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☆『年末の一日 / 芥川龍之介』
新潮文庫刊 『戯作三昧 一塊の土』
1976年(昭和51年)8月10日 13刷より
この本は昭和51年の発行である。奥付にそうあるので、私が小4か小5の時に駅前の書店で購入したものだろう。定価は¥180 いい時代だった。
このくらいの価格なら小学生でも容易に手に入れられる。今なら¥500 は下るまい。しかし、今どきの小学生も携帯電話なんぞ持ち歩いているので或いは、青空文庫で読書を済ませるのだろうか。だとすれば味も塩っ気もない話だ。青空文庫は便利には違いないが、ただ字を追うのみである。挿絵も無ければ表紙も無味乾燥。物としてのバリエーションに欠ける。従って想像力の欠如、イマジネーションが培われない。……年寄の戯言だ。
読書子には或いは、この装丁が懐かしい、と思われる方もおられるだろう。今の新潮文庫は完全に違う装丁になっているし、値段だって跳ね上がっていることだろう。
久しぶりに我が敬愛せる芥川龍之介の作品を紹介する。以前芥川龍之介の作品だけを紹介する戯文を連載したことがあるが、この愛すべき小品は抜けていた。
この小品は1926年(大正15年)一月号の『新潮』に初めて発表された。小説というより随筆に近い。今日の様な大晦日にうってつけだ。今から丁度100年前の芥川の年末の一日に起こった小事が書かれている。
『僕』は雑木の生えた、寂しい崖の上を歩いて行った。崖の下はすぐに沼になっていた。その又沼の岸寄りに水鳥が二羽泳いでいた。どちらも薄い苔の生えた石の色に近い水鳥だった。『僕』は格別その水鳥に珍しい感じは持たなかった。が、余り翼が鮮やかに見えるのは不気味だった……そんな夢から起きた『僕』だった。それは、がたがたと云う音が響いていたからであり、その音が年末の大掃除で、妻や伯母のフキが座敷の縁側でせっせと硝子戸を磨いている音だと分かったのは、後架へ小便をしに行った帰りしなにその大掃除の光景を見たからだ。伯母からは「お前、もう十二時ですよ」と言われたが、『僕』は三つの雑誌社から新年号の小説の依頼をけ受けて最後の仕事が終わったのは夜明け前のことだった。芥川の精神疾患については統合失調症であるが、現代ではそういった精神疾患についても普遍化していて、一般的にも可也認知度は広まってきているが、大正末期のこの頃に江戸時代に生まれた芥川の伯母フキにそこは理解してやらないと…と云うのは酷な事なのかもしれない。が、仕事に追われる芥川は田端の自宅では煩い伯母やまだ幼かった3人の子供達がいる以上、静かに小説など書ける環境ではなくこの頃の芥川の夥しい写真は大抵今で云うシティホテルのソファで寛ぐ姿が多いのはそのせいである。芥川はこの文章の中でこう書いている。「朝飯兼昼飯をすませた後、僕は書斎の置き炬燵(こたつ)へはいり、二三種の新聞を読みはじめた。新聞の記事は諸会社のボオナスや羽子板の売れ行きで持ち切っていた。けれども僕の心もちは少しも陽気にはならなかった。僕は仕事をすませる度に妙に弱るのを常としていた。それは房後の疲労※のようにどうすることも出来ないものだった。……」この頃の芥川は統合失調症の諸症状に
頻繁に苛まされ斎藤茂吉のいる青山脳病院へ通院していたが、一向に改善されず悩んでいた。そして芥川が1927年の7月に服毒自殺をとげた最大の要因はこの精神疾患からくる自殺願望の果てによるもの、とされている。そういった背景を頭に入れて読まないとこの時代の芥川の文章は理解し難いと思う。
お昼頃めざめた芥川が朝飯兼昼飯をとった後の二時頃、K君が来訪する。と或る新聞記者でありK君は社用の次いでにちょいと寄った、と言った風だった。「どうです?お暇なら一緒に出掛けませんか」。切り出したのは芥川の方だった。「どこかお出になる先はおきまりになっているのですか?」「いいえ、どこでも好いんです」「お墓は今日は駄目でしょうか?」K君のお墓と言ったのは夏目先生のお墓だった。K君は半年前に芥川と約束した夏目漱石の墓に案内してもらう、という意味だと芥川はここで漸く気付いたのだった。年末にお墓参りをする……芥川自身にぴったりしないものを感じつつ、でも芥川は「じゃあ、お墓へ行きましょう」と安請合いしてしまう。この辺の芥川の気風のよさがいかにも都会人気質でよい。
