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かけら

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十日町 松之山
管領塚→ナステビュウ湯の山♨️
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悪のアンゴルモア壮年

悪のアンゴルモア壮年

畿内は室町殿と管領の細川京兆家督を争ってる訳だけど、東国は関東管領vs公方の図式だから、この辺が独自の軍事力の有無に関係ある気がする
歴史の星歴史の星
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悪のアンゴルモア壮年

悪のアンゴルモア壮年

関東管領派の上杉諸氏も比較的最後まで協力関係にあったしな
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信州a.k.a.なる

信州a.k.a.なる

四国の大名
長宗我部元親
中国の大名
毛利元就
九州の大名
島津義久
関東管領
上杉謙信
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悪のアンゴルモア壮年

悪のアンゴルモア壮年

鎌倉バスクオム

一般御家人は黙れ!ここは当副将軍相州太守平朝臣が内管領、平左金吾が御宅ぞ。陸奥入道とは勝手が違うわ!
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悪のアンゴルモア壮年

悪のアンゴルモア壮年

謙信が房総管領を自称してた里見に対して、里見太郎(笑)って返してだけど、謙信だって守護代の分家筋にあたる郡代の次男じゃんね、仲良くしようぜ。
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甲斐性無しの甲斐の人

甲斐性無しの甲斐の人

平井城

関東管領上杉家の城。
室町時代後期、幕府の将軍家と鎌倉府の鎌倉公方家が対立していく中、関東管領の上杉憲実は家臣の長尾忠綱に密かに新たな拠点となる城の築城をさせていたという。
幕府に対して反抗的であった鎌倉公方の足利持氏は、予想通り上杉憲実とも対立することになっていき、危険を感じた憲実は鎌倉を脱出し平井城に逃れた。
結局、この永享の乱は幕府からの援軍を得た関東管領側が勝利するが、これ以降は関東管領の本拠地として平井城が使われるようになったようだ。
やがて後北条氏が台頭し北条氏康に落とされて、のちに上杉謙信が奪回するが、その時に廃城になったとも、取り返される前に氏康が破却したともいう。

元々は広大な平城だったようだが、今は市街地に溶け込み、遺構は現存しているものはない。
ただ、櫓台を模したのだろうか、巨大な土塁が僅かに復元されており、幟や石碑もあって雰囲気は感じられる。
また堀跡も一部復元されているが、こちらの幟はだいぶ傷んでしまっていた。

#一日一城
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かつみ

かつみ

茨城県古河市に泊まった

室町時代

古河公方が
関東管領 上杉家と
28年間戦争した時

古河公方のお城があった街

土蔵のある家がたくさん
あった。

日光街道の宿場町で
昔は栄えてたんだろーなーって
思えた[笑う]

駅前VALはセリアとかもあって
旅に必要な小物買えた
便利便利[大笑い]
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甲斐性無しの甲斐の人

甲斐性無しの甲斐の人

鉢形城

関東管領上杉氏の家臣長尾景春の築城とされるが、有名なのは後北条氏によって制圧され、改修を受けた後のほうだろう。
後北条氏が関東一円を支配するようになった後北条氏が武田氏と抗争するようになると、北条氏康の息子で氏政らの弟である氏邦が拠点として整備した。
背後には荒川が流れる断崖の上に築かれているうえ、城郭内部にも荒川と合流する深沢川が天然の内堀のごとく流れている要害地形でありながら、堀や土塁、馬出などを幾重にも巡らせた難攻不落の要塞。
秀吉の小田原征伐が起きた際も、前田利家、上杉景勝、真田昌幸らの3万とも5万ともいわれる大軍を相手に氏邦率いる3千の兵で1ヶ月籠城したのち、降伏して開城した。

現地で観てもやはりそのスケールに驚かされた。
まず、橋を渡って城に行こうとするとその断崖に驚き、高い土塁や深い堀、複雑に入り組んだ曲輪に見入ってしまった。
城内には氏邦桜と呼ばれる大きな彼岸桜もある。
私が訪れた頃は彼岸花が咲いていたが、次に行く機会をつくるならばやはり桜の季節に行きたいものだ。

