
楓花(ふうか)
漫画家の楓花です!色んなものが好き!皆さんの好きもいっぱい知りたいです!よろしくお願いします!
アニメ
マンガ
音楽
ゲーム
switch
映画鑑賞
猫
イラストレーター
漫画家
アクション
SF
コメディ
お笑い
カラオケ
絵画
お絵描き
イラスト
邦楽
洋楽
ジャズ
カントリー
ブルース
ロック
R&B
KingGnu
スガシカオ
星野源
ザ·ビートルズ
ローリング·ストーンズ
KingGnu

楓花(ふうか)
あるようで、ない。
強いて言うなら人間がそれに
どれだけ情を傾けられるか
その一点にのみ、ある。
頑丈に作られた鉄の鉛筆削りが壊れたら
悲しむ人間もいるし
鉄とプラスチックで出来た犬に情を
傾ける人間もいるし
ごく単純に、仮想的に作られたたまごっちにすら
情を傾ける人間もいる。
直す事が出来る
代替え品がある
リセットが効く
それらがあっても尚、その点は変わらない。
機械に情を持たない人間も当然いる。
それは街中ですれ違う知らない人間や
通勤に使う電車の車掌やインフラ整備員、
嫌いな上司や部下に情を持たないのと
なんら変わりないのだ。
子供は産める人間が産んだら良い
人材がなくなったら補充すればいい
辞めるか死ぬかどちらかになれば良い
機械に対する感情と変わりないものが
そこにある。
何に対して情を持つかなどそれこそ人の自由だが
そんないい加減な人間という生き物が
盲目的に生命と機械、それに属する有象無象に
尊さのランキングをつけ、
それを信念や思想にまで昇華しようとする行為は
多くのリスクを孕んでいる。

楓花(ふうか)
エルフ


楓花(ふうか)
ビーチ


楓花(ふうか)
「生きる事そのものが大切じゃない事に
気が付いたからだ。
その間に紡ぐ思い出が大切だ。
思い出は二人の思いが同じ方向に
向いた時に初めて形成される。
でも君の思いは今何に向いている?
僕に?」
「そうよ、だから今まで神様に…!」
「そうだ。僕に、じゃない。神に向いた。
初めは本当に僕の為だったんだろう。
だがいつしかそれはすり替えられた。
君はいつしか僕の目を見なくなった。
僕から目を背け、祭壇を見つめる。
僕の目を見ろ。
見るんだ!
…僕の目はもう光を映さない。
それが君は怖いんだ」
「あなたは全てを諦めてる」
「そうだ。君が僕と思い出を紡ぐ事を
放棄した日から、僕は全て
諦めてしまった」
「私が悪いと言うの?
私があなたの為にどれだけ頑張ったか、
あなたはそれを全て無視して
私が悪いと言うの!?」
「神にすり替えられたんだ。
僕はそれを感じていた。体験していた。
君のその憤怒は、本当に僕の為に
動いていたのなら生まれない。
僕にそうではなかった、間違いだったと
言われてしまったから、
生まれているんだ」
「間違ってなんかいない!」
「そう認めたがらない生き物が、人間だ」
「もう付き合いきれない!」
「なら僕から離れれば良い。
僕の為という嘘を吐いた事を認め、
神の元へ逃げれば良い。
そうすれば君は楽になれる」
「…あなたはどうなるの」
「野垂れ死ぬだけだ」
女は男と神を天秤にかけた。
だが女がそれまで男の為だと偽り、
神の為に集めた収集物の重みが、
天秤の正確性を狂わせた。
女は男の元から離れた。
そして男の言った通り、女の収集物は
男を失くし、無価値となった。
後悔、先に立たず。
そしてその後悔は男と紡いだはずの思い出を
全て消し去り、怨念と化した。
女の祈りは呪いへと変わった。
男は独り、女の目がまだ自分を見ていた頃の
思い出に浸っていた。
やがて病が男の脳を侵し、幻視を
引き起こした。
男が見たのは女だった。
遠くからこちらを見ているが、どんな
表情をしているのか、顔すら曖昧だった。
男はそれに自分から何かしようとは
思わなかった。
ただこちらを見ている、それだけでよかった。
男はある日、また女の姿を見た。
だがその女の姿はそれまでと違い、
髪は荒れ、白髪が混じり、恐ろしい顔を
していた。
男は恐怖し、叫び、目を閉じた。
そしてその目が再び開く事はなかった。
女の怨念は悲しみへと変わった。
成就されたはずの呪いは更なる後悔を呼び
そしてその後悔は後悔のまま、
変わる事はなかった。
二人の思い出はそこで消え失せた。
一人の男と一人の女が
確かにそこに生きていた証も
完全に消え失せた。

