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(萌芽両方来る可能性が…?)

せな
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ムンク
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彼女の屈託のない雰囲気は、心地よかった。丸い輪郭も可愛らしくて、僕はそこで、一目惚れというものとは少し性質が違うけれど、今後、自分がこの店に何度も足を運ぶようになり、そのうちに彼女との距離を少しずつ縮めていき、タイミングこそ分からないが、いずれ彼女と交際をはじめるのではないかという、自惚れとも、妄想ともつかない予感を、じわじわと感じていた。つまり恋愛の端緒もしくは萌芽と呼ぶべきものを、抱きつつあった。
なんてことは、まるでない。
#小説 #小説好きな人と繋がりたい #小説家
ベリー ベリー ストロング~アイネクライネ~
Wayla(わいら)
→戦国時代(????)(戦国時代の人間観)
→江戸時代の町人文化(浮世文化)
→明治大正そして現代に至る、空気への信仰(山本七平)
鈴木大拙に言わせれば、情感の世界の暴走であり、霊性が失われてきている、ということなのだろうけれど。

░モジバケ░永そ哀
高圧言霊ホモジナイザーによる高分子化分散
資産階級に諂い変面自在不撓不屈の信念成就
髪があるから後ろ髪を引かれる
物質的所有欲があるから占有欲が生じる
物欲を目的から手段へ変化させろ
目標にしていることは手段になり得る
このプロセスを経た先にある目指す事柄
感慨深い開眼がイイ
チャクラを開くな回せ廻せ
袋小路に紛れ込め
聳り立つ巨大なコンクリートのゴミ
群がる人混みに紛れつつも見失わない信念を
センテンスにして様々な角度から
詳らかに読み解く
ナルシストのポジ変換に賛美
マッチョの成功率は高い
会社ぐるみの瞑想って意義がある
ヨガで多忙な日々
ラマダンとダイエット
禅で荒稼ぎ
坊主の大道芸
美人過ぎるAndroid
エシカルナッジと5秒前誕生説
タクラマカン砂漠で慟哭の萌芽
繰り返される命を守るための越境
無抵抗の抵抗も捩じ伏せ無抵抗
社会の風潮に右へ倣うと眼下に踏み絵が現れる
去らせた者に追われる時代
防犯カメラという名の隠しカメラ
自分を守る薄い膜
世相の大流に揉み込まれ
現世の肥やしとなる前に意志のスパーク迸れ
言の葉食べてコーティング
この旅で同じ有志の他火囲み
溶け込むのではなく
混じるのだ そう混じるのだ


珠雅(しゅが)
✧• ─────────── •✧
遥か昔、氷河の残響が大地を震わせる頃、日本列島に縄文の民は棲んでいた。約1万3千年もの歳月、森の囁きと海の鼓動に身を委ね、土器を焼き、土偶を刻む。彼らに西暦などという概念はなく、年号の鎖も存在しなかった。星々の巡り、月の満ち欠け、桜の散る季節、鹿の角の生え変わり――それが彼らの暦。縄文後期、集落の長老たちは貝殻の山や火の灰の層を数え、冬の訪れを予感した。道具の型が変われば「新しい時代」と囁き、口承の歌で記憶を紡ぐ。万年の時を、星と土に刻んだのだ。wikipedia+1
やがて弥生の風が吹き、約2300年前に稲の黄金波が広がる。大陸からの渡来人らが青銅器と鉄を持ち込み、水田の影で暦の萌芽が生まれた。干支の原型か、月の周期を数える農作業の暦か。だが正式な年号はまだない。古墳時代へ移り、巨大な鍵穴形の墓が林立する頃も、時間の流れは王の系譜と神話に委ねられた。邪馬台国の卑弥呼は鏡を神託に使い、時代を支配したが、文字なき世界で歴史は霧の中。hello+1
時は流れ、飛鳥の空に朱雀が舞う。645年、大化の改新が雷鳴のように響く直前、聖徳太子――蘇我馬子の影で十七条憲法を敷き、遣隋使を送る天才政治家が現れた。彼は武人か? いや、ただの文官ではない。冠位十二階で才覚を競わせ、仏教を武器に国家を鍛えた。戦場で槍を振るう英雄ではなく、頭脳の刃で蘇我氏を斬り、唐の叡智を盗む策士。飛鳥の軍勢は強かったか? 朝鮮半島の百済・新羅との戦乱で、白村江の敗北を喫したが、それは後の話。太子の時代、ヤマト王権の軍は弓と槍で近隣を平定し、法隆寺の影で鉄の意志を研いだ。太子は「強さ」の化身――知略の覇王として、縄文の万年を繋ぐ橋渡しをしたのだ。wikipedia+1
縄文の民は星を、飛鳥の太子は天皇の命を軸に時を刻んだ。暦なき時代から年号の夜明けへ、日本史は一人の天才の瞳に映る。失われた万年が、今、君の手に蘇る――。
✧• ─────────── •✧
【完】


たるお
またもし何か行動に起こすと決めたなら、その行動は一貫してやり通すべきである。人生において絶対に真なるものにしか従わないというわけにはいかないのだから、そういう時はその時最も蓋然的に思える道に従うので構わない。むしろいちいち不安になってああでもないこうでもないとしていても仕方がない。その時最善だと思ったなら、まずは行動に移すべきである。
そして自分ではどうしようもない運命を支配しようとしたり、外的な世界のあり方を無理やり変えようとするよりは、自分をコントロールし、自身の望みを変えるべきである。これは後の『情念論』にも繋がる。『方法序説』の時点では唯一私たち次第であるとされるものは意志ではなく「考え(pensée)」だが、本質は変わらない。外的なものに左右されて一喜一憂するよりも、ただ自分に出来る限りの最善を尽くすということにのみ集中し、うまくいかなかったことは外的な要因だと割り切って、次に活かすための反省はしてもくよくよしない。『情念論』の高邁の萌芽が、既にここに見られる。

ひるあんどん
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