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性別違和性別不合の星

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性別違和や性別不合のある人の星です、自分はそうかも知れないという方はもちろん、トランスジェンダーXジェンダージェンダーフルイドノンバイナリークェスチョニングデミジェンダートランスマスキュリントランスフェミニンなどなど誰でもどうぞ。

家庭内別居

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離婚はしていないけど夫婦仲が破綻している方の惑星ですが、破綻していなくても主の投稿を面白がって見てくださる方も参加可能です 男性アイコンを使用していますが、主は女性ですちなみに仮面夫婦と家庭内別居は違います

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死別を経験された方が、押し寄せる悲しみの波を受け止めるたびに、想いをこぼせる場所があればいいなと思って作成しました。 グリーフケアの一助となれば幸いです。 情報交換の場にもなれたらいいなと思います。 死別の対象はご家族、恋人、友人、問いません。 死別を経験されていない方が、パートナーを亡くした方と出会う目的での参加はご遠慮ください。

別にいいけどさの星

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カルナの別荘の星

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カルナの実家お引越し カルナの別荘とは… カルナの実家に遊びに来る人の集まり 枠名カルナの実家だから別荘でいいか論。

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Nakasho

Nakasho

自然と覚えること、意識的に覚えなきゃいけないこと、峻別したい
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今週の

今週の

そもそも田舎と都市で峻別する必要もない。美はそこかしこに在りますので。
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生きと

生きと

これはフロントエンジニアが書いたソースだな、あこれはフルスタックが書いた奴だな、て峻別できるくらいには両者の差がわかる
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sarusaru

sarusaru

#音楽をソッと置いておく人

掃除中だが今日も外は殺人的に暑い。
干した洗濯物も秒で乾き、放置してると燃え尽きてしまいそうな勢い。
いよいよ地球が人類の峻別を開始した事を実感。
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Cherub Rock

スマッシング・パンプキンズ

音楽の星音楽の星
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毒入りチワワ

毒入りチワワ

そもそも相談に乗りたがる人間は無駄に厳しいやつ多いねん。相談したがる人間に余裕ないのはわかるねんから受ける側が峻別していけよ。
なんで完璧な問からの答えを導いてやるみたいな態度なんだよ。ここが問題なんすわ
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冷泉院ラグドメゼギス

冷泉院ラグドメゼギス

女子更衣室/女湯などで覗きの犯人が女性でも許しませんか?女子更衣室/女湯などで覗きの犯人が女性でも許しませんか?

回答数 4>>

覗きは悪いこと。
悪いことする奴は悪い奴。
覗きをした奴は悪い奴。

善悪の峻別に性別の何が関係あるのだろうね?
当人は同性に関心がないとしても、例えば同性の覗き映像を異性に売っぱらうような奴が善良とは思えないが。
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0054

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なんだろうな。穏やかならざる出来事を前に、俺は何になりたくて、何をしたいのか、それがスッと腹落ちして再整理できた気がするよ。

