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#Mn乗車録


し"ゃが

甲斐性無しの甲斐の人
鉢形城のすぐ近くにある山城
竪堀、堀切、横堀が複合的に組み合わさってまるで迷路のよう




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甲斐性無しの甲斐の人
織田軍が浅井氏の小谷城を攻めた際に築いた陣城。
織田信長は浅井攻めの際に浅井方の横山城を攻略し前線基地としていたが、やがて小谷城により近い虎御前山に陣を移した。
尾根伝いに多数の砦を築いたが、小谷城の攻略に成功するとすぐに破却したようだ。
虎姫時遊館でハンドブックと御城印を買ってから登った。
織田軍の各将が陣を構えた地を示す標柱が立てられているが、ハンドブックによれば、堀秀政陣跡、織田信長陣跡、木下秀吉陣跡あたりが本当に陣城だった部分で、それ以外は江戸時代の歴史家が古墳の遺構を陣と考えただけだろうと書かれていた。
はじめ多賀貞能陣跡や蜂屋頼隆陣跡を歩いて見たときは、いやいやこれも陣の跡っぽい雰囲気があるだろうと思っていたが、堀秀政陣跡まで到達すると確かに一気に雰囲気が変わる。
明確に防御性を意識して堀切や横堀が掘られており、織田信長陣跡はいくつもの高い切岸がそびえ立つ。
木下秀吉陣跡は規模こそ小さいが土塁でしっかり守られ虎口もつくられていた。
柴田勝家陣跡までいくと一気にまた城跡の雰囲気がなくなり、古墳の様相が強くなるが、小谷城に最も近いことからイメージで猛将の勝家の陣跡ということにしてしまったのだろうか。
ところで虎御前山城に関する展示を行っていて、御城印やハンドブックも売っている虎姫時遊館だが、今年の3月を最後に閉館することになったらしく、まだ行っていない人は極力早く行くべし。
#一日一城










甲斐性無しの甲斐の人
小谷城の支城とも、小谷城の支城である丁野山城の出城ともいわれる。
築城年代ははっきりとはしていないが、織田軍が小谷城を攻めたときには中島直親が守将だったそうだ。
浅井側だった山本山城の阿閉貞征が織田側に寝返ったことで浅井軍に動揺が広がり、それを機に織田軍が猛攻撃を仕掛けると中島城を含む支城群は次々と落とされたという。
中島城は丁野山城と尾根伝いに繋がっている城だが、実際に観てみると城郭の規模の小ささという点は似ているが、設計はかなり異なっているようだ。
土塁を設けず大きな横堀や堀切で防御を固めていた丁野山城と違い、堀切は虎口のあたりに一本あるだけ。
むしろ土塁を重ねることで目隠しのようにして細い帯曲輪を形成し、主郭も元々はひとつの曲輪になっていたであろう平地を土塁によって区切っていた。
丁野山城のほうは小谷城の戦いのときには朝倉軍が入っていたらしいので、浅井軍と朝倉軍の城郭に対する思想の違いなのだろうか。
#一日一城









甲斐性無しの甲斐の人
ようのやま と読むらしいが初見で読むのは不可能だろう。
浅井氏の本拠である小谷城の支城。
元は浅井氏三代の基礎をつくった浅井亮政による築城で、織田軍による小谷城攻撃のときに浅井氏側への援軍として駆けつけた朝倉軍が籠もったものの、攻め落とされたという。
城郭の規模こそそれほど大きくはないが、大きくしっかりと掘られた横堀や堀切によって守られ、南北にそれぞれ外曲輪のようなものも造成されている。
技巧的で綺麗なつくりは亮政時代の築城だけではないだろうという感じがした。
小谷城はもちろん琵琶湖や山本山城方面もよく見え、景色もとても良かった。
#一日一城









ちりつ
九州
福岡空港博多箱崎香椎奈多和白吉崎光岡夜明久留米基山甘木天拝山水城
東北
郡山磐梯町二本松会津若松新庄清川鳴子温泉小牛田新田石越仙台陸前高砂一ノ関花巻北上ほっとゆだ横手後三年横堀

甲斐性無しの甲斐の人
詳細な築城年代はわかっていないが、今川氏の家臣である斎藤安元が築城し、斎藤氏が代々城主を務めていたそうだ。
武田信玄による駿河侵攻後は山県昌景などの武田氏の家臣が配され、勝頼の代に高天神城が落城し武田氏の勢力が衰退すると、丸子城も徳川氏に明け渡された。
武田統治時代には大改修を受けていたようで、今川氏の時代とは主郭が変わったそうだ。
三日月堀や長大な横堀など、武田流築城術の遺構を観られる城だったが、私が登城した時はちょうど雨が降り始めてきてしまい、あまりじっくり観察できずに撤退したので再訪したいところだ。
#一日一城










甲斐性無しの甲斐の人
丸岩城の麓にあり、柳沢城と合わせて横壁城とも呼ばれる。
丸岩城と連携するために築かれたか、或いは居住性が皆無な丸岩城に有事の際に詰めるための兵が常駐していたかだろう。
岩櫃城の支城にも柳沢城があるが、岩櫃山に登ったこともありそちらは登城を諦めてしまったので、リベンジの意味も込めて同名のこちらの柳沢城は登城した。
ネットで調べても登城口がわからず、御城印を売っている道の駅にも知っている人がいなかったが、現地に行ってみると人の踏み跡があった。
広い曲輪にうっすらと横堀の跡が残っており、さらに探索するとしっかりとした堀切が一本残っていた。
#一日一城





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