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あーす

アヴドゥル
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り 理
る ルドルフ
れ レビー
ろ 露

おと

トラち
将来的には
レビー小体みたいに何か見えちゃうやつの
自覚がある?方のやつになるんと思うが
レビー小体かもしれん、、

パサパサな髪に潤いを

ロゼ子🍅

あーす

うい
一番好きなアニメはBLACK LAGOONで、好きなシーンはシーズン1第7話のレビーとロックのシガーキスです!
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珠雅(しゅが)
住んでるところは私が相続したボロアパート(昔はアパートしてた、別の伯父が)のを伯父亡くなって乳が相続、父亡くなって私が相続
伯父は1階の一番向こう端の部屋に住んでる
このアパートに住む前は二階建ての家あったけど12年前に燃えた。
前の二階建ての家(父の)が燃えた時に隣にあった伯父の小屋から出火全焼
からの、
今のアパート母102私103伯父105で住んでる!
伯父がそこに住んでんのは⬆で前の家燃えた時に伯父も行くところなくて父がそこに住まわせた(105)に、その伯父が何もしてないのは私が生まれた頃より前から。
アパートに住み移ってからは父が伯父の飯の面倒(夜)見てたけど、亡くなってから、仕方なく私が惰性で継続𐤔𐤔𐤔
ガス代払わんくせにつかってて、そのガス代はアパート相続してる私が払ってる。
母は伯父嫌ってて完全不干渉。
母はレビー小体型認知症、精神障害者1級(手帳)
ボケてる。要介護2。

よく食べる
最早頻尿のじいちゃん思い出すわ
でも還暦超えれるか微妙なラインの寿命やからレビー小体型掛かる前に骨なりそう
楓花(ふうか)
ふと起きたら、天井をとても大きな羽虫が
歩いていた。全長は天井と比較して約40cm。
「なぜあんなに大きな虫が?」
とよくよく目を凝らすと、それは大きな
ヘラクレスオオカブトになっていた。
変わるまでの時間は5秒ほど。
全長40cmほどのヘラクレスオオカブトが
ゆっくりと天井を歩いている。
部屋は暗い。遮光カーテンがあるが、
際にいた為、日の浅い光が特徴的な金色を
映し出していた。
「なぜあんなに巨大なヘラクレスオオカブトが?」
電気をつけてみると、消えた。
それだけ鮮明で、動きも正確なイメージが
消えた。
見えていた時間は約20秒ほどだった。
レビー小体病である事も考慮すると
これは「幻視」の始まりなのかもしれない。
幼い頃、小さな触れないレゴブロックを見たり
高校時にぼんやりとした人影が金縛りと共に
見える事はあったが、これだけ鮮明で
正確な動きを伴うイメージは初めて見た。
恐怖はなく、疑いも持っていたが。
もしこれが一時的な睡眠不足やストレスに
よる出眠時幻視ではなく、
本当にレビー小体病の幻視の一種なら
これがレビー小体病の本格的なスタートを
意味する。
また繰り返すかどうかを観察しながら
休みが明けたら医師に相談してみよう。

jamila

aurora 🪡
幻覚、妄想、小刻み歩行、手の震え…
その他諸々、まぁ、当てはまるよねと。
ここ最近父が浮気していると妄想して、怒ったり泣いたり…(もちろんそんなことは無い)
夜、電話したら出なくて折り返しあり。
何してたの?と聞くと、
「お風呂入れてた」と。
父が仕事から帰ってくる時間…
そういうことは忘れないんだね。
この前も、父の寝巻きを出しておこうとして襖を開けた。
転んだ…。
実際には、父が帰ってきたら転んでたんだって💦
あーぁ…。
膝を打って痛いという母に、心配ともどかしさから怒って湿布を貼ってあげる父…。
愛が溢れてる…
元気でいて欲しいよ、ほんと。

りり
5キロ離れて住んでいる母がある日突然
財布が無い取られたと騒ぐようになった。
誰が怪しいとまでいうように。
認知外来に行き検査でレビー認知症でした。
進行がはやいとのことで、遅らせるシールを毎日貼っています。
今はデイサービス週2、ヘルパーさん週2回
お願いして約2年。
明るく社交的になりに元気になって来ました。
デイでカラオケや習字等取り組み、認知症が進んでいる人に前向きな声がけ、身体が不自由な人の介助、職員さんが手一杯の時、昔習ってた童謡を周りの利用者さんを誘って皆謡を歌ったり、人のお役にも立つ事で凄く表情も若くなってきて
2年連続で習字コンクールで特選もいただき
字も上手になって来ました。3年前は字が崩れて来て間違いの多い字だったのでびっくりです。
病院の先生は治らない、治療しても少しずつ進行していくとおっしゃいましたが、進化しているんです。
周りの方たちのお陰でこんなにも認知症が良くなると思っていませんでした。本当に感謝です。人との交流って凄く大事だと思いました。
いちいち
大好きだったコーヒーとお花を御供えします。
亡くなる前の3年半、母は認知症を患いました。
レビーの認知症だったので、性格が変わったように攻撃的になってしまった。
身体が動くから、徘徊の心配もあり、気の休まらない日が続いた。
認知症から1年、パーキンソン病も発症し、だんだんと立てなくなった。
ちょうどホワイトデーの日だった。
本当はダメなことなんだけど、正直少しホッとする自分がいて、罪悪感でいっぱいでした。
それから、訪問介護の方、ディサービスの方々、ショートステイの介護士の方々、病院の看護師の方々、本当にお世話になりました。
感謝でいっぱいです。
皆さまのおかげで、どうにか介護の生活を乗り越えることが出来ました。
やっと特養の空きができて入所が決まった矢先に、最後の一年は体調を崩して、入院のまま息を引き取りました。
今では、明るく楽しかった笑顔の母の思い出しか思い出せません。
正直、最後の3年間は、あれで良かったのか?最善を尽くせたのか?と思う事もあります。
でも妻と必死の介護生活で、ゆっくり考える暇はありませんでした。
看護、介護に携わる方々、介護タクシーの方々、医療に携わる方々、本当にありがとうございました。
そして妻へ。
本当にありがとうございました。
御供えしながら、いろいろなことが頭の中をよぎりました。

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