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しゅん

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今年七ジャンルくらい色々考えてたことを全てまとめて共通する思想を客観的に捉えてみた

一、問題の所在――「本質」という修辞装置

我々は日常的に「本質」という語を用いる。「この問題の本質は金だ」「人間の本質は理性だ」――こうした言明は、複雑な事象に明快な解を与えるかのような顔をしている。だが、この「本質」とは何を指し示しているのか。哲学史を紐解けば、本質概念には少なくとも三つの異なる位相が存在する。

第一に、存在論的本質。これは「その対象が存在するための必要条件」を指す。例えば水がH₂Oであることは、水という物質の存在論的本質である。第二に、認識論的本質。これは「我々がその対象を同定するための基準」を意味する。三角形を三角形として認識する際の「三つの辺を持つ」という性質がこれに当たる。第三に、目的論的本質。これは「その対象が果たすべき機能・役割」を規定する。ナイフの本質が「切ること」であるように。

しかし日常言語における「本質」は、これらのいずれとも異なる機能を果たしている。それは対象に客観的に内在する核ではなく、**観察者がある視点から対象を捉え直し、最も重要だと判断した要素を抜き出す主観的営み**なのである。この営みは三つの段階を経て達成される。

第一に、捨象による単純化である。複雑な現実から特定の要素Aを取り出し、B、C、Dといった他の要素を「本質的でない」として切り捨てる。だが何を本質的とし、何を非本質的とするかは、観察者の視点に依存する。建築家にとっての「家の本質」と、居住者にとってのそれは異なる。本質とは対象に内在する客観的性質ではなく、特定の文脈における価値判断なのである。

第二に、暗黙の文脈依存の隠蔽である。「本質はAだ」と語る時、必ず「何にとって」「どの観点から」という暗黙の前提が存在する。だがこの前提は明示されない。その結果、特定の文脈における判断が、あらゆる文脈に妥当する普遍的真理であるかのように見えてしまう。内田樹が贈与論において論じるように、贈与には必ず「先に与える者」が存在するが、その非対称性はしばしば不可視化される。同様に、「本質」言説においても、「誰が」「何のために」その本質を定立したかという権力関係が隠蔽される。

第三に、不変性・根源性のラベリングである。「本質」という語それ自体が、「これがなければそれはそれでなくなる」という根源的・本源的な何かを指し示す記号として機能する。この語の使用は、主観的な価値判断に形而上学的な重みを付与する。「私はこう思う」が「これこそが真理である」へと格上げされるのである。

したがって日常言語における「本質」とは、対象に客観的に内在する核ではなく、観測者がどの視点からどの要素を根源的と見なすかという、解釈の表明に他ならない。それは主観的な主張を、根拠なしに客観的・普遍的なものに見せかける修辞的装置なのである。この「本質化」は、複雑さからノイズを削ぎ落とし、わかりやすい答えを提示するという認知的経済性を持つ。だが同時に、それは思考の可能性を閉ざす。一度「本質」が確定されれば、それ以外の解釈は排除され、問いは停止する。

二、形容詞化の暴力――固定化された属性の檻

「本質化」と構造的に類似した暴力が、「形容詞化」である。物事を形容詞化する行為は、いわば「便利なレッテル貼り」であり、本来は揺れ動き多様な側面を持つはずの個人や事象が一つの固定された「属性」に押し込められてしまう。

この形容詞化の暴力は、学問そのものの理解にも歪みをもたらす。例えば哲学という学問は、しばしば「哲学的」という形容詞によって、禅問答的で答えが定まらない象徴的なものとして誤解される。だが哲学の本来の機能は、むしろその対極にある。

学問の基礎根幹を担うものは、数理体系を構築する数学と、言語体系の中で普遍的性質を見出そうとする哲学である。数学が数理体系を構築し対象をモデリングすることで物事を解析するように、哲学は言語体系からできる限り価値観や偏見知識を排除し、言語世界で普遍的な性質から議論を出発できるように整える。哲学とは、その根幹において綿密で必要十分な論理の連続であるべきなのだ。

それゆえ哲学は抽象学問であり、人為的に作られた価値観や常識を排斥し、事実ベースで考える――いわば人間抜きでの思考の必然性を整える普遍的真理を追求するという面で、学問の目的を果たしている。にもかかわらず、「哲学的」という形容詞によって、深く思考すること自体、あるいはお気持ち表明すること自体が哲学であるかのような、いい加減で曖昧な理解が蔓延している。

これは単なる誤解の問題ではない。形容詞化によって、対象の動的で多面的な性質が静的で一面的な属性へと還元される。池上哲司が指摘するように、我々が「自分らしさ」や「本質」として認識するものは、常に生成の運動が終わった後に残された「足跡」に過ぎない。生成している現在の自分自身は、常に未定形の運動の中にあり、それを固定的な名詞や形容詞として捉えることはできない。池上はベルクソンを引きながら、「私」とは静止した実体ではなく、絶えず流れ続ける持続(durée)であると論じる。「私」を名詞や形容詞として固定化する瞬間、生き生きとした流れは停止し、死んだ概念へと堕する。

つまり、「本質はAである」「対象はBという性質を持つ」という断定は、生成の運動を停止させ、死んだ「足跡」を絶対化する暴力的な身振りを内包している。我々は「分かりやすさ」という誘惑に負け、常に変化し続ける現実(生成)を、死せる概念(足跡)へと縮減してしまっているのだ。