夏目漱石のお墓は雑司ヶ谷霊園にある。芥川の自宅から一番近い本郷動坂の電停へK君と連れ立った。
「天気は寒いなりに晴れ上がっていた。狭苦しい動坂の往来もふだんよりは人あしが多いらしかった。門に立てる松や竹も田端青年団詰め所と言う板葺きの小屋の側に寄せかけてあった。僕はこういう町を見た時、幾分か僕の少年時代に抱いた師走の心もちのよみ返るのを感じた。」
こういう芥川の文章表現はタイトル通りの読者の期待感を一定量満たすものである。『年末の一日』と言う以上、そこに師走の町の様子が描かれ作者がどういう感慨を抱いたか、を明文化してくれて読者のカタルシスは満たされるからだ。
やがて、護国寺行き路面電車が到着し二人で由無しごとなどを話していた。電車が富士前を通り越した頃、突然電車の中ほどの電球がひとつ、偶然抜け落ちて床で粉々になるハプニングが起こった。「そこには顔も身なりも悪い二十四五の女が一人、片手に大きい包を持ち、片手に吊り革につかまっていた。電球は床へ落ちる途端に彼女の前髪をかすめたらしかった。彼女は妙な顔をしたなり、電車の中の人々を眺めまわした。それは人々の同情を、-ーー少なくとも人々の注意だけは惹こうとする顔に違いなかった。が、誰も言い合わせたように全然彼女には冷淡だった。僕はK君と話しながら、何か拍子抜けのした彼女の顔に可笑しさよりも寧ろはかなさを感じた。」
一見すると芥川のこの女性への眼差しは冷たいように感じるが、最後に女の儚さを感じ入る辺りは人一倍女性にやさしかった都会っ子芥川の面目躍如であろう。
芥川の短編の傑作と言われている『蜜柑』にも似た様な表現があった。横須賀線のボックスシートにたまたま乗り合わせた歳わも行かない少女に対し、散々蔑んだ表現で表した最後の最後で車窓から見送りに来た弟達に対して蜜柑を投げつけた瞬間を切り取り、その神々しいまでの表現で賞賛した。これは芥川固有の表現である。同時に芥川の女性観をよく表しているともいえる。
この後、芥川達は無事に雑司ヶ谷霊園に到着するのだが、案内役だった芥川はあろうことか、不覚にも漱石の墓への道をど忘れしており、小路を行きつ戻りつオロオロしてしまう。幾ら行っても一向に漱石の墓に辿り着かない。最後は施設清掃の女性に聞く有様であった。墓に着くと漱石ファンだというK君はわざわざ外套を脱ぎ、丁寧におじぎをしたが、芥川自身は今更恬然(てんぜん)とおじぎする気にはなれない、というのだ。漱石亡きあと9年が流れた。漱石は芥川文壇にデビューするきっかけを与えてくれた恩師であるはずだが、今の芥川にはそんな感慨に耽るほどの余裕は無かったのだ。これも精神疾患のせいだろう。
やがて、2人はもと来た電車で戻ったが芥川だけ富士前の電停で降りた。東洋文庫にいる石田幹之介に会い、再び動坂に着いた。往来は先程よりも一層混雑していた。「が、庚申堂を通り過ぎると
人通りもだんだん減りはじめた。僕は受け身になりきったまま、爪先ばかり見るように風立った路を歩いていった。すると墓地裏の八幡坂の下に箱車を引いた男が一人、梶棒に手を掛けて休んでいた。箱車はちょっと眺めたところ、肉屋の車に近いものだった。が、側へ寄って見ると、横に広いあと口に東京胞衣(えな)会社※2と書いたものだった。僕は後ろから声を掛けた後、ぐんぐんその車を押してやった。それは多少押してやるのに穢(きたな)い気もしたのに違いなかった。しかし力を出すだけでも助かる気もしたのに違いなかった。
北風は長い坂の上から時々まっ直ぐに吹き下ろして来た。墓地の樹木もその度にさあっと葉の落ちた梢を鳴らした。僕はこう言う薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と闘うように一心に箱車を押しつづけて行った。……」
この頃の芥川は、周辺の人々にしきりに自殺を仄めかしたりしていたという。それくらい彼の厭世観はふくれていて、最早それは自分でもおよそコントロール出来ないところまに達していたという。しかし、これを読む限りは、この最後の情景はなんと生気に満ちていることだろう。しかももう自殺願望に漲っていたとされるこの時期に。
