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那須川天心vsカンガルー
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タイトル【塩顔】

ギャルタレント「やっぱり、初デートでは、男は女に奢るべきですよぉ。見栄張ってかっこつけないとぉ。」

司会者「まぁ〜、初デートはね。神崎さんはどう思いますか?」

神崎「僕"は"、出したいですね。」

彼は、少し苦笑した後、全てを理解した顔で答えた。人間離れした、掘りの深い男だった。
黄色人種特有の顔の濃淡が、実際よりも顔の奥行きに遠近感を与えた。人々が彼を見て感じる第一印象は、その端正な顔立ちや爽やかな受け答えではない。何処までも続いていくかの様な顔の奥行きが、目の焦点を吸い込み続け、観衆の距離感覚や平衡感覚までもを狂わせ、意識の全てを非現実の歪んだ世界に引き摺り込んでしまう、禍々しい魅力なのだ。


テレビ収録は、その後、大した波乱もなく平和に終わった。
いつもの如く、平穏な昼下がりの団欒を弾ませる、誰でも参加できる普遍的なテーマの議題を投げかけて、日々の細やかな幸せに心ばかりの花を添える有意義な番組を提供出来る筈だった。

その内容面は、何年間も続けた毎週の放送と何ら変わりのない、王道のテーマとして何度も擦り倒された話題だったのにも関わらず、その日ばかりはクレームが殺到していた。

根本的な原因を突き詰めれば、昼間に流すには神崎の顔は余りにもセンシティブ過ぎたということになる。「神崎の顔をアップで抜きながら、デートなどの性を彷彿とさせる話題を出すというのは、およそ昼間に流して良い様な放送内容ではない。」事実として主にそういった主旨の電話が、その日は鳴り止まなかった。

そして、因果関係は定かではないが、翌日不自然に小豆の購買量が急騰したそうである。

これは決して、一部の偏った視聴者だけが騒いだという現象ではなく、かのBPOすらも、綿密な議論を重ねた結果、その番組はポルノ動画を流したのと同義の罪に該当すると判定を下し、その長寿情報番組は打ち切りを迎えた。

そしてその事件から3年ぶりに、年末の大型特番生放送にて、テレビ界のアンタッチャブルとされている筈の神崎の出演が、決定することとなった。

これは「視聴率が下がり続け、更にはオールドメディアという汚名まで着せられた現状を脱却するには、攻めのキャスティングが必要である。虎穴に入らずんばは何とやらです。」と新進気鋭のコンサルが熱く企画会議で演説したことを、きっかけとする。

番組決定時から放送直前まで、この社運を賭けた起死回生の大博打を前にして、局内は異様な緊張感に包まれていた。

番組開始後、当分の間カメラマンは出来るだけ神崎を映さないようにしていた。神崎を出せば必ずコア視聴率を取れるが、BPOに引っかかって番組終了やスポンサーの撤退などの大きなリスクも孕む、諸刃の刃だと深く理解していたからだ。

最新の注意を払いながら、神崎を遠距離のカットで抜くと、毎回、神崎は手で顔を覆い映らない様に気遣った。その仕草は誰から見ても完璧にチャーミングだと言えた。そしてカメラマンは、その仕草から神崎は自身の加害性すら帯びた力に自覚的で、問題を起こさずに出来るだけ盛り上げて、この番組を終わらせたいという目的を共有していると確信した。

カメラが番組の大見せ場として、手で顔を隠した神崎をアップで映すと、神崎はいきなり手を広げ、惜し気もなく自分の顔を公開した。

その時の神崎の顔は、もはや深い穴だった。

全てを飲み込む様な、底の見えない真っ黒な穴。

まず、その刹那を堺にして、塩顔と評される顔の平べったい俳優が一斉に発狂して死んでいった。
その後、都市の機能が次第に停止していき、国家は全ての秩序を失い、最終的に国民全員が文明という記憶を持っただけの猿と化した。

