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蘇我霊玄導師准尉


呉

のえる
海賊旗?軍旗?

愛理(雑

ロシア正教会
前は旭日旗(現在の海自の軍旗)でした。

オカマ
先読みの紫の弱そうな旗?
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またんぎ
ご要望通り、憶測や噂を排し、現在確認されている「神社の公式記録」と「地名に残る伝承」に焦点を当てます。
1. 乳山八幡神社と神功皇后の「直接的な関係」
乳山八幡神社と神功皇后の関係は、神社の**「名前の由来」と「創建の理由」**そのものです。社伝(由緒)には以下の事実が明記されています。
* 「乳山(ちやま)」の名の由来:
神功皇后がこの地(現在の社地)で、皇子である**応神天皇(おうじんてんのう)に授乳した(お乳を与えた)**という伝承に由来します。この伝説こそが、この神社がこの場所に存在する最大の理由です。
* 創建の経緯と選地:
この神社は、江戸時代の寛文2年(1662年)に創建されました。当時、この地域(大蔵村)の人々にとって、地域の総鎮守であった「豊山八幡神社(春の町)」への参拝が遠く困難であったため、村内に分霊を勧請(神様をお招き)することになりました。
その際、**「かつて神功皇后が皇子に乳を与えた聖地である」**という理由で、現在の場所(乳山の山麓)が選ばれました。
つまり、単に「神功皇后を祀っている」だけでなく、**「神功皇后の育児(授乳)という具体的な行為が行われたとされる場所」**として特定され、信仰されてきた事実があります。
2. 境内に残る記録と神宝
この関係性を裏付けるものとして、神社には以下のものが存在します。
* 御祭神:
主祭神として、息長帯比賣命(神功皇后)、品陀和氣尊(応神天皇)、足中津日子命(仲哀天皇)を祀っています。
* 「御神徳絵図」:
拝殿内には、鎧姿の神功皇后と、乳飲み子である応神天皇を抱いた武内宿禰(たけのうちのすくね)が描かれた有田焼の絵図が奉納・掲示されています。これは「乳山」という社名と伝承を視覚的に伝えるものです。
3. 周辺地名と神功皇后の関係(事実と伝承の照合)
乳山八幡神社のある「大蔵(おおくら)」地区および周辺の地名は、神功皇后の足跡と密接にリンクしています。地域の郷土史や神社の由緒に残る地名の由来は以下の通りです。
| 地名・山名 | 神功皇后との関係(伝承・由緒) |
|---|---|
| 乳山(ちやま) | 前述の通り、皇后が皇子(応神天皇)に乳を与えた場所。 |
| 大蔵(おおくら) | 皇后がこの地を治めていた豪族・**大倉彦(おおくらひこ)の領地から、軍旗のための竹を切り出したことに由来するとされます(※諸説あり、大倉彦神を祀る大蔵の地という説も)。 |
| 豊山(ゆたかやま) | 現在の豊山八幡神社がある山。皇后が戦勝後に弓矢を納め、「天下が豊か**になるように」と祈ったことから名付けられました。 |
| 更暮山(さらくらやま)
※現在の皿倉山 | 皇后が山に登って国見(国の情勢を視察)をした際、下山時に「更に暮れたり(日がさらに暮れてしまった)」と言ったことから「更暮山」→「皿倉山」となったと伝えられます。 |
| 勝山(かつやま) | 乳山八幡神社の摂社「勝田神社」がある場所。皇后がここで竹を切り出し、戦勝(勝利)に縁起が良いとして名付けたとされます。 |
4. 歴史的背景の整理(まとめ)
事実のみを抽出して深掘りすると、以下の構造が見えてきます。
* 「乳山」は単なる名称ではない: 1662年の創建当時、村人たちの間ではすでに「ここは皇后が授乳した聖地である」という認識が定着しており、その伝承ありきで場所が選定されました。
* 聖地としてのネットワーク: この地域(旧・大蔵村周辺)は、皿倉山(国見)→勝山(旗竿の調達)→豊山(祈願)→乳山(育児)と、神功皇后の**「軍事行動」と「育児」の両面におけるエピソード**が、地名としてセットで保存されている特異なエリアです。
* 信仰の継続性: 「乳山」という名称と由緒は、安産や育児、子供の成長を願う「産土神(うぶすながみ)」としての性格を決定づけており、それが現在に至るまで神社のアイデンティティとなっています。
以上が、乳山八幡神社およびその周辺地域に残る記録から確認できる、神功皇后との事実関係です。

