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三重県出身、在住、ゆかりある人、大好きな人集まれ🫶 三重に関する投稿大歓迎! ※出会い目的、人に不快を与える投稿をした人は追放いたします。 ※惑星から飛べるグループチャットは、「三重の星公式グルチャ」のみ惑星主の管理範囲です。それ以外は管理範囲外ですので、ご自身の責任でお入りください。

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クラシックの室内楽の中でも人気のジャンル(編成)の音楽です。擦弦楽器のヴァイオリン(2本)とヴィオラ、そしてチェロで構成されています。 聞くのが好きな方は勿論、演奏されている方、これから演奏に挑戦してみたい方も是非ご参加下さい♪  弦楽四重奏以外の弦楽アンサンブルの話題もオッケー👌です。  弦楽四重奏の曲を書いた主な作曲家は、ハイドン、ボッケリーニ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト。その他多くの作曲家がこの編成の為に作品を残しています。 #弦楽四重奏 #ヴァイオリン #ヴィオラ #チェロ

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田中と仲良くしたい人たちの集まり…のはず みんな恥ずかしがって重戦車ってつけてくれない デメリットもメリットも無い星

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テトさんじゅういっさい

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きたみ

きたみ

石破、そろそろ地下壕で重臣だけ残れって言ってそう
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包

ChatGPT相手なら堂々と怪文を送れる男
(GPTくんもノリよく重臣みたいになってくれてありがとう)
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唐傘

唐傘

[尊]氏、楠木殿の時は泣いて寂しがったのに重臣の師直の時はなんも感じなかったの…??怖いんだけど
『逃げ若』大好きの星『逃げ若』大好きの星
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丸里み

丸里み

新刊、この『重臣たちの昭和史・序』出会い編に他色々お話を付け足した感じの本になります、サンプル等々は明日あげます!
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唐傘

唐傘

エンガチョって人生で1回も使ったことないな
兄上なんて幼馴染で共に育ちあれだけ信頼してた重臣に簡単にエンガチョしちゃうからね?こわいでしょ?
『逃げ若』大好きの星『逃げ若』大好きの星
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ㄘょめ‪🐹ྀི🎀

ㄘょめ‪🐹ྀི🎀

フロントだし歩かないからまだ右足重臣で立ってれば大丈夫だと思うけど、階段まぢキチー。
痛み止め💊と湿布定期的に張り替えなきゃ。

ピクミンしたいからって歩きすぎた?
こんな痛いの続いて階段もキツいの初めてかもしれん...歳?
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幾果

幾果

ネールが父親殺しをして、その後重臣を処分して、過激なまでの行動を行った理由が明かされると盤面がぐるっとひっくり返るの本当に面白い。帝国周りは本当に、ホームページの登場人物紹介を読み込んだやつほどはまり込む叙述トリックをこうつかうのかーってなっちゃった。
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丸里み

丸里み

『重臣たちの昭和史・序』を出して一週間経ち無事にもう読み返せなくなっているわけですが、織田信恒と相馬孟胤のあの微妙なトリがどう映ったかだけ気になっている、『点鬼簿』の引用から始める信恒の話はずっとやりたかったので満足です、私は…
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丸里み

丸里み

前に出した『重臣たちの昭和史・序』を読み返すと明らかに時間が足りなかったであろうページやコマが分かる箇所があり笑ってしまうとともに、こんなゴミカス本を世に出して恥ずかしくないんですか!?ともなっている、あと一年後くらいに「思ったよりいいじゃん…」期がくる
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アクア−Devil

アクア−Devil

### 静かな庭の毒見

京都の北、深い山懐に抱かれた小さな禅寺があった。寺の名は「静寂寺」。室町の昔から伝わる枯山水の庭があって、白砂を丁寧に掻きならし、十五の岩を据えただけの、簡素で静かな庭だった。水は一滴も使わず、ただ砂紋と石で山水の景を表す。座る場所によって見える岩の数が変わるという、不思議な庭だった。苔の薄い石灯籠が一つ、風に揺れる木々の影が落ちるだけで、人の気配はほとんどなかった。

