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不確実性=不快感にいかに耐えるか。

不確実性に満ちた世界。初めてこの世界に降り立った人間は、大自然に包囲され、周囲の事物や現象を何ひとつ理解できなかった。

人はそれらに意味や物語を与え、因果構造を構築し、理解可能な秩序へと組み替えることで不確実性を低減し、世界を安全な場所に変えてきた。

狭義での信仰はその代表例である。アニミズムは自然界の万物に霊魂や生命を宿し、キリスト教は神という存在を立てて現象を説明した。現代においては、科学が最も高い説明力を持つ信念体系として機能しているようだ。

不確実性は不安や恐怖などの不快感を生むため、人はそれを解消しようとする。人生のあらゆる局面での挑戦は、最終的には「不確実性=不快感、困難」に立ち向かう営みではないか。

その営みを遂行する上で、自己確信(≒自信)は「自分自身への信仰」として特に重要である。強い自己確信は、不快感に対抗できるという感覚をもたらし、その営みをやり遂げられる感覚をもたらす。

では、そのような揺るぎない自己確信はどう得られるのか。

その源は自己受容にあると考える。ここでいう自己受容とは、比較による相対的な価値付与ではなく、存在そのものを認める絶対的承認である。

この確かな土台が、不確実性に満ちた世界を生き抜くための最も強力な支えとなるだろう。
哲学の星哲学の星
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名無し

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他人を下に見ていた。
それは、自分の無能さや未熟さを覆い隠すための微かな免罪符だった。
人との関わりは、打算と条件の上に成り立つ、ただの取引に過ぎなかった。

ある日、もう一人の自分に出会った。
その眼差しは、曇りなくこちらの姿を映し返す。
自らの未熟さが容赦なく突きつけられた。
自分を直視するということが、かくも難しく、苦いものだとは知らなかった。

気づけば、真下に真っ黒な穴がぽっかり空いていた。
音もなく、引き摺り込まれた。
これまで、どれほど多くの心を傷つけてきたのか。

過ちの重さを背負い、どこまでも落下してゆく。
戻れる保証など、どこにもない。
いや、もう戻らなくていいのだ。
哲学の星哲学の星
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GRAVITY191
名無し

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佐藤太郎の一日

5:00 起床
Ouraで睡眠の主要データを確認。Calmで瞑想。MyFitnessPalに朝食を入力。NotionにToDoを転記。Duolingoで数分だけ語学学習。
#朝活 #自分磨き

9:00
Toggl Trackで時間管理を開始。ポモドーロで集中作業。BGMはYouTubeの環境音。ChatGPT Proで思考の整理。
#コスパ、タイパ #生成AIしか勝たん

12:00
Audibleで学習系コンテンツを聴きながら昼食。Forestでスマホ制限をかけ、短時間の休憩。

15:00
Apple Watchでランを可視化。帰宅後はDaylioで気分を記録。

18:00
Xに今日の学びを投稿。Kindleで読書し、Evernoteに要点を整理。

21:00
Insight Timerで就寝前の瞑想。Ouraで就寝準備。
#丁寧な暮らし


最適な睡眠、効率的なタスク管理、「無駄のない」インプット。こうしたライフスタイルは、長らく模範とされてきた。だが、そこにあるのは、すでに形式化され、手順化され、構造が明示された行動。

再現性、意図の分かりやすさ、文脈の取りやすさ。これらはすべて、AIが最も得意とする領域である。「模範的な」生活とは、もはや人間の理想ではなく、AIが管理しやすい形で最適化された生活設計に見える。

だからこそ、いま必要なのは、理想的な暮らしの再定義だ。

何が人間らしさを担保し、何が機械と人間を分かつのか。その問いを避けたまま最適化を続ける先にあるのは、「代替可能な人間」の完成形でしかない。
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名無し

