
きりゅ
読書感想文、ずっとおわらないなつやすみ。
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この絵本を読んで、月がどんな人にも同じように明るい光を投げかけていることがすごく美しいと思いました。物語の中では赤ちゃんや子ども、大人、そして動物たちまでがそれぞれの場所で同じ月を見上げています。年齢や暮らしが違っていても月の光は分け隔てなく降り注いでおり、その様子から世界がゆるやかにつながっていることが伝わってきます。子どもにとって月はただの天体ではなく不思議で身近な存在です。昼間とは違う夜の空に現れる月は、少し怖さを感じさせながらも、やさしく見守ってくれる存在として心に映ります。この絵本の月も子どもたちの生活のすぐそばにあり、安心感を与える存在として描かれているように感じました。また、この絵本は言葉が少なく、絵を通して感じ取る余白が大切にされています。そのため、子どもは月の光や夜の静けさを自分なりの気持ちで受け止めることができます。同じ月を見ていても、感じ方が一人ひとり違うことを自然に受け入れられる点も魅力だと感じました。月はみんなをそっと見守る存在として描かれています。子どもにとっても大人にとっても、同じ空の下で生きていることをやさしく教えてくれる一冊だと思いました。


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この絵本は同じ出来事や言葉が繰り返される構造をもつ物語です。この繰り返しの表現は読み手である子どもに安心感を与え、次の展開を予測しやすくする働きがあります。物語の流れが分かってくることで、子どもは「次はどうなるのだろう」と考えながら主体的に物語に参加していきます。特に読み聞かせの場面では、同じせりふを一緒に口にしたり、音やリズムを楽しんだりする姿が多く見られ言葉への興味を高める効果もあると考えられます。また、この物語の特徴として登場人物それぞれが同じ行動をとりながらも、役割や立場が少しずつ異なっている点が挙げられます。三匹は同じ目的をもっていますが、全員が同じ方法で問題を解決するわけではありません。それぞれの大きさや力に応じた関わり方があり、その積み重ねによって物語は前へ進んでいきます。この構造は、集団の中で一人ひとりが違う役割を担うことの大切さを、子どもにも分かりやすく伝えています。繰り返しによる分かりやすさと、役割分担による展開を通して、物語を楽しむ力だけでなく一人ひとりが自分なりの役割をもつことの大切さを説いている作品だと感じました。


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物語を大阪弁へと翻訳することで、物語の内容を変えず読者との距離を縮める効果を持っているように思います。大阪弁は日常会話に近い響きをもち、感情やニュアンスがやわらかく伝わりやすい言葉です。そのため、登場人物のセリフがより身近に感じられ、読者は自然と物語の世界に入り込みやすくなるように感じました。また、大阪弁には親しみやすさや軽やかなリズムがあり、会話のテンポを生み出します。このテンポは絵本特有の間と相性が良く、読み聞かせの場面では子どもが耳を傾けやすくなる効果があります。難しい言い回しを用いなくても、感情や状況が直感的に伝わる点も魅力の一つです。さらに、標準語では淡々と感じられるやり取りも、大阪弁にすることでユーモアが生まれ、読者が思わず反応したくなる場面が増えます。このように、言葉の力によって絵本をより身近な存在にし、読む楽しさを広げる役割を果たしていると感じました。


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たべっ子どうぶつは小さなビスケットでありながら、見た瞬間に心を明るくしてくれる存在だと感じています。袋を開ける前から胸が弾むのはあの柔らかな形や、可愛らしいキャラクターたちに自然と親しみを覚えているからだと思います。また、英語で動物名が書かれている点も大きな魅力です。子どものころは読むこと自体が楽しく、知らない単語は大人に聞きながら覚えていきました。その経験は遊びながら世界を広げていく感覚に近いものでした。今振り返ると、たべっ子どうぶつが私に小さな知る喜びを与えてくれていたことに気づかされます。かわいいものが人の心を癒すということを、たべっ子どうぶつはいつもさりげなく教えてくれているように思います。たとえ疲れているときでも、ビスケットを見るだけで前向きな気持ちを取り戻すことができます。このお菓子が長く愛され続けているのは、味だけでなく、その優しく寄りそってくれる存在感によるものだと感じています。たべっ子どうぶつは、これからも私の日常に小さな楽しみと安心を届けてくれると思います。かわいさの中にある温かさや、素朴な優しさに触れるたびに、また袋を開けたいと思えるお菓子です。きりゅは牛乳と一緒に食べるのがすきです。絵本は読んだ方がいいです。