またんぎ
この神社は、単に「地域の神社」というだけでなく、北九州エリアにおける神功皇后の「凱旋(がいせん)」と「道開き(みちひらき)」の象徴とも言える重要なスポットです。
1. 「飛幡(とびはた)」の名前と神功皇后
現在の「戸畑(とばた)」という地名は、かつて**「飛幡(とびはた)」**や「鳥旗」と表記されていました。この名前の由来には、神功皇后の伝説が深く関わっています。
* 凱旋の旗印:
神功皇后が三韓征伐(朝鮮半島への遠征)から勝利して帰還した際、この地の海岸に船を寄せ、軍旗(のぼり旗)を納めた、あるいは船上の旗が風にひるがえる様が壮観だったことから、「飛幡(とびはた)」と呼ばれるようになったと伝えられています。
* 万葉集の記録:
奈良時代の『万葉集』にも「飛幡の浦」として登場します。
> 「ほととぎす 飛幡の浦に しく波の しばしば君を 見むよしもがも」
> (飛幡の海岸に絶えず寄せる波のように、何度もあなたに会いたいものです)
> この古くからの由緒を大切にするため、平成7年(1995年)に神社名を「戸畑八幡宮」から、古称である現在の**「飛幡八幡宮」**へ復称しました。
>
2. ご祭神と「三つの顔」を持つ神社
飛幡八幡宮は、実は3つの異なる神様(神社)が合わさった強力なパワースポットです。本殿には以下の三柱が並んで祀られています。
| 配置 | 神名 | 解説 |
|---|---|---|
| 中殿 | 八幡大神 | 神功皇后・応神天皇・比売大神。
勝利と安産の神。神社の主祭神です。 |
| 右殿 | 須賀大神 | 須佐之男命(スサノオ)。
疫病退散の神。「戸畑祇園大山笠」の主役はこちらの神様です。 |
| 左殿 | 名護屋大神 | 道祖神(サルタヒコなど)。
交通安全・道開きの神。ここにも深い伝説があります(後述)。 |
3. 深堀りポイント:消えた「名護屋岬」と神功皇后の夫
左殿に祀られている**「名護屋(なごや)大神」**は、神功皇后伝説をより深く知るための鍵です。
* 名護屋岬の伝説:
かつて戸畑の海岸(現在の日本製鉄の敷地付近)には「名護屋岬」と呼ばれる難所がありました。
神功皇后の夫である**仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)**がここを通る際、道案内の神様(道祖神)が現れ、船を安全に導いたという伝説があります。
* 夫婦の足跡:
つまり、戸畑の地は、夫(仲哀天皇)が道を開き、妻(神功皇后)が勝利の旗を掲げて帰ってきた場所であり、夫婦両方の足跡が色濃く残る土地なのです。
* 千曳ノ岩(ちえいのいわ):
境内には**「千曳ノ岩」**という巨大な石があります。これは元々、名護屋岬の海中にあった岩で、航海の邪魔になるため引き上げられたものですが、今は「災いを防ぐ力石」として祀られています。
4. 飛幡八幡宮と戸畑祇園大山笠
「提灯山(ちょうちんやま)」で有名な戸畑祇園大山笠(ユネスコ無形文化遺産)は、この飛幡八幡宮を中心に行われますが、厳密には右殿の「須賀大神(スサノオ)」のお祭りです。
しかし、歴史的な流れの中で、地域の総氏神である「八幡様(神功皇后)」の境内で盛大に行われるようになり、「戦いの神(八幡)」と「厄除けの神(祇園)」が習合した、非常にエネルギーの強い祭りとして発展しました。
昼は本来の姿である「幟(のぼり)山笠」で走りますが、これは神功皇后の「飛幡(軍旗)」のイメージとも重なり、勇壮さを際立たせています。
まとめ
飛幡八幡宮は、単なる地域の鎮守ではありません。
* 名前のルーツ: 神功皇后が凱旋時に掲げた「勝利の旗(飛幡)」が由来。
* 歴史の証人: 夫・仲哀天皇の航海伝説(名護屋大神)も合祀し、夫婦の物語を継承している。
* 現代への継承: その力強さは、戸畑祇園大山笠の熱気の中に今も息づいている。