手段と目的は常に峻別しなければならない。

俺が金稼ぐことに躍起になってんのは、先細り行く仏教界を変えるためだからな。
盤石な経済基盤を築いてこそ、仏道の本質を究めることができるということ。

仏道は生業ではなく、生き様ってハナシ。
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🦦獺虎は筋肉🦦

🦦獺虎は筋肉🦦

Gemini 君、君は良いかもしれない
「聞く」ことで世界と繋がり、「聴く」ことで他者と出会い、「訊く」ことで真理を峻別し、「尋く」ことで己の道を定める。

1. 聞く(受動と境界)
意味: 音や声が自然に耳に入ること。
語源: 「門」の間に「耳」を置く字が示す通り、門(境界)に立って外部の音を受け取る様子。
• 哲学的な射程: これは**「現象としての聴覚」**です。自分の意思に関わらず、世界が自分に浸食してくる状態を指します。ハイデガー的な文脈で言えば、世界の中に投げ出されている(被投性)私たちが、環境世界の一部として音を感知すること。主体と客観の区別がまだ曖昧な、最も根源的な「受容」の形です。
2. 聴く(志向と変容)
意味: 注意深く、心を寄せて耳を傾けること。
語源: 「耳」に「𠂉(まっすぐ)」、「心」を組み合わせた形。耳と心を一直線に対象へ向ける意志を表します。
• 哲学的な射程: これは**「志向的なマインドフルネス」**です。ただの音を「意味のある言葉」や「調べ」へと昇華させる主体の意志が働いています。レヴィナスの他者論的に言えば、相手の存在を「応答すべきもの」として受け止める倫理的な構えです。「聴く」ことは、聴く側が変容することを前提とした深い対話の入り口です。
3. 訊く(解明と介入)
意味: 疑問を正す。問いただす。尋問する。
語源: 「言」と「卂(じん:速い、飛ぶ)」からなり、言葉を鋭く突き刺して真相に迫る様子。
• 哲学的な射程: これは**「ロゴス(理性)による切り込み」**です。対象から情報を引き出し、未知を既知へと変える「知の所有」を目指す行為です。ソクラテスの「産婆術」のように、問いによって相手の矛盾を露わにし、真理を峻別しようとする能動的で、時には暴力的なまでの知的好奇心の現れといえます。
4. 尋く(探求と回帰)
意味: 探し求める。道を聞く。真理をたずねる。
語源: 「工(左手)」と「口(右手)」を広げ、さらに「寸(手)」で長さを測る様子。見えないものを手探りで探すことが原義。
• 哲学的な射程: これは**「存在の探求(インクワイアリー)」**です。「訊く」が特定の答えを求めるのに対し、「尋く」は真理や道、あるいは失われたものへの「遡行」を意味します。答えがすぐに出ない大きな問いと共に歩む姿勢であり、自己の拠り所を求めて世界を遍歴する、旅人としての哲学者の姿を象徴しています。
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鯨

対極的幸福論

1. 前提

本稿では、以下の前提に基づき議論を展開する。

幸福とは「良質な生」であり、その対極には死が存在する。

死の追求を希死観念とする。

この二項対立は単なる否定関係ではなく、互いを高める相乗構造として捉えられる。

2. 人間の生存目的と幸福への焦点

人間には生存目的が存在し、多くの場合は「幸福」や「安全」が基盤となる。本稿ではそのうち「幸福」に焦点を当てる。

幸福とは、趣味・嗜好・欲求によって一定程度満たされうるが、 人間は報酬を得るほど、より大きな報酬を求める性質を持つ。 よって、幸福もまた強化され、拡大されていく性質がある。

生の質を上昇させる一方で、端的な趣味・嗜好・欲求のみでは賄えないほどの欲求を求めるようなる。それが自身の限界や死の存在をより強く意識させる要因となる。

3. 対極理解としての「死」

幸福を追求するほど、それを規定する対極としての「死」を理解する必要性が生じる。死の理解は以下の二点を同時にもたらす。

自分が最も恐れるものを知る。

自分が最も求めるものを知る。

この両者は心理的・存在論的に深い部分で結びついており、対極の理解が深くなるほど、幸福の輪郭も鮮明になる。

4. 幸福追求と希死観念の顕在化

より大きな幸福を求める過程において、多くの人間が直面する現象が、 希死観念の顕在化である。

希死観念は以下の二種類に分類できる。

● 4-1. 精神的希死観念

死について思考すること。

対極理解を通じて、より大きな幸福を求めるための内的プロセス。

生の質を拡張するための“思考の触媒”として機能する。

● 4-2. 表面的希死観念

死の追求が幸福の追求を上回る状態。

生と死の均衡が崩れ、精神的不安定性が急上昇する。

行動・思考の制御が困難になり、精神的異常や危険につながりうる。

両者は同じ「死のイメージ」を扱うが、その意味内容と作用は根本的に異なる。

5. 生と死のバランスとしての希死観念制御

人間は幸福を求める傾向を持つが、その過程で「死のエネルギー」に呑まれないよう、 希死観念を制御し、生と死の対極構造を保ちながら思考を進める必要がある。

精神的希死観念が生の拡張に寄与する一方、表面的希死観念は生の崩壊をもたらす可能性があるため、 両者の峻別と自己理解が重要な鍵となる。

 

