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友達に貸したら5分しないうちに事故られてフロント全壊しました😭
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臼井優
イギリスの外交官アーネスト・サトウが、彼との交渉の様子を「魔王のようだった」と回想するほど、その行動と判断は常軌を逸していました。
具体的に、どのようなエピソードが彼の「魔王っぷり」を表しているのか、以下にまとめます。
1. 交渉の魔王:下関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)
最大のエピソードは、1864年の下関戦争の講和交渉です。
大敗後の傲慢な態度: 列強4カ国の連合艦隊に大敗し、全壊した長州藩の代表として交渉に臨みましたが、高杉はまるで勝利したかのような傲慢さ、あるいは魔王のような恐ろしい態度で席に着きました。
賠償金は払わない: 「賠償金は払わない。なぜなら砲撃は幕府の命令であり、長州は関係ない」といった論理(うやむや交渉術)を展開。さらに「領土も絶対に渡さない」と突っぱね、列強側を呆れさせるほどの強気を通しました。
相手を圧倒: アーネスト・サトウは、この時の高杉を「魔王」のようであったと評しており、負けた側が相手を威嚇するような状況でした。
2. 行動の魔王:功山寺挙兵
藩の体制が「幕府に恭順する」方向へ傾いた際、わずか数人の仲間と共に、奇兵隊らを説得してクーデターを起こしました。
超絶的な脱藩行動: 藩の未来を変えるため、死を覚悟して敵前逃亡・脱藩という大罪を犯し、功山寺で挙兵しました。
歴史の分岐点: この勝利により長州藩は「倒幕」へ舵を切り、明治維新が始動しました。この極限状態での行動力は、正気の沙汰ではない「魔王」の決断でした。

ヒィ〜ちゃん❤︎
FRIDAYデジタル
昨年12月に起きた青森県沖を震源とするM7.5の地震の被害。同県東北町では地面が割れ道路が陥没。自動車が穴に落ちかけた
今年は震災の年の可能性
「’26年は、大規模な地震への注意がとくに必要です。日本はケタ違いの″激甚(げきじん)災害の季節″に突入しました」
地球科学が専門で京都大学名誉教授の鎌田浩毅氏が、こう警鐘(けいしょう)を鳴らす。
大地震と聞いて記憶に新しいのが、昨年12月8日に発生した青森県東方沖を震源とするマグニチュード(M)7.5の地震だろう。懸念されるのが誘発される大震災だ。北海道の千島海溝と東北沖の日本海溝では、たびたび最大M9以上の巨大地震が起きている。鎌田氏が続ける。
「『千島海溝・日本海溝巨大地震』が起きる前には、近隣でM7級の地震が発生しています。1963年の択捉(えとろふ)島沖地震(M8.5)でも直前にM7の地震が発生。昨年12月の青森県沖の地震も、前震の可能性があるんです。
過去の千島海溝・日本海溝地震では、同時に巨大津波が北海道から関東にかけて太平洋沿岸部の広範囲を襲っています。海岸の堆積物の調査などから、岩手県宮古市で最大29.7m、北海道えりも町や青森県八戸市でも26m超の津波が来ると予想されるんです(2枚目の画像)」(以下、コメントは鎌田氏)
さらに今年、注意が必要なのが30年以内の発生確率が70%程度とされる首都直下地震だという。昨年12月19日、政府の中央防災会議はM7級の首都直下地震が発生した場合の被害想定を公表した。最大で約1万8000人が死亡。災害関連死は4万人前後に達し、全壊・焼失は約40万棟、被害総額は約83兆円にのぼり、東京の機能はほぼ壊滅する……。
「首都圏の1都3県には、日本の総人口の3分の1が集中しています。東京都が’22年5月に発表したシナリオでは地震発生の3日後から備蓄物資が不足し、1ヵ月後から避難所に溢(あふ)れた人々が次々と心身の調子を崩す……。
’11年の東日本大震災では長期にわたりライフラインが止まりましたが、首都圏でも水も電気も食料もない絶望的生活が起こりうるんです」
南海トラフ巨大地震が起きる時期を特定!?
