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リョウ

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本日よりバイクの鍵を守る為に着任されたキューピーさんであります!他にも陸軍と海軍のキューピーさんもいらしたのですが[笑う]何となくバイクの鍵に付けるのに似合う格好だったので[いいね]本日よりバイクの鍵の防衛任務を命ずる!
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Top Gun Anthem

Lorne Balfe, Harold Faltermeyer, Lady Gaga & Hans Zimmer

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ぶちほ

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陸軍のエゴですか
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✡リリィ✡

✡リリィ✡

苦しいので呟きます🙏✨前世は第二次世界大戦前のフランス。私は画家志望でパリに。そこで出会った同じ志を持つ三人の親友と同じキャンパスの仲間達。三人の親友の一人が旦那になったんだけど、他の二人も前世の私に恋心があった様で。ひと悶着あった後に旦那様は不審死をとげ、その後第二次世界大戦。二人の親友は海軍、陸軍にそれぞれ招集され戦死。想いを残したまま死んだ為執着魂になってしまった様です……🥹
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ヤッピー(陸軍)

ヤッピー(陸軍)

今朝、仕事に寝坊したら社長が家の中まで起こしにきて「ヤッピー(陸軍)くん、お仕事ですよー」
って起こしに来て同居人揃ってクソびびったwww
社長、すんません。
あと「うわ、部屋汚ったね!」って言われた。
善処します…。
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ハシオキ龍之介

ハシオキ龍之介

昭和懐古録 # 415

#グラビティ昭和部


・昭和11年(1936年)

 ☆『浜松一中、大福もち食中毒事件』
 
 5月11日 浜松第一中学校(現・静岡県立浜松高
等学校)が十日に運動会で出た紅白大福餅を食
べ四十四人が死亡、二千二百一人が食中毒。
5月14日 現役兵四十二人の中毒患者を出した
陸軍当局が病原究明に努めた結果、食中毒の原
因は「ゲルトネル氏腸炎菌」(一八八八年ゲルト
ネル氏によって発見された腸炎菌。家畜類の糞
便の中によくあるが、チフス菌とは違い感染の
恐れは僅少)によるものと推定される。
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りんご飴

りんご飴

寒いですね。見ていて寒さが伝わる作品ありますか?寒いですね。見ていて寒さが伝わる作品ありますか?

回答数 33>>

『八甲田山』🥶😵‍💫🤮🏔️
(高倉健、北大路欣也、三國連太郎、緒形拳、
加山雄三、秋吉久美子、森田健作、加藤嘉)
(今年『午前十時の映画祭』で観ました🥶🤮)

『八甲田雪中行軍遭難事件』を映画化🥶🤮
冬の八甲田山で行った雪中行軍訓練で
悪天候と不十分な準備が原因で
210人中199人が死亡した山岳遭難事件🥶🤮

北大路欣也『天は我々を見放した!😵‍💫🤮』
明治35年、冬の八甲田山で
陸軍青森第5連隊をおそった悲劇!😵‍💫🤮[大泣き]

物凄い映画です!🥶😵‍💫🤮[大泣き]
映画の星映画の星
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めんちかつ

めんちかつ

生の苦悩と死の多様性:ニヒリズムと他者への投影

苦悩からの解放とニヒリズムの根底

 生きることがすべて苦悩ならば、それから解放されること、つまり死ぬことは苦しみからの離脱を意味し、本来は幸福なものとして考えられるべきです。

 しかしながら、私たちの多くは死ぬことになんとなく嫌悪感や理不尽さを感じ、それを忌(い)み嫌い生きています。

 現在、自分の中に経済的不安や、自分の健康に対する恐れがない人々は、その幸福を享受し、自分があたかも永遠に死なないかのような錯覚を覚えます。

 ほとんどの人間にとって、幸福とは快楽と同義であり、さながらその精神的、身体的な快が永遠に続くのかの如く錯覚を覚えます。一つわかっていることは、私たちは必ず死ぬのであり、その意味ではどんな人生もむなしいし、さみしい、そうしたある種のニヒリズム、虚無主義が私たちの精神の根底にはいつもあります。

感情の他者への投影と「不幸」の忌避

 宴会で酒を飲んでいるとき、自分が気持ちよく酔っているときに、仲間や同僚がその宴(うたげ)を楽しんでいる様子が感じられないとき、私たちは不快感を感じます。それはつまるところ、私たちはいつも自分の感情や内面を他者に投影させます。自分の今の感情は、他者も今感じているであろう気持ちに近い、もしくは同じようなものだと常に推測するのです。

 うつ病の患者や、憂鬱質(ゆううつしつ)の人たちが忌(い)み嫌われるのは、ひとえにこの自分の気持ちの、他者への投影が原因です。私たちはいつも他者に、自分の気持ちを強制します。自分が悲しい時に他者が喜んでいると不快を感じますが、同時に自分が楽しんでいるときにそばにいる人が悲しんでいたり、憂鬱であったりすると、またこれに対しても不快を感じるのです。

呼吸と生:自発的な苦痛の選択としての自死

 ところで、私たちはどんな時に死にたいと感じるのでしょうか。生と死はひとつとするならば、生きることはまさに死ぬことでもあります。たとえば私たちは生きているときに、ただ一度だけ呼吸を止めます。するとそれはたまらない苦しみであり、次に息を吸うまでその苦しみは続きます。