江戸時代中期のこと。この寺に、一人の老公が隠棲していた。名を松平信之。かつては大藩の重臣として権勢を振るったが、政争の傷を癒すため、すべてを捨ててこの寺に入った。表向きは静かな隠居生活。だが、過去の怨みは深く、誰かが今なお老公の命を狙っているという噂が、ひそやかに流れて離れなかった。

老公は、ただ一人の若き武士を側近に置いた。名は清次。下級武士の出で、言葉少なく、忠義に厚い男だった。彼に与えられた役目は「毒見役」。老公が口にする食事や茶の前に、必ず清次が先に一口味わい、毒の有無を確かめる。江戸の将軍家のように何重もの毒見を置く余裕はなく、ただ一人、清次だけがその命を預かっていた。彼はそれを当然の務めと受け止め、黙々と果たし続けた。

ある秋の夕暮れ。老公は方丈の縁側に座り、枯山水の庭を眺めていた。夕陽が白砂を淡く染め、岩々の影が長く伸びる。風が木の葉を鳴らす音すら遠く、ただ深い静けさだけが満ちていた。

「清次、茶を」

老公の低い声に、清次は静かに抹茶を点て、茶碗を差し出した。まず自分が一口含み、何の異変もないのを確かめてから、老公の前に置いた。

老公はゆっくりと茶を啜り、庭を見つめ続けた。

「この庭は良い。石一つ動かさず、水なくして山河を示す。人の心もまたそうあるべきだ。穢れを遠ざけ、静かに保てば、毒など寄りつこうはずもない」

清次はただ頭を下げ、黙って膝を正した。

だがその夜、清次の体に異変が起きた。腹の奥に鈍い痛みが走り、吐き気と冷や汗が止まらなくなった。遅効性の毒だった。清次は一人で耐え、老公には一言も告げなかった。翌朝、老公がいつものように庭の前で待つ頃、清次は蒼白な顔で現れた。

「殿……昨日の茶に、毒が……」

老公は驚愕し、すぐに医者を呼んだが、毒はすでに深く回り、清次は数日後、静かに息を引き取った。

老公は清次の亡骸を庭の前に安置し、独り呟いた。

「毒見役とは、主の命を自らの命で守る者。この静かな庭のように、毒は見えぬ波紋となって忍び寄る。お前はよく務めを果たした」

それ以降、老公は誰にも茶を点てさせなかった。自分で茶を立て、自分で庭を眺める日々が続いた。白砂の波紋は変わらず静かで、岩々は永遠の謎を湛えていた。訪れる風だけが、亡き毒見役の魂をそっと撫でるように、砂の上を過ぎていった。

今もその庭は京都の片隅に残り、訪れる者の心を、静かに映し続けている。
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臼井優

臼井優

「小田原評定(おだわらひょうじょう)」とは、
 議論が長引いて結論が出ず、物事が決まらない状況を指す言葉で、豊臣秀吉に攻められた小田原城で北条氏が降伏するまでに評定が長引いた故事に由来します。
 現代では、効率の悪い会議や相談事を揶揄する際に使われ、本来の「小田原評定」は重臣会議で民主的な合議を重んじる制度でもありました。

意味と由来
意味: 長く話し合っても結論が出ない会議や相談。

由来: 1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原城を包囲した際、城内で「和戦」について評定(合議)が行われたが、意見がまとまらず結論が出ないまま時間だけが過ぎ、最終的に北条氏は滅亡したことから。

現代での使われ方
比喩表現: 現代の会議などで、結論が出ない状況を「小田原評定だ」と皮肉を込めて表現する。

本来の姿: 当時は珍しい合議制で、家臣の反乱が少なかった「民主的な制度」としての「小田原評定衆」という側面もあった。

関連語
類語: 押し問答、平行線、水掛け論など。
対義語: 問題解決、事態の収拾、和解など(文脈による)。
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臼井優

