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菩薩チップス
三つの宝とは、仏陀と教法(おしえ)と
僧伽(さんが)〖教団〗のことである。
この三つが、いろいろの意味において
仏教の中心を成している。
これを「三宝」といい、それに対して心から
帰依の情をのべあらわすことが、
お釈迦様の時代から、
遠く今日にいたるまで、
いつもかわることのない、
仏教徒の信仰の言い表わしである。
いわゆる〖三宝帰依〗がそれである。
(*´▽`人) 感謝…



エントロピー
語彙力はない
思いやりはない
見た目も悪い
個性的でもない
なんのメリットもない
などの事を女子に聞いたら分かります
で男子はこちらを選択かひた隠しにしてます
それを仏陀と神様と女子が見抜いてるという事
なので起きてる事は「そのまんま」となるので
否が応でも「矯正変化」させなかったら
ジエンドな訳です、これはまあ
僕はSNSしてきた当時から女たらしだったが
常にまともな事は「突出して書いてた」し
今と昔が違うのは「僕がそういう人間だという事は周りは全員知ってました」まあ女子は
僕をウルトラ警戒し「ガードは10倍にしてたけど」笑

エントロピー
という事が起きるから感謝しかないになるのであり、そもそも良い事がないのに感謝みたいな
苦行をしなさいとは仏様は言ってない。
つまりこの「そのまんま」が起き始めると
努力や研究や成果や効果が現れる
つまり「ズレてた」ことが、取り除かれて
仏陀炸裂、んで感謝、研究ちよう
このようなロジックになる、まで
近代人は間違いなくしてないと
「僕はしてます」それ自体が盲点で その為
みんな辛い思いをされてるのだろうから
つまり救いとは「でへへへへへへ」
のお裾分けになるのかと、というのが
相手が僕にそうしてくれるから
僕がそうなる
なので全て「自力本願」ではなく何かとの
等価交換 か 効能(レバレッジ)になります

吉田賢太郎
中高生の君へ。
今、君が感じている「自分って何だろう?」というモヤモヤや、
「誰かに勝ちたい、でも自分が怖い」というヒリヒリした気持ち。
それは、君が**「表現者」という名の修羅であり、仏陀である**証拠なんだ。
人生の「本当のルール」を、少しだけ尖った言葉で伝えるよ。
1. 「私は最強」は、マウンティングじゃない
誰かと比べて「上だ」と言うのは、ただの臆病者の遊び。
本当の「最強」とは、世界に一人しかいない自分を、
泥臭いところも全部ひっくるめて「これでいい」と抱きしめること。
お釈迦様が言った「唯我独尊」の正体は、この自己肯定の爆発なんだ。
2. 勉強とは、自分を壊すこと
教科書を暗記するのは勉強じゃない。
新しいことを知って、「昨日のダサい自分」をブチ壊すこと。それが勉強だ。
今の自分を卒業し、見たこともない自分へ入学し続ける。
君が「怖い」と感じるなら、それは君が正しく更新されているサインだよ。
3. 「初心」なんて、ゴミ箱に捨てていい
「始めた頃の自分」に縛られる必要なんてない。
子供っぽさも、昔の成功も、全部脱ぎ捨てていいんだ。
大事なのは「今、この瞬間の君」がどうしたいか。
過去を忘れ去る勇気を持ったとき、君は本当の自由を手に入れる。
4. 人生は、依存と恐怖のジェットコースター
誰かに頼りたい自分(依存)と、変わるのが怖い自分(恐怖)。
その間で「四苦八苦」するのが人生のデフォルト設定だ。
「無難」に生きるなんて、つまらない。
「有り難い」という言葉は、**「無難じゃない道」**を歩く人のためにあるんだ。
5. 君は、一秒ごとに生まれ変わる
アイデンティティは、一度作って終わりじゃない。
朝起きた君と、夜眠る君は、もう別の生き物。
陰(かげり)の中にいる時も、陽(ひかり)を浴びている時も、
その「差」を面白がりながら、どんどん自分をアップデートしていこう。
まとめ:君へのメッセージ
君の心には、戦い続ける「修羅」と、すべてを許す「仏陀」が住んでいる。
誰かの決めた「既成概念」という檻をぶち破り、
毎日自分自身を「自己破壊」して、新しい自分に入学し続けよう。
君という宇宙は、今、この瞬間も更新されている。
胸を張れ。君は、君であるだけで「最強」なんだ。