崩壊したビルの中で、小さいビデオカメラを持った男の合図を皮切りに、司会者が番組ごっこをはじめる。

司会者「あの時、神崎はどんな表情をしていたと思う?」

ギャルタレント「うーんやっぱり、やってやったぜっ!て感じじゃない?」

司会者「実際はどんな感じだったんですか?神崎さん。」

神崎「やってやったぜっ!って感じですね。」

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大金持ちになったら、ゾウガメを飼っている侘び寂びをテーマにした巨大アクアリウムの底で、朽ち木に大量の春雨を散らしたい。自論であるが、既存の理論を追求すれば到達出来る矛盾の無いアクアリウムというのは面白味がない。完璧な自然状態の模倣から、意図的な余白(矛盾)を入れこむという選択肢を持つことで、写実主義という純粋な理論のレイヤーだけに囚われた状態から、感覚のレイヤーが解放された、より奥深いアクアリウムの次元へと到達出来る。
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人生を空疎に消費し続けているという事実が耐え難かった。僅かばかりの給金と引き換えに人生の大半をやりたくもない苦痛を伴った労働に隷属させられることを了承していた数ヶ月間は、それが馬鹿馬鹿しいことだと気付く為に必要な対価だった。

就活のフェーズに移行した時、学生の頃に気取っていたロック的スタンスを早々に取り下げて掌を返し、惨めったらしい奴隷根性を引っ提げて、眩く輝いて見えた迎合して得られる少しばかりの安心の為に、無能な労働者という最低限の地位を急いで確保した。

壊滅的に無能な私を庇護し、真っ当な社会人としての教育を施しながら金銭まで支払わせた会社と先輩社員に対する恩を仇で返すタイミングでの辞表届だと思い、余りにも人の道を外れた行為ではないかという自己嫌悪から、退職を切り出せないでいた。

そんな私の思いとは裏腹に、相手の態度はあっけらかんとしたものだった。会社側としては、有能な社員に関しては是が非でも残留を希望したいが、組織にとって癌でしかない人間が自主的に退職を申し出るならば、それは又とない機会でしかない。

私は不本意な円満退社を遂げて、晴れて無職になった。職を離れた動機である人生の充実を達成すべく、待ちに待った最初の休日を迎えた。

朝から薄い財布と文庫本を鞄に入れて旅の支度をする。スーパーで軽く軽食を済ませて、そのまま遠出をする算段だ。

スーパーの休憩スペースで食べたパンはすごく美味しかった。無料の温かいお茶と冷水があって、競争を煽るような容姿をした客は誰一人としていない、理想的な居心地の良い空間だった。

そこで朝食を取り、数杯のお茶と冷水を飲み終えた後に、もう朝と呼べる時間が終わりつつあることに気付き、いっそのことここで昼食も取ってしまう方が合理的だと結論付けた。

そこで私は小一時間ほど惣菜を吟味し、丁度腹の減ったタイミングで購入し、休憩スペースで食事することにした。「あーここ、ずっと居てられるなぁ」なんて思いながら、茶を啜ったり、はしゃいでいる大家族の子供を眺めたり、何やらスマホのメモに一心不乱に文字を打ち込む奇抜な格好をした人や、年金暮らしの老人が散歩の途中で息を切らしながら冷水を飲んでいる様に、奇妙な連帯感を覚えたりもしていた。


するといつの間にか日が暮れ始め、限られた休日をスーパーの休憩スペースで費やしたと気付いて、思わず涙が溢れた。

「俺はお前らとは違う。」時間感覚の狂った集団と場を共有すると、悪影響しかないと結論づけた。そうと分かれば、反吐が出そうな馴れ合いに決別の意を示す鋭いターンを決めて、颯爽と立ち去った。

そのまま夜ご飯にする用の惣菜とカップ焼きそばを買って、スーパーから逃げるようにして立ち去った。ご飯を食べて、一日が終わったことに絶望しながら眠りについた。明日からは、一刻の猶予もなく、死に物狂いで職を探す日々が初まる。