臼井優

武田勝頼の最大の誤算
 「偉大すぎる先代(信玄)の遺産と負債」を読み違え、急速な中央集権化と領土拡大を急ぎすぎたことに集約されます。

主な誤算は以下の4点です。
「長篠の戦い」における織田軍の戦力軽視
信玄以来の「武田騎馬隊最強」の自負が、織田信長の近代的な兵力(鉄砲の組織運用や馬防柵)への対応を遅らせました。伝統的な突撃戦術が通用すると過信したことが、重臣たちの多くを失う決定打となりました。

外交戦略の失敗(御館の乱への介入)
上杉謙信の死後の家督争い「御館の乱」で、当初支援していた上杉景虎を見捨て、景勝側につきました。これにより北条氏政との同盟(甲相同盟)が破綻し、背後に強力な敵を抱えることになりました。

急進的な中央集権化による家臣離反
信玄時代の「合議制」から「独裁的権力」への移行を急ぎ、新城(新府城)の築城や増税を強行しました。これが木曾義昌などの有力国衆の造反を招き、織田軍の侵攻時に組織が内部崩壊する原因となりました。

織田・徳川の「経済力と動員力」の過小評価
武田氏の領国(甲斐・信濃)の生産力に対し、尾張・美濃を抑えた織田家の圧倒的な物資供給量と兵員補充スピードを読み違えました。局地的な勝利を収めても、消耗戦では勝てない構造を打破できませんでした。

勝頼は個人としては勇猛で有能な将でしたが、信玄が作り上げた「武田家というシステム」の寿命を見極められなかったことが最大の悲劇と言えます。
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臼井優

臼井優

戦国時代には「鬼」の異名を持つ武将が多数存在し、その勇猛さや特異な武勇が由来で、鬼柴田(柴田勝家)、鬼義重(佐竹義重)、鬼作左(本多重次)、鬼武蔵(森長可)、鬼島津(島津義弘)、鬼十河(十河一存)、鬼真壁(真壁氏幹)などが有名で、鬼は敵を圧倒する強さや畏怖の念を象徴する存在でした。

主な「鬼」の異名を持つ武将
鬼柴田(しばた かついえ): 織田信長の重臣で、猛将として数々の武功を挙げたことから。

鬼義重(さたけ よししげ): 佐竹氏の当主。北条氏との戦いで7人を斬り伏せるなど、その勇猛さから。

鬼作左(ほんだ しげつぐ): 徳川家康に「鬼作左」と呼ばれた豪快な武将。

鬼武蔵(もり ながよし): 森蘭丸の兄。気性が荒く、戦場で恐れられた。

鬼島津(しまづ よしひろ): わずかな兵で大軍を撃破するなど、その強さから。

鬼十河(そごう かずあり): 三好長慶の弟。畿内で権勢を振るった。

鬼真壁(まかべ うじもと): 棒術の達人で、鬼に金棒の異名を取った。

井伊の赤鬼(いいのあかおに): 井伊直政。赤備えを継承し、その勇猛さから。

鬼美濃(はら とらたね): 10戦11功を挙げたと称される猛将。

鬼小島(こじま やたろう): 怪力無双の豪傑で、上杉謙信に仕えた。

これらの武将たちは、その並外れた武勇や、敵味方から恐れられる存在であったことから「鬼」の異名を冠しました。
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臼井優

臼井優

「戦国武将=常に冷静で勇猛果敢」というイメージとは裏腹に、実際には多くの武将が様々な場面で涙を流したという逸話が数多く残されています。
むしろ、当時の武士にとって「男泣き」は、感情表現の一つとして必ずしも否定的に捉えられていなかったようです。