楓花(ふうか)
一人の男と、一人の女がいた。
男は脳の病に侵されていた。
女は男の為に神に祈っていた。
男は諦めていた。
女はそれを許さなかった。
男は何も変えようとしなかった。
女は男を変えようとしていた。
女はその為に疲弊し、男はそれを
一時的になだめる事しか出来なかった。
そしてその螺旋に限界が生じていた。
「あなたは何故信じようとしないの?」
「信じる必要性がないと知ったから」
「そんな事ない。あなたは知らないだけ。
精霊を通じて神様とお話しすれば
癒されるわ」
「君は解決策を探し、その体験をしたから
僕にそう言うんだな?」
「そうよ」
「僕の病はやがて幻視を生み出す。
存在しない虫に怯え、存在しない人に
語りかける様になるだろう。
そして君がどれだけそれらはいないと
言った所で、僕はそれを信じない。
何故なら僕はそれを体験しているからだ。
それと同じで、人は自分が間違っている
という事を認めたがらない生き物で
君も、僕も、その例外じゃない」
「私は…!」
「違うとは言わせない。条件さえ整えば
誰だってトランス状態に入れる。
条件さえ整えば、誰だって病に
罹るように。
いいかい、君も、僕も、同じだ。
その中では祈りも、金も、科学も
役には立たない。
無駄に浪費するだけだ。
諦めて、委ねて、手放すんだ」
「私には…出来ない。
それはあなたを手放す事に繋がる」
「いつかは嫌でも僕は君の手から
抜け落ちる。それから何度掬おうと
してもすり抜けていく。
君が今に縋る為に様々なものを浪費して
手に入れてきた全ての収集物は
その時には君にとって無価値になり、
君は裏切りを知る」
「そんな事を言わないで!
あなたは何も変えようと努力しない癖に!
あなたは私の為に生きようと
何故してくれないの!?」

楓花(ふうか)

楓花(ふうか)
いたものが、いまや個人で作れるようになった。
それは絵の世界では顕著に見られる。
それでも躍進を続ける企業や、
成長しようと頑張る個人事業主が、
「人の手によるもの」を求めるのは
そこに「人の絆」が生じるからだ。
「人の絆」が多ければ多いほど、
それらの持てる幅は広がり、更なる
ビジネスチャンスに繋げることが出来る。
それを介さない経営には必ず超えられない
限界がやってくる。
その壁を乗り越える事は、それまで
「人の絆」を構築出来なかった所では
かなりの困難を極める。
絆は個人個人がどれだけ自分の研鑽に
費やしたか、そしてその過程の中でどれだけ
楽しむ事が出来て、人とのドラマがあったかで
結びやすさは大きく変動する。
ネットでしか絵の仕事を受けて来なければ
やはり限界がやってくるのも、
それもまた上記のモデルと同じ形式で
ある事に変わりがないからだ。
どれだけ技術があろうが、絆がなければ
その人間の仕事は無くなってしまう。
絆は研鑽の過程の中でどれだけ楽しんだか、
そして人とどれだけドラマを経験したかで
変わると言った。
やはりリアルに飛び込まなければそれらは
得られない。
最近はネットのやり取り、つまりは
文章や音声のみで魂の交流が出来る、という
主張が多くなってきた。
だが実際にはそれらは仮面であって、
リアルとは全く異質なものだという事実は
理解しておいた方がいい。
ことSNSにおいては、誰だって自分の弱みを
隠して、それを棚上げした上で
人や世界を語る事が出来る。
聖人の言葉のように見えるそれらは
リアルの前では一貫させる事が難しくなる。
蜃気楼が消えてしまうかのように、
すぐに消え去ってしまう。
ちゃんとその手で確かめられるものを
信じていたい。
そしてその想いは、向上心を持つものなら
誰でも持っているものなのだ。
仮面を被ったまま、上辺だけで完結出来る世界で
満足し続ける事は出来ないのだ。