ついに社員としての資格を剥奪された為に、社宅から引き上げなければいけなくなった。暫くは移住先が決まるまでは、主に資金繰りの理由から、ネットカフェのフラットスペース六時間パックで夜を明かすことにした。

硬いマットという悪環境の理由からか、入眠して三時間経った頃に、職場でのトラウマがフラッシュバックして飛び起きた。

座敷牢のような場所で六時間過ごすだけで数千円を搾取されることに憤りを覚えて、無料のドリンクを全種類一口ずつ飲んでは流し台に捨てるという作業をおもむろに初めた。

最初のうちは凄い勢いで元が取れていくことに高揚感を得た。だが、二周目の途中で尿意を催してトイレに向かい、長い尿の排泄を終えた後には、すっかり正気を取り戻していた。とてつもない虚無感に立っていられなくなり、洗面台の前に縋り付き、濡れた手で顔を覆いながら咽び泣いた。
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序文

端的に私(佐藤)はこの世界と無関係である。何故なら世界で共有されている諸々の価値について何一つ共感していないからである。
彼らは、死を前提として生を謳歌するが、私は死という一現象が逃れられない運命だという点に、何一つ同意していない。

永遠が前提であるなら、快楽物質の分泌、遺伝子の保存、種の繁栄、社会貢献、これらが全く無価値であると唾棄する判断に、生来から一度も疑念を持ち得た試しがないという事実を聡明な観衆であろう皆さんには、理解してもらえるものだと固く信じています。

あらゆる柵から逃れた私にも、たった二つの強い偏見だけを有している。

関東人は多数派の常識を押し付けるという種類のデリカシーの無さがあり、関西人はごく一部の村社会でのみ通用する常識を押し付けるデリカシーの無さを持っているというものである。
主観的な経験という偏りを帯びやすいサンプルとはいえ、質では無く純然たる量に基づく、感情というノイズを唾棄した純然たる統計的な判断であるが故に、私が便宜上それを真実と断言することに、異論は挟ませない。
その真実を、私は浮動する記号の世界でリアリティという重み付けを行う為の常套手段として用いている。
「つまり、死という逃げ道があることによってやで、存在が背負った罪業を贖うという責任を、いつでも放棄してまえる虫のええ言い訳が通ってまうやろ。そんな前提は許されへんのや。
どない本来の生命が持っとる形からかけ離れた姿にしたとしても、己の罪を耳揃えて清算するまでは、絶対に逃しまへんでっちゅうことや。なーにが、復活による再会や。
今世の罪は今世でっちゅうのが、当然の道理やろがい。」
「いや〜でもねっ、人は弱い生き物っしょ! 逃げるのマジサイコーだわ!責任ってぶっちゃけいうと、まじダルイっすよ?
ちょいウザいな〜。えっこれ今気づいたけど、もしかして説教? もしかして今、説教しちゃってる感じっすか?
え〜ヤバいな、説教くらっちゃってるよオレ〜。
てか、よく考えるとめっちゃウザいっすね。
でも、逆にウケますわ。ありがとうございま〜す。」
といった具合に、この方法論が極めて有効であると認めざるを得ないだろう。音楽鑑賞において、メロディーとメッセージのイメージがリンクすると情景が浮かびやすいのと同じである。集団的に保持している無意識の偏見(口調)とメッセージをリンクさせることで、その意思が虚構であれ、通常力を持たずに霧散するだけの効果しか及ばさない空気の震えが、現実に影響力を放つに足る重力を持ちえる、フィクションのリアリティを持つのだ。

一章

「やっぱ、”こってり”しかないっしょー。」
脳味噌に一切の俯瞰意識を排した軽薄な声色で、喉から声を出す。この軽薄さは深淵な雰囲気で相手を威圧することの加害性を憂慮した、優しさを根底にしている場合と、天性の性質である場合がある。
私(佐藤)は今日も天下一品で、完全な常人である御学友に溶け込む為に、瞳孔を開き切って脳にアドレナリンを過剰分泌させ、今を生きるという時間感覚を演じる。今を生きるとは、塩と砂糖と油と化学調味料の塊をこの世で一番美味いものだと信じ切った顔をしながら、夢中で貪り食らう様のことだからだ。