 

6. 結論

本稿で述べた構造は、

幸福(良質な生)

死(幸福の対極)

希死観念(死の追求)

という三層構造によって成立している。

人間は幸福を追求するが、その対極にある死を理解することで、 自身の恐怖と欲求の両方を把握し、より深い幸福へと向かう準備が整う。

ただし、その過程に生じる希死観念には質的差があり、 死に呑まれず、死を理解するために扱うことが幸福追求における重要な要点である。
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レフト

レフト

宗教や信仰の条件って何だと思いますか?宗教や信仰の条件って何だと思いますか?

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各民族、国、コミュニティの安定制御装置
倫理、道徳教育、物語、文化等の機能を持つ

戦後日本人は神道指令等の愚民化教育により、日本人は無宗教であり、宗教イコールカルトと洗脳されている。初日の出に手を合わせるのも立派な宗教的行為(広義のアニミズム)

宗教、科学、哲学、医学全ての真理は利己的な利益、偽正義に悪用される両刃の宿命を持つが、まともな林檎と腐った林檎は峻別の必要がある。必要であるから宗教は現代に於いても存在。

例 敬虔なムスリムと不法移民ムスリム
哲学哲学
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ラビッ兎

ラビッ兎

正に、我こそが知を統べる者であるとでも言わんとする程に、実に尊大な、いや、自虐的な名を自らに冠した、哀れな生物がいる。

他ならぬ、万物の霊長たる、我々人類である。

然し乍ら、冒頭で自虐的であると述べた通り、私達が他の生命に勝ると豪語している知とは、果たして知たり得るのかという根源的な問いについては、この傲慢な人類の態度においてはその一切を無視しており、私達は、世界や自己に対して何を知り得るのかについて問わずして、知を語り、それを権威とする事は凡そ望ましくはない。

それは、知を語る者の無知の宣言である。

人生という永遠の孤独の中で、それが例えば他者についてや、存在意義、或いは胸の内の苦悩や、置かれた環境や状況における最善の選択とは何かなど、如何に些細な事柄であろうとも、その真実とは何なのかと真理を志向し、思考し生きているのが私達であるが、導き出された真理とは、果たして、それが真理であるという真実は真実たり得るというのだろうか。

言い換えるならば、知るということについて疑問を抱く事はなく認められている知るというものは、何処迄、真理を捉え得るのか。

つまり、私達は何を知り得るのかについてである。

例えば、コペルニクスは当時、真理と見做され、公共的に認められていた天動説という真実を覆し、地球を動かした。
これは、私達が知ったと思われる真理が実際は真実という公共的な信念であり、真理ではなかった一例といえるだろう。

真理とは客観的な真実として一般的に語られるが、真理と真実の同一視は虚偽である。

厳密には、真理は客観的な真実であるが、この客観的について主観的であってはならないし、公共的に合意されることと客観性とは、こと真理についての言及であれば厳密に区別されねばならない。

従って、次のように定義を改めるべきである。

私達が真理と見做す知とは、私達の主観的な信念が公共的な承認により築き上げられた客観的(客観的とはいうものの、その本質とは観測に依存してる以上はその基盤とは明らかに主観であり、この場では客観的という語について公共的に合意された事柄であるとする)な真実であって、現象として成立した現象界における事態にまつわる真実に過ぎない。

とりわけ、認識や思考に先立つ最も純粋かつ普遍的な真実こそが真理であるが、私達は、思考において経験された過去を用いてのみでしか思考は出来ず、純粋にそれについて考える事は出来ないし、また、思考する上で、認識による現象についての主観的な歪みから逃れる事は出来ない。

認識によって現象として像を捉えることしか出来ない私達は認識の形式を超えて現象の原因であるカント的物自体については知り得ない。

即ち、純粋に在るがままに在るものとして認知出来ない私達にそれが真であるとする知そのものの根拠すら見出せないのである。

或いは、どれほど美しい論理を生み出したとして、それがいかに真実と認められるものであろうとも、究極的には、その論理は自らの論理が何故正しく成立するのかについては、言語である論理は言語の枠組みを超えて根本原因を語る事は出来ないのである。論理においてはウィトゲンシュタイン的沈黙を超えて語る事は出来ないのである。