楓花(ふうか)
術士


楓花(ふうか)

回答数 2>>
絶対に到達できない蜃気楼の先にあるもの、と
前提を置いた上で
まず夫婦間でやらなければならない事は
互いの「できる、できない」を明確に共有する事
物理的、精神的、どちらでもいいから
素直な事情、気持ちを互いにまず共有する事が
家族としてやっていくファーストステップ。
そして出来る事はする
出来ない事は出来る方に頼むか、諦める。
双方が互いに最大限でそれを繰り返す事で
「納得出来る自分達の環境」が出来上がる。
これが人間の作れる「平等」の正体だと
思っている。
それがまず出来ていないと、文句が生まれる、
他の家と比較する、なんて事が発生する。
それが積み上がるとなあなあの関係性のまま
家族としての成長が止まるか、最悪の場合
破局を迎える。
もし「納得出来る自分達の分担」が
平等と呼べるのであれば、とにかく話し合いから
始めないとならず、結局それは「出来ない事」を
相手に頼む、という行為なのだから低姿勢で
始めないといけない。
「お前は料理を作らない」
「アンタは掃除をしてくれない」
そういう風に高圧的に始めれば、
出来たはずの話し合いも交渉決裂に向かうのは
当たり前の話だ。

楓花(ふうか)
エルフさん


楓花(ふうか)
宗教なら神に生きる許しを得ている事に感謝する
人ならしてもらっている事に感謝する
思想なら自分を支えてもらってる事に感謝する
でももし、それらを含む地球、その環境、
その外側の宇宙、つまりは自然に感謝出来れば
自然を信じる事ができる様になる。
そしてその信じるという行為は
「盲目的に一つを信じる」というものから
「未だ未到達でありながら絶対的に存在する
規則に従って動く予測不可能なものを信じる」
というものに変化する。
そこには祈りも必要なく
期待も必要なく
思想を守る為に戦う必要もない。
自分自身さえ変化し得る自然の中で
それを良しとし、良し悪しと世間でなされる事も
自然の循環の中で必要不可欠なものであると知る
故に必要以上の衝突は発生しない。
時に規則に従って自分の身を引く事も捧げる事も
納得した上で行う事ができる。
私はそういう人間でありたいと願うし
そうである以上は自然のどの位置どの時間に
いたとしても、そこが居場所になり得る。
感謝を感じられず、常に潰すべき敵が居た
かつての自分と今の自分を比べたら
はるかに生きやすくなったと感じる。

楓花(ふうか)

回答数 4201>>
祖父がペットショップをやっていて
私の家も犬を二匹飼っていた。
学校から帰ったら祖父の家に行き、
そこの犬を二匹同時に散歩させる。
家に帰ったら家の犬を二匹散歩させる。
もうこりごりだ。

楓花(ふうか)
生き残り


楓花(ふうか)
君はテトリスのブロックだ。
先人達の屍の上に積み上げられ、
後に来る者達の為に道を開けている。
そしてもう既に君の上には後から来た者達が
君と同じ役割を持って積み上がっている。
次に長い棒が来る。
共に消える準備は出来ているか?