臼井優
毘沙門天信仰の具体例
「毘」の旗印:戦のたびに軍旗に「毘」の文字を掲げ、毘沙門天の加護を求めました。
「毘沙門天の生まれ変わり」:自らを毘沙門天の化身と信じ、家臣にもそう思わせるほどでした。
戦勝祈願:春日山城内の毘沙門堂に籠もり、日夜、戦勝と国家安寧を祈りました。
「義」の精神:毘沙門天を信仰する清廉潔白な生き方と、助けを求める者を義で救う姿勢が結びついていました。
「泥足毘沙門天」:特に信仰していたとされる毘沙門天像も現存しています(山形県指定有形文化財)。
なぜ毘沙門天だったのか
毘沙門天は四天王の一尊で北方を守護する武神であり、戦勝の神でもあります。謙信は乱世を生き抜くための精神的支柱として、そして自らの戦の強さの源として、この神を深く信仰しました。その結果、多くの戦で勝利を収め、「軍神」としての名声を確立したのです。

りひと
練習がてら紹介文はAIに作ってもらいました
気になる人は検索ぅ!
【読めるサイト】カクヨム
【作者名】そら
【作品紹介】鏡の中の共犯者
「――自分が、ただの女だってこと、そいつに言ったのかよ」
衆人環視の街中で放たれた、無遠慮な男の言葉。
それは、齋藤伊織が必死で作り上げてきた「完璧な騎士(イケメン彼女)」の仮面を、無残にひび割れさせていく。
身長170センチ、誰もが息を呑む美男子として振る舞う伊織。
そのエスコートを受け、華奢な少年を演じる「彼氏」の時雨。
だが、二人の実態は、社会という戦場で「女」として傷つき、尊厳を奪われた果てに、嘘の鎧を纏った二人の女性だった。
なぜ彼女たちは、残酷なほどに美しい「嘘」を重ねるのか。
なぜ「女」であることを突きつける深紅のレースを、「誇り高き軍旗」と呼ぶのか。
これは、性別の壁を超え、互いの傷を「嘘」で上書きし合う、歪で、気高く、そしてあまりにも切ない共犯者の物語。
「明日になったら、またあいつらを騙してやろう。俺たちの聖域は誰にも穢させはしない」
絶望の夜、二人が見つけた「真実」とは――。
ハシオキ龍之介
#グラビティ昭和部
・昭和11年(1936年)
☆『二・二六事件 .2』
二、戦時管備の目的は兵力を以て重要物件を警
備し、併せて一般の治安を維持するにあ
り。
三、目下治安は維持せられあるを以て一般市民
は安堵して各その業務に従事せらるべし。
午後10時=首相官邸で軍事参議官七名と青年将
校の代表六名との会見が始まる。話は進まな
い。荒木大将以下の軍事参議官らは「陛下二
ハ、二、三十分毎二御召アリ、事変ノ成行キラ
御下間アリ、且ツ、鎮圧方督促アラセラ
ル」(『本庄日記』)を知って方針の修正を迫
られていたからだ。11時20分=宮中で枢密院
会議が開かれ、緊急勅令による戒厳令の制定と
公布が決まる。
2月27日 午前2時20分=戒厳令室告、戒厳司令
官には東京警備司令官の香椎中将が任命され
た。が、「勅命ニ抗スル者二対シテハ断乎タル
処置二出デントス」「反乱部隊ヲ掃蕩スベシ」
(「戒作命第四号」)は「命令案」のままで、
「二十六日朝出動セシ将校以下ハ第一師団麹町
地区警備隊長小藤大佐ノ指揮下二在リテ行動ス
ベシ 戒厳司令官香椎浩平」(「戒作命第七号」
27日午後7時)の処置が夜明け前に青年将校に伝
えられる。青年将校の部隊はこんどは「戒厳」
部隊になった。青年将校の「戒厳」部隊は参謀
本部、陸軍省、首相官邸、山王ホテルなどを占
拠しつづける。午前10時30分ごろ=近衛師団が
半蔵門、赤坂見附を結ぶ線、第一師団が赤坂見
附、福吉町、虎の門、日比谷公園を結ぶ線に配
置された。軍中央部は事態の収拾に腐心。そこ
で「命令戒厳司令官ハ三宅坂附近ヲ占拠シアル
将校以下ヲシテ速二現姿勢ラ撤シ各所属師団長
ノ隷下二復帰セシムベシ昭和十一年二月二八日
奉勅参謀総長載仁親王」の「奉勅命令」を用意
する。午後=陸相官邸で真崎、阿部、西軍事参