これはその死の7ヶ月前に発表された。それでも生きようとしている芥川に私は目頭が熱くなるのを抑え切れなかった。
芥川研究の第一人者だった吉田精一がこの文庫本の解説を書いているが、吉田は、この作品は作者が苦心もし、愛着もあった作品であると書かれている。芥川は箱車のあと口に『東京胞衣会社』
の数文字を書くまで、いく度その一行を書きかえたか知れなかったということである。と解説している。
※ 男女の交合のあと の意味。
※2 出産のとき排泄される胎児を包んでいた膜や胎盤の処理をした会社。
本年も私の様々な雑文をご拝読くださって且ついいね👍をくださった方々に深く御礼を申し上げます。
どうぞ、良いお年をお迎えくださいm(_ _)m
そして、来年も引き続きご厚誼のほどを宜しくお願い申し上げます。
2025(令和7年)年12月31日



臼井優
学術的な分析では、主に以下のようなテーマや視点が探求されています。
主要な学術的分析の視点
社会風刺と文明批判:
作品は、中学教師である珍野苦沙弥(くしゃみ)の家に集まる、迷亭、寒月、東風といった「高等遊民」たちの言動を、猫の冷めた視点から描いています。彼らの交わす珍談や奇行を通じて、当時の明治社会における知識人や俗物たちの姿、西洋文化の流入に伴う価値観の混乱、エゴイズムなどが鋭く批判・風刺されています。
イギリスの作家ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』やローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の影響を指摘する研究者もいます。
「猫」という語り手の役割:
名前のない一匹の猫を語り手にすることで、漱石は人間社会から一定の距離を置き、客観的な観察を可能にしました。
猫が人間のように「自覚心」にとらわれたり、「狂気」に陥ったりする前に、自ら死を選ぶ結末は、近代人の病理に対する漱石の洞察の表れであり、様々な解釈がなされています。猫に「名前」を与えないことの意味も、重要な研究テーマです。
文体と表現技法:
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という有名な書き出しに象徴される、独自のユーモアと風格のある文体は、その後の日本文学に大きな影響を与えました。
漢語や雅語を多用した、荘重かつ滑稽な「吾輩」の語り口や、多様な表記(吾輩、我輩など)の使い分けなど、表現やレトリックに関する詳細な分析も行われています。
漱石の思想と経験との関連:
ロンドン留学時代の孤独や神経衰弱といった漱石自身の経験、また「私の個人主義」といった思想 が、作品にどのように反映されているかという研究も盛んです。
作中の登場人物である苦沙弥先生のモデルは、漱石と親交のあった狩野亨吉とされるなど、実在の人物や出来事との関連も探られています。
これらのアカデミックな研究により、『吾輩は猫である』は、単なるユーモア小説にとどまらず、近代日本社会に対する深い批判精神と、文学的な実験精神に満ちた傑作として評価されています。
関連する学術論文は、CiNii Researchや国文学・アーカイブズ学論文データベースなどの専門データベースで検索できます。

音葉。
TVアニメ
『二十世紀電氣目録-ユーレカ・エヴリカ-』
2026年放送開始━━━━⚡
明治、大正、昭和、平成..... そして令和。
時代は変わる。
でも恋は変わらない。
第8回京都アニメーション
大賞奨励賞受賞作――。
時は明治時代
二十世紀を迎えたばかりの日本・京都。
西洋文化が馴染み始め
街に電気の明かりが灯りはじめたその時代。
"和と洋"
過去と未来が入り交じる不可思議な時代。
そこには決して歴史には語られない その時代を確かに生きた市井の人々がいた。
これは戦争でも、政治でもない。 あの時代。
歴史には残らない
どこかにあった恋のひとつ。
著者:結城 弘
イラスト:池田和美
美術・背景:長谷百香
坂本喜八 : 内田雄馬
百川稲子 : 雨宮天




Enjoy! Exercise!