友人A「あのさぁ、情報科学講師の平均点が30点を下回る、オナニーみたいな定期試験マジでウザくね?」
私(佐藤)「カッカッカw マジで分かるわ。定期試験の平均点を下げるということにアイデンティティを感じてる奴いるよな。やろうと思えば全科目出来るんだけど、入試必修科目の教師は生徒のモチベ下げるなって苦情が出て面倒くせぇから、やってねぇだけなのにな。情報科学という誰も重視してない教科だからこそ、やりたい放題やれるってことに空虚を感じるべきだろ。」

友人B「本当にな。少しでもあいつが冷静になれば、凄い狭い場所で空威張りが反響してるだけの状況に、酔いしれながらアイデンティティを預けていたという事実に気付いて、絶望的な虚しさを覚えるんだろうな。」

一同「カッカッカッカw」

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つまり、遍在していた劣悪な塩基配列(性格遺伝子)だけが数奇な因果で絡み合い続けるという宇宙史における壮大な悪循環の集積が織りなした、世界中の憎悪が一点に凝縮されていくという天文学的な奇跡の果てに、彼という最も邪悪で愚劣な生命が生まれ落ちたことに、深い感慨を覚えるんだよな。

まぁ私は彼のことが好きだけどね。彼と同じ時代を共にすることは、もはや運命を感じるよ。

そう、まるでここが物語の中の世界で、彼は私と対比させる為に配置されたようじゃないか
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#映画 それいけ!アンパンマン だだんだんとふたごの星感想

光(知識)と闇(死)は、当然対極の性質を持つものの、それらの本質が閉じた絶対性を持つという点においては、酷似している。

現代でのキャピタリズムが包摂しない個人の卓越性が、熾烈な自由競争が生み出す社会の澱と相反する場合に、その「知識」と「死」という友人だけが、存在という揺るぎないポラリス(指針)となる。

社会という荒々しい濁流の中で、類稀なる才覚によって見出せた光明を、薄弱な個人的感性で見失わずに保持する為には、その二つの”絶対”に照らし合わせ続ければならない。

その内省という名の精神的修練の結果産出される価値が、それが齎す社会的進歩だけでなく、他でもない彼自身の人生を救済する為にも、必要不可欠なメロドラマの一幕なのだ。

なぜなら、求道者としての宿命を背負った者にとっては、安易な混沌に埋没せず、未到の正道へ辿り着き社会に昇華させることでしか、高潔さを帯びてしまった自らの魂を贖うことが不可能になるからね

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断る理由が「どうだっていいから」の、絶妙なニュアンスね。
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フェイクグリーン