三、言語の不透明性――伝達の構造的不完全性

ここで問題は、言語そのものの性質へと深化する。我々は思考と言語の関係について、根本的な錯覚を抱いている。思考は言語によって完全に表現可能であり、適切な語彙さえ選べば意図は正確に伝達されるという素朴な信念である。しかしこの信念は、言語という媒体の本質的性格を看過している。

ある思考を言語を用いて表現した結果、必ずしもそれがその思考を十分に表現したものとは限らない。発信者の思考は言語化の過程で既に変容し、さらにそれを受け取る第三者が解釈する際には、無意識のうちに第三者固有の解釈枠組みが付加される。元の思考は、この二重の変換を経て別の何かへと変貌する。熱力学における熱効率が原理的に百パーセントに達し得ないように、任意の情報もまた百パーセント伝達されることはない。情報伝達とは、常に近似であり、常に損失を伴う営みなのである。

野矢茂樹が指摘するように、我々は他者の心を直接覗き込むことはできない。他者の心は、その人の振る舞いや言葉を通じてしか理解できないが、その理解は常に解釈であり、常にズレを孕んでいる。このズレは欠陥ではなく、他者が他者として存在するための本質的条件なのである。同様に、言語の不透明性もまた、単なる技術的限界ではない。それは言語が言語として機能するための、構造的特性である。

この認識を欠けば、意思疎通における齟齬は単なる偶発的誤解として片付けられてしまう。だが齟齬は構造的に不可避である。言語は思考の透明な容器ではなく、それ自体が独自の論理と制約を持つ不透明な媒質だからである。

では、この構造的限界を前提とした時、我々の教育は何を目指すべきか。ある思考を言語を介さずに直接伝達できるシステムが存在しない以上、語彙を増やすことと学問を体系的に学ぶことによって事象を十分に言語化する能力を獲得すること――これが人間の営みにおいて最も優先順位の高い習得すべき技能となる。教育の根本目的は、実用的な個別技能の羅列ではなく、言語による思考表現能力という、あらゆる知的営みの基盤の構築にこそ存在する。

四、古典教育の原理――母語内部の他者性

この言語能力の育成において、古典(古文・漢文)学習は特権的な位置を占める。古典を単なる教養として位置づけるのは詭弁である。その本質的な利点は、言語の文意を一意に定める解釈手法と、体系的な言語化の訓練にある。

母語(現代日本語)では、文脈依存や曖昧さが多く、単語のイメージだけでなんとなく意味が通じてしまうため、厳密な文法ルールに基づく解釈を学ぶ機会が少ない。現代日本語話者は、母語の無意識的な処理によって「なんとなく」意味を汲み取れてしまう。主語が省略されていても文脈から推測でき、曖昧な修飾関係も「読みの慣れ」で処理できる。だがこの「なんとなく」の理解は、言語の構造を不可視化する。なぜその解釈が正しいのか、どのような文法的根拠に基づいているのかは、意識されない。それは自動化された処理であり、反省的思考を伴わない。

一方、古文・漢文は助動詞や句法、敬語の方向性などを用いて主語・動詞を確定させるプロセスを強制的に要求する。これにより、不足した情報を客観的なルールで論理的に復元する訓練が可能になる。母語の直感を排除し、文法用語で言語化せざるを得ない点が、古典の強みである。

さらに、古典作品の多くは言葉を極限まで削ぎ落としたテキストであるため、助詞や句法を知らなければ一意に解釈できない。これが、言語構造の根幹を学ぶのに適している理由である。現代語では文法的に誤っていても意味が通じるため、自分の直感の限界を認識しにくく、体系的な学習に向かない。古典は母語の延長線上でありながら、ルールが形式化されているため、効率的な教材となる。

直観が通用しないほど遠く、しかし論理を適用すれば必ず一意に定まるほど近い――このバランスが、最小限のパーツから全体を論理構成する能力を養う価値を生む。古典は、現代日本語の歴史的延長線上にありながら、現代人の直観的理解を拒絶する。文字(漢字と仮名)は共有され、語彙には連続性があり、文法構造にも類似性が認められる。この意味で、古典は完全な外国語ではない。

しかし同時に、古典は直観的理解を拒む。係り結びの法則、助動詞の意味分化、漢文訓読の構造といった文法的知識なしには、正確な理解は不可能である。省略された主語や目的語を、文脈・助詞・敬語体系といった客観的指標から論理的に復元しなければ、文意は確定しない。

この時、学習者の内部には、必然的に「分裂」が生じる。「現代語的感覚を持つ私」と、古典という「異質な論理に従うテクスト」、そしてそれを媒介しようとする「分析的な私」である。藤山直樹は、落語家と精神分析家の類比を通じて、高度な知的営為には「分裂」が不可欠であると述べる。落語家は、登場人物になりきる「演じる自分」と、それを客観的に制御する「見る自分」とに分裂していなければならない。世阿弥の言う「離見の見」である。古典学習もまた、この「離見の見」を強制する装置なのである。

古典を読むとは、過去の遺物を愛でることではない。自己の最も親密な領域である「言語」の中に、理解不能な「他者」が潜んでいることを発見し、その「不透明性」に耐えながら、論理の架橋によって意味を生成しようとする、苦闘の実践なのである。野矢の用語を借りれば、古典は「内部の他者」である。完全に異質ではないが、完全に同一でもない。このズレの中で、我々は母語それ自体を相対化し、言語一般の構造性を認識する視点を獲得する。
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スイミー

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わた

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𓀚𓀛𓀜三者面談𓀚𓀛𓀜

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何度も読み返す本

言葉の選び方がとても丁寧で
相手を傷つけない
穏やかさがとても安心する

月と散文

自由な詩のリズムと
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今日も癒された

#又吉直樹 さん

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