臼井優
黄金比(Golden Ratio)
比率: 1:1.618 (約5:8)
特徴: 視覚的に安定し、美しく、ダイナミックな印象。
具体例:
自然界の植物の螺旋、ダ・ヴィンチの絵画。
名刺、クレジットカード、銀行通帳。
ロゴデザイン、パンフレット、LPデザイン。
白銀比(Silver Ratio / 大和比)
比率: 1:1.414 (1:√2) (約5:7)
特徴: 落ち着き、安定感、整然とした美しさ、日本人に親しみやすい。
具体例:
法隆寺の五重塔、銀閣寺、伊勢神宮などの日本の伝統建築。
A4・B判などの紙のサイズ規格、曲尺の目盛り。
アニメキャラクター(ハローキティなど)。
使い分けのポイント
黄金比: 華やかさやエレガントさを出したい、世界共通の美を表現したい場合。
白銀比: 日本らしさ、親しみやすさ、落ち着いた情報を整理したい場合(Webサイト、資料、アニメ)。
shin
「地味」と「派手」との中間に「かっこいい」を置くのが西洋文化。
地味×かわいい=制服
派手×かわいい=メンヘラ
地味×かっこいい=モード系
派手×かっこいい=ブランド系

臼井優
維新の方針を実現するために自民党と連立したものの、遅々として進まず、今月17日に臨時国会は閉会した。吉村代表は「議員定数削減も、政治献金についてもずっと議論してきて結論を出さない。賛否あると思います。でも、審議した上で、結論を出す。それが非常に重要。とりわけ、自分たちの身分に関するとスピード感がないなと思います」と批判した。
さらに、国際情勢の大きな変化ぶりを挙げて「ロシア、中国、北朝鮮。隣国ですけど、価値観は違うと思いますが、意思決定はかなり速いスピードで物事を進めてる。そういったところとしっかり対峙(たいじ)するということを考えたとき、日本の政治の意思決定の遅さは問題。30年間、成長していない」と21世紀の日本の国政を嘆いた。
「遅すぎます」の理由については「『決めたくない』ということなんでしょうね」と言い放った。
スポーツ報知 12月24日

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マミ
1886(明治19)年12月7日、神奈川県横浜市で総合輸入商を行ったいた明治屋にて
日本初のクリスマスツリーが飾られた
ことにちなんで記念日が設けられております。
洋館
外国人船員が日本でもクリスマスツリーを楽しめるように
と飾られたもので、クリスマスツリー自体は小さいものでしたが、新しい西洋文化に触れる機会を作ったことが大きな話題と注目を浴び連日多くの人が訪れました。
以後、付近のデパートや各店先でもクリスマスツリーが飾られるようになり
12月の中旬辺りからクリスマスツリーを飾る習慣が全国的に広まっていった
とされております。
余談
一般家庭でもクリスマスツリーを飾るようになったのは
戦後以降になってから
のことでした。
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マミ
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踊る楽田を眺めて
A-yo!Wake up!
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shin
29歳。石川県。
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臼井優
国立大学法学部卒 法律系国家資格3種保有 就職氷河期世代 元僧侶 趣味・特技 サッカー、バスケ、ボクシング、テコンドー、茶道、書道、華道、サックス、ドラム、読書、カフェ巡り、音楽鑑賞、ストレッチ、筋膜リリース、他人のデートコースを考えること 家庭教師、予備校講師、各大学でのエクステンション講座担当 担当科目・領域 小~高、文系科目全て、公務員試験全領域、面接、ES添削、マナー、論文添削等々
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薔薇色無縁人生
自民党支持者 ずっと投票してる
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頭悪い人の独り言です
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