
ふれっしゅ
40代後半の男
映画と音楽
フィルマークスに書く前のメモを載せています
批評はできないのでただの感想です
それで満足してフィルマークスは滞り気味
集中力ないので家で配信はあんまり見れないので映画館で観た感想が多くなりつつあります
映画
音楽
キャンプ

ふれっしゅ
てけしゅんの中でズートピア2とかスカーレットと並んでタイトルに出ていたので、その内容聞く前に観てきた。
なんだこれ⁉️メチャクチャ面白いやないか‼️
観終わってすぐ続編観てぇーってなったんだが、これがもはや続編だったのか…
1も見れるみたいなので、あとで観ます。
1も見ておらず、中国のアニメだということ以外は特に情報もなく見始めて
「ほーん、なんかそんなバキッとしたタイプでもない、普通の2Dの平たい絵やなあ。キャラもなんかちょっとパンチ弱めかなぁ」とか思いながら観ていたら、グイグイ引き込まれて最後のルーイエのこれまでの修行の場面とか観たらめちゃくちゃ涙するくらい思い入れができてしまった。
登場キャラクターが、超脇役まで含め、かなり多いのだが、ONE PIECEみたいな感じで、その一人ひとりのキャラ設定や能力設定までかなり細かく作られているように見えた。MOBがMOBで終わらず、だからこそ世界観に広がりが見えて、いくらでも話が紡げそうな雰囲気がある。
だからこそ、続編観てー‼️となるのだろう。
ズートピア2の感想にも書いたが、スカーレットもズートピア2も、このシャオヘイ戦記2も、また対立する勢力との共存や融和や和解、という事がテーマになっていた。
こういう物語が中国からも出てくるのか…と思って、ニュースでは中国のなんやかやがこのところも頻繁に報道されているが、ああいうものは意外と中国に暮らしていると市井の人たちはあんなにピリピリしていないという話も聞くし、クリエイターからはこういう希望の見える(とは言え、多少バイアスをかけた見方をすると、妖精側が中国で人間側が日本を含む西側?というつもりで書いていたとしたら、あまりそんな呑気な話でもないような気もするが、そうではないと信じたい)物語が、語られるんだな、と思うと、やはり目につく大きなニュースにだけ目を向けても、それだけで何かを判断するほど短絡的な解釈はしたくないものだな…と思ったりもした。
まあ、そういう色々思うところもあるが、とは言え、とにかく戦闘シーンが、完全に進撃の巨人以降の感覚が新しいものとしてではなく、もはや血肉になったような躍動感で素晴らしかった。
飛行機に乗るっつー場面もあって、乗るからにはそういう事にはなるだろうなとは思ったが、流石にイーサンハントでもそんな解決の仕方はできん笑、みたいな突拍子もない解決策で痺れた。
3を…
ぜひまた…
っていうかNetflixとかで連続シリーズにしてくれ…


ふれっしゅ
めちゃくちゃ面白かったからみんな観て‼️


ふれっしゅ
もう徹頭徹尾エンターテイメント。主人公がウサギである事が関係あるのか、ディズニー映画が全てこうなのかはよく知らんが、とにかくテンポ良く話が転がっていく。
違いを認めて受け入れる事が大事だ、というシンプルなメッセージだが、分断が進んだ今のアメリカにおいてそれを改めてメッセージとして放つ事の思いの強さよ。
そしてそれがちゃんとエンターテイメントの中に埋め込まれて、説教くさくないのがとても良い。
赦すというメッセージを掲げたスカーレットと共通する部分もあると思うが、こっちも歌って踊ってたし、死者の国もズートピアみたいなもんじゃない?そういう意味では、比較してしまうよなあーという感もあり、比較してしまうと、やはりなぁ…という思いであった。
いろんな動物たちが集まって暮らすズートピアではあるが、爬虫類達はかつて追い出された歴史があり…という、一見理想郷に見えたズートピアには実は隠された過去が…という設定はなかなか良かった。
前作は哺乳類の中での肉食と草食の対立を描いていたが、今度は哺乳類と爬虫類、おそらくラストを見ると次は…
スタッフクレジットの中にDIVERCITY AND INCLUSIONというスタッフがいて、何を担当するのかはわからんが、なるほど、映画のストーリーでのみそれを伝えるんじゃなく、そういう映画を作るためにそういうスタッフ配置をするのか…というところはなかなか興味深いし、さすがにアメリカは進んでいるんだな…と思った。
いやあ、痛快で面白かった