現在、最も深刻な被害が危惧されるのがM9級の南海トラフ巨大地震だ。震源域が「東海」「東南海」「南海」「日向灘(ひゅうがなだ)」の4連動の震災となり、死者は最大29万人以上におよぶ。政府は南海トラフ巨大地震の30年以内の発生確率を60〜90%以上(別の計算方法では20〜50%)としているが、鎌田氏によると、次に起きる時期はかなり特定できているという。
「南海トラフ巨大地震では、発生とともに地盤が持ち上がる『リバウンド隆起』が起きています。隆起量は江戸時代以来、高知県の室津港で測定されており、高ければ高いほど次の発生までの期間が長くなることがわかっている。
前々回(1854年)と前回(1946年)の高さから見積もると、発生時期が予測できます。つまり次に南海トラフ地震が起きるのは、2035年の前後5年といえるでしょう。
そして南海トラフ巨大地震が起きる40年ほど前からは、歴史的に内陸で直下型地震が頻発しています。近年では’95年に起きた阪神・淡路大震災、’16年の熊本地震、’18年の大阪府北部地震と続発。そのため内陸型の首都直下地震の発生リスクも、日に日に高まっているんです」
首都圏を襲うのは直下地震だけではない。政府の中央防災会議は、南海トラフ巨大地震による津波にも警鐘を鳴らす。
「関東各地や伊豆諸島も、10mを超える巨大津波に襲われます。都内に多数ある地下街が、たった15分ほどで水没する大きさです」
千島海溝・日本海溝巨大地震、首都直下地震、そして南海トラフ巨大地震……。日本は未曽有(みぞう)の震災に次々と襲われる″災害の季節″に突入したのだ。
千島・日本海溝巨大地震の想定震源域と津波の最大高さ予想
室津港で観測された南海トラフ巨大地震の隆起量と発生年予想
南海トラフ巨大地震で想定される関東と伊豆諸島の津波の最大高さ予想

みみ
普段は立ち入れないホテル最上階のバルコニーですが、1月17日(ひょうご安全の日)と11月1日(灯台の日)は一般公開ということで行ってきました。
震災により旧オリエンタルホテルが全壊。半年後の平成7年7月7日午後7時7分、777発のの花火とともに、現在のホテルにバトンタッチされた灯台が点灯開始。その日からは一日も休むことなく海を照らして安全を見守ってくれているそうです。
この日は黄砂の影響で遠くが霞んで見えてましたが、綺麗な夕焼けでした。
穏やかな時間がずっと続きますように。






明日晴れるかな (2022 Remaster)

ヒィ〜ちゃん❤︎
31年前の1月17日に発生した、阪神・淡路大震災。死者6434人とされていますが、そこには含まれない「遠因死」と呼ばれる人たちがいます。震災に人生を翻弄された知られざる犠牲者と遺族の悲しみを取材しました。
【写真を見る】「震災がなければ…」死者6434人に含まれない「遠因死」 知られざる遺族の悲しみ 阪神・淡路大震災31年【報道特集】
「震災がなければ母はもっと生きられた」阪神大震災の死者数“なんで、6000何人って、毎回言うてるんや”
神戸市中央区に住む早川真さん(64)。
「震災がなければ、母はもっと生きられた」。そんな思いを抱き続けている。
早川真さん
「94年4月って書いているから、亡くなる1年前ですね。すごく明るくて、おおらかな人で、みんなから好かれるタイプの人でしたね」
厳しくも愛情深かった母・キヨ子さんは、孫たちとの時間を過ごすのを楽しみにしていた。
しかし、あの日、人生が暗転する。
31年前の1月17日。マグニチュード7.3、最大震度7の激震が神戸を襲った。戦後初の大都市直下型地震、阪神・淡路大震災だ。
キヨ子さんは無事だったが、自宅が半壊し、近くの避難所に身を寄せた。気丈に振るまっていたキヨ子さん。しかし、十分な暖房もない環境と、持病の高血圧の悪化が体をむしばんでいった。
早川真さん
「『寒いわ』と。寒いから、たくさん服や毛布とかを絡めて寝ていたのを覚えてますね」
「『薬がないねん、それが困ってんねん』という話でしたね。血圧の薬飲んでなくて、寒い所におって60過ぎていたら、それはもう病気になって倒れてくださいというような状況ですよね」
地震から約3か月後、キヨ子さんは脳出血で倒れた。さらに不運が重なる。医師の不足や、満床状態などを理由に、受け入れてくれる病院がなかなか見つからず、たらい回しとなったのだ。
ようやく受け入れてもらえた時には、すでに倒れてから3、4時間も経っていた。手術の甲斐もなく、キヨ子さんは3か月後に息を引き取った。