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壮大なものに属していたい。

壮麗な光景を仰ぎ見るとき、底知れぬ思想の深みに触れるとき、あるいは、言葉にならぬ神秘のなかに身を委ねるとき。
そこには、無限の安心感が宿っている。

それは、世界が驚きと謎に満ちていた子どものころのまなざしと、どこかで密かに繋がっている。

なんて広い世界だったのだろう。

けれど、大人になるにつれて、世界は少しずつ閉じていく。
合理性や効率性の名のもとに、私たちは立派に整えられた牢獄に押し込まれていく。
なんとも安全な世界。だが、安全は決して本当の安心をもたらしてはくれない。

それでも、我々は忘れていない。
壮大なものへの憧れを、未知と神秘への渇望を。

きっと一万年後、私たちはもう一度、あの広がりへと還っていくのだろう。
かつて見ていた、あの果てしない世界へ。
哲学の星哲学の星
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最も身近でありながら、最も謎めいた存在、意識。この意識について、ひとつ確かなことがある。それは、意識が微細な段階を積み重ねながら、徐々に進化してきたということだ。

初期の生物は、空間をランダムに漂いながらエネルギー源を得ていた。特定の目標に向かって行動をする必要がなかった。ゆえに、周囲の環境に対する意識は必要とされなかった。

やがて、特定の方向へ進む生物が現れた。食物に近づき、捕食者のいる危険な場所から離れる。これが意識の起源ともいえる最初の段階である。

さらに、生物は外的刺激のみならず、空腹や満腹といった内的状態に基づいて行動を選択するようになった。その際、嗅覚によって食物の所在を把握し、危険を伴いながら接近・摂取し、安全な場所へ移動して消化する行動が見られるようになった。

次に、視覚の発達により、生物は嗅覚よりもさらに広く遠い範囲を把握できるようになった。これにより、自分の位置と食物の所在を関係づける空間的認知が可能となった。

時が経ち、生物に内面が形成されるようになった。視覚が目の前の現実を捉えるのに対し、内面は外界に存在しない対象を内的に表象し、直接は知覚できない対象に対して持続的に意識を向けることを可能にした。

こうした進化の果てに現れたのが人間である。人間の最大の特徴は、直接感知できない未知の領域や目に見えない実体にまで意識を向け、それを認知・探求する能力にある。

人間は、現実には存在しない対象を想像し、主観的な意味を付与する。そして、その内的表象に基づいて行動を形成する。さらに、自身の思考や感情という目に見えないものを対象化し、それを他者と共有可能な形で表現しようとする。こうした営みを通じて、人間は現実と観念の狭間で絶えず意味を問い直しながら生きる存在となった。

人間とは、目に見えない領域へと意識を拡張し、そこに秩序と意味を与える存在である。その営為の連続こそが、人間という存在の本質を形づくっている。
哲学の星哲学の星
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人生を通じて、常に自分の次元を下げず、高く保っていきたい。

例えば、人に称賛された時。すぐに心が浮き立っていては、次元が低い(=レベルが足りていない)。

嫌な奴に出会った時。表出するのは、相手の嫌な人間性じゃない。むしろ、そのときの自分の在り方、自分自身の人間性が露呈する。

なぜか。目の前の出来事にどう意味づけを施すかが、最終的にはいつも自分に問われているからだ。

その意味づけの水準、つまり解釈の器を決定づけるのが、自分の次元の高さだ。もし自分の次元が十分に高ければ、どれほど嫌な出来事に遭遇しても、心を乱されることはない。それに影響されないだけの余裕と成熟が備わっているからだ。

称賛に左右されるということは、結局他人の評価を気にしているということ。その次元にいるということは多くの場合、他人の批判にも簡単に左右される(=耐えられない)。

人生の中でレベル100の「嫌な出来事」が目の前に立ちはだかっても、自分のレベルが1万、あるいはそれ以上の域に達していれば、もはや影響を受けることすらない。

自分の次元が十分に上がれば、世の中のほとんどの出来事が低次元になる。よって、俗世間の瑣末な事象には簡単には動じることがない、強く、自由に生きる境地に至ることができる。
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無境界の現実を捉えるには、無限の解像度が求められる。

