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ゆうき🐰

ゆうき🐰

采女竹羅(うねめの ちくら)

外見は完全に妄想です、ハイ。
この外見でオネエキャラな、ひめにぃ的な感じで妄想。

歴史書における官位や呼称、仕事内容などから、男性だったとされる。

采女(うねめ)といえば朝廷に仕える、調理や洗濯、お裁縫などを担う女性官僚のことだけれど
采女氏は代々采女の管理を任される立場だった。

彼(?)の功績は帝紀、旧辞の校正の初期メンバーであり、朝鮮へ協力関係を結ぶための大使として派遣されたり(そのときは普通に男性官僚の格好で)、信濃方面で国境の策定と遷都計画の下見をしたり、とまあフッ軽なおにいさ……おねえさ……?

稗田阿礼の髪を梳かしたり、編纂者の他のメンバーに料理を振舞ったり、采女たちに家事の指導をしたり、とまあ女子力もMAXレベル。
という妄想。
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臼井優

臼井優

日本の歴史において、政治、軍事、あるいは風紀の面で大きな騒動を引き起こした、あるいは世間を驚かせた「坊主(僧侶)」たちは、その破天荒な生き様や強い権力で知られています。
以下に、特に有名な人物を挙げます。

1. 政治の頂点に挑んだ僧侶
道鏡(どうきょう)(奈良時代)
称徳天皇の寵愛を受け、太政大臣禅師から法王にまで登り詰めました。ついには「道鏡を天皇にすれば天下は平穏になる」という宇佐八幡宮の託宣を偽って皇位を狙い(宇佐八幡宮神託事件)、朝廷を大混乱に陥れました。日本三大悪人の一人に数えられることもあります。

天海(てんかい)(安土桃山〜江戸時代)
徳川家康の相談役として幕府の基礎作りに尽力した、権力の中枢にいた黒衣の宰相です。江戸の都市計画や神仏習合の思想的指導を行い、その動向は幕府の行方を左右しました。

2. 武力と権力で世を騒がせた僧兵・僧侶
文覚(もんがく)(平安時代末期)
もとは武士でしたが、夫を殺害した相手の妻と関係を持った後に突然出家し、その後は源頼朝に挙兵を促すなど、荒々しい生き様で知られる破戒僧です。

僧兵たち(延暦寺・興福寺など)(平安〜戦国時代)
特定の個人ではありませんが、寺院が武装し、朝廷や幕府に「強訴(ごうそ)」を繰り返して政治に介入しました。織田信長による焼き討ち(延暦寺)まで続いた社会の大きな騒乱要因でした。

3. 風狂と破戒、独自の道を行く僧侶
一休宗純(いっきゅうそうじゅん)(室町時代)
頓知(とんち)話で有名ですが、実際は形式化した禅宗を批判し、酒や肉を嗜み、女性と関係を持つなど(風狂・破戒)、当時の常識を破った生き方をして乱世を警告しました。

願人坊主(がんにんぼうず)(江戸時代)
江戸時代に流行した、門付(かどづけ)をして芸を見せる破戒的な僧侶たち。裸で芸をするなど、その破天荒な姿が当時の世間を騒がせ、流行の発信源ともなりました。

4. 珍しい経緯で世に知られた僧侶
隠元隆き(いんげんりゅうき)(江戸時代)
中国から来日した高僧。彼がもたらした黄檗宗や、野菜の「インゲンマメ」の名前の由来となったことで、当時の日本に大きな影響と話題を提供しました。

これらの僧侶たちは、信仰の対象としてだけでなく、時に権力者以上に世間を騒がせる強い影響力を持っていました。
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臼井優

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紫衣(しえ/しい)
 前近代の日本や中国で高位の僧侶や尼に着用が許された紫色の袈裟・法衣です。
 朝廷から特別な名誉として下賜され、江戸時代には幕府がその許可権を統制した「紫衣事件」が有名です。単なる衣服ではなく、高い権威と寺格を示すものでした。