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この物語全体に流れる「どんどこ」というリズムは、まだ言葉の意味を十分に理解していない子どもにも伝わり繰り返しのパターンが次に起こることを予測させてくれるように思います。その予測できる心地よさが、子どもにとって大きな安心につながっているのだと感じました。また、ももんちゃんが転んでもおかあさんのもとへ向かい続ける姿には、乳児が自然に示す安全な存在への接近が表れているように思います。お母さんという存在が、ももんちゃんにとっての安全基地になっているからこそ、前へ進む力を持てるのだと受け取りました。最後のお母さんに抱きしめられる場面は言葉以上の温かさが伝わり、読んでいるこちらまで安心するようです。リズムの楽しさと親子の絆が優しく重なる、何度読んでも心に残る一冊だと感じました。


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この絵本を読み、胸の奥がしんとなるような切なさを感じました。子どもにとって大好きなお母さんに会えない時間が、どれほど長くて、さみしくて、不安でいっぱいなのかがひしひしと伝わってくるからです。お母さんが忙しいのはわかっていても、心のどこかで「どうして今日は一緒にいられないの?」「嫌いになってないよね?」と、小さな声が揺れているのが痛いほど伝わってきました。物語の中には、子どもが本当は言えない気持ちがいくつも隠れているように思います。伝えたいのに言えない。聞いてほしいのに届かない。そのもどかしさや孤独が胸にしみて、ページをめくるたびにさびしさが溢れました。それでも、どこかでお母さんの優しさがちゃんと存在していて、子どもを包みこんでいることも感じられます。言葉にならなくても、触れられなくても、親の愛情はずっと子どもに向かっているんだと気づかされ心があたたかくなりました。あたりまえの毎日の中で大切な人に「だいすき」がきちんと届いているだろうかと考えたくなる一冊だと感じました。


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この絵本を読みクジラの死が終わりではなく、新しい命を支える始まりになることに心を動かされました。深海では沈んだクジラを中心に多くの生き物が集まる「鯨骨生物群集」という不思議な現象が起きることがありその広がりに驚きました。死を恐ろしいものではなく、自然の中で命がつながっていく大切な一場面としてやさしく描いています。読み終えたあと、深い海で静かに続く命の循環の尊さを改めて感じました。


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この絵本を読んでまず心をつかまれたのは、偏にサメの動きがまるで水中で本当に生きているかのように描かれている点です。ページをめくるたびに体がしなるリズムや尾ビレが水を押し出す力強さが伝わり、絵でありながら映像を見ているような感覚になりました。サメは体の中心線をゆるやかに曲げながら進む生き物ですが、そのS字のラインがとても自然でひと筆ひと筆に観察の深さを感じます。静止した絵なのに次の瞬間へつながっていく流れがあり、読んでいる側も思わず体が前のめりになるようなダイナミックさがあると感じました。


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この絵本は子どもの想像力と感覚の世界を豊かに広げてくれると感じました。動物たちはお月さまの味を知りたいという思いから協力して空へと伸びていきます。最後に登った小さなネズミは、体が小さいから届かないだろうとお月さまが油断していたため、お月さままで届くことができました。この展開は想像の世界では小さな存在にも大切な役割があることを示していると考えます。また、月のかけらが「みんなのいちばん好きな味」に感じられるという設定は、感覚の多様性をやさしく伝える魅力的な仕掛けだと思います。同じお月さまの味でも、食べる人によって辛さや甘さの感じ方が変わるカレーのように、この絵本は読む子ども一人ひとりに違う「おいしさ」を届けてくれるようです。読むたびに違った味を想像できるこの絵本は、子どもの感性や想像力を育て感覚の楽しさを自然に教えてくれる一冊だと感じました。