我々はこれまで、世界をより明晰に捉えるために、二項対立や分類といった構造的枠組みに頼ってきた。善と悪、自然と人工、人間と非人間と言ったように。

そうした境界を設けることで、複雑な現象を分節化し、認識可能なものとしてきた。

しかし、近年の思想的潮流、なかでも脱構築の視点は、こうした分類の有効性に根本的な問いを投げかける。現実そのものは、より流動的で曖昧なものであり、我々が引いた境界線は、しばしば恣意的で限定的なものに過ぎない。

境界の解体とともに、新たな構造が潜勢として浮上しはじめている。

例えば、テクノロジーの領域において顕著に表れている。「デジタルネイチャー」という概念は、自然と人工の境界を融解させ、新たな「自然」の創出を可能にする。

こうした変容は、人間の「自然」への関わり方そのものに、構造的な変革をもたらし得る。

かつて人間は、自然を神の創造物と捉え、その摂理を解明することに知を尽くしてきた。しかし今日、自然環境そのものを設計・生成することが、理論的可能性から技術的現実へと移行しつつある。

自然のコード(=物理法則)を読み解き、あるいは人間独自の設計原理(コード)を用いて、「仮構されたもう一つの自然」を創出しようとしている。その意味において、人間は自然の解釈者から、創造者へと変容しつつある。

その背景には、「無限の解像度」に接近し得る計算能力の飛躍的進展がある。無限に近い演算資源が前提となれば、人間は物理世界に匹敵する緻密な環境を人工的に構築し得る。

人間はもはや、自然を模倣する存在ではなく、それを生成する主体へと位相を変えているのだ。

この動向は、バーチャル空間やゲームの進化といった身近な領域にも表れている。光と影の挙動、風や水の流れといった自然の諸相は、仮想空間内で驚くほど精緻に再現されつつあり、際限のない継続的な技術革新によって、数十年以内には現実との識別が困難になるだろう。

このような状況を思想的に捉え直せば、我々の世界への認識は、「アナログ※的思考(連続性・東洋的)」から「デジタル※的思考(断絶性・西洋的)」へと移り変わり、やがて両者の境界が溶解し、融合する局面に至る。

※アナログとは、アナログ時計の針のように境界が連続的で曖昧なもの。
※デジタルとは、デジタル時計のように区切られた離散的なものを指す。

分類や断絶に依らず、重なりと連続性のなかで現実を捉え直すこと、そうした思考の深化と回帰がこれからの時代において、切実に求められるだろう。
哲学の星哲学の星
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物語も意味も、世界には存在しない。
それらは後付けの産物であり、偶発の連なりにすぎない現実に、混沌と無意味を拒む人間が秩序を与えようとする営為に他ならない。

世界そのものは、沈黙のまま、無関心にただ存在する。

それでもなお、我々は意味を宿し物語を紡ごうとする。それは生の不条理に対するささやかな抵抗であり、人間の脆さゆえの執着と、尊厳を求める意志の表れでもある。
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すべての事象は、ある確率的分布に従って決定される。

このとき、自分の本質を中心に据え、各事象の発生確率の高さを濃度として可視化し、確率密度に応じて同心円状に配置した図を「同心円自己表」と呼ぶことにする。

このモデルでは、中心に近いほど事象の発生確率が高く(=濃度が高い)、周縁にいくほど濃度が低く(=濃度が低い)なる。

人間の脳は、常に周囲の出来事の発生可能性を無意識に推定し続けており、その推定精度は経験とともに向上する。この過程は統計学習と呼ばれる。

すなわち、我々の脳はこの「同心円自己表」とも呼べる内的確率マップを、日々の経験を通してより精緻に更新し続けているのだ。
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