Mom

私のお気に入りの曲
私のお気に入りの曲
参加
INFPの星INFPの星
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凡ゆるコンテンツの中に比べて、外の世界がつまらなく感じてしまう。それは、良くないことだと分かっているけど、辞められない。中毒になっているから、コンテンツから離れるのが怖い。現実の時間より、コンテンツの中の時間の方が大事になってる。現実より非現実。
何回も同じものを見ている。時間が出来たら、ひたすら部屋を真っ暗にして、スマホで映画を観ている。
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春琴抄を読んで、妻が不妊症になったから、パイプカットした夫の、ニュースを思い出した。
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ハハ
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私は、冷笑主義とヒューマニズムの間に存在する、空笑主義を標榜します。
空と言っても、一般的な認識の虚無では無く、般若心経に基づく空性と言う概念を用いた、関係性に依って存在している物を指しています。
ある時、オスカーワイルドは、言いました。
「楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る」と。
それに対し、空笑主義者はドーナツの穴を見て、息が出来なくなる程、唯笑うのです。
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スティーブ・ジョブズが、「若い頃はとにかく沢山、点を打つことだけに集中しろ。それがいつか繋がって線になると言っていた意味がようやく分かった。」動物タワーバトルで培った能力が、今スイカゲームで活きてる。この経験を子供達に伝えよう!
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そのプロセスを省くことによる、デメリットとメリット何方が大きいか。メリットとしては、決定を速めるという事があります。デメリットとして、強権的決定では無いかという批判が出るということです。この場合、プロセスを踏むことに大量の時間が掛かるのであれば、当然プロセスを省くことも正しい選択になり得ます。しかし、そのプロセスを経ても、諸々のコストが大差ない場合において、当然、選択肢として上がる事が、何らおかしい事だとは思いません。
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裏の裏という概念を、それは表だと訂正することは本当に正しい事ですか?もちろん、便宜上それが正しいと言うことは十分理解します。
しかし、表というのは、裏の裏の裏の裏でもあり、それが無限回続く包括的な概念な訳で、裏の裏のことを裏の裏と表現した時に、それは、表だよという事が、正しいとは思えません。
それなら、人間は、トートロジーしか話してはいけないのか?そんな事は言っていません。
正確さを比較するのであれば、より正確に表している方を支持するという、当たり前の事を言っただけです。
そもそも、過程がほぼ同じだという前提があり、成立した事柄について、過程が明らかに違っている場合は、結果が殆ど同じであっても、それを指摘することは、当然の事だと僕は思います。
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インストラクターのユーモアは、この人いつも言ってはるんやろなというのが、分かってしまうから、冷めるって松本人志が言ってた。生感(なまかん)というのが、大事な気がする。嘘をつくという行為は、感度の鈍い人にだけしか通じない。
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対話というコミニケーションまで形式化するのは、行き過ぎた形式主義だと嫌悪していたけど、それを必要としている人がいて、一定数それで救われるなら、その批判は社会的に間違っているものだと思う。そもそも何処までが、形式化すべき部分かと言うのは、私の恣意的な線引きに過ぎない。でも、形式化していくのは、寂しい気がする。詐欺マニュアルも嫌な気分になる。どうせ騙すなら、自分の言葉で騙して欲しい。
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もちろん、音楽を歌詞だけで聞いてる訳じゃないけど。
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ちゃんと原文を確認せずに、見てきたのものが死ぬ程あって、ちゃんと確認したら全然違うこと言っているかもしれないという恐怖がある。特に、洋楽の和訳は、適当なのも多いし。時間が経って、再確認したら訳者の深読みで、普通に和訳したら真逆の意味だったりする。その人が好きなのでは無くて、訳者のセンスを愛していたのかもしれない。
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今思えば、維新の馬場さんが定期的に匂わせしてくれてたんだね。未発表の政党名を先に言ってしまうあたり、少しでも速く、付き合ってる事を公表したかったんだ。下らないよ。
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厨二病感あるかもしれないけど、かっこいい。