ふれっしゅ
回答数 336>>

ふれっしゅ
オリジナルも観たことないし、特に興味のある監督でも作品でもなかったのだが、このところ映画館に行くとしきりに予告編に流れるし、確かにワンカットワンカットかなり印象的だったので、興味をそそられ観に行った
行く前の予想として、この手の映像がメチャクチャ美しい映画というのは、映像は凄いのだが芸術的すぎて意味わからん雰囲気映画的な感じで、たぶんホワッと映像は素晴らしかった、くらいしか言えないのではないか…と思って臨んだのだが
思いの外、ストーリー立てもあって面白かった
どごぞの病院で肩を骨折して入院している女の子が、たまたま成り行きで出会う同じ病院に入院中の若い役者の男からお話を聞かされる
そのお話の再現映像があのバキバキに決まった映像なのだった。
とにかく、その男が作ったお話を描いた部分の映像が、どこをどう切り取っても絵になる見事すぎるカットの連続で、正直自分はこの映画のあのカットがどうこう、みたいな話は「ほーん、そうなんや…」くらいにしか感じられんセンスのなさなんだが、そういう自分でもこの完璧に計算された絵作りには感嘆せざるをえなかった。
ストーリー立てがあるとは書いたが、言ってしまえば、入院中の女の子が出会った、入院中の役者の男(どうやら女に振られてどこかから飛び降りて怪我をしているらしい)が女の子に自分の作ったお話を話して聞かせるうちに仲良くなり…みたいな話で、特に長々と語るような話でもないのだが、その2人の交流がなんだかとても親密で良かったのだよなあ。
最後に病院のみんなで映画を見る場面とかとても良かった。
たぶん、一度見ただけでは見落としてしまってわからないような設定も色々あったように思うし、もう少し映画周辺の情報を取り込んだ後にまた観てみると、色々なるほどと思うことや発見がありそうな映画だな、と思った。
でも、この映画の映像美を大きなスクリーンで見る、というだけでも、シンプルに素晴らしい体験だと思うので、劇場で見るのはとてもおすすめである。


ふれっしゅ
トリツカレ男はたしか昔の彼女が一時期いしいしんじにハマっていた時にオススメされて、最初に読んだいしいしんじ小説だった気がするので、結構思い出深い作品で、予告編見た時から見たいと思っていた。
が、小説が2001年らしいので、何で今?というのと、ここまで独特なキャラデザインはあんまりウケないだろうから、映画館もガラガラかな…最悪1人かな…とか思っていたら、割と入っていて驚いた。これがAぇ! groupパワーなんだろうか。
アニメに詳しくないので、どこが作ってんだろうと、調べたらクレヨンしんちゃんとかドラえもんとかの映画作ってる割と大きなスタジオだった。この独特のキャラデザインはどっからきたんだろうかと思っていたが、確かにクレヨンしんちゃん味はあるなと思った。
映画としては、良い話だったね…と、たぶん原作通りのストーリーだから、思ったのだけど。
原作読んだ時に感じたソリッドな感じは無くなってるな…という印象。ただの良い話だなぁと。
いしいしんじの小説の凄みって、漢字とかも少なくひらがな多めで、世界観もどことなく童話的な世界観なんだけど、そういうホワッとした文体と世界観なのに、人間の業みたいなモノに肉薄して削り出してるような、そういう容赦のなさみたいな感じがするんだけど。
そういうものは失われてしまったな、と感じた。読んだ時、すげえ話を読んだぞ…と思ったものだが、アニメはそうでもなかったな。
別にこの作品がアニメ映画としてダメだとは思わないけど、同じストーリーをなぞってたどり着いた結末が一緒でも、こうも印象が違うものが…というのは面白い体験だった。


ふれっしゅ
何やら、観る前から酷評されているらしい、という話だけなんとなく見えていたが、あまり左右されるのも良くないだろうという事で、それ以上の情報が流れ込む前に今日観てきた。
酷評の内容を見てないので、そういう意見については何にも言えないのだが、まあ酷評するほどか?という気もした。
たが、面白いか…と問われると、なんかスパッと即答できない感覚が残る。
作家として同じ座組でやり続けるというのは、やはり停滞なのだろうから、脚本家が代わり、キャラクターデザインが変わっていくのは仕方のない事なんだろうけど、話としてもキャラとしても、こんなこと言うのもホント粋ではないのだが、バケモノの子までと、それ以降で面白さという点ではなかなか伸びてこんなーという感じがする
(という点において、新海誠はこれからが正念場だろうなとも思う)。
面白いかと言われるとねえ…という迷いがどこから生じるのかと言えば、たぶん説教くさいというか、正論というか、まあそりゃそうなんだけどさ、みたいなところに結局落ちていくから、という気がする。
つまり、憎しみの連鎖を断ち切るためには、父を殺されるくらいの事でも、許すということが必要で、それが未来に続いていくんだ、みたいな、まあそれは、今の世の中において確かに必要なことだが、設定も含めてあまりにどストレートにそんな話を見せられても、なぁ…という感じで。
もう少し、かつてのアベンジャーズがそうだったように、ヒーローものとしてみても面白いけど、そこには何がしかの社会風刺がきちんと盛り込まれている、というくらいの作りがやはり粋なのでは…?と思ってしまうので。
許すべきです‼️って言われても…お、おぅ…みたいな感覚に陥ってしまうというかね…。
まあでもそれは俺が捻くれているからで、ここまでストレートなメッセージの方が今は伝わるのかもしれないが。
ラストとかもなあー、なんか普通やなー、って感じで、言葉で何でもかんでも言わんでイイやん、と思うというか、カリスマってそういうもんじゃなかろう?とも思うというか。
民衆を前にして、あなたが決意を持って「私と共に生きてくれ‼️」と強く呼びかけるだけで、それだけで伝わるものだってあるだろう?と思ったり。
そういう意味では、なんか、全体的な物語の作りに粋さが欠けてるなあーという印象でした。
なんでお前がその世界におる?問題については、ラスト辺りであー、2人とも彷徨ってたからか、とわかるんだが、じゃあ他の側近どもは…という、生も死も過去も未来も混ざり合う場所…みたいなそれっぽいこと言って設定の曖昧さを誤魔化してるような気もするよなー。
舞台挨拶の映像なんとなく見かけてしまったので、主人公芦田愛菜…?という事はなんとなく知ってしまっていたが、あれ言われなかったらわからんよねえ?それは凄いなと思った。後半の感情が乗ったセリフになると幾分芦田愛菜味が出てきてたが。あと歌も歌ってるし、なんか、この人マジでなんでもできるんだな…と才能って恐ろしいわ…と思った。
岡田将生が良かったかどうかは、別にして、岡田将生ってホントいい声してるよな、とは思った。
しかし、こういう劇場アニメの主要キャストに声優が使われなくなったのって、良い事なのかなあという気もする。
まあ今は役者と声優両方とも高いレベルでこなせる人が出てきてるから境界が曖昧になるのは分かるんだが、役者が本業の人ってやっぱり顔が出てくるから、ちょっと邪魔なんだよなあその存在感が、と思うことが多い。
アニメ作家だって、声優と共にアニメクリエイトの場を良くしてかなきゃいけない存在なんだから、声優使ってあげなよ…とも思うんだけども。