テトリスのテーマ「コロベイニキ」

楓花(ふうか)
実際の所は臆病なだけなんだろうと思う。
でもそれが悪いという話でもない。
臆病な生物はその慎重さゆえに、生存率を
上げてきた。魚やネズミなどがそうだ。
大量に生み出された個体それぞれが慎重に
そして時に集団で身を守り、生き残ってきた。
そして大きな環境変化に適応できるだけの
柔軟性もそこから生まれる。
弱いからこそ適応出来るのだ。
だが近年の少子化と、ネットによるリアルでの
繋がりの剥奪が、その能力を奪いつつある。
少数ゆえに各個体が独自の強さを持たざるを
得なくなった。
個々の情報や思想はより過激さを増して
更なる分断を産んだ。
大量の個体が圧倒的現実を同時に体験する事で
突出した情報や思想がフラットな位置に
戻される、という現象は1990年を境に
無くなってしまった。
「真面目でいるのはやめよう」
そんな言葉が出てきたのは、それ以降に生まれた
世代に対するものなのだろう。
臆病でいられなくなった彼らは
真面目でもいられなくなったわけだ。
そんな彼らが排他的思想を持つのは
当然の帰結であろう。
だが結局、本質的には魚やネズミとさほど
変わらない生き物である事には
変わりがないのだ。
大量に産んで、臆病だからこそ
その中から環境に恵まれたものが「ヌシ」となる
今は少ない。臆病でもなくなった。
それでも環境は良い日本で育ち、そこそこの
中型まで育った個体は、他の環境の過酷な
場所からやってきた者達からすれば、
格好のエサでしかない。
だから排他的思想は更に強まる。
最初は国内、それが国外からの移民に対する者へ
対象が拡大されていく。
「窮鼠猫を噛む」というが、追い詰められた
個体にその力を与えるのは、勇気ではなく
恐怖に対する意地でしかない。
もちろん、そうした後のネズミの末路は悲惨だ。
その末路が、この国でもちょいちょい
起き始めてきている。そろそろ顕著になるだろう
この前その恐怖心を票集めに使う
おっさん政治家が、必死で外国人排斥を
訴えていた。
実際に戦うのは彼らの世代ではないにも
関わらず、だ。彼らは既に良い環境を持ち、
ヌシとなっている。彼らは口喧嘩売るだけで
実際戦うのは未だ家も職も安定していない、
1990年以降の世代の人間達だ。
彼らは戦う前から負けが確定しているのだ。
そんな人間の五月蝿い演説をバスの中から横目で
見ていると、突然バケツをひっくり返す様な
雨が降ってきた。
頭を冷やし、ついでに毛髪と煩悩も
抜いておけばいいのにと思った。
私は臆病なままでいい。
それで少なくとも謙虚でいられる。
猫を噛まずに細い穴倉に逃げ込んでも
傷むプライドがそもそもない。
そして上手いこと彼らと付き合っていく方法も
いくらでもあるのだ。

楓花(ふうか)

回答数 6099>>
ウサギなどの中型の生き物は
死んでしまった時が大変だ。

楓花(ふうか)
分かってくるのが、多くの人が
「起承転結」というテンプレートに縛られ過ぎている、という実態だ。
テーマとそれに合ったキャラクターの性質(性格ではなく)を用意しておけば、あとは出だしを描き始めれば自然にキャラは動いてくれる。
でもそうする前に「起承転結」のテンプレに
添う形にする為に多くの人は「プロット」を
文章で描き始める。
そしてそのプロットがあまりに膨れ上がり過ぎて
「もうこの文章で作品としていいじゃん」と
なってしまう。
もちろん作品として世に出せるものじゃない。
プロットはプロットだ。
小説として書いたものではない。
でも本人の頭の中ではアウトプットとしては
それで完成してしまっていて、
それを漫画や小説にするとなると、
「プロットのコピー、または上書き」状態に
なっていて、形にするやる気をなくす。
結果的にネタ帳やキャラ表は大量に溜まるが、
作品は一つも生み出されない。
これは物凄くもったいない事だ。
実際4コマだけで考えても、「起承転結」で
統制されているわけでもない。
「起承承転」「起転転結」などもあれば
場合によっちゃ「転転転転」なんてものもある。
そして4コマではない漫画もそれを拡大したものに
過ぎず、「起は描けた。承承承と続いてる。
そろそろ転を入れないと読者は飽きるな」
みたいな考え方で描かれる場合が多い。
そしてそれで十分面白いのだ。
確かに「起承転結」というテンプレは
読者にとって読みやすい内容にはなる。
だがそれに囚われるがあまり、描き手が
「描く楽しさ」を見失い、作業と化す事で
読み手も「読む楽しさ」を見出せなくなる。
そもそも世に出ないとなるとスタートラインにも
立っちゃいない。
だから私は「起承転結」を教えない。
「テーマ」とそれに合う「キャラや設定の性質」
作りに必要なものを教える。
それさえ揃っていれば漫画は「生きる」
あとはとにかく「1コマ目を描き始めろ」だ。
これを教えるとプロット、構想だらけだった
人間の脳や外部保存端末から、それらが
少なくなっていく。
代わりにちゃんとした作品がハイペースで
出来上がっていく。
その場数をこなすたびに、作品の質は
勝手に向上する。
「技術の蓄積」が「質」を上げるのは結果論で
まず「楽しい」がないと蓄積された技術は
「習作」のまま終わる。
多くの人の創作活動が「趣味」で終わるのは
これが主な原因だったりする。
失敗を恐れるがあまりテンプレに手を出し、
テンプレに満足して終わる。
日本人の真面目さが生産性の低下に繋がっている
本当に勿体無い事だ。