戦国武将と「泣き虫説」
徳川家康の「泣き顔」: 大河ドラマ『どうする家康』でも描かれたように、徳川家康には臆病でよく泣く人物像を示す逸話が複数あります。例えば、重臣である鳥居元忠との今生の別れに涙した話や、若き日の苦難の経験を家臣たちに語って聞かせた際の話などが知られています。これは、単なる「泣き虫」ではなく、家臣との絆の深さや人間的な弱さを見せることで、かえって家臣の忠誠心を引き出したとも解釈されています。

織田信長の涙: 冷酷なイメージが強い織田信長も、常に無感情だったわけではありません。若き日に自分を諫めるために自害した傅役(もりやく)の平手政秀(ひらてまさひで)のことを事あるごとに思い出し、鷹狩りの獲物の一部を空に投げて「政秀、これを食べよ」と言って涙を浮かべたという逸話があります。また、信頼していた家臣を失った際に涙を見せたという話も残されています。

その他の武将: 源義経にも「泣き虫」な一面があったという説や、豊臣秀吉が子を溺愛し、その死に際して嘆き悲しんだという逸話など、多くの武将の人間的な側面を示す話が存在します。
背景

現代では「男は泣くべきではない」という風潮もありますが、戦国時代においては、主君と家臣の強い絆や、肉親・友人の死に対する深い悲しみ、あるいは自身の不甲斐なさに対する悔しさなど、人間の自然な感情の発露としての涙は受け入れられていたと考えられます。

「泣き虫説」は、英雄視されがちな戦国武将たちの、血の通った人間らしい一面を伝える興味深い側面と言えます。
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ただ泣きたくなるの

柴咲コウ

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臼井優

臼井優

細川幽斎(ほそかわ ゆうさい)、本名・細川藤孝(ふじたか)は、戦国時代から江戸時代初期に活躍した文武両道の武将・大名・歌人で、室町幕府の重臣から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と歴代の天下人に仕え、巧みな政治感覚で生き残りました。特に和歌・連歌に秀で、『古今和歌集』の奥義を伝える「古今伝授」の継承者として近世歌学を大成させ、文化人としても一流の教養人として重んじられた人物です。
主な特徴と功績
卓越した政治感覚: 足利将軍家から始まり、信長、秀吉、家康と主君を変えながら、乱世を巧みに生き抜いた戦国随一の世渡り上手。
文武両道: 武将としての才覚と、和歌・茶道・連歌といった文化芸術への深い造詣を兼ね備える。
古今伝授の継承者: 武家として初めて「古今伝授」を受け継ぎ、後陽成天皇の弟宮・八条宮智仁親王に伝授するなど、歌道の秘儀を伝承・発展させた。
文化人としての評価: その教養の深さから、公家・武家問わず多くの門人を持ち、文化の中心人物として重んじられた。
田辺城の戦い: 本能寺の変後、家康に味方して敵に囲まれた際、朝廷が「古今伝授の継承者が死ねば伝統が絶える」として介入し、開城・助命された逸話は有名。
その他
幼名・別名: 幼名は万吉、元服して藤孝。のち長岡姓を名乗り、出家して幽斎(玄旨)と号した。
子孫: 息子の細川忠興(三斎)は小倉藩初代藩主となり、肥後細川家の礎を築いた。
細川幽斎は、武家でありながら公家文化にも精通し、時代の変化を読み解く知恵と、歌道という強力な「切り札」で乱世を生き抜いた、稀有な存在でした。
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甲斐性無しの甲斐の人

甲斐性無しの甲斐の人

金沢城

旧暦の12月25日は前田利家の誕生日だったとのこと。
(現在の暦に換算すると1月15日らしい)
というわけで加賀百万石の前田氏の居城、金沢城。
元々は加賀一向一揆の本拠である尾山御坊という寺院城郭だった。
織田氏の重臣柴田勝家率いる北陸方面軍が加賀に侵攻して攻め落とし、与力の佐久間盛政が加賀の半国を与えられて尾山に入り、金沢城と名を改めた。
その後、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が敗れ滅びると、豊臣秀吉によって能登を治めていた前田利家に加増して与えられた。
その後は江戸時代を通して代々加賀前田氏の本拠として栄えたが、天守は早い時期に落雷で焼失し、再建されることはなかったそうだ。

