
そういう意味で、「人生には意味がない」。

ただ、どんな死に方をしようと、「自分の生を全うした」ということには意味があると思う。
偉人でなくても、人は生きているだけで誰かに影響を与えている。
だから、生きていることそのものに、すでに意味は生まれている。

つまり人生の意味は、究極的には「生きること」そのものなのかもしれない。

そもそも、「意味」という言葉には、どこか肯定的な響きがある。
「意味がある」と言えば、それは尊くて、価値のあるもののように感じられる。

では、人はいつ「人生の意味」を考えるのだろう。

それはきっと、死を意識するときや、苦しみの中にいるときだ。大災害、事故、事件、戦争、あるいは日常のなかでも……人は、自分ではどうしようもない出来事に直面した時、人生や世界といったとてつもなく大きなものに想いを向ける。

だから、人生の意味を考えるという行為そのものが、「生きようとする姿勢」の現れなのだと思う。

それは、生きようともがく人間の営みそのものだ。
結局のところ「人生の意味」とは、生きることそのものなのではないだろうか。
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今日は、授業で「人生の意味」をテーマにみんなで意見を交わし合いました。