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この絵本は読み聞かせの時に子どもが主体的に参加できるよう工夫された絵本だと感じます。ページを縦にめくるとおもちが伸びるという大胆な動きに加え、「3・2・1・もっちーん!」と一緒に声を出す仕掛けは子どもたちの視線と期待を自然に引き寄せます。聞き手が声を合わせることで読み手とのリズムが生まれ、読み聞かせの場が共同的な体験へと変わっていきます。また、おもちの丸さやつや感が愛らしく描かれ、表情や色づかいも温かみがあります。キャラクターの可愛らしさが「伸びる」「変わる」という動きと結びつき、子どもたちがページをめくる瞬間をより楽しみにする要素になると思いました。こうした仕掛けとイラストの魅力が合わさることで、絵本を読んでもらう時間からいっしょに盛り上がる時間へと変化させている点がこの絵本の魅力だと感じました。


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この絵本は日常の中にひそんでいた危険が突然姿をあらわし、安心が一気に崩れ落ちる恐怖を描いているように思いました。はじめに、お腹をすかせたおおかみが誰にも見られていないと思って、親しい友だちのうさぎを食べてしまうという静かで衝撃的な場面から始まります。いつもそばにいて決して自分を傷つけないはずの友達が、ある瞬間に捕食者へと姿を変える。その裏切りは「信じていたものが急に壊れる」恐怖の象徴です。さらにその恐怖は連鎖し、おおかみの行為を目撃した動物たちは、ひとり、またひとりと食べられていきます。目撃すること=危険に巻き込まれること。日常のなかで当たり前に存在していた安全の領域は、あっという間に崩れていきます。「知ってしまった者から消されていく」というルールは、世界が静かに、しかし確実に狭まっていく圧迫感を生むと捉えました。やがて動物たちは誰もいなくなり、世界は一見静けさを取り戻します。しかしそれは守られた静けさではなく、恐怖によってすべてが奪われた後に残った空虚な沈黙です。ここで物語はさらに一歩踏み込み、ページを開いている読者という第三者にまでおおかみの牙が迫ってくるのです。安全だと思っていた読書という立場でも物語に侵食され、「安全圏はどこにもない」という感覚が生まれます。つまりこの物語はただの怖い話ではなく、日常の信頼や安心がふとしたきっかけで崩れ去ったとき、人がどれほど深い恐怖に包まれるかを鋭く描いていると感じました。


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「共感」に注目して読み解きました。この絵本は子どもが抱えやすい「困った気持ち」に、周囲の共感がどのように働くかを丁寧に描いていると思います。同じような経験をした友だちや祖父の存在が、もれたろうの気持ちをやわらかく支えていきます。身近な人の共感により「自分だけではない」という安心感が生まれ困った気持ちが少しずつ軽くなっていく様子は、他者の経験に自分の感情を重ねる情動的共感が働く例として見ることができます。また、祖父が自身の失敗をユーモラスに語る場面は、失敗しても大丈夫というメッセージを強め、子どもにとって安心感をさらに広げています。このように、困った気持ちを共有し、共感を得ることの大切さを伝える点で、おしっこちょっぴりもれたろうは子どもの心を育てる絵本だと感じました。


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この絵本は物語の内容だけでなく、画面構成そのものが「静けさ」や「やわらかさ」をつむいでいる絵本だと考えられます。色彩は全体的に淡く抑えられ、グレイッシュなトーンを基調としているため、屋根裏部屋の薄暗い安心感が自然に立ち上がり落ち着いた印象を与えているように考えます。強いコントラストを避けることでページ全体が一体的な空気を共有し、視線や感情をゆったりとした方向へ導く構成になっています。絵は木炭鉛筆で描かれ、1枚あたり数週間から2か月以上かけて制作されていると作者のしおたにまみこさんは語っておりその制作過程の丁寧さが、屋根裏の静けさやおばけの繊細な存在感を生み出していると思われます。輪郭をはっきり描かず淡い影や線で表現する手法は、想像の余白を提供し感情移入や創造的思考を促すことにつながると考えます。そして、読んでいくうちに屋根裏の影は単なる暗がりではなく、その奥に静かなやさしさが潜んでいることに気づかされました。絵本としての物語性に加え、視覚表現や画面構成を通して子どもの感情や想像力を引き出す教育的価値もある作品であると感じました。


