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ノゾ

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将来は都会に住みたい?それとも自然が多いところ?教えて欲しいな〜将来は都会に住みたい?それとも自然が多いところ?教えて欲しいな〜
どっちでも。

廬を結びて人境に在り
而も車馬の喧しき無し

という境地に自分が至れたらいいな、と思うばかり。
場所よりも、できれば気の置けない人たちと程よい距離で交流できる環境ならいいな。
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ノゾ

ノゾ

子供の声を騒音とすることについてどう思う?子供の声を騒音とすることについてどう思う?

回答数 53>>

子供の声に限らず、人の立てる自然な音程度ならなんであれ、

廬を結びて人境に在り
而も車馬の喧しき無し

という境地に至りたいね。
その音を騒音と捉えてる自分の在りようをコントロールして。
心遠ければ地自ら偏たり。ってな。

どうしても気になるなら、静かな場所へ移動するなり、自分を動かすさ。

うるさいのに加えて、「他人を動かそうとして思い通りにならない」苦まで抱えてどうするw

あ、自然な音とはいえ喫茶店でゲップとかかますジジイは許さん。
哲学哲学
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なー

なー

廬山昇龍覇(ろざんしょうりゅうは)!!!って叫びたい瞬間あると思うんですけどね

え?ない??あ、、、そっすか……
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風来坊

風来坊

虚ろなる廬山

​—— 風来坊

​廬山は長江南岸に位置し、鄱陽湖に近接する。初春は雨が多く湿って冷たい。私はここにほぼ一週間滞在し、各地の景色を巡ってきた。

​蘇軾が黄州から汝州に転任する際、廬山に立ち寄り、十数日間遊覧した。立ち去る前の最後の訪問地として西林寺を訪れ、寺の壁に『題西林壁』という詩を刻んだ。

​李白も廬山を訪れ、「飛流直下三千尺、疑是銀河落九天」という有名な句を残している。私も山麓に立ち、水流が山頂の断層から落下し、より前方の山に消えていく様子を見た。中間部分だけが水柱として残り、一種の現実離れした感覚を覚えた。

​夜、鄱陽湖のほとりを散歩していると、遠方の湖上に小島が見えた。島には一つの寺と一つの塔があり、灯りが煌めいていた。私は思わず湖底に降り、小島へ向かって進み始めた。30分ほど歩くと、大きな岩の前に到達した。よく見ると、岩の上には寺、塔、あずまや、牌坊があり、牌坊には「落星墩」と三文字書かれていた。

​岩とその上の建築物以外には、周囲には荒れた土地と青草があるだけで、他に何もない。調べてみると、10月から3月の渇水期にのみ湖底を歩いて落星墩にアクセスできることがわかった。それ以外の時期は岩の周囲が湖水に囲まれるため、船で来るしかない。これが湖中にこれら二つの孤独な建築物しかない理由であった。

私は岸から遠く離れた落星墩の前に一人立ち、周囲は一片の暗闇だった。眼前の赤と黄色の彩光が凸凹の岩肌に当たり、明暗の変化を呈し、私の足元まで続いていた。岩によじ登り、寺の前に立つと、前方には広大な鄱陽湖、血のように赤い牌坊、深く幽玄な夜が広がっていた。昼間再びここを訪れると、ありふれた風景が見え、昨夜との対照が私に現実離れした感覚を抱かせた。

​西林寺の傍らには東林寺がある。西林寺は東林寺のような壮大なスケールや、古木の青松、新しく装飾されたような気派には遠く及ばない。東林寺の中に立ち、廬山を遠望すると、青山は半ば白雲に隠れ、石造りで角張った宝塔は金色の屋根を燦然と輝かせていた。

​自然の美と人類の建築美が互いに呼び交わす。私は知っていた、もし人類が消え去れば10年もすれば、東林寺は草茫々とし、その精巧さは失われるだろう。しかし眼前の青峰は相変わらず美しくあり続ける。結局のところ、人類は自然に勝つことはできず、自然は手入れや修復を必要とせず、永遠に美しく在り続けるのだ。

​文字とは素晴らしいものだ。建築物のように質感を保つために人的な維持管理を必要とするものではなく、さもなければ風光明媚さを失うようなことはない。文字は一旦築かれれば、どれほどの時間が経っても、その質感は増すことはあっても減ることはない。
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Navii

Navii

子供の頃
何回

廬山昇龍覇

をやろうとしたことか
(紫龍推し)

そしてアタイ幼い頃から
ロン毛好きやったんやな
と今気づく

NoBさん
素敵な歌声を
ありがとうございました


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