概要と歴史
起源と意義: 中国の則天武后が法朗らに紫袈裟を賜ったのが始まりとされ、日本でも高徳の僧侶に下賜されました。

権威の象徴: 紫色は高貴な色とされ、庶民や低位の官吏は着用できず、紫衣は僧侶にとって名誉なものでした。

紫衣地(しえじ): 天皇から代々の住持が紫衣着用を許可された特定の寺院を指します。

江戸時代と紫衣事件
幕府の統制: 1613年に徳川幕府が「勅許紫衣法度」を制定し、朝廷がみだりに紫衣を与えることを禁じました。

紫衣事件: 後水尾天皇が幕府の了解なしに大徳寺などの僧侶に紫衣を許可したことに対し、幕府がこれを無効とし、抗議した僧侶(沢庵など)を処罰した事件です。これにより幕府の法が天皇の勅許に優先することが示されました。

終焉: 江戸後期には形骸化し、徐々にその絶対的な価値は薄れていきました。

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現代においては、浄土宗など特定の宗派で正僧正などの階級に与えられる法衣として、その歴史的な意味合いを残しています。
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ゆうき🐰

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天武天皇/大海人皇子(てんむてんのう/おおあまのみこ)

天智天皇の次に即位した天皇。
その即位が決まる前、天智天皇は息子の大友皇子(おおとものみこ)への継承を望んだ。
その時大友皇子に命を狙われているとの情報を近江朝廷より得て、やられる前にやろうと吉野から挙兵、各地の豪族を味方にして大友皇子を討伐。それが壬申の乱であった。

在位期間の功績は
飛鳥宮への遷都、藤原京遷都の草案、仏教の推進、帝紀•旧辞の修正(のちの日本書紀)、「日本」という国号の命名、八色の姓(やくさのかばね)という身分制度改革、皇后の賛良姫の病気平癒を願い薬師寺の建立など。

686年崩御。殯(もがり、天皇の葬儀)は3年に渡り多くの僧侶や皇族、官僚、泣き女などに見送られた。
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ゆうき🐰

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藤原不比等(ふじわらの ふひと)

奈良時代、大宝律令の制定や日本書紀の編纂に関わった官僚。
持統天皇に信頼され、天皇家の忠臣として信頼を積み重ねながらも娘を天皇家に嫁がせるなど、少しずつ天皇家を乗っ取った。

彼の制定した大宝律令、なかでも租庸調の調は全国各地の男性が朝廷、現在の奈良まで特産品を納める義務が課され、地方民の多くが道中で餓死した。
それを逃れるため、多くの国民は戸籍に「男子は居ない」と偽る、山へ逃げる、奈良まで着いたものの帰りの食料がなく浮浪者になる、などの事態が多発した。

日本書紀では蘇我氏の悪行と藤原家の神格化を、本来の歴史よりも強調したと推測される。

晩年には養老律令を制定し、大宝律令よりさらに厳しい法律となった。
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ゆうき🐰

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大宝律令の租庸調、とくに調では
徒歩で朝廷まで、食料と特産品を運ばなければいけなくて、
途中で亡くなる人が多かったそうな。

福島県から奈良県まで徒歩。
当時はお金という概念もなく、宿もコンビニもスーパーも飲食店もない。車も新幹線もない。
奈良まで行き着いたとしても帰りのお米が底を尽きて、帰れないし都でホームレスんなるかー。ってなった人もいる。

今の奈良県には福島県とか九州とか、全国から来て帰れなくなった、
まじめに税金納めてたら帰れなくなった人の子孫もたくさんいると思う
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ゆうき🐰

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大宝律令をめぐる宮廷内の悲劇、閃いた。

忍壁親王も大宝律令の編纂に関わっていて、彼は皇族としての最高責任者、でも実務はできないため不比等に任せきり。
内容の精査をせずに判子を押すしかない。

制定されたのは701年、忍壁王子が亡くなったのは705年。
それまでの間に多くの国民が、租庸調、とくに調を遠方から朝廷に運ぶ運脚たちが餓死したという知らせが届く。
この時代、銀行どころか貨幣もまだ無く、道中立ち寄る宿も飲食店もない。
運脚は、朝廷までの食料も貢物もすべて自力で運ばなければならなかった。

「私はこんな、国民を死なせるための法を作ったのか…」

絶望した皇子は木簡に遺書をしたため、自害した。
「同胞を殺すために法を作ったのではない。」

不比等はそれを揉み消した。

「フハハハ、これで邪魔者は居なくなった。娘を軽皇子(後の文武天皇)に嫁がせ、天皇家を藤の色に染めあげようぞ…」

事実、天皇家は男系の遺伝子は守りながらも、宮廷内の女性を全て藤原家で塗り固め、藤原の意向に沿った政治しかできなくなった。
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