#一日一城
城の星城の星
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かつみ

かつみ

年末、小田原旅行の事前勉強
YouTubeでしてます

北条氏政くんが
うちの家康くんに

あんたが
早く降参しないから
切腹になっちゃった
じゃんかーと
言われているシーン

だよねーと言いながら
遠くを見て、黄昏てます氏政🌇

北条は
伊勢宗瑞から始まる
おウチ

伊勢宗瑞を遡れば
平貞盛に繋がるのね

平貞盛が平将門をやっつけて
もう関東には居られないわーと
伊勢に行って
伊勢平氏となった。

その平氏が地元の伊勢という地名を
取って
伊勢氏ができる

伊勢宗瑞は
室町幕府に取り立てられてたけど

室町幕府が傾いたから
幕府を見限って
関東を切り取ろうと
流れてきた男
それが伊勢宗瑞

古河公方
関東管領
をぶっ倒して
関東を切り取った

なかなかの
おウチだわ⚔️

小田原に行ったら
小田原城の総構えと

石垣山一夜城見たい[笑う]

石垣山一夜城を秀吉が作って
小田原城が真上から見えるようになり
万事休す
後北条の終わりとなります
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ねこミサイル

ねこミサイル

しばらく動画投稿ストップしてるけどこの人のゆっくり解説好きで観てた。また観よう!
面白いしわかりやすいしゆっくり武将たちのキャラ付けもよくて(特に応仁の乱の畠山義紘、足利義稙の義稙と政元が好き)おすすめ。

応仁の乱は先の投稿でも名前出したけど将軍家や管領家のお家騒動から日本を東西に割る大乱、
三好長慶は愛知出身の3人の天下人、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の信長よりも先に実質天下人となった大名(室町幕府は健在だったため単独政権というわけではなかったが)、
足利義稙は応仁の乱後に征夷大将軍となったがその座を追われ、しかし何度も再起を図り戦い続けた不屈の将軍(後醍醐天皇に似てるかも)
どの動画も見応えあって面白いので歴史にハマるきっかけになれば…!
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NOV76

NOV76

おすすめの歴史人物とその魅力を教えてください♪おすすめの歴史人物とその魅力を教えてください♪

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細川藤孝。

当代きっての教養人、中でも和歌を極めた末「古今伝授」を受け、武芸でも「弓馬故実」を授けられた文武両道を地で行くオールラウンダー。武将・政治家としての実務能力も高い。

そして何といっても大局を見通せる処世術の巧みさは圧巻で、足利将軍家の家臣としてキャリアが始まったが、織田信長と足利義昭が対立すれば織田方に、本能寺の変に際しては、自身の上役であり親族でもある明智光秀に付かずに羽柴秀吉へ。
関ヶ原の戦いには迷わず東軍方に与するという、味方すべき人物を一度も見誤ることはなかった。

その関ヶ原の戦いの際、わずかな兵で守っていた領国の丹後田辺城を、西軍方の大軍に攻められる大ピンチに陥った藤孝を救ったのが何と勅命。前に述べた「古今伝授」を受けた藤孝が亡き者になるのを惜しんだ当時の後陽成天皇が田辺城攻防戦を終わらせたのである。凡百の武将にはこんなことは起こりえない。

そんな藤孝の生き様によって、室町幕府管領家の名門細川家とはいえ分家の出身で零細な幕臣に過ぎなかったのが、息子の忠興の代に至るまでには熊本54万石の大大名に累進せしめた。決して派手ではないが地味なわけでもない、究極のバランス感覚を持ち合わせた賢人だ。
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甲斐性無しの甲斐の人

甲斐性無しの甲斐の人

麻場城

上野の国人である白倉氏の居城。
近隣の仁井屋城と合わせて白倉城とも呼ばれる。
白倉氏は近隣の有力国人小幡氏の一族であるとも、美濃源氏の流れを汲んでいるとも、児玉党の系譜ともいわれる。
上州八家のひとつに数えられる武士で関東管領上杉氏に仕えていたが、武田軍の上野侵攻に伴ってその傘下に入った。
しかし武田氏が甲州征伐で滅びると織田氏の重臣滝川一益の麾下に加わり、さらにその滝川軍が神流川の戦いで敗れて瓦解すると北条氏に降った。
小田原征伐で北条氏が攻められると麻場城も前田利家率いる軍により落城し、白倉氏は没落していったらしい。

台地上の先端部に縄張りがつくられた城で、深い堀や土塁が綺麗に整備されていた。
主郭を囲むように大迫力の深い堀が掘られ、さらにその周囲を土塁に囲われた姿は見応えがあった。

#一日一城
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