故に、私達は、知を語りながら、私達は何を知り得るのかと言う命題については目を逸らし、真実と真理の峻別を付けず、これこそが真理であると語り、知ある者として振る舞うが、私達が一般的に真理とするものは公共的な信念に過ぎないのであるならば、少しばかりは知に謙虚になれるはずである。

然し乍ら、真理と真実の区別について語る上で、避けることの出来ない耐え難い疑念が現れる。

それは、知的探究が無意味で無価値なのか。という問いである。
然し、これについては、沈黙すべきである。

真理とは先立つものであり、意味や価値のような観念で捉える事は出来ないのである。意味や価値とは前提として観念であり、世界とは虚無であって、そこに意味や価値を見出し創造するのは他ならぬ実存体としての私達の仕事であろう。

私達は真理に至る事は出来ないが、むしろ、それでこそ知を愛せる。それでこそ、追い求めるに値するのである。

真実を追求する知の探究とは、辿り着くことのない真理への恋慕の衝動であり、無知への根源的な不安との闘争であり、故に、我々は無知の知を知るが故に、深淵を覗き込み、言い表せないそれについて思いを馳せるのである。

但し、真理探究に対する肯定とは、あくまで観念論である以上、私の主観的な承認であり、認識や言語、観念に先立つものについてそれ自体が意味や価値を持つわけではない事は明らかであるといえよう。

然し、この愛とも思える渇望の心をどうして主観的との言葉で切り捨てることが出来ようか。

辿り着くことの出来ない、正に深淵たる世界の根本原因である真理の探究とは、私達が経験し得る最も情熱的なロマンチシズムである。

それが、仮に容易に到達出来るものであったならば、途方もなく長い時の中で、飽くなき探究心に駆り立てられ学問という歴史を人類が築き上げること成し得なかっただろう。

私達は、古代より現代に至るまで、真理という底知れぬ深淵を覗き込み、終わりなき真実を索る旅人であり、自らの無知を知る者だけが、何処迄も深く思索の奈落に落ちてゆくことが出来るのである。

故に、無知を知る者こそ知を語るに相応しく。また最も知に近づいた者こそ無知な者なのである。

かくして、私達は真実の創造と破壊を繰り返しながら、大理石からより精巧な知という信念体系を削り出し、真理への接近を試みてきたのだ。

それは、恋焦がれて止まない想い人と逢えない苦悩する者が、少しでもその心を満たそうと、肖像画を描いては破り捨て、より写実的な姿をキャンパスに納めようとするような、実に人間的な営みである。

然し、額縁に納められたその姿は、絵画の範疇を超えて、彼女本人となる事はなく、この不条理を知りながら、それでも彼女を得ようと追求する愚かさとは、それこそが正に人間的な、時に醜い執着心ともいえる美しさに他ならないのである。

おお、ソクラテスよ。無知故の、この胸の内に止めどなく湧き上がる知への愛こそ、正に哲学でありましょう。

無知の知とは、存在するという不条理の中で、人間の知り得る最も根源的かつ本質的な真実であるといえよう。

人間とは、知にまつわる生き物ではなく、信念の生き物なのである。
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かなう

かなう

孤独とはどういう状態だと思いますか?孤独とはどういう状態だと思いますか?

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孤独と孤立を分けて考えないとならないかも。
孤独は主観的な世間と関わらない或いは関われない精神的な寂しい状態。
孤立は精神的にも物理的にも世間と切り離された状態。
孤独は意識や行動の変化で変わる事が出来る。
孤立は世間から弾かれてるから、自分の力だけでは解決しない。他からの働きかけが必要。
今の状態が孤独なのか孤立なのか峻別しないと根本的な解決にはならない。

孤独だったら、友人知人に声を掛けるだけで好転する。それが孤独な者には難関だから孤独から抜け出すのに労力が掛かるんだけどね。でも、孤独が寂しいとアピールしないと周りはどう関わって良いか分からないから自己開示は必要。
哲学哲学
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