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作者のせなけいこさんはインタビューで「失敗してもいいんですよ。間違って切っちゃったら、また貼ればいいんだから。線がはずれたって、そのほうがかえっておばけが生き生きする」と語っています。せなけいこさんの貼り絵は偶発性を積極的に取り入れた表現であり、紙をちぎる際の不規則な形や貼り直しによるわずかなずれも、キャラクターの個性や動きとして受け止めています。手作業ならではの不完全さが作品に生命感を与える美学があると感じます。さらに「おばけの歌でも歌いながら作ると、勢いのいいのができるんです。」と語っており、歌いながらの制作はリズムを通して見えない世界を形にする儀式的行為とも捉えられます。歌や繰り返し、リズムは宗教の儀式や祈りにも通じ、制作のリズムに合わせて手を動かすことで、おばけの存在を身体感覚として呼び覚ますことができ、目に見えない世界を感じられるよう表していると思いました。偶発性やリズムを通して生まれる温かさと個性により、おばけは怖いだけの存在ではなく生き生きとした親しみやすいものとして印象づけられているのだと感じました。


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この絵本は子どもの冒険物語として広く親しまれている絵本です。単なる旅の物語をこえて人がどのように成長し、他者とつながり、世界と出会っていくのかという深い問いが静かに流れているように考えます。あきの旅は道のりのなかで出会う出来事が大切に描かれています。見知らぬ人とのやりとりや、思いがけない困難の一つひとつがあきの心を少しずつ育てていくように感じました。人の成長は結果として完成するものではなく、日々の経験や出会いのなかで少しずつ形づくられていくのだと、この物語は教えてくれているように思います。旅の中で喜びや不安をくり返しながら進むその姿は、まるで人生そのもののようです。ひとつひとつの経験があきの内側に積み重なり、新しい自分をつくっていく様子があたたかな表現で描かれています。子どもの成長の物語であると同時に、人が生きるということの意味を静かに問いかける、温かくも深い絵本だと感じました。


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この絵本はシンプルな線と形で構成されたシュールで面白い絵本です。背景には多くの余白が残され、限られた色彩が生む間の効果により、構図に心地よいリズムが生まれているように考えます。この空間構成は、絵を描く技術よりも空間をデザインする感覚に支えられています。また、指先でおばけをつまんでぶりりんと揺らす描写は、触覚的な感覚を視覚的に表現しており、読む人の身体的知覚を刺激します。子どもが自然に手を動かして真似するその瞬間に、造形の“見る・感じる・動く”が結びついていると感じました。


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この絵本は盗みという行為を題材にしながらも、「悪いことをしたら罰を受ける」という単純な構図では描かれていません。読者は、言葉と絵のあいだにある“ずれ”に気づくことで、登場人物の心の動きを想像しながら物語を追っていくことになります。このような構成は、子どもが他者の視点を考え、自分とは異なる心の状態を理解する「人の心を想像する力」の発達を促すものだと考えられます。また、物語の結末は明確に語られず、読者に想像を委ねる形で終わります。この余白が、子ども自身に「どうなったのだろう」「なぜこうなったのか」と考える機会を与え、善悪を感じとる力を養います。行動の結果を直接的に教えられるのではなく、自ら推測することで、善悪を自分の中で考えようとする姿勢が育まれるといえます。これは、コールバーグの道徳発達理論でいう「罰の回避」段階から「他者の立場を考慮する段階」へと移行する過程を支える体験であると感じました。


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