休みの日の夜(次の日出勤の日)とか、時間が無くなってきてからじゃないと何もやる気しなくて、仕事中は休みの日はあれしようこれしようって計画を頭の中で立ててるんだけど、いざ休みの日になると実行できない。時間があるとやる気になれない。朝起きてすぐやるべき事をやれば捗るきがするけど、生真面目なところが邪魔をして、トイレ行って洗顔して歯磨きして朝ごはん食べて歯磨きしてからやろう、となってしまって、その段階を踏まないとシャキッともしないし、でもその段階が面倒で、仕事や絶対やらないとヤバいことがないと急げなくてダラダラしてしまう。朝ごはんも腹八分目で食べれば食後の眠気も抑えられるんだろうなと頭でわかっていながら、その時すぐ手にできる快楽を優先してしまい、ご飯を2〜3杯程おかわりして食べてしまうから、その後強い眠気で3〜4時間(長い時で5時間)寝てしまい、時間を無下に使ってしまったと絶望する。完璧主義なところがあるため、休日の走り出しをこうしてミスると、もういいやという気持ちになって、せっかく時間があっても全くやる気が起きない。休みの前の日は、つい夜更かししてしまうし、お風呂に入るのも遅い時間になってしまう。やる気スイッチが入るのが遅い。やり遂げたいことがたくさんあるのに、休みの日と前日は5年間ほど(いや、下手したらもっと前からかも)このような状態で、焦りもあるのに、リアルタイムの自分がどうしようもなくて、もうどうしようって感じです。助けてくれ。今回も、もう寝てなくちゃいけないのに、時間で動けない。時間に合わせる心の余裕と気力とスタミナがない。時間がなくて焦るのが精神的にしんどくて、時間に合わせて動かなくても大丈夫という安心を得たい気持ちがある。この状態や気持ちが良くないのはよく分かっている。
言いやすいやつだけに文句やら鬱憤を言うんじゃねーぞと言いたい。良心で言いやすい(話しかけやすい、聞きやすい、相談しやすい)雰囲気を作ってるのに、それを仇でダメにする、ぞんざいにする人間性の低さが許せん。
下着買う時、結構フリフリとかチェーン付きとかストーンチャームついてるのとか、レースタイプのとか、ほんと勝負下着みたいなの買うんだけど、ぜんっっっっぜん勝負する気はなく、ハートは女の子全開でドレスとかロリータ系ワンピース選んでるような気分で超ルンルンで選んでる誰にも見られないから似合ってなくても似合わねーとかその歳でフリフリかよとか思われなくていいし!!
ずっと葛藤状態になっちゃうのやめたいあれもしたいこれもしたいあれもやらなきゃこれもそれもVS怖くて動けない不安で動けない完璧にやらないと怒られるっていう衝動と防衛が葛藤してて何もしてなくても何も成せてなくてもしんどい休みの日の夜とかほんとしんどい貴重な休みを無駄にしてしまった後悔ものしかかるからしんどい
最近かわいいな〜って思ってちょっと好きだった人、片目界隈とか病み垢さんと繋がりたいみたいなハッシュタグ使って投稿してるの知って、だいぶ一気に無理になった.........ほまにむり.........やめてくれ..................