そのうちこっちの言う事には全く耳を貸さないって状態まで舞い上がってたから、『こいつのお粗末な脳みそに叩き込むには理性的な方法じゃ駄目だ。何か原始的なショックでも与えなきゃ』と思って……そしたらふと足元に落ちてる使い古しのカミソリの刃が目に付いたんだよね。痛みは全然感じなかったな。奴の目の前に左腕を突き出してゆっくりと言い諭すように『4REAL』と彫り込んでやったんだよ。そしたらアッと言う間に血が噴き出して奴は色を失ってわめき始めた。それを聞きながら僕は、肉体の断面ってこんなに綺麗なものだったのか……自分の中にこんなにも大量の血があったのか……と一種不思議な気持で見とれてたね。
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#うちで踊ろう
安倍さんの作品『うちで踊ろう』を見直してみたけど、そんなに叩かれる事では無かったと思う。
政治利用だって言うけど、あれを見て、自民党に投票しよう!って思うかな?
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万博のリングが高すぎるって言われているけど、あれはまだ完成されてないんじゃないかな?最後にサプライズで、木の輪っかの中に、デッカイ目玉を嵌めるんだと思う。それが100億くらいするから、高いんじゃない?
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20世紀少年の影響で、オリンピックより大阪万博の方が全然、闇の祭典のイメージがある。
アベマリオより、世界にインパクト残すことを計画してると思う。どうなるか分からないけど、開催されたら、とんでもない祭りになるだろうね。
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自分の住んでる所の近くだけかもしれないけど、国民民主党の前原さんのポスターを一番よく見かけるようになっていた。離党して、何か変えれるほど影響力を持てるのかな。
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ホンジャマカ石塚の目から大粒の涙が溢れるのを見て、何かを閃き、不敵な笑みを浮かべて、ゆっくり懐からバケットを取り出す木村祐一。
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一年前くらいに、屋根の工事に来てた、職人の師匠と弟子二人組の会話を、ちょうど作業していたところの屋根の、真下の部屋にいたから聞いていたのだけど、ドラマとかで見る頑固職人と純粋な弟子みたいなイメージと全く同じだった。弟子にやってみろと言って、いざやらせたら全ての行動にバカだなとか、ほんとに使えねーな、みたいな暴言(愛ある?)を吐いて、弟子は純粋にはい!とか、すいません!と答えていた。ばかとばっか、使えねーなとつっかえねーなーの四種類を匠に組み合わせて、説教?がマンネリ化しないようにしてた。ドラマだと、他の先輩に後輩がもうやってられないっすよ、辞めるかもしれないっす、とか相談して、そしたら、ばっか、ほんとに分かってねーなー、愛されてるからこそだろ、あの人、嫌いなやつは、無視して終わりだからな、期待してるからこそ、厳しく当たるんだぜ!みたいな意外な事実が発覚して、それだったら頑張るか!みたいな展開になる。でも、現実に部屋の真下で聞いてた時に、弟子の気持ちになったら一時間に、ほぼ二種類の罵倒を100回くらい言われるのは、聞いてるだけでも、凄いストレスだった。
それに、現実だと本当は愛してるからこそ、厳しく当たるとかでは全くなくて、ストレス解消の為に使われてるだけかもしれない。そういう、純粋悪みたいな性格の悪さがアイデンティティになると思ってる奴いるけど、それはダメだよ。エミネムくらい華が無いと、バカとか言われたら普通にムカつくから。
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暇だから漫画作った 続き。
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暇だから、漫画作った!
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パレスチナとイスラエルは、完全に中立な立場の国が仲介すべきという事だけど、そんな国ある?日本は、それに近い立場を表明したかもしれないけど、アメリカ寄りに見られるだろうし、どうなんだろう。実際には、中立を宣言するにとどまって、リーダーシップをとって大きな行動する事なんて、無さそうだけど。アメリカが間に入った時は、結果的にまた戦争が起きてしまって、新しい遺恨を残す事になってしまったし。一旦、抽象的な案で両者が合意して、それが裏切られるという形になってしまうのを続けるのもダメだし。テロリズムによっての現状変更は絶対に認めない!みたいな論理だと根本的な解決はできないだろうし、といっても、妥協できる限度も当然あって。聖地とかの問題は、両者の熱心な宗教の信奉者にとっては、基底的な考えに基づいてるもので、妥協出来ないものなのかもしれないけど、だからこそ、中立地とか判断を保留する事は出来ないのかな。シオニズムだとかで、無理なんだろうけど。出来るんだったらやってるわって話だし。差別っていうのは、無知からくる恐れによって起こるんだって言っても、そりゃあ人がいっぱい殺されたら怖いし、悪魔だと思ってしまいそう。合意点も見つからないし、休戦は延長されたけど、どうなのかな。
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うーん、やっぱり、多分勘違いだ。そもそも黒人芸術にルーツがあるものだったし、ヒップホップのループ音楽を聴く時の快感と同質のものか。
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凄く感覚的な何の根拠もない意見だけれど、究極の無意味は、凄い意味を持つと思う。そこに一番近づいたのがトリスタン•ツァラ。殆どの詩が意味を持ってしまっていたけど、一つ究極的に内容の無い劇作の台本があった。それは、シームレスを求め初めていた世界の中で、あらゆる境界線の消失点に限りなく近い場所で、立脚出来ていたと思う。今思うと、その感覚は、反復によるトランス状態、ゲシュタルト崩壊による悟りのイミテーションに過ぎなかったのかもしれないけど。
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むQさんが紹介してた、絶対彼女、feat道重さゆりさんの歌をYouTubeで見た。最初見た時、歌詞も狂気を感じて、エフェクトや合間の大森さんのコメントも相まって、道重さんへの呪いのビデオみたいだと思った。
でも、コメント欄では憧れるとか称賛みたいなピュアな肯定のコメントで溢れてて、このままずっと、かわいいを体現する殉教者として生きて欲しい、みたいな圧を感じた。
この、かわいいって、ずっと出来るものなのかな?ずっと続けるのは、辛いわりに、長期的に見ると、見返りが少なそうで、割に合わない気がする。このままいくと、どこかで体壊しそう。
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http://ousia.livedoor.biz/archives/51858948.html
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音楽ジャーナリズムが得意とするカテゴリーについても、Manic Street Preachersだけはそのリスナー層が特定できないのだという。英国の音楽ジャーナリストはカテゴリー分けが得意らしいが(範疇を問題とするところにスコラ的な影響を感じる)マニックスだけはと一体どこにどういった聴衆がいるか特定するのは難しいいう。それは本当のことだろう。本来的な問いは常に、中間的にところに位置する。場所や地位の問題としての在り方という意味での中間である。マニックス自体が、歴史とロックの中間、文化とカウンターカルチャーの中間、文学と宗教と批判という中間点にいつもいた。極端ではないからいつも問いが突きつけられるのは彼らの要素が単純ではないからだ。彼らほど、三島由紀夫や太宰治や谷崎潤一郎を正面から読んだ英国人もいないだろうし、今となっては日本の若年層でもこれほどの読解を持つこともないだろう。
リッチーを肥大したエゴと断ずるのは簡単なことである。
しかし構造と透明化した支配、繰り返される歴史をみた者ならば、彼の立場を否定することは出来ないはずである。・・・そこに異を唱えたものがことごとく共同体から消し去られて殉教者か聖人か英雄かに祀り上げられて「われわれ」がその犠牲のもとに生きていることを自覚することはあっても。
だからマニックスのリスナーはコアな層はおそらくロックミュージックというものに対しても『』(カッコ)つきで接しているのだと思う。
問題はカテゴリーと範疇の問題でもなければ、階層とか階級の問題でもない。構造と顔のみえない支配体制と権威と人々の心性、そしてなによりも本来的か否かという存在論に根ざしているからではないか。