ふれっしゅ
小5の娘と2人で昨日観に行った。娘は初回、俺は2回目。
娘は今週末からのミセスの映画を心待ちにしているのだが、下の子もいて映画観に行くの難しかったりもするので、昨日はたまたま行けそうだったので、ならば秒速5センチメートル観たいとの事で。
自分にとっては、もちろん全てがバチっと重なるわけではないが、高樹くんなら大丈夫と明里が言っていたように、君は大丈夫だと言われた相手も過去にいて、人生を振り返るような要素も多分に含んでいるのだが、それこそ茫漠たる人生が目の前に開けている(とはまだ感じていないだろうけど)小5の女子にはこの作品はどう映るんだろうなーとか考えたりした。
でも、その歳で、フィクションであっても、人の人生を目の当たりにして、何かを想うという事は悪いことではあるまい。
改めて観ても、いくつかの場面で涙してしまうわけだが、アニメで言うところの1部、2部、3部をつなげる存在としての宮崎あおいの存在感が際立っていたなーという印象
すごく自然体にそこにいて、高樹と明里の間にスッと何気なくいるのだが、なんかこうグッと締まるって、感じがする
アニメの小説版をaudibleで聴いたんだが、お姉ちゃんは3部には出てこなかったので、興味深い改変だった。
アニメを観ていた時は、結ばれるべき2人が結ばれなかったという悲しい恋の話だと思っていたけど、これを見るとあの2人はそもそもすれ違い続ける運命だったのかな…と思った。意識的に、そういう場面がいくつか描かれるし。
そういう運命の2人が、奇跡的に寸出の所で重なったのがあの日だったのかな、と。
渡そうとして渡せなかった手紙と、渡そうとして渡さなかった手紙という2人の違いが、その後の人生の中でのお互いの存在の置き方にも、表れているよなあと思った。それが男子と女子の違いでもあるのかもしれないが。
森七菜の演技もすごいんだよなー。高校生役が違和感ないだけじゃなくて、恋する女子の何気ない仕草とか表情とかがホントにリアルで。
挿入歌はバンプとレディオヘッドと山崎まさよし。山崎まさよしは個人的にはメランコリックすぎるので、どこまでも歌なしで使っても良かったんじゃないの?とも思ったが。カラオケで歌無しで使うとか、粋だなー、と思ったし、電車でヘッドフォンから流れてくるのも、なるほどーこういう使い方な‼️と思ったが、最終的にはつい普通に流れたのが、過剰な気もした。
ラストの締め方はホント納得って感じだった。ようやく昇華された…と肩の荷が降りた。
残酷にも見えるが、〜なとこが好きでした、ときちんと伝えて、遅いよ…遅くもないのかな…っていうやりとり、めっちゃ良かった。
最後に踏切で踏み出す高樹の表情に安心したのだった。
娘はとりあえず、面白かったし、めっちゃ泣いた、と言っていた。



ふれっしゅ
正直あんまりピンとこんかった…というのが主な感想なんだが
まあそれはほぼ俺がスプリングスティーンを通ってないのが原因なのかもしれん
描かれているのは、前作のツアーが終わって、スプリングスティーンのディスコグラフィーの中でも指折りのメチャ暗アルバムネブラスカが作られる過程なので
コピーにあるような「走り続ける」とかサブタイトルの孤独のハイウェイ」(ダサい)的な疾走感はほとんど劇中はないと思うので、そもそもコピーとかサブタイトルが適切なのかどうか問題があるよな、と思う
ポスタービジュアルも、冒頭のライブシーンだと思うんで、そこから自己の暗い方へと潜り込んでいくような内容だから、もっと暗めのビジュアルで良かったんじゃないか…という気も
原題がSpringsteen: Deliver Me From Nowhereで、つまり、俺をこのどこでもない場所から連れ出してくれよ、みたいな意味だと思うので、確かにその通り、どこかからどこかへ疾走するというよりは、同じ場所をぐるぐる迷っているような内容だったなと思う
子持ちの女の人とのロマンスも盛り上がったかと思えば、アルバム作ってるうちに大した描写もないまま埋もれていくし、映画全体を通しての山場的な山場みたいなものがあんまり無かったようにも思った
THE BEARのジェレミーアレンホワイトが割と初のビックバジェットな映画主演だったので、観てみたが、まあやはり比べてしまうのはティモシーのディランの映画であっちの方は個人的にも結構グッと来るものがあったし、ライブシーンも多くてティモシー完コピじゃん…って驚きもあったのだが、この映画ほとんど歌ってるシーンはベッドルームとかなんで、なんかやはり地味でねぇ…スタジオでのボーンインザUSAがバンドでよくなる瞬間とか良かったんですけど、ネブラスカはバンドではうまくまとまらず、結局プレスの技術でなんとかするって、歴史としては面白いけど、絵にすると展開としては地味だしなぁ
でもスプリングスティーン聴いてみようかな…という一助にはなったので、そういう意味では良かったかもしれない