エントロピー
最高峰の学問マスターと仏陀とバブみと
ヤンチャのルーツと「究極のプッツンや規格外」の両端を担う事に学問してよかったゼーと
「同時にクソ真面目くんら」が抜けてるとこを書いてるつもり、国民には期待しない、知らないに決まってるからだね.
見沢さんは10代の頃から左翼活動に参加、まもなく右翼に転向。新右翼の統一戦線義勇軍でイギリス大使館火炎瓶ゲリラ事件やスパイ粛清事件(殺人事件)を起こし、実刑判決を受けて12年の獄中生活を送る...
という、生涯が超絶にハードモードな人でした。
獄中で執筆した小説が新日本文学賞の佳作となり、出所後、作家デビュー。96年に出版された獄中手記の『囚人狂時代』(ザ・マサダ、1996年/新潮社、98年)はベストセラーとなり、97年に発表した『調律の帝国』(新潮社、1997年)は三島賞候補になりました。
しかしその後、長年の獄中生活によるPTSD、及び向精神薬の大量摂取などにより次第に心身に異常をきたし、2005年、マンションの8階から飛び降り死亡。享年46でした。
見沢さんとの出会いは新宿某所で行われたとあるサブカル系のイベントで、その少し前に文庫本の『囚人狂時代』を読んでいた私は、それまでの人生で見たことのない人種である見沢さんを前にめちゃくちゃ緊張したのを、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えています。
それをきっかけに見沢さんとは手紙のやりとりが始まったのですが、まもなく私は見沢さんに文章の添削をしてもらえるようになりました。
当時見沢さんはその少し前に脳梗塞で倒れていて、明らかに心身ともに下り坂に入ってきていました。
それでもその頃はまだいくつもの雑誌の連載を持っていて、紙媒体の連載どころかデビューすらできていなかった私にとって、書く媒体を多く持つ見沢さんの立場はうらやましい限りでした。
ところが、見沢さんはいつも口癖のように私に言っていたのです。
「エンタメでいくら売れても仕方ない。俺は人を殺しているから、純文学で賞を獲らないとプラマイゼロにならないんだ」
申し訳ないけれど、当時の私にはその意味がまるでわかりませんでした。こんなにあちこちから引っ張りだこの人気作家さんなのにどうして? と思ったのです。
確かに賞を獲るのは良いことだけど、そのために身体まで壊してしまっては意味がないではないかと。
見沢さんは無頼派というのでしょうか、昔気質の作家さんで、多くの作家が執筆をPCに切り替えている中、あくまでも手書きの原稿用紙にこだわり(しかも稀代の悪筆)、太宰、三島、川端と、今からみれば常軌を逸した作家たちにならおうとしていたところがありました。
死ぬときは前のめり、が生前の口癖だったくらいで、人生は太く短く、国士が50過ぎて生きるなんてみっともない、などと常日頃から言っていました。(そして本当にその通りになってしまいました)
でも、これは後年いろんな作家さんを見ていてわかったことですが、ここまで極端に走らなくても賞を獲った作家さんは大勢います。
最初にエンタメから入って文学賞を獲った人なんて山ほどいますし、ましてや今はお笑い芸人さんやタレントさんが芥川賞を獲る時代。
良いものさえ書けばそれまでの経歴などまったく関係ありません。
けれど、私のその声が見沢さんに届くことはありませんでした。
賞フォビア(恐怖症)と私が名付けて見沢さんに笑われたその現象は、ほとんど見沢さんにとっては強迫観念に近いものでした。賞を獲らなければ自分には生きている価値がない、という思い込みは、死に至るまで見沢さんを支配し続けていたようです。
私は今でも思います。
なんで見沢さんは、純粋に文章を書くことを楽しむことができなかったのだろう、と。
私は見沢さんがエンタメモードの時の文章が好きでした。洒脱にして軽妙快活、善も悪も酸いも甘いも、すべて不謹慎すれすれの笑いのオブラートに包んでしまう。
その突き抜けた明るさに、社会の片隅に生きる人たちがどれほど救われたことでしょう。
あるとき私は見沢さんに正面きって聞いたことがあります。
エンタメの文章書いてるときって楽しい? と。
楽しい、と見沢さんは即答しました。でもそのあとにまた言いました。
楽しいだけじゃ文学はできない、あれは身を削って書いてナンボ、そうしないと人の心を鷲掴みにする文章なんで書けないんだ、と。