楓花(ふうか)
ごく分かりやすい文章で構成されながら
一つ一つを分断、完結された文にする事で
フレーズを覚えやすくしつつも
それぞれの文が示す事実を統括すると
単体で考えていたものとは違う内容が
浮かび上がってくる所にある。
キャッチーな文で構成しながらも
その裏にキチンと闇を忍ばせる。
これはなかなか真似する事の出来ない芸当だ。
大体の人間は文章をそのまま連想する形で
構成する為、文章単体に意図が入ってしまう。
結果的に覚えにくい歌詞が出来上がる。
それ単体では完結していない為、
どうしても前後を覚えていないと繋がらない。
サザンのこのような歌詞作りはそのまま
タイトル付けにも応用され、それ故に
「曲も覚えてるし歌詞も覚えてるけど
タイトルがなんだか分からない」
といった問題も発生する。

LOVE AFFAIR~秘密のデート

楓花(ふうか)

回答数 4989>>
これ以上はやめなさい」
この言葉以上に自分を救った言葉はなく
そして今でもこの言葉は私を守る。

楓花(ふうか)
性別が逆になって女性になってたら
仕事が恋人のまんまでアラフォーを迎えて
今頃絶望感を抱えつつ、それでも必死に
いい男を探し続けてると思う。
ってのは冗談で、私は要領がいいので
自分の器に見合った男性を見つけて
普通に幸せにやってるだろう。
今ですら脳みそ半分女脳で、バイなんだ。
いい男の条件、いい女の条件は知ってる。

楓花(ふうか)
パワードファイバースーツ


楓花(ふうか)
暑いですね〜


楓花(ふうか)
亀はいい。のんびりしながら、感情も感じられる
あとは蜘蛛を野放しで飼っている。
この季節には重宝する。

楓花(ふうか)

回答数 8703>>
犬も猫もそれぞれの良さがある。
個体差もある。どちらが良いとは言えない。
バカみたいに凶暴で吠えまくる駄犬もいれば
タバコを吸いに出て戻ってくると玄関で
待つ様な忠実な猫もいるのだ。

楓花(ふうか)

回答数 5812>>
そしてインプットされた分だけ
アウトプットしたくなって絵やら文やら
書き始める。
そしたら夜更かしコース決定だ。
だから何もせず、布団に入り、
お気に入りの抱き枕を抱いて寝る。

楓花(ふうか)

回答数 6346>>
現実でも泣かない。
そんな悲しい事や閉塞感などの
どうしようもなかった事が
とある人物の行動によって
何とか次のステップに移るシーンなら泣ける。

楓花(ふうか)
個人差がある。
それなのに隣の人は、隣の自治体は、隣の会社は
隣の国は、などと比較して考えがちだ。
人間は「やれる事をやる」事しか出来ないにも
関わらずだ。
ルールは確かに社会を円滑に、摩擦を可能な限り
0にして、回していく為に必要なものだ。
だが今やそのルールは複雑化し過ぎて
そしてこの瞬間にも勝手に増えていく。
最初は単純明快、必要最低限だったものが
責任を負いきれない都合上増えていった。
隣の芝は青く見えがちだ。
人のフリ見て我がフリ直せない人間ばかりだ。
そんな状態では理想を追う事も
平等を完璧なものとする事も出来ない。
やろうとすればするほど、勝手なルールが
増えていく。
そして人はそれに翻弄される。
やれる事をやる。
出来ない時は諦める。
これでいいはずなのに、納得出来ない人間は
自分の不出来を棚に上げて
誰かに代わりにやるよう促す。
そりゃ世界が摩擦でギシギシいうわけだ。

楓花(ふうか)
「NSFW」が何なのか、知らなかった。
なんか多分男か女かのどちらかが裸のやつかな?
とか思ってた。
「Not Safe For Work」の略なのね。
自分的には「これ際どいかなーどうかなー
展示するの公共の場だからなー」とか思って
展示場を提供してくれる上の人に聞くと
「健全なエロスだから大丈夫!」
って言われた事があるので、線引きが
分からないまま今まで過ごしてきた。
だってそれ言った人、40過ぎの国家公務員さんよ
今でも線引きが分からない。
思いっきりやってる絵ならそりゃそうなるんだが
あんまりそういう絵を描きたいという欲求がない
描いててつまんないんだよ…