ふれっしゅ
観終わった後なんて、自分の中の感覚もグチャグチャしてて、ないまぜになっている、のを、なんとかこれから解きほぐそうとしてるのに
なんだか、そこに余計なバイアスかけられてるみたいな感じがしてなんかやなんだよなー
最近見た中だと、チェンソーマンの米津×宇多田の曲は良かったんだけど
それ以外軒並み、誰が歌っててもうーんってなってしまう
宮本浩二も、tuki.も星野源ですらちょっと思った
呪いとか、嘘って言ってもそんなことそもそもチラともないはずの言葉入れないでよ、とか

ふれっしゅ
めちゃくちゃ良かった
色んなものがすごくリアル
特に堺雅人と井川遥のセリフと掛け合いの間とか
それはもちろん脚本とか撮影の良さでもあるのだが
特に2人で部屋で飲んでる時の親密なやり取りの絶妙さがすごく好感が持てて、2人の夢破れた中年具合がなんとも言えないくらい良くて、なんか2人のことを応援っていうのも変だが
上手くいくといいなあとか思ってしまうのだが
そこから、俺的には意外だったのだが、まさかの邦画恋愛映画のセオリーのど真ん中を撃ち抜くような展開が来て、おいそっちかよ‼️みたいな
全部良かったのにそこだけが不満で
とにかくストーリー展開が
良すぎるがゆえに、不満というか悔しい
主人公の2人を好きすぎるがゆえに悔しい…
そこはさぁ‼️大人の恋なんだからさあ‼️って言いたい
そんな感想を持ちながら、振り返りつつ、バイクで帰っていたら
予告編でも使われてた
あの時さどんなこと考えてたの?
夢みたいなことだよ
の意味が分かってはいたけど、さらに遅れてやってきて
あの時に言いかけて、かぶってしまって飲み込んだそのタイミングのこととか
それがなければ、とか
でも確かにほんとの人生ってそういうことあるよな…とか
マジで考えれば考えるほど、なんでなんだよぅ、と切なくなって、悔しくなって、帰る道々号泣しながら帰ってきた
映画見てる時泣かなかったのに、振り返って号泣とか、今まで映画見た中では経験なかったので、自分でも驚いた
でも、あの2人には、どんな形であれ、幸せでいてほしかったんだよ
それが、なんか、もうとにかく、悔しいのよ
映画が良過ぎて、悔しい
とか、そういう訳のわからない感情に揉まれている
あー、パンフ買ってこよ


ふれっしゅ
回答数 27>>
いろんな映画館行っていると、なんか観やすい映画館があるのが分かってきて、これぞ!という作品はそこで観るようにしてます。

ふれっしゅ
いや評判通りなかなか凄かった。
アニメあんまり見ないが、ここ最近のアニメは鬼滅にしろ呪術廻戦にしろ、ひたすら精度を高めて来てだ印象だったが、その対極にある感
陸上競技、それも100mというテーマと相まって、そのブレの表現に説得力があった
もっと整っていたけど、ファーストスラムダンクに近い印象だった
それぞれの走ってる場面のキャラにキャストがついていたので、本物の走者の走りをトレースして作ってるのかな
エンディングの髭男のらしさもなかなか上がった
ここのところ、エンディングにかかる曲で「もう…余韻ぶち壊してくんな…」と思っていたので
ただ、なんか音のミキシングが気になるというか、高音が刺さる感じがあって
イオンシネマで見たのだが、シネマシティとかもう少し音響がいいところで見たら違ったのかもしれん
ひたすら身体を研ぎ澄ませていく者が哲学的になっていくってのは面白いよなーと思っていた
ただ、こないだ世界陸上見てたので、日本チャンピオンなだけで、皆ここまで王者感出せるのはちょっとリアル感ないな…と思わなくもなかったが