私は、作家の自死の多くは事故だと個人的には思っています。
ギリギリのところまでいかないと手にいれられないものはある。
見沢さんは常々そう言っていましたし、それはその通りだと思います。芸術の世界のことはよくわかりませんが、世の中にはそこまでしないと行けない高みがあることも知っています。
けれど、そのたびに胸のどこかに痛みが残るのです。
なんであんなに真面目に頑張っていた見沢さんが、死ななければならなかったのかと。
俺みたいなのが生きてるうちはまだこの社会も大丈夫なんだ、と生前見沢さんは笑いながら冗談めかして言っていましたが、その見沢さんが自ら命を断ってから今日で19年になります。
今日、そういえば命日だった、と思い立ってお墓参りに行ってきたのですが、午後になるのに他に誰も来た形跡のないお墓の前で、花を手向けて手を合わせているときに私はふと思いました。
見沢さんは、もっと楽な方へ逃げても良かったんじゃなかろうか。
もっと適当に、あいまいに、純文学がダメだとわかればてらいなく一時撤退、そしてほとぼりが冷めた頃にまたしれっと文壇に戻ってくる。
そういう図太さ、したたかさが、もっとあっても良かったんじゃないか。
これは私が見沢さんの亡くなった歳を過ぎて初めて見えてきたことです。
ひとつのことをいっしんに磨き、生涯かけて鍛錬する。
それは確かに素晴らしいことです。そんな風に人生を送ることができたらどんなに誇らしいことでしょう。
だけど、大抵の人間はそうはいきません。
ほとんどの人はなにかに挫折し、軌道変更をしながら生きてます。
私もそのひとりです。
長い間、ひとすじになれないことがコンプレックスになってきました。今もそうです。
今こうして文章を書いていても、おまえはなんでもっとひとつのことに真剣になれないんだ、という心の声が聞こえてきます。
でも年をとるにつれて、その声に愚直に従うことは命とりだと思うようにもなりました。
ひとつのことにいっしんになれる人の大半は、恵まれた人たちです。
才能や環境に恵まれた、そうすることを許された人たちです。
もちろん、異論はあると思うのですが、少なくとも見沢さんは環境に恵まれていたら、あのような最後を迎えることはなかったんじゃないかと思います。
青春期の大半を独居房の中で過ごし、出所してからも急に入ってきた大金の使い方がわからず、暮らしに困っても作家・見沢知廉であることを決して捨てようとはせず、職業を離れたひとりの人間としての逃げ道を作らなかった。
どうして、もっと楽に、ひとりの煩悩深い兄ちゃんとして、楽しく生きられなかったんだろう。
私もかつては賞を獲り、ベストセラーを出さなければ一人前の社会人にはなれないと思い込んでいました。
でも今は、そうなったらいいなとは思うけれど、もはやマストではありません。
「ねばならぬ」の危険性は見沢さんを見て学びました。自分のアイデンティティと職業を同一化してしまうことの危うさも。
なぜなら、これはうまくいっているときはいいですが、需要がなくなったら終わりだからです。
でもそういうとき、職業をはなれたひとりの人間として受け入れられるコミュニティをあらかじめいくつも作っておけば、仕事で挫折した時もそこまで自分を追い込まずに済みます。
私は紆余曲折の結果、その道を選びました。
書くことは軸にありますが、その他にも興味のあることは片っ端からなんでもやります。
不慣れな分野で要領を得ず、お前は邪魔だと年若の人に乱暴に突き飛ばされてもです。
そんな私を人は器用貧乏と呼ぶのかもしれませんが、そう言われても構わない。追い詰められて命を取られるよりはよっぽどましだと思います。
それが、私が19年前、師匠の訃報を聞いたときに学んだことです。
ただ、それでも。
私の家にはGIジョーの零戦版フィギュアという、おそらくマニアにとっては垂涎もののお宝に違いない人形が置いてあります。
それはいつだったか、見沢さんが「いつも世話になっているから」と嬉しそうに私にくれたものです。
この、インテリアとしてはことごとくどの部屋にもマッチせず、仕方なく納戸の棚の上に置いたまま何度もの引っ越しについてきているこの人形を、
表情の読めない顔をして凛と立ってるこの人形を、
私は未だに、捨てることも、売ることもできずにいるのです。

