関連惑星
大喜利のお題の星
17157人が搭乗中
参加
大阪の星
14963人が搭乗中
参加
日本の副首都
祭り、お笑い、水の都
「大阪」(Osaka)
大阪出身の人、大阪に興味がある人
搭乗お待ちしてます
医療学生の星
9616人が搭乗中
参加
医療学生さんのための惑星です😌
皆さまで悩みや情報を共有しつつ、前向きに頑張りましょう🤗✨
哲学
7693人が搭乗中
参加
哲学-深く、より深く
中国語/中文の星
7568人が搭乗中
参加
114514
大阪
5431人が搭乗中
参加
英語学習
4801人が搭乗中
参加
【このコミュニティが目指すところ】
・初学者が安心して積極的に、自分の学習状況や学んだ内容、問題点などを言語化できる
・上級者が有益な情報を発信できる
・学習者のレベルに関わらず、健全にモチベーションを高め合える
【推奨される投稿】
《英語に関することなら基本何でもOK!》
・自身の学習の進捗報告
・学んだことの共有(人に教えるつもりで伝えるのがオススメ)
・有益だと思われる情報
・単に英語で面白いと思ったこと
・英語に関する質問や、お悩み相談
・英語教育や、英語学に関する議論(ただし相手を言い負かすための非生産的な醜い争いは、発言の正しさに関わらずBAN対象。論破は三流以下のすることです)
・英作文の添削もありかも?
【BAN対象について】
・知識マウントをとる
・その他初学者の学習意欲を削ぐ発言
これについてはあえて固く明文化せずに、ケースバイケースで常識に基づいて対処します。私が投稿をずっと見守っているのは難しいので、問題のある人物がいたら、僕に報告くだされば対処します。
上級者の方が効率的な英語学習法を発信してくださるのは大大大歓迎ですが、押し付けのようになってしまうと、逆に学習者のモチベーションを下げかねないので気をつけてください。これは私の持論ですが、非効率な勉強法も未熟なうちは必要だと思います。元メジャーリーガーのイチロー選手の言葉で、「無駄なことをいっぱいしないと、何が無駄じゃないかわからない」というものがあります。非効率な勉強も成長の過程では重要だということを表しています。
大きい犬の星
3764人が搭乗中
参加
大きい犬が好きな人は誰でも搭乗できます
中学の星
3389人が搭乗中
参加
あつまれ中学生の森
文房具の星
3267人が搭乗中
参加
皆様の日常に当たり前のようにある文房具。
そんな文房具で日々に彩りを与えてみませんか?
この星ではそんな文房具の素敵な部分を発信していけたら嬉しいです!!可愛かったり綺麗だったり、素敵だったり、オシャレだったり!!皆さまが見たこともない文房具もたくさん投稿していけたらと思います!!
そして文房具好きの皆さまが自分の推し文房具を布教できる場所になったら嬉しいです!!
文房具好きの皆さま、またあまり文房具に興味がなかった方!!
ぜひこれを機会に文房具の世界に足を踏み入れてみませんか?
申請していただければどなたでも星の住民になれます✨✨✨
どうぞよろしくお願いします!!
人気
🌸