楓花(ふうか)
重装備ロボット兵
単騎で一個小隊に匹敵する性能を持つ。
ミサイル4連を両肩に一つずつ
両腕に連装電磁砲(高貫通弾)を装備。
飛べはしないものの、脚部のブースターで
高速移動が可能。
装甲はタングステンにカーボン多層構造による
衝撃吸収型。
大口径徹甲弾にも耐え、熱にも強く、
EMP兵器にも対応している。


楓花(ふうか)
絶対的に必要となるのが、
繋がりといったような概念だ。
家族から学校の友達、社会の仲間、そして
新たな家族を得て、その無限の生命のサイクルを
感じ取るスタートラインに立てる。
そこがもし、社会の仲間の段階で止まった
ままだと、人は生を感じることは出来ないままだ
そして、今の社会はその段階で止まりやすい。
企業が目先の利益のみ優先して、
サイクルを作ろうとしないのが主な原因だ。
即戦力だけを重視し、長期的なスパンで
物事を見ない。その瞬間利益があげられれば
それでトンズラできる。
そのような仕組みの企業がほとんどで
従事者や消費者はそれにまんまと乗せられる。
経営論は多様性の名の下でそれそのものが
消耗品となる。
それに作られた社会もまた、消耗品となる。
その先のサイクルに繋がらない世界。
それが現代だ。
その洗脳を受けた者達はその日その日を
消耗して生きることになる。
自らの力で生産する事が出来ないまま、
1週間を生き、1ヶ月を生き、1年を生きていく。
そしてその多くが「いつこの地獄は終わるのか」
と、嘆く。
地獄はいつだって終わらせる事が出来る。
その洗脳から脱し、消耗品としての自分を捨て、
真の生産の為に逆に企業を利用する立場に
なれれば、いつだって終わらせられる。
繋がりを持つ為に美容や服や家電等は
実際の所必要ない事がそれでようやく分かる。
それを知る者は遥かに豊かなものを持っていて
それは誰にも奪う事はできず、その同志が
出逢えば、その発展を更に早められる。
彼らに必要なものは消耗品ではなく、
廻り続ける自然そのものだ。それだけでいい。
誰でもその手の中に無限に思えるような情報を
持っているが、それらの内の99%が消耗品で
ある事に気付けない、あるいは認められない。
捨てて仕舞えば良い。
そして視線を手元から真っ直ぐ前に向ければ良い
そこに真に有益な現実がある。
誰にも消し去れない現実がそこにある。
それを使うべきだ。
知恵はそこからようやく生まれる。
トリビアなんか、役には立たない。

楓花(ふうか)
常に虚無を孕んでいる。
個が単体でその輝きを示せる範囲と期間は
とてつもなく狭く、短い。
私達の生命の本質はそこにはない。
蛍の光に意味があるのではない。
蛍の存在に意味があるのだ。
人間もそれと同じだ。
そこに気付くのが早いか遅いか。
何者かであろうとする内は死んでいて
それを手放した時にようやく生命として
生まれ、生を実感出来るようになる。
生から死ではない
死から生なのだ。

楓花(ふうか)
可能な限りにリアルに、
でもファンタジー。


楓花(ふうか)

回答数 5590>>
ほぼ全てマイナスから捉える事でプラスに
敏感になれる。
ほんの些細な好意、自分に訪れた幸せに
気付きやすくなる。
でもその直後にまたマイナスに戻しておかないと
すぐに調子に乗るのが人間だから
ちゃあんとマイナスに戻す。

楓花(ふうか)

回答数 6036>>
といっても知られたいとかじゃない。
ただ自分の気持ち、所見を垂れ流す。
本当にただのトイレなのかも知れない。


楓花(ふうか)

回答数 5837>>
原因が自分でわかっていなくとも言う。
そうすれば少なくとも相手は
「今コイツ不安定なんだな」という情報は
知れて、それにあった対応が取れる。
飲み込んで、相手が地雷踏んで
自分が爆発したら、相手に失礼だろう。

楓花(ふうか)

回答数 164>>
僕を見ろ。
顔は酷いもんだ。鼻なんか特に。