 思うに水泳の得意な方は、息を止めるのが上手な方であり、生きることと死ぬこと、苦しみに耐えることのうまい人間だと察します。いつでもおぼれ死ぬことはできますし、呼吸を自由にできないのは苦しみでもあります。

 人間というのは呼吸をしないだけでも死ぬ存在なのです。それゆえに、自分から死のうという方は自分から呼吸をしない人にその考え方は等しく、自ら生を断つ人は、自ら苦しみを求める人でもあります。

 確かに死と、苦しみは同義ではありません。睡眠薬による自殺、飛び降りによる一瞬の自殺、前者はおそらくは薬物により死の苦しみから免(まぬが)れて死ぬことができる可能性がありますし、高い建物から飛び降りることは、おそらくは一瞬の苦しみを経(へ)るだけで、それはほかの死に方よりも楽な可能性もあります。
 
 生のあり方は人それぞれです。そして、死に方も人それぞれ、多様性があります。ある人はこめかみに拳銃を当てて自殺し、ある人は薬物により死ぬ。そしてまた違う人は車が多く通る道路に身を投げて死にますし、高いところから飛び降りる人、水の中に入り溺死(できし)する人、あげればきりがないほど自殺の仕方はあります。しかし、先ほど申しあげたとおり、人間は呼吸を一度しないだけで死ぬことができる存在です。むしろ、生きているほうがおかしいくらい、それは誰でもわかります。

二つの自殺の動機:名誉のためか、自己の苦のためか

 では人はどんな時に死にたいのでしょうか。一般的にわが国では自殺は尊い行為でした。一番有名なものは切腹であり、自分の名誉のため、あるいは大切な人、主君や家族の名を汚(けが)さないため、侍(さむらい)と呼ばれる人、もしくは帝国陸軍の軍人たちは、積極的に腹を切ったり、敵軍の中に万歳と飛び込み自決をしました。
 
 これらの行為は現代を生きる私たちにはわかりにくいことかもしれません。なぜならば私たちは生き恥をさらすことよりも、無駄死にすることを恐(おそ)れるのであり、一般的に他者に対する名誉よりは、自分自身の人生や幸福を尊重します。

 今の世の中で他者に対する、もしくは自分に対する名誉のための自殺は少ないかもしれません。しかし、自分が会社のために思うように仕事ができないから、人と比べて劣っているからとか、そういった理由で死ぬ方は多くいると思います。

 自分の生よりも他者への名誉や、他者の幸福を優先するときに、人間は自分のためではなく、彼らのために積極的に死を選び取ります。それは基本的に昔も今も変わらないと感じます。

 他方で、病苦による苦しみ、貧困ゆえの苦しみにより、積極的に死を選ぶ人もいます。これは徹頭徹尾(てっとうてつび)自分のための、自分を苦しみから守るための死であり、その理由はあきらかです。

無目的の自死と「幸福な人生」という幻想
 
 では人は苦しみから逃れるときに自死を欲するのでしょうか。ただ他者に対する自己の評価とか、他人に対する名誉のためにだけ死ぬのでしょうか。私はもう一つ、無目的な自死があると思います。時たま、人生に何も悩みのないような小学生が自殺したとニュースが飛び込むことがあります。それを見て世間の人たちは

「生きていればよいことがあったのに。」

 と口をそろえてつぶやきます。しかし、その良いことというのはいったい何でしょうか。ある人は結婚したり、子供を作って家族を持ったり、楽しいことはあるとおっしゃいます。しかしそれらの人生のできごとは、人生のイベントの一つであるだけでなく、苦しみの一形態に過ぎないと感じます。

 生きていても、恋愛もできない、結婚もできない、結婚しても子供が産まれない、それは新たな内面的な苦しみであり、自分の幸福を他者や、あるいは財産とかにまかせるおろかな試(こころ)みであり、その行きつくさきは幸福でないこと、つまり不幸な人生です。

 そもそも幸福な人生自体が存在するのか私は疑います。世間の人がおっしゃる幸福とは快楽の充足であり、その快楽が満たされないとき、またその人は不幸になる、もしくは不幸だと思い込むことになります。

 自殺する小学生はこうした人間の欲望充足としての生活を看過(かんか)したのであり、死ぬことでしか解決策が見いだせないと悟ったのではないでしょうか。生きていて、呼吸ができないとき、それはその人にとってとてつもない苦痛です。
 
 しかし人間にとっての本当の苦しみは、未来に対してあれこれ思案することです。
 
 現状が不幸ならばこれから先もきっと不幸だと思いますし、感じます。それは幸福な人が将来的にも安堵する人生を歩めるだろうと予期することと同じです。

結び:死者への眼差しと生きる者の責務
 
 自殺した人を見るとき、それはあわれみを感じるべきではないでしょう。むしろ死ななくてすんでいる自分の生をマシに思うべきです。願わくば、自死をしない、まわりの人を自死させない人生を過ごしたいものです。

#自殺の哲学 #ニヒリズム #実存の苦悩 #名誉と自死 #感情の投影
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