蘇我霊玄導師准尉
その環境からの解脱と自覚して悟りの気を起こさせられるのが「指導」である。
誰も彼も皆、間違い続けてつくられた「幸福」に縛られて救われる事のない「輪廻」を繰り返していく。
しかし理解されない。。。仏典諸経が説き霊験修練の末に空中浮遊したり姿を消したり身体の色を変える事が出来るまで、誰にも「信仰」を説かない様にしようと思う。
本卒的に誰も救えないし誰も理解出来ないだろう。神と仏陀、精霊と祖霊、家族と親友。この三種六部を友として生きる他ない。
僕は「人間」である。努力したとしても土塊を集めるだけでは猿と同じ。何かしらの妙霊魂魄の鬼道を拓かないと猿の戯言でしかない。天気を良くするくらいの神仏精霊との共同作業が出来る程度では「未熟」なんだ。陰陽師を超えて、永遠に生きる事が出来るくらいになるまで。解脱と還世が出来てこそ一人前だろう。死者を生き返らせるのは間違いでそもそも心停止して数時間過ぎたら「戻す」方が酷である。冥福を祈り送るのが絶対正しい。来世も見当が違わない様に生きたいモノだ。

エントロピー

エントロピー
対象相手になりたいと対象相手を模倣するから
と言う事は神様、仏陀様を御本尊、本望にした場合「寄せて似てこなければ」才能がない
そんな感じで良いのかなと思います.
何回も言いますが「この世はごっこか遊び」
堅苦しい理屈は「皆悪い事」と書いてますよね?
なのにまたやるのが日本人その病気から脱獄するのが宗教理念な訳

エントロピー
道徳や親の理念は自分が持ち合わせないと…
「もうここから間違ってるのです」
ようは道徳の3次元上が仏陀、ならば任せてないと入っては来ません、これは神も全くそうで
君たちが選んだのは「この2体はいらね」でしょ
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吉田賢太郎
【自己紹介】
解離性同一障害(DID)の当事者、通称「人格解離者」として日々を生きています。
私たちのシステム内には、特に強力な能力を持つ二人の部分(アルター)がいます。
** gifted genius 姉(🐇❤️)**
** gifted genius 弟(🐉🔪)**
彼らが時に表に出て生活を回したり、内に秘めた特別な才能を発揮したりしています。私たちについて、どうぞよろしく
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蘇我霊玄導師准尉
歴史文化音楽映画美術骨董が好き。宗教的な投稿は半信半疑の表れで、本気では無いが良い教えがあるなら受け入れたい。
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みあぞん
サブ垢:みあぞん100
時々趣味で小説をアルファポリスさんのアプリで書いたりしてます。最近はモンハンばかりしてますがwww
根が陰キャなので自分から話しかける事はなかなか💦
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エントロピー
僕は弱点だらけでつ、取り柄もありません、【模範解答】僕が狙いを定めたのは、ここ何のテスト!? 常識にとらわれない答えに花丸をあげたくなる!エントロピーより
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