ふれっしゅ
普通だったら絶対見ないと思うんだが、とにかく若葉竜也が出ている、ただそれだけで観に行ったわけだが
若葉竜也がかなり良い役をもらっていて、それはとても良かったのだが
やっぱり俺はこれを良い映画だとは言えないなー、と思いながら、周りには映画好きというよりは、こういう映画を観に来たという層が多い感もあり、所々で涙するような音も聞こえながら、なんか俺はそういう素直な人間ではないのかもしれない…と少々バツの悪い思いも浮かんでしまった
これが完全にフィクションなら良い話だったなーと思えたと思うんだが
これ田部井淳子さんの本が原作だし、それを出しているのに主人公の名前を田部淳子にするのって、なんの意味があるんだろうか?
それにどうしてもこういう映画になると、田部井さんの人生を美化してるように、見せないように相当配慮したんだと思うけど、でもどうしたってそういう要素は入ってくるじゃない?主人公が吉永小百合って時点でそうなるじゃない?
エベレスト登頂を企画した登山会のその後の仲違いも描かれるんだが、俺はどうしても田部井さんよりも、そこで仲違いした人達のその後の方が気になってしまった
そういう名を成さなかった人のストーリーの方に魅力を感じてしまうので、どうもこの話はちょっと冷めてしまう部分が否めなかった
あと、脚本もあまり良くないと感じた
そんなセリフ言う?というセリフがちょこちょこ出て来て、下に書くことも含めて、なんと言うか、リアリティがなぁ…と
これはマジでしょうもない細部のことなんだが
ドラマの『下山メシ』見た時も思ったんだが
そもそも山登るヤツで、ウェストベルト締めてんのにチェストストラップ留めないヤツっているのか?
今回、吉永小百合も佐藤浩市も若葉竜也もみんな揃えたようにそうだったんだが
これは何かスタイリストが見栄え的なものを優先してそうしてるんだろうか…?
色々、昔の登山場面とかで昔っぽい道具とか揃えたりしてるんだろうけど、とにかくほんと些細なそういう細部のリアルのなさがめちゃくちゃ気になってしまった


ふれっしゅ
という流れで見る

ふれっしゅ
さっき爆弾みて
これからミーツザワールドみるんだけど
なんかちょっと世界の殺伐さから離れたくなって来たわ

ふれっしゅ
その後に秒速5センチメートルの映画観たら、これ元の話は村上春樹春樹のその小説とかなり似てるなあ、と思っていたんだが
さらにその後、秒速5センチメートルの小説版のaudibleを聴いていると
これホント文体とかそういうものも含めてかなり似ている印象で
調べてみたら、当時からその関連性というか、似ているという話はあったのだね

ふれっしゅ
実写の方を観てからというもの、そこには意図的にすれ違う場面がいくつも描かれているのもあり
「あー、この2人は結局のところ、すれ違っていく運命だったんだなー」と思った
でも、それでも良いんだろうなと思えるようにもなっている
歳もとったので、なんと言うか、すれ違ってしまった人が何かとても大事なものを自分の中に残していく事もある、という事も実感としてあるし
もう一生会う事もないだろうけど、それがなければ今の自分はないのだ、という存在ができるというのも経験として知っているしな

ふれっしゅ
めちゃくちゃ面白かったんだけど、自分にとってはなんとなく言語化が難しい映画だなーと感じた
なんだろなー、この感覚、でも、いやーおもろかったわー
継ぎ目なくずーっと続いて駆け抜けていってる感じ
映像と音楽がガチっと噛み合って映画をドライブさせてる感覚
「映画の中での音楽の粋な使い方ってこういうことなんだよなー」と膝を打たざるを得ない
親子の話が軸になっている割には、ストーリーにすごく共感する部分があったりするわけじゃないんだが、物語にグイグイ引き込まれていく感覚がある
アメリカの移民問題の現状をもっと知っていれば、あの設定をもう少し肌感覚に近く感じられたのかもしれない
ディカプリオがメチャクチャよかったなー
電話での合言葉のやり取り笑ったわー
娘役の子すごい良い顔立ちしてたなー
こないだウェスアンダーソンの映画見てデルトロ見たばっかで、またデルトロだ!と上がった
センセイ、カッコよかった
移民問題とかなんやら怪しい組織とかアメリカの暗い部分を背景にしつつもひたすら楽しい時間だった
ディカプリオにアカデミー賞やってくれ


ふれっしゅ
今日公開の実写の方は多くをまだ語れないので、元のこちらの感想も置いておく。
東京に自分が出てきたのは2004年で、割と東京に出てきてすぐくらいでTSUTAYAで借りて見た記憶があったのだが
2007年公開との事なので、それほどすぐでもなかったのだな
でもそうすると公開した次の年くらいにはDVDで観ていたのかも知れず、あまりタイムラグはなかったのかもしれない
初めて見た時はとにかく衝撃
アニメでこんな背景表現があるのか…!と、一番はそこだったと記憶している
で、基本的に自分は根っこではかなりセンチメンタルで、ノスタルジックな人間だと思っているので、まあやはりブッ刺さってしまった
こういう果されなかった約束とそれと共に抱える後悔とかって、少なからず完備で酔いやすい要素ではあると思う
なので、初見以来とても好きな作品であったことは間違いないのだが。
だが。
そこから色々あり、自分も大人になっていくに従って、特にあの第3部がとにかくしんどく見えてきたというか。
子供の頃の初恋のピュアネスと子供が故のままならなさ
そういう初恋を引きずりながら、多分近くに寄ってくる女の子を少し心地よく思いながらも後ろ髪を引かれ続けてるあの感じとかは、子供時代とか思春期ってそういうものだし、それこそが振り返ると美しくもある、というので、2部まではとても好きなのだが
とにかく3部のいつまでも小学校の頃の初恋を引きずって、向き合おうとする人も大事にできない、みたいなあのしみったれた感じがもう年々見てられなくなり、2年に1回くらい見たくなるので見たりするのだが、3部は見ないようになっていた。
なので、実写になるという話を聞いて、しかもティザーとかが流れ始めてから、頼むからあの3部のあのままの焼き直しだけはしてくれるなよ…と強く願っていた
しかも主演が松村北斗くんで、夜明けのすべて以来本当に好きな役者さんなので、マジであの松村北斗にあのしみったれたやつの再現だけはしてくれるなよ…と強く願っていた
そういう所での昨日でした