流石は加賀百万石の本拠といった感じの巨城で、戦国時代から江戸時代にかけて長い期間改修されたためか、石垣の種類も豊富だった。
特に有名なのは庭園から見える色紙短冊積石垣で、切込接ぎの乱積みという見た目の派手な積み方で、なおかつ色の違う石をバラバラに混ぜてありまさに魅せる石垣の代表といえる華やかさだった。
また、利家時代に築いた野面積みや、中間の期間に築いたであろう打込接ぎなど石垣の種類は豊富で、再建された櫓門、面によって切込接ぎと打込接ぎを分けた枡形、見事な海鼠壁など見飽きることがないほどに見どころの多い城。
訪問した時はちょうど現存遺構の三十間長屋が修理工事中で見れなかったことと、城を観るのでいっぱいいっぱいで、兼六園をほとんど駆け抜けるように流し見することしかできなかったことだけが悔やまれる。

#一日一城
城の星城の星
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臼井優

臼井優

賈 詡(か く)
→ 中国後漢末期から三国時代にかけての政治家。字は文和(ぶんか、ぶんわ)。
 涼州武威郡姑臧県の人。
 董卓・李傕・段煨・張繡に仕えた後
曹操・曹丕の2代にわたり重臣として活躍した。前漢の長沙王太傅賈誼の末裔で、先祖を同じくする賈逵とは遠縁に当たる。
『元和姓纂』によれば賈誼十三代の孫である[1曾祖父は賈秀玉。祖父は賈衍。父は賈龔。
子は賈穆・賈訪。孫は賈模。曾孫は賈胤・賈龕・賈疋。『三国志』魏志「荀彧・荀攸・賈詡伝」に伝がある。
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お寿司

お寿司

明け方に登ると雲海も見えるらしい。
丹波の赤鬼と呼ばれた猛将、赤井直正の居城だったお城で、その後は明智光秀の重臣である斎藤利三がこの地を支配した時期もあって、その娘が有名な春日局になったという歴史のあるお城と城下町。
駅前から本丸跡まで1時間超くらいで登れるから、軽い登山としても気持ちいい。

#黒井城跡
#保月城跡
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甲斐性無しの甲斐の人

甲斐性無しの甲斐の人

賤ヶ岳砦

賤ヶ岳の戦いで最大の激戦地となった砦。
元は浅井朝倉軍が布陣した地ともいわれ、賤ヶ岳の戦いでは陣跡を再利用して砦を築いたのだろうか。
越前方面から近江に向けて進軍し、山中に次々と砦を築きはじめた柴田勢に対抗し、羽柴勢も多くの砦を築いていく。
その中でも秀吉の弟、羽柴秀長が築いた田上山砦と並んで重要な砦として築かれたのが賤ヶ岳砦で、築城者は守将でもある桑山重晴。
重晴は織田氏重臣の丹羽長秀の与力ともいわれるが、この頃は羽柴秀長の配下だったともいわれる。
眼前の大岩山砦の陥落で一旦は退却を始めるが琵琶湖を渡って丹羽長秀が駆けつけてきたため、その軍と合流して再度砦を確保し守り抜いたことが羽柴軍の勝利につながったそうだ。

現地を観てみると、付近の砦と比べても遺構の残り方も良く、賤ヶ岳の戦いに関する陣城軍を見渡すことができる絶好の立地で、最重要な砦なのだと感じた。
土塁跡も綺麗な上、虎口跡と思われる遺構も横矢がかかるように設計されていたりと技巧的なつくりになっていた。
うかつにも飯浦の切通しを観るのを忘れてしまったため、また再訪して観なければ。

#一日一城
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