shin
29歳。石川県。
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『蜘蛛の糸』は、そういう発想なのかもしれない。
蜘蛛を生かしたということは、その時点で、その人間の価値体系が、「蜘蛛を生かした」という行動原理からフラクタルに拡張・規定される。
つまり、蜘蛛を生かした人間は、その時点で、「蜘蛛を生かす人生」の中の人間なのだ。
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つまり、金融世界の力関係と、現実世界の力関係とが、相似関係になっていては、現状は変わらない。
公的なアクセス権限という、現実世界に直接書き加える「編集」が鍵となる。
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そういう分母を広げといたら、そのうち、米津玄師みたいなのとか、鳥山明みたいなのとか、出てくるやろ。
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我の、健康で文化的な最低限を超えた散財をなめるなよ。
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「あなたは正直者ですね。では、署までご同行願えますか?」
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地方には、わざわざ喧嘩するほどの他人がいない。
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かといって四国でもない
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それは、人間の醜さじゃなくて、シンプルにバケモノですやん、みたいな。
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ワイワイ…ワイワイ……
……
「あれ…?みんなっ!みんなっ!!」
「どうした?」
「みんながいないっ!!」
「ふん…それは、ぽまえらヲタクどもが、エンドレスエイトの円盤を買わないからだ。ぽまえらヲタクどもから、現状維持という名の幸福を奪ってやったのだ」
「えーーん!えーーん!」
『ヲタの福音書』第1章
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相当、以心伝心なアシスタントとか担当編集者を含めた、スーパー作業システムを整備してるとか?
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「リストカットの本質モデル
すべてを1行に集約すると:
**
「私の苦しみを一般化するな。
私だけの痛みとして扱え」
という存在の固有性の保持。
**
しかし、
治療は固有性を“構造”に落とすことでしか始まらない。
ここに両立不可能な矛盾がある。」
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その人情とは、主に、信念や恩義や家族愛という名称で呼ばれる。
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現実というのは、20点賭けした馬券が全外れするような日常である。
ゆえに、現実という、不確実性にバッファを残さなければならない世界というのは、快楽的な収益性が低い。
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それによって、日常生活に、身の丈以上のハードルを求めてしまうが、そのハードルを越えるほどの経験的運動機能がない、というよりも、自分程度の経験量で展開可能な、脚本世界を面白く感じなくなってしまうという、雲一つない快晴・見晴らし良好的な無力感が起きる。
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でも、日本の通知表みたいに、相対評価じゃなくて、資格試験の○級・○段みたいに技能の達成度合いで評価するシステムらしい。
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つまり、すでに完成しているトンネルを車で走るのと、あるいは、山を掘って新しいトンネルを作るのとの違いみたいなもので、後者というのは、圧倒的に、実感としてのコスパが悪い。
だから、何かで優勝した経験、つまり、自分は、個人的な快楽を超えた社会的価値を生み出せるという実感を経験したことがなければ、そんな低コスパの営みというのは、正常な感覚の人間が継続するには、あまりにも虚無or賽の河原のような苦行だ。
だから、絵師やRTAの界隈でも、不正をして名声を得ようとする人が多い。
それは、ひとえに優勝経験の無さ=外発的モチベーションの欠如に由来するものかもしれない。
そこにおいて、「優勝」とは何を指すかといえば、「撤退ではない総取り」くらいには言えるかもしれない。
つまり、コスパ思考ってのは、「総取りできないから撤退を考える思考」とも言える。
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3年くらい?
おっさんになっても、中学時代のイメージを持ってたら、人付き合いの事故が増えるだけだろうし。
古いゲームの画面の、描画限界みたいに、ある程度の定数のオブジェクト数(=今回の場合は思い出にあたる)を決めて、それより古いものは消したほうがいいんだろうな。(別に、世捨て人みたいに記録を焼却する必要はないけど。)
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あるいは、それは、情報というよりも、「自然情報(=データ)」と呼ぶべきか。
一方の、不確実性を減らすものとしての「情報」とは「機能情報(=プログラム)」と呼べて、情報には、
①自然情報=偶然の履歴=データ
②機能情報=不確実性を減らすもの=プログラム
というものがあるというか。
「偶然の履歴」としての「自然情報」が累積すると、それは、「不確実性を取り除く装置」としての「機能情報」に昇華する。
しかし、そこにおける「機能情報」を構成する、元々のソースの「自然情報」が時代遅れになると、「機能情報」の機能的な質が落ちる。例えば、人間社会で、上の世代が、「最近の若者はけしからん」みたいに、下の世代の行動原理を読み間違えるのと同じこと。
それは、上の世代の「機能情報」を構成する、元々のソースとしての「自然情報」=「偶然の履歴」が時代遅れになり、現代で起こるイベントの確率分布と乖離を起こしている。
shin
しかし、そこにおける「機能情報」を構成する、元々のソースの「自然情報」が時代遅れになると、「機能情報」の機能的な質が落ちる。
例えば、人間社会で、上の世代が、「最近の若者はけしからん」みたいに、下の世代の行動原理を読み間違えるのと同じこと。
それは、上の世代の「機能情報」を構成する、元々のソースとしての「自然情報」=「偶然の履歴」が時代遅れになり、現代で起こるイベントの確率分布と乖離を起こしている。
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一方の、不確実性を減らすものとしての「情報」とは「機能情報(=プログラム)」と呼べて、
情報には、
①自然情報=偶然の履歴=データ
②機能情報=不確実性を減らすもの=プログラム
というものがあるというか。
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サドな部外者と、マゾな内輪の人間の2パターンというイメージ。
マゾな部外者と、サドな内輪の人間は、無関心っぽい?
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あんまり物を盗むなとか、食わないとしぬとか。
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言い換えれば、「正社員にならないことを恐れない」というのが、一番の旅であるということに気づいてないという気もする。
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ひとつのルールが支配的になって、相対化が行われなくなる。
例えば、同じ一人の人間が、公的な時間にはケーキのパティシエであり、かつ、私的な時間にはロイコクリディウムのマニアであってもいいのだけども、もし、パティシエのスケジュールで一日が埋まってたら、「虫=嫌うべきもの」という「意味付け」が永続的な、パターン反応として固着してしまうという感じ。
借金の返済に追われたり、シングルマザーで育児に追われることの弊害がまさにそれで、一旦やーめた、という感じの一時的な思考放棄がやりにくい。
shin
それに気づきにくいのは、自己イメージ的ハードルのせいというか、認知的な不協和を拒んでいるせいというか。
なんか、賢い風の自己イメージを持ってるサラリーマンに、「明日から一週間のあいだ、オナラ芸のお笑い芸人になってください」って言っても嫌がるのと同じで、本来は20点くらいあれば生きられるのに、70点くらいのハードル設定をしている感じ。
shin
なんか、税制とか社会保障とかで国を評価する見方もあるのだろうけど。
捕まってないだけの詐欺師もいていいし、性格が終わってる数学者も、AVオタクもいたほうが面白い。
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人間洗濯機みたいな感じ?
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それぞれ利害関係があるのは別にいいけど、「利害関係を隠し変数として」それありきの理屈を言われても、聞く側としては、隠し変数の存在を認知していないから、理屈の展開の意味がわからなくなる。
つまり、「A,B,C」の3択があるような場合でも、「えーと、とりあえずここは、Cを選ぶとして、さあ次は…」みたいな論理展開をされると、「なんで?」ってなる。