早川真さん
「地震って何だろうとか。“なんでうちの母親が死ななあかんねん”みたいなね。そんなことはずっと思ってて」
「“あの時、もう大阪連れていった方が良かったんじゃないか”“病院に診せた方がよかったんじゃないか”とか、“薬を僕がもらってきて渡していたら何とかならなかったか”とかね」
「僕自身の後悔かな。助けられた命だったんじゃないかと」
“過酷な避難環境が母の死を招いた”と考えた早川さんは、災害関連死への認定を神戸市に求めた。
災害関連死は、阪神・淡路大震災で初めて認められた。各自治体が因果関係があると判断すれば、公式の死者として扱われ、弔慰金が支給される。
この震災では900人あまりが認定された。しかし、早川さんの申請は却下。神戸市からは、理由も説明されなかった。
阪神・淡路大震災の死者数は6434人とされる。その中にキヨ子さんが含まれていないことに、早川さんは割り切れない思いをいまも抱いている。
早川真さん
「6434人が亡くなったのではなく、もっとたくさん人が震災で亡くなっているんですよね。“あの地震がなかったら、誰々は死なんかったのにな”というのは、当然みんな思っていると思います」
「だから、(6434人という)数字をニュース、報道でも繰り返し言うけど、“なんで6000何人って、毎回言うてるんや”と思う人が、何十人、何百人、何千人といるのではと思う」
「遠因死」として刻まれた318人の名前 「気持ちにも区切りがついた」
2000年に神戸市中心部の公園に設けられた追悼施設「慰霊と復興のモニュメント」。当初は、建物の倒壊などによる「直接死」と「災害関連死」の人々の名前のみが刻まれた。
しかし、2003年からは“震災の影響が少なからずあった”と遺族などが考える死を「遠因死」と定義づけ、銘板を掲げられるようになった。
モニュメントの運営を担う堀内正美さんは、そのきっかけについて、こう話す。
モニュメントの運営を担う 堀内正美さん
「震災死として認定されている方たちが、『お宅もですか』『うちはこうで…』とみんなが共感している時に、語れない方がいた。『いや、うちは病気をこじらせて…でも震災死ではないし…』と。でもどこか寂しそうな、そういう姿が各所で見られたので。でも僕たちにしてみれば一緒じゃない?だったらみんなが一緒になって、たった1枚のプレートを貼ることで、精神的に少しでも楽になるんだったらと」
母・キヨ子さんが災害関連死と認められなかった早川さんも、2007年にモニュメントに銘板を掲げた。
早川真さん
「(母が)震災で亡くなったと認められなかったのが、ある意味悔しい、悔しいというか、解せないというか、納得いかないというのがあったんですけど、名前を入れることで、自分の気持ちも区切りがついたかもしれない」
「僕が亡くなっても、名前は残るわけですからね。そこは良かったのかなと思う」
モニュメントには現在、318人が「遠因死」として名前を刻まれている。その中には、生後間もない赤ちゃんもいた。
生後45日でこの世を去った命、慣れない土地での老人ホーム 震災がもたらした遠因死
廣畑帆乃香ちゃん。不妊治療の末に授かった待望の赤ちゃんで、地震の6日前に産声を上げたが、心臓に病気を抱えていた。
地震で人工呼吸器が一時的に停止し、病状が悪化。生後わずか45日で、この世を去った。
廣畑帆乃香ちゃんの両親
「生前、保育器の中に手を入れて指を差し出すと、小さな手で優しく握り返してくれました。緊急車両に乗せてもらい、なきがらを抱いて自宅に帰りました。まだ温かかったのを覚えています」
「天国に召された我が子が短い間ではあっても、この世に存在していた証、生きていた証が欲しいと思いました」
粟田栄さんは、神戸市東灘区で被災。娘が命を落とした。80歳をすでに超え、パーキンソン病を患っていたが、近くに住む親族も被災し、関東の親族に引き取られた。慣れない土地で体はさらに弱り、最終的に横浜の老人ホームに入った。
孫 松岡京子さん
「本当にかわいそうだった」
孫 向山口美穂さん
「(自分も被災して)それどころじゃないというのを」
孫 松岡京子さん
「何も言えずにね」
姉 向山口美穂さん
「言い訳にしてたかな」
地震から9か月後、粟田さんは、慣れ親しんだ神戸に帰ることなく息を引き取った。
「祖母を神戸に帰したい」
孫姉妹は10年後、直接死の母の名前がすでにあるモニュメントに、「遠因死」として粟田さんの名前も刻んだ。
