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ubsksk
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保湿を追っかけるより自己皮脂膜取らないようにね[ウインク]

ゆきだるま
①水分の喪失と透過の防止
皮膚の最外層の角質は強固な構造で、水分を透過し体内に浸透することを防いでいる
汗腺から分泌される汗と、皮脂腺から分泌される皮脂が混じって、皮脂膜が作られ、角質層を保護している
また皮脂膜は水分が抜けすぎないように水分保持している
皮膚のなめらかさや柔軟さは、皮脂、天然保湿因子(NMF)、角質細胞間脂質、により保持される

ゆきだるま
④微生物、化学物質、紫外線からの防御
皮膚の表皮は、上から皮脂膜、角質層、顆粒層、有棘層、基底層で作られている
皮脂膜はpH4〜6弱酸性、一時的に酸性やアルカリ性の液体がついても弱酸性に戻れる
外部刺激となる化学物質、微生物、汚れ、紫外線などをバリアしている
表皮には免疫細胞(ランゲルハンス細胞)があり異物を排除する
また色素細胞(メラノサイト)があり紫外線刺激によりメラニン色素が作られ紫外線を吸収して皮膚を守る
⑤排泄機能
汗腺より汗(水分、塩分、カリウム、アンモニア、尿素、重炭酸など)を排泄
ひふひょうめんから水分が蒸発されると共に古い角質が剥がれて垢となって体外に排出される

➕➕
・乳液やクリームには、化粧水と違って
うるおいをキープするエモリエント効果がある
エモリエント効果
→人工的な皮脂膜の役割を果たすため、
水分蒸発を防ぎ、バリア機能を高める
・肌表面から水分が蒸発しない
=気化熱による温度低下も防げる(保湿)
寒風の吹く乾燥した季節の時は、乳液の
あとにクリームを塗るのがおすすめ!
〜例〜
外気が10℃の場合、
クリームを塗った部分は肌の温度が1.5℃高い
point
乳液→流動性油分が多いため、肌なじみがいい
(ホホバ油、オリーブ油など)
クリーム→油分が多くエモリエント効果が高い
#Beauty #スキンケア #コスメ


二重否定くん

セミがワン

イロハス
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あかねん
実は、12/6に祖母を亡くしました。
12/8の日に祖母が、祖母の姉妹と東京に行きお墓参りいくへ行くという用事があるなか待ち合わせ時間に来なくて、ずっと連絡もつかないことから、近くの叔母に連絡をしたそうです。
そして叔母の旦那(叔父)が祖母の家に来て様子を見たら、玄関の勝手口だけが開いていたそうで、そこから中に入ったら階段下で祖母が血を流して倒れているのを見つけました。
死因としては、階段から転倒したことによる頭の強打で、くも膜下出血を起こし即亡くなったと推測されました。
最近は、お葬式やお通夜と色々と予定が詰まっておりまして皆さんには、大変ご迷惑とご心配をおかけいたしました。
今も少し気持ちが受け止められず、落ち着けていないので、またもしかしたら連絡が遅れたりすることもあるかもしれません。
そのときは、ご理解の程よろしくお願いします。

まれ_あ
寝覚めの夢は鉄道とバスの乗り換えでした
夜中ちょっとだけ目が覚めるの直ぐ目を潰ればなかったことにできたので
良かったです
しっかり寝ないと喉粘膜荒れちゃうもの
今日もやるでぇ
えいえいお!

へらちゃん

なお
こんにちは、石川尚寛です。
先日、ふと面白いことに気がつきました。小さな子どもが公園で遊んでいて、服のボタンを全部外して「風が気持ちいい!」と嬉しそうに叫んでいたんです。その子のお母さんは慌てて着せ直していましたが、僕はその一瞬、なんて自然で自由なんだろうと感じました。
私たち大人は、人前で服を脱いではいけない、ということを「当たり前」として生きています。でも、なぜそれが当たり前なのか、深く考えたことはあまりありません。この小さな疑問が、ふと創世記のあの有名な場面を思い出させてくれたんです。禁断の実を食べたアダムとイヴが、なぜ突然「自分たちが裸であること」に気づいたのか、という問いです。
創世記3章7節にこう書かれています。
「すると、二人の目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らはいちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。」
ここで使われているヘブライ語の「目が開かれる」という表現は、単に物理的に見えるようになるという意味ではありません。新しい認識、新しい理解が与えられる、内側の目が覚めるという深い意味を持っているんです。
僕がこの箇所を読んで考えさせられたのは、彼らが裸であることに気づいた「順番」でした。まず目が開かれ、それから裸であることを知り、そして最後に腰のおおいを作った。この流れがとても重要に思えたんです。
もし彼らが単に「裸だから恥ずかしい」と感じただけなら、なぜ神の形に造られた体を恥じなければならなかったのでしょうか? 僕はこの問いと長く向き合ってきました。
そして気づいたのは、ここでの「裸を知る」という経験は、おそらくそれまであった「あるがままの関係性」が変わってしまったことの表れではないか、ということです。神との間に、そしてお互いの間に、距離が生まれてしまった。それまで透明だった信頼の関係に、何かが見えない膜が張られてしまった。その変化を最初に感じ取ったのが、「裸であること」への意識だったのではないでしょうか。
私たちが服を着るのが当たり前の現代社会で、この物語が伝えようとしているのは、もしかしたら「目隠し」の本当の意味なのかもしれません。服は寒さから守るためだけでなく、私たちがお互いに、そして自分自身に対してさえも設けてしまった「距離」を象徴的に表しているように思えます。
神の形を恥じるということは、神とのつながりの中で生きることから、自分だけで立たなければならない孤独に目覚めてしまったことの表れではないでしょうか。そしてその孤独感が、私たちをして様々な「覆い」を求めて奔走させるのではないか、と僕は感じます。
でも、この物語には希望があると信じています。なぜなら、神は彼らを裸のまま放っておかれなかったからです。創世記3章21節には、神ご自身が彼らのために皮の衣を作って着せてくださった、と記されています。私たちがどんなに自分で葉っぱの腰巻きを作ろうとも、最後には神の備えが必要なのだということに、この物語は気づかせてくれるような気がします。
僕自身、この創世記のマンガを描きながら、毎日新しい発見があります。聖書の言葉が、こんなにも現代の私たちの日常に深く響いてくることに、驚きと感謝を覚えています。
これからも、一節一節を丁寧に読み解きながら、マンガという形で分かち合っていきたいと思っています。気になった方は、ぜひAmazonで『創世記 マンガ 石川尚寛』と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。
#モーセ五書マンガ #創世記の深み #聖書と日常


あや
されたいですは何ほんま。可愛い女の子が触ってくれるとでも思ってるのか。髪ボサボサ皮脂ベトベトの不清潔あたおかババアにしか触られんぞ。夢見んな。

sin

がきあ(´◔‸◔`)
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