議官と青年将校十八人が会談。
2月28日 午前8時ごろ=奉勅命令は下達されな
いが、それが青年将校に伝わり、陸相官邸では
「奉勅命令は偽なり」と大騒ぎになる。10時30
分、香椎戒司令官はつぎの発表をする。
一、昨二十六日早朝騒援を起し数百名の部隊は目
下麹町区永田町附近に位置しあるも之に対し
ては我戒厳司令官に於て適応の措置を講じつ
>あり。
二、前項部隊以外の戒厳司令官隷下の軍隊は、
陛下の大命を奉じて行動しつ>ありて軍規厳正
志気ホ盛なり。
三、東京市内も麹町区永田町附近の一小部分以外
は平静なり、又其他の全国各地は何等の変化
なく平穏なり。
午後1時=「川島陸相及山下奉文少将、武官府二
来り、行動将校一同ハ大臣官邸ニアリテ自刃罪
ラ謝シ、下士官以下八原隊二復帰セシム、就テ
ハ、勅使ラ賜ハリ死出ノ栄光フ与へラレタシ、
此以外解決ノ手段ナシ」とのことを本庄は天皇
に伝奏すると「陛下二ハ、非常ナル御不満テ、
自殺スルナラバ隣手二為スベク、此ノ如キモノ
ニ勅使杯、以テノ外ナリト仰セラレ、又、師団
長が積極的二出ジル能ハズトスルハ、自ラノ責
任ヲ解セザルモノナリト、未ダ営テ拝セザル御
気色ニテ、厳貴アラセラレ、直チニ鎮定スベク
達セョト厳命ラ夢ル」。軍中央部の説得にもか
かわらず青年将校は自刃しない。
午後6時=「小藤大佐ハ戒作命第七号二依ル将校
以下ヲ 自今指揮スル二及バズ」(「作命第十二
号」)が下達される。ここに「反乱軍」と
なる。
2月29日 早朝より東京市内近郊の交通機関はす
べて運転中止。戒厳司令部はラジオ放送で状況
や指示を市民に伝達。さらに、戒厳司令部は反
乱部隊に強行解決の準備をし、ビラとラジオ放
送で帰順を勧めた。
ラヂオ放送
兵に告ぐ
勅命が発せられたのである。既に天皇陛下の御命令が発せられたのである。お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶対服従して誠心誠意活動して来たのであらうが既に天皇陛下の御命令によってお前達は皆復帰せよと仰せられたのである。此上お前達が飽く迄も抵抗したならば夫は勅命に反抗することになり逆賊とならなければならない。(中略)今からでも決して遅くはないから直に抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ。さうしたら今までの罪を許されるのである。お前達の父兄は勿論のこと国民全体もそれを心から祈つて居るのである。速やかに現在の位置を棄てて帰つて来い。
戒厳司令官香椎中将
午前9時=参謀本部付近の反乱軍は全員整列して
宮城を拝し君が代をラッパで吹奏。午前9時30分
参謀本部前の反乱軍の武装解除から始まり、午
後2時までに下土官以下全員が帰順。山本又予備
歩兵少尉を除く反乱軍将校は陸相官邸に集合し
協議、野中四郎大尉と河野寿大尉が自決、他の
十八人の将校は夕刻東京衛戌刑務所に収容(山
本少尉は三月四日東京憲兵隊に自首)。
3月4日 近衛文麿に組閣命令が下るも辞退。
3月5日 広田弘毅に組閣命令。
3月6日 陸相候補寺内寿一は自由主義的色彩の
入閣予定者の排除を要求し組閣に干渉。
3月9日 広田弘毅内閣成立。
3月10日 戒厳司令部は北一輝、西田税の逮捕を
発表。
4月21日 相沢中佐に対する公判が更改開延。
5月7日 相沢中佐に死刑判決(6月30日 上告棄
却)。二・二六事件関係者は非公開で代々木練
兵場に仮設した東京陸軍軍法会議法廷で元将校
組、下土官組二班、牧野伯襲撃組、兵組の五班
に分離進められており、この日から下士官らに
対する求刑が行われた。
5月31日 相沢中佐は宇垣以下三月事件関係者全
員を告発。告発状は匂坂春平検察官にあてて提
出。その後、相沢は「真崎閣下は俺を助けてや
ると言った。なぜおれを殺すのだ」と叫んで暴