孫 向山口美穂さん
「“神戸に帰したい”。“おばあちゃんは神戸の人や”という、それだけですね」
孫 松岡京子さん
「お母さんと一緒にね、そばでね。入れてあげたかったよね」
遠因死は、法律で規定されているわけではない。
しかし、専門家は災害が残す深い爪痕を考える上で、遠因死という考え方が持つ意義は大きいと話す。
関西学院大学 人間福祉学部 池埜聡教授
「災害による被害者や被災者という概念は、固定されたものじゃないと思う。これからどんどん常に問い直されていくし、変わっていく」
「『遠因死』という、もう1つ外のサークルが広がることで、“個人の痛みを、社会の記憶として、私たち全体の記憶として一緒に引き継いでいこう”という。こういうメッセージがあると、すごく救われる」
「私が遠因死を招いた」母の自死に大きな後悔 悲劇を減らすため…経験を語る覚悟
阪神・淡路大震災の「遠因死」の中には、人生に自ら幕を引いた人が含まれている。
当時、国は災害関連死の対象に自死を含んでいなかった。そのため、震災の死者6434人に、自死した人は1人も入っていない。
神戸市東灘区で被災した山下准史さん(64)は当時、市内の小学校で教諭を務めていた。
地震で、自宅近くにあった実家が全壊。母の芙美子さんはなんとか脱出したものの、父の金宏さんが帰らぬ人となった。
山下准史さん
「(火葬場で)最後に棺を入れる時に、本当に自分もそのまま中に入っていこうとするんじゃないかというぐらい、泣きながら、叫びながら『お父さん!お父さん!』言いながら、棺にすがるようにしていた。『もうあかんよ』って言って止めましたね」
「『お父さんと一緒に逝きたかった』と、たまに口開くとそれしか言わなかったですね」
打ちひしがれる芙美子さんに、思わず強い言葉をかけてしまったことを山下さんはいまでも後悔している。
山下准史さん
「周りの人も気にして下さっているのに、『一緒に逝きたかった』みたいなことをずっと言うから、『そんなん言うな』と。『せっかく助かってんやから、もう言うな』と、つい言ってしまうぐらい」
――父の死の喪失感があった一方で、“母は生き残ってくれた”という思いはあった?
「強かったですね。遺体安置所にいる時間って、“自分らは生き残れたんやな…”というか、嬉しい気持ちでも何でもないけど、たくさんの遺体の中で過ごす時間が、“自分は(生き残れて)ラッキーだった”と感じる時間帯でもあったから、そこに一緒に母もいましたからね。当然同じ感覚かなという軽い気持ちもあった」
「『一緒に逝きたかった』というのを、もっと、もっと真面目に聞いとかないといけなかったなというのは、その後しばらくは私の中ではすごく大きな後悔になったので」
山下さんは神戸に残り、母・芙美子さんは大阪の親族の家に避難した。
しかし、地震から5か月が経った6月17日、芙美子さんは行方不明となる。翌日、山下さんは警察から、神戸で遺体が見つかったと告げられた。
芙美子さんは、大阪から神戸へ向かい、自ら命を絶っていた。
自責の念にかられた山下さんは教師として、学校で子どもたちにかける言葉にも苦悩するようになった。
山下准史さん
「簡単な言葉に直すと、『命を大切にせなあかんよね』みたいなことをやっぱり喋ってますよね。ところが、“そういうあんたは、大事な人の命を大切にしてなかった”と言われるかなというのがすごくあって、使わなくなりましたね。使えなくなりました。“私たちは震災で無事におれたんだから、命大切にしようね”みたいな言い方は、全くしなくなりましたね」
“このままでは自分が壊れる”と感じ、海外の日本人学校への教員派遣に応募。一度神戸を離れる決断をした。
派遣先のイランで長男が誕生し、喪失ばかりだった人生に光が差した。
帰国後、神戸の小学校に復帰し、震災について冷静に話せるようにはなったが、母・芙美子さんの最期が自死だったことだけはほとんど語ってこなかった。
それでも今、同じような悲劇を少しでも減らすために自らの経験を語る覚悟でいる。
山下准史さん
「自分に対して、逃げてきた部分があったので」
「“防げる遠因死を防ぐ”ことも含めた復旧・復興をみんなで考えていかないと、本当の意味で教訓が生きていかないのかなという気がしていて」
「私が遠因死を招いたと思っていますからね。そういうことは防いでいかないといけない、防いでいきたいな。防いでいっていただきたいなって」

凪 紗🎶
うちは幸い被災地区外でしたか、地元消防署計測で震度6でした。