ホーリー・バイブルというタイトルのこのアルバムのジャケット写真は、
白人で短髪の以上に肥満体の女の姿である。
マリアでもアンナでもソフィアでもアテナでもない、もはやイアソンの妻メディアでも大地母神でもなく再生をつかさどるイシスでもない、そこに描かれた欧米社会の病理的日常はこの白人の肥満した醜さに収斂される。
歌詞で用いられる痩身な女性が原因である消費社会を暴くのに対して、カバージャケットが示すのは、結果としての現在の欧米社会の病理のように思える。まったくありかたは別だが帝国主義ヨーロッパの罪悪の告発の仕方は、どこかジョルジュ・ルオーのようでもある。

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そのうちこっちの言う事には全く耳を貸さないって状態まで舞い上がってたから、『こいつのお粗末な脳みそに叩き込むには理性的な方法じゃ駄目だ。何か原始的なショックでも与えなきゃ』と思って……そしたらふと足元に落ちてる使い古しのカミソリの刃が目に付いたんだよね。痛みは全然感じなかったな。奴の目の前に左腕を突き出してゆっくりと言い諭すように『4REAL』と彫り込んでやったんだよ。そしたらアッと言う間に血が噴き出して奴は色を失ってわめき始めた。それを聞きながら僕は、肉体の断面ってこんなに綺麗なものだったのか……自分の中にこんなにも大量の血があったのか……と一種不思議な気持で見とれてたね。
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