ふれっしゅ
今日公開なので多くは語らないが
全然安くなかったーーーーーー‼️
俺の嫌いだった第3部が…ちゃんと昇華されてました…
俺の青春の引っかかりが一つようやく解けた気分です…


ふれっしゅ
明日、待ちに待った秒速の日だというのに会議なのである。
最終回に間に合うかな…


ふれっしゅ
ウェスアンダーソンの映画をリアルタイムで映画館で観たのは初めてな気がする。
ウェスアンダーソンの映画というのは、ストーリーに、自分がアクセスできるなんらかを求める、という見方をするものではなく、毎度毎度のこれぞ❗️ウェスアンダーソン‼️という画面を楽しむものだと思っているので、そういう意味では、堪能できた作品だった。
この細部まで作り込みながらもどこかしらチープな質感は唯一無二のものなので、何年かに一回、こういう映画が見れるのは楽しみである。
今回の映画は、どこぞの国のインフラ計画を担当することになっていたザ・ザ・コルダが、他者からの妨害でリベットやらなんやらの物価を釣り上げられ、予算が足りなくなったので、その「ギャップ」をいろんな人に負担してもらうために、あっち行ったりこっち行ったりする話、ということで合ってるよね?
親子関係の修復の話でもあるとは思うが、まあ、あまりその辺は気にしなくても良い気がした。
しかしあの娘役の子、24歳でケイトウィンスレットの娘って…。え?ケイトウィンスレットってそんな歳?って思って調べたら50歳だから、26の時の子かー。時の流れを感じるぜ…。
ウェスアンダーソンの映画はなんかよくわからん話の中で、有名俳優たちが普段やらない様な役で振り切って楽しんで演技してるのが観れてなかなか楽しい。


ふれっしゅ
とりあえずメモしておこう。
何はどうあれ、高市はきらいだ。
自民党そのものが嫌いだし、自民党のほとんどの議員が嫌いだが、高市はその中でもかなり上位で嫌いだ。
とは言え、昨日の会見で、説明すると言ったのだから、それさえ逃げずにきちんとしてくれるなら、もうそれで良い。
その姿勢さえあれば。
石破さんだって、主義主張では賛同できんところも多いが、とりあえずそれまでの数代の総理大臣に比べてはるかに対話しようという姿勢は見られた(それはもちろん少数与党という環境の影響もあったとは思うが)。
石破さんらしさは、自民党の勢力に削られて、毛ほどもなくなっていたにせよ、それでも自分の言葉で説明しようという姿勢は見えた。
きちんと説明しない。論点をずらす。説明責任は果たしたととりあえず言う。議論は尽くした、と言う。
それは安倍晋三から始まり(その前は忘れたが、少なくとも安倍晋三からは確実に始まった)、岸田まで脈々と引き継がれた姿勢だった。
とりあえず、高市は嫌いだが、説明して、議論に時間を割いてくれるなら、もう俺はそれで良い。
イデオロギーの違いは、あるもんなんだし、それは受け入れている。
とにかく向き合ってくれ。

ふれっしゅ
村上春樹作品の中ではあまり花がある方ではないし、人気もそれほどではないと認識しているが、自分的には村上作品の中ではかなり好きな話だった。
特に大学卒業くらいから10年くらいの間は繰り返し繰り返し読んでいた。
改めて、朗読として聴いても、なかなか人生に対して示唆的な言葉がたくさん記されているなと感じた。
この物語の「繋がるべき時に繋がらなかったものは取り返しがつかない」のだ、というテーマは、ずっと自分の中に一時期の後悔としてもあったし、ある時期に踏み出す際のきっかけにもなっていたように思う。
一方で、やはり女性に対しての描写に関しては他の作品でも度々言われていることだが、気になる部分は多々ある。
妻の妊娠中に何度か女の人と関係を持ったが、それは些細なことだ、的な書き方はやはり随分傲慢に思えるし、ラストの展開もそれは主人公に都合良すぎる、と思わなくもない。
男性がやらかして、懐の深い女性から許される、癒される、というのは、結局のところの母性のようなものを求める男性の根源的な欲求として、ずっと日本のフィクションにはついて回っているものではあるのだが、それは男性的な要求を叶えすぎている、とまあ、言われてもしょうがないようにも思える。
この主人公は「もう二度とあんなことはしない」とは結局のところ誓わないワケで、しかし自分も何か自分も自分のしたことに対しての謝罪をする場合、全く似たように、やらないように努力はするが、絶対にしないとは約束できない、みたいなことを言って怒らせたことはあり、それはやはりこの小説的だなと思ったりもしたし、自分としては誠実な答えなのだが、それを受け入れてくれる人がこの小説のようにいつも目の前にいるわけではないのだ、という事は思っておかなきゃなと痛感している。
とは言え、人生には取り返しのつかないことがあるのだ、という話という点で、やはり自分にとってはとても意味のある作品だなと改めて感じた。