たまたま作り付けの家具だったので棚やらは倒れなかったけど、すごい轟音の地震で、姉ちゃんがびっくりして中庭に飛び出してお父さんに怒られてた。当時はまだ携帯普及してないから電話は繋がらないし、水も電気も止まって…。幸い火事にはならなかった。被災地区で自宅が全壊した親戚がしばらくうちで仮設ができるまで一緒に生活してました。日本は地震列島だから各地で地震が起きるたびに思い出します。がんばろや、神戸、が合言葉。SMAPのがんばりましょう、に励まされて、復興した神戸。
その二ヶ月後ぐらいに地下鉄サリン事件でした…。
南海トラフ起きないで欲しい

はのん
家が全壊し、当日の夜に近くの小学校へ避難 電気、水道は使えず 校庭のまん中では廃材を集めて燃やし夜通し焚き火の明かりが灯っていました 体育館、教室は人であふれ、トイレはすぐつまりプールの水をバケツリレーで運び清掃
ほとんど眠れなかった朝を迎え、家に取り出せるものを探しに行こうと校庭に出ると なんと滋賀県からはるばる給水車が来てくれました
きっと震災の一報を知り夜通し走って来てくださったんだろう
琵琶湖の水~!
ありがたく手を合わせ大泣きしました
数日後から、他府県の腕章をつけた警察、自衛隊、役所関係、水道局、電力会社、ガス会社の方々が次々と復興作業に来てくださいました あのときの感謝の気持ちは一生忘れません
特に滋賀県、あれから大好き大ファンになりました❤
#阪神・淡路大震災
#滋賀県ありがとう
#みなさんありがとう
#感謝の気持ちを忘れたらあかんよね
マミ
出典:ロイター / アフロ阪神淡路大震災
1995(平成7)年1月17日午前5時46分、兵庫県淡路島北端を震源とする大地震
阪神・淡路大震災が発生。
震源となった兵庫県を中心に近畿圏の広域で未曾有の大被害を出すこととなりました…。
阪神・淡路大震災
震源
淡路島北部
規模
マグニチュード7.2
犠牲者
6,400人以上
負傷者
4万3,100人以上
大地震の影響から建物や道路を含む瓦解、崩壊が各地で相次いだことで、その下敷きになってしまい亡くなった方も多く、
水道管設備にも不順をきたし、火災の鎮火活動が行えなくなる
などの連鎖的被害が拡大してく悪循環も重なることになりました…。
阪神・淡路大震災の影響で
全壊、もしくは半壊した家屋が約25万棟以上
にもなり、戦後最大となる被害規模は日本国内のみならず全世界にも大きな衝撃をもって伝えられました。
例年1月17日には犠牲になられた方々への追悼の意を込めて全国各地で黙祷と献花が捧げられております。
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マミ
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臼井優
国立大学法学部卒 法律系国家資格3種保有 就職氷河期世代 元僧侶 趣味・特技 サッカー、バスケ、ボクシング、テコンドー、茶道、書道、華道、サックス、ドラム、読書、カフェ巡り、音楽鑑賞、ストレッチ、筋膜リリース、他人のデートコースを考えること 家庭教師、予備校講師、各大学でのエクステンション講座担当 担当科目・領域 小~高、文系科目全て、公務員試験全領域、面接、ES添削、マナー、論文添削等々
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のん
ようやく辞められたコンサートマスター
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たいやきんぐ👑
24.3.20~⌯◕ᴗ<⌯ಣ 通話❌
08"17ෆsjkෆ/🍎県
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ヒィ〜ちゃん❤︎
他人に優しくしたいなぁ!!!
どう年代でも歳上でも仲良くしてくださる人が折れば嬉しいです!!!
心許せる友達が欲しいです!!!!
男女問わず欲しいです!!!
悩みとか色々相談出来る友達が欲しいです!!!!!!!!!👩❤️💋👩👩❤️💋👩👩❤️💋👩
グラ楽しいから辞められないですよ💦
みんなと仲良くワイワイ話したいです🤤🤤
自分グラ入ったきっかけは他県の人と仲良くしたかったからです(´・ω・`)
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