しんどいとき、神に「なに?私にこんなに辛い思いや体験させとけば、私がもっと深く面白い人間になるとでも?私で遊んでんじゃねーぞ。まぁ何とかするけど。現実を面白おかしく受け取って、路地裏や屋根や塀の上を縦横無尽に移動する猫のように柔軟に賢く生きてみせるけど。」と思ってみたりしてる。
昔は、好き同士で結婚できなかった。昔は、ハラスメントなんていう言葉さえなくて、今で言うセクハラやパワハラ、モラハラも横行していた。私より上の世代の人は言う。今の若者は耐えることをしない。我慢しない。我々の時代はもっと厳しかったのに。昔はもっと酷かったのに。若者に自分たちが受けた苦しさを同じように味わって欲しいと、強要してくる層が一定数いる。我々若者がぬくぬく働いて生きているように見えるそうだ。自分らがしてきた苦労を同じように味わって苦しんで貰いたいとのことだ。要は羨ましいのだ。昔は選べなかった選択を簡単に選べるようになった。昔は不自由だったことがたくさん便利になった。しかし、それでは時代を逆行してしまう。我々は同じところに留まっていてはならないのだ。留まることなく、マイペースにでも進化して、より良くなっていかなければならない。世代間のこのようなギャップを、私たちはどのように受け止め、進んでいけばよいだろう。私は今日も思考する。違う時代で、違う家庭環境で、違う性格で、生まれた者同士が"分かち合う"というのはどこまで行くことができるだろうか。私たちは基本分かり合えないことが多いと日々感じる。けど、まだ諦めたくない。私は、少しでも理解し合いたい。理解までできなくとも、知見の一つとして、認知はしていきたい。他人や周りとの関係を深めたり変えていくための、自分の中でのお決まりの言葉。STEP1「認知」、STEP2「理解」、STEP3「許容」。このSTEPをできるところまでやる。
自分自身とか自分の人生と向き合うって、具体的に向き合い方が分からないのだけど、向き合い方によってすごく結果が変わるよね。私の性格上、向き合うなら深く綿密に向き合いたいのだけど、どうしたらいいものか。今の状況をどう紐解いてどう整理していくか。現状を踏まえてこれから何をすべきなのか、どうしていきたいのか。
話をしても分かり合えないから、もう家庭内で必要以上に話をしないことにしたとしても、あちらが私の動向をチェックしてくるし、許せなかったり不安になるとすぐワーワー言って自分の思い通りに正そうとしてくるので疲れてしまう。私の気持ちを言っても聞いてないし、相手を分からせることしか頭にないみたいで。私ももう24になったので、過干渉もやめていただきたいが、きっと自分の見える範囲に私(娘)がいて、私の動向を把握するたび、私が母の心配や不安を煽ってしまっているのだろう。結論。なる早で貯金を溜め、家を出て一人暮らしをする。だな。
上の世代の人に、もう家族の相談は出来なそうだ。詳しく言えば、親という立場になった人。父の愚痴話はお父さんの方には話せない。父のことを自分の立場と重ねて話を聞かれるため、父の愚痴の話は反感を買いやすく、父の肩を持つ人が多い。(父である以前に人間としておかしいのだという話や、同じお父さんでも、ヤバいお父さんと素晴らしいお父さんがいるんだ、という話をしても。)逆、つまりお母さんの場合も然り。子を持つ女性カウンセラーさんがそうだった。カウンセラーさんだからと、何も気にせず家庭環境の話をしたところ、やたらと母の肩を持った。母をかばうような発言や、考え方を促された。子を持つと、フラットに平等に満遍なく状況を把握したり、まっさらな気持ちでクリアに相談内容を聞けなくなるのだな。これは悪いことでもなく。致し方ないこと。
母とは、やはり分かり合えなそうだと思っていたが、正直今まで気を抜いて話をしていたので、意識的に向き合って今日話してみたら、言ったことが全部伝わってなくて、かなり分かり合えなかった。もう無理だよアル。諦めよう。
ほとんどの人はみな、これだけが正しい、これが一番正しい、と思って言葉にするものだ。しかも、全てにおいて正しいとも主張していることもある。言葉は薬に置き換えられる。症状(状況)に合った薬(言葉)を選び(聞き)、用法用量を守って(自分に当てはまるか判断して必要な言葉だけ受け取って)、服用する(自分の中に落とし込む)こと。そして、"症状に合った薬を選ぶ"という薬剤師の仕事と、"用法用量を決める"という製薬会社の仕事、言葉の場合、誰が担うのかというと、すべて自分。製薬会社や薬剤師並の判断力に近ければ近いほど、副作用も小さく済むし、ちゃんと効いてくれる。良くなっていく。薬が強い場合は効果が優しい薬に変える必要があるのだが、言葉に置き換えるとこれを「甘えだ」と表現する人もいる。さあこの「甘えだ」という名の薬、患者さん(自分自身)に処方していいのだろうか?適当にあったやつを渡して(自分の中で判断せず鵜呑みにして)しまわないように。