ふれっしゅ
トーホーシネマズのしばらく前の劇前映像では、ファスベンダーとケイトブランシェットのコンビのスパイもなというので、少し取り上げられてた気がするが、公開されたらほとんど噂を聞かなかなってしまった。
でも主要登場人物7人くらいのすごく狭い範囲での騙し合いの話で、結構面白く観た。
俺の名前覚えれない病のために、その場にいない人の名前が出てくるとん?それ誰だっけ?ってなるので、多少の混乱はあったが。
スパイものというと、MIPとか007とか大々的なアクションやロケが見ものの作品もある中、場面や登場人物を絞ることで見せる心理戦みたいなものがなかなかスリリングだった。
ファスベンダー、直近でザ・キラー見ていたが、ああいう完璧主義者でちょっと抜けのあるキャラはあっている感じがする。
あとケイトブランシェットはやはり抜群の存在感。
加えて、かつての007が諜報機関の上役という設定もなかなか面白いなと思った。


ふれっしゅ
興味はあったのだが、普段テレビを見ないので見逃したまま、設定くらいしか知らないまま、映画版の方を先に観た。
まず全体の率直な感想として、「オダギリジョー、コレはやっとんなー」と思った。
前半こそおそらくテレビシリーズの流れを汲む話だったが、後半はほぼコニシさんと溝口さんのスピンオフみたいになってるし、その話自体がもうわけわかんない話で、その意味不明さを役者陣がめちゃくちゃ一生懸命演じてるのが、マジで最高だなと思った。
だからなんと言うか、確かにストーリーはなんなんこの話…?って感じなんだが、役者の魅力はとても良く出ていて、皆がすごい魅力的に見えた。
吉岡里帆なんて、テレビ版に出てこない映画版からのキャラだったが、とても良かった。
こないだ、九龍ジェネリックロマンス観て、なんか割と原作完コピだった気がするんだけど、なんか良くなかったんだよなー、と思ってて。吉岡里帆も好きなはずなのに、しかも漫画のあのキャラすごい好きなはずなのに、なんか俺あんまり吉岡里帆のファンじゃなくなったのかな…とか思うくらいだったのだが。
しかしコレに出てた吉岡里帆は「あー、俺こういう吉岡里帆のファンだったのかも」ととても良さが出ていた気がした。
そして、一番魅力を引き出されていたのが深津絵里で、これは深津絵里のファンムービーと言っても過言ではないのではないか(少なくとも前半は)、と思った。
それほどに、美しい。本当、少なくとも、その一点において、素晴らしいし、観る意味はあると思う。
数年振りに表舞台に出てきてんのに、何?深津絵里って時止まってんの?ってくらい変わってなくて、素敵だったわー。
で、心配になったのは、これ、テレビの続編では全くない、というところで。
これ、テレビ版のファンで、(結局全部見たんだが)あの続きやるのかと思ってたら全然関係ないんかいっ‼️って突っ込みたくなる人一定数いそうだなーと思った。オリバーな犬詐欺だろ‼️って怒る人いないのだろうか…。心配になる。
テレビ版まで見て、冒頭のオダギリジョーが撃たれるシーンの意味がわかった。
オダギリジョー自身があんまりエンタメ的な映画を好きではないので、そのようなものは撮らないだろう、という予想のもとに観てもなかなか想像を超えた話だったので、これはホント好き好き分かれそう。
個人的には映画として、好きだが、テレビシリーズのシンプルな続きも見たいなと思うんだが。
世界を説明し切らなくてはならないという、ここ最近の風潮あるとは思うが、千と千尋とかだってあの世界を全部説明してるわけじゃないしね…
謎は残したまま終わるってのも、美しさの一つの形なんじゃないかなと思って、俺は受け入れている。


ふれっしゅ
流れてきたのは、まさかのオーロラの2025MIXで
これ、原曲が出た当時、東京出てくる直前の年辺りだったと思うんだけど、出てくる前、出てきてからと結構聴いていた曲で
ホントあの頃、色々あったんで、なんか記憶が蘇るというより
あの頃の空気感とか匂いとか目にしていたものとか、通った道とか、全てを含んだ「場所」みたいなもんがブワッと溢れ出して、なんか泣きそうになったわー


ふれっしゅ
こないだまんがパークに子供と行った時に久々に原作読んで、多分5回目くらいだと思うんだけど、これまで感情の動きが微細すぎてなんかよくわからなかった部分が5回くらい読んでようやく腑に落ちた感じがして、映画館で観て以来久々に映画版も観てみたが。
やっぱりどうもキャスティングの違和感が拭えず、映画ってやっぱり原作は映画観てからの方が良いなあと思った。
配役が全体的にしっくりこないんだけど、特に榊さん役の広瀬すずがとにかく普通に綺麗すぎるので際立ちすぎていてなぁ…という印象。
榊さんは雑踏にいたら目立たないタイプではないかとやはり思うので、個人的には古川琴音さんとか岸井ゆきのさんとか、そういうタイプの役者さんの方が良かった気がするんだけどなあと思っていた。
あとニゲミチ先生役が高良健吾というのもいくら出さそうに扮装させても高良健吾は高良健吾なので…どう見ても連載持ち始めた漫画家には見えないんだよなー、とか。
とにかくそういう部分で入っていけず。
描いている感情がすごく微細なものだったはずなので、そういう違和感が理解の邪魔をして、それが描けているのかどうかからよくわからなくなってしまった。
あと原作漫画では、これはあんまり個人的には面白くはない(面白いものもある)と思うような軽いギャグみたいなものが散りばめられているんだが、そういうのが実写に埋め込まれるとなんか作為的に見えてしまうというか、そんな事現実世界で言わんやろ、とか突っ込みたくなるんで、たとえそれが原作にあったものでも。
なので、そういう枝葉の部分が気になりすぎて、原作にあったようなものが、別に全く同じようなものが描かれる必要はないとは思いつつも、雑念がためによくわからなかったなー、という感想になった。