宇都宮順
柴田元幸とか
東京大学文学部にもある

デイブ
えげつない低脳共
せれん

たくみ

ふぁる

→本日慶應休みやで

宇都宮順

とし
一応大学文学部だし(笑)
もっとみる 
関連検索ワード
新着
お茶🍵
美味しい😋🍠


〆さば
――理解を拒み、放射し続けるという態度
岡本太郎を語るとき、私たちは彼を「前衛芸術家」「反近代の思想家」「エネルギッシュな怪人」といった既成の枠組みに回収しようと試みる。しかし、そのどれもが決定打を欠く。なぜなら岡本太郎の本質は、作品の造形や思想の内容以前に、**「この世界の見え方を、一瞬たりとも止めずに放射し続けた態度」**そのものにあるからだ。
太郎は社会との対話を拒んだ作家ではない。テレビのブラウン管に現れ、巨大なパブリックアートを打ち立て、子供たちに言葉を投げかけた。だが、それは決して「理解されるため」の振る舞いではなかった。彼は説得もせず、合意も求めない。ただ「世界はこうなっていると、俺には見えてしまうのだ」という剥き出しの確信を、熱線として垂れ流し続けた。この意味で、彼は作家というよりも、制御不能な「現象」に近い。
「わかっている」という傲慢への抗い
彼が終生、懐疑の目を向け続けたのは、大人たちが持つ「わかっている」という自己認識だったのではないか。
人は成熟とともに情報を獲得し、社会に適応し、標準化されていく。それは生存のための知恵だが、同時に感受性を摩耗させ、世界を「処理可能な記号」へと去勢してしまう。太郎にとって「常識」「技術」「わかりやすさ」とは、世界の異様さを覆い隠し、生を安全な場所へ飼い慣らすための装置に過ぎなかった。
だからこそ、もし誰かが「私はあなたの理解者だ」と歩み寄ったとしても、彼はその手を撥ね付けただろう。それは共感や連帯ではなく、意味の固定化であり、安全圏からの所属表明に過ぎないからだ。岡本太郎が欲したのは仲間ではなく、軋轢だった。理解ではなく、衝突だった。
一方で、彼が子供に対して希望を抱き続けたのは、彼らがまだ世界を整理しきっていない「剥き出しの受信機」だったからだ。近年の『タローマン』という表現が誠実に響くのは、彼の毒を薄めて無害化するのではなく、その「でたらめさ」を翻訳せずに突きつけた点にある。
摩耗しない「現象」としての壁画
私自身、渋谷駅の喧騒の中で『明日の神話』を数百日眺め続けた経験がある。驚くべきは、その圧倒的な「不飽和」だ。毎日目にしているはずなのに、常に「いま、初めて見た」かのような暴力的なまでの初見性が失われない。
これは情報量の多さで説明がつくものではない。この作品は、明確な解釈を拒むことで、消費され尽くすことを免れているのだ。意味が分からないのではない。「意味が固定されること」を拒絶し続けているのだ。
通勤動線という、鑑賞にはおよそ不向きな機能的空間にありながら、それは常に視界に刺さってくる。それは『明日の神話』がメッセージではなく、一つの現象だからだ。作品が何かを語るのではない。見る側の状態が、作品によって炙り出される。疲弊していれば恐ろしく、昂揚していれば美しく、無感覚なときにはただただ不気味な異物として。作品は不動だが、観測者の生だけが揺さぶられる。この構造こそが、彼の表現が持つ驚異的な「消費強度」の正体だろう。
冷却された「太陽」を再び熱するために
同じことは『太陽の塔』にも言える。長年、その外形ばかりがアイコンとして消費され、地底の太陽を含む内部空間の狂気が等閑視されてきたことに、私は強い不誠実さを感じてきた。それは単なる忘却ではない。社会が岡本太郎の持つ「危険性」や「不快さ」を、編集という名の冷却装置によって無害なものへと作り変えてきた結果だ。
結局のところ、岡本太郎がこの世で試みたのは、何かの完成でも、正しい思想の流布でもない。合理化の波に呑み込まれていく世界の中に、**「どうしても合理化できない、ただ一点の視線」**を打ち込むことだったのではないか。
その視線は、理解されなくていい。継承されなくていい。ただ、消えずに放射し続ければいい。
岡本太郎は、安っぽい希望を説いた作家ではない。絶望の底を正確に見極めた上で、それでも沈黙しなかった存在だ。その態度そのものが、いまなお私たちの平穏な感受性を焼き続けている。


ドレミファソラジロー

happy
#GRAVITY写真部 #河口湖



はる
あんなに2人で出かけたり、仲良くしてたのに、あんなに夜中まで何時間も電話したりしたのに、曖昧なのが辛いのは分かるけど
先が見えないからって、なんでその過去まで全部無かったことにして終わらせようとするの?
って言われたけど、別に連絡しなくなるだけで思い出も過去も消えないよね

まお
#好きな人 #レズビアン #レズ

イカルド
もっちー
#GRAVITY飲酒部
#GRAVITYエブリ泥酔部

もっとみる 