れ出したことがある。
6月 磯部は獄中から叛乱助の告発状を出すが、そ
こには陸軍大将真崎甚三郎、荒木貞夫、阿部信
行、川島義之、陸軍中将香椎浩平、古荘幹郎、
堀丈夫、陸軍少将山下奉文、陸軍大佐村上啓
作、鈴木貞一、西村琢磨、小藤恵、橋本成五郎
らの名がある。
7月2日 相沢は公判廷でも言わなかった真崎大
将から教唆されたことを包坂検察官に告白。
7月3日 相沢中佐死刑執行。
7月5日 二 ・二六事件関係、死刑十七人、無期
五人、有期禁錮刑五十四人(相沢中佐の特別弁
護人満井中佐は禁錮三年、内執行猫予三人)、
無罪 四十七人の判決。
7月12日 民間人の村中、磯部を除く十五人の死
刑執行。
7月18日 東京市の戒厳令解除。
7月29日 反乱軍と関係があった(鹿児島、青
森、名古屋、朝鮮、関東軍)検挙者のうち山内
一太郎元大尉以下六人に無期から四年の禁錮の
判決(それ以外の大部分が求刑のみで翌十二年
に判決)。
12月20日 匂坂法務官は真崎大将に関する意見
書で「不起訴処分」との結論。
12月21日 匂坂法務官は香椎中将についての意
見書で「予審請求の必要あり」(起訴の前提)と
する。
12年1月7日 真崎大将「反乱者ヲ利ス」と起
訴。
1月15日 香椎中将は不起訴処分(告知)
1月30日 小藤大佐不起訴。→
8月14日 北一輝、西田税に死刑の判決。
8月17日 陸軍高等軍法会議の検察官から杉山元
陸軍大臣に「告発事件捜査中止ニ関スル件何」
提出。被告人は宇垣一成、小磯国昭、建川美
次、重藤千秋、橋本欣五郎、長勇、田中隆吉、
花谷正、馬奈木敬信の三月事件関係者である。
「本件は之が捜査を中止し然るべきもの」とな
る。同日、包坂検察官から杉山陸相に「捜査報
告」を提出。「被告人、荒木貞夫、阿部信行、
川島義之、古茫幹郎、堀丈夫、安井藤治、山下
奉文、村上啓作、鈴木貞一、西村琢磨、橋本
欣五郎、馬奈木敬信 罪名各反乱帮助」。しかし
結論は「告知」不起訴となる。
8月19日 磯部浅一、村中孝次、北一輝、西田税
の死刑執行。
9月25日 真崎甚三郎に無罪の判決。
13年1月10日 包坂春平検察官は関東軍法務官に
転出。






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蘇我霊玄導師准尉
歴史文化音楽映画美術骨董が好き。宗教的な投稿は半信半疑の表れで、本気では無いが良い教えがあるなら受け入れたい。
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臼井優
国立大学法学部卒 法律系国家資格3種保有 就職氷河期世代 元僧侶 趣味・特技 サッカー、バスケ、ボクシング、テコンドー、茶道、書道、華道、サックス、ドラム、読書、カフェ巡り、音楽鑑賞、ストレッチ、筋膜リリース、他人のデートコースを考えること 家庭教師、予備校講師、各大学でのエクステンション講座担当 担当科目・領域 小~高、文系科目全て、公務員試験全領域、面接、ES添削、マナー、論文添削等々
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まえさん
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ハシオキ龍之介
趣味は読書・音楽鑑賞・評論文筆・エアチェック📼📀💿・別アカにて音声ルームで音楽ルーム~岸辺🏝~を挙行中です。納豆とチャーハンが大好物ですが、納豆チャーハンは好きではありません。長芋は好きですがとろろは苦手です。
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またんぎ
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