ふれっしゅ
映画館で予告見てる時はめっちゃ観たい!って思うんだけど
いざ公開するとなんとなく実写の映画の方に優先と高くなってしまい見逃し
配信に来るといつでも見れるしと思って一気に見なくなるんだよなー

ふれっしゅ
海辺で花火大会がある日に、俺は朝から別動で通院かなんかをしている
毎回花火大会の会場に向かう道の途中で奥さんと子供と合流するんだが、決まって子供が自転車とか三輪車とかストライダーみたいなのに乗ってきていて
向かう途中、何かしらのトラブルがあり(前々回は道がめちゃくちゃ混み始める、昨日は雨で増水し始める)、とりあえず俺だけ家にその自転車とか三輪車とかストライダーを持って帰って戻ってきてくれ、と奥さんに言われ
めちゃくちゃ困難な道のりをだいたい乗り物2台持って数キロかけて家に戻り、再合流する
という夢
なんかすごい疲れた気分で目が覚める

ふれっしゅ
というポストをしたので
それにしても映画を見て怒りを覚えるっていつ以来…?と思って記憶を遡ると
確実に覚えているのはダンサーインザダークまで行ってしまった
怒りってあんまり覚えないもんな
DVDでレンタルで、その当時の彼女と見た記憶
世間的には名作とされているが、とにかくいくらフィクションでもこの人をこんなふうに扱って良い訳ないじゃないか‼️とめちゃくちゃ不快に思った記憶がある
でもあの当時、ほとんど映画なんて観てなかったしな…
今見たらもうちょっと違う感想持てるだろうか…
でもストーリーがとにかく苦手なんだよな…
良いと思った人はどの辺が良かったんだろうか?ビョークの歌以外で


ふれっしゅ
音楽ライターの柴さんが割と絶賛していたので、観た。
それまでは観る候補には入っていなかったが。
結果
めちゃくちゃ辛く不快な作品、ということで、二度と観たくないと本気で思った。
ここまで不快な気持ちになることはなかなかない。
まず、とにかく映像体験としてストレスフル。
割と早い段階であの有名なループにハマるわけだが、とにかく次のステップ(歩く男だったか?)に進むまでがとにかくツライ。
ループすること自体もなんだが、主人公が喘息持ちで喘息の発作が出ていてヒューヒュー息をする苦しそうな音、あとループするたびにいちいち鳴るあの耳障りな劇伴、それがとにかくツライ。
もちろんあの空間自体、心地いい空間であるわけがないので、もはや術中にハマっていると言っても良いわけだが、作者の意図がどうあれ、とにかく体験として不快すぎる。
加えて、あのほとんどあるんだがないんだかくらいのストーリーラインも何というか、不快。
そもそも、妊娠させてしまうという事には、それなりの理由があるだろう?そしてそこに加えられるうっすらとした設定があの主人公の人となりを表しているわけだが、そういうダメな男があのツライ時空を経験したのち、父親という存在に耐えうる男になりました…
じゃねーのよ。
子供を産んでもらう覚悟ができました、めでたしめでたし、じゃねーのよ。
環境はなにも変わっていないのよ。
友達でとにかく川村元気がら関わる作品が嫌いという人がいて、自分はほーんくらいにしか思っていなかったが。
俺の中で川村元気は伝説のトンデモ映画4月になれば彼女はの原作者で、その次これなんで。
マジで本質的に嫌いかも、と本格的に痛感した作品。
たぶん冒頭からしばらく続く不快体験から少しずつ多少のドラマ性などを帯びさせて、最終的に解放というカタルシスを、まさに体験させたいという狙いはあるのだろう。とは言え。
ヒットはするだろうけど、マジで二度と観ない。


ふれっしゅ
速報
8番出口
もちろんあくまで俺個人の感想ですよ
マジで不快でつらかった
本気でもう二度と見たくない
河村元気って俺の中では4月になれば彼女はの人で
あれも大概だったけど
本当嫌いだわー

ふれっしゅ
遠い山なみの光
8番出口
海辺へ行く道
をみる予定

ふれっしゅ
藤木直人かぁ…と思っていたが、最終的になかなか良かった。テンポ感もいいし、声色の使い方が自然で、さすがだな、と思った。
羊をめぐる冒険の染谷将太は声色作り過ぎでちょっとなぁと思っていたので。
あと妙に暗くなりすぎないのも良かった
ねじまき鳥は読むとなるとなかなかのボリュームで読み返してなかったけど、聴いていると文章表現は羊をめぐる冒険からはやっぱり進歩してるんだな、と思った
そして海辺のカフカを聞いている
木村佳乃朗読。遅い…。1.2倍が適速。1.5でもいいくらいだが、そこまで行くと早読み感強くなりすぎるので1.2で我慢
でも思うんだけど、やっぱり朗読聞くならあんまり顔が見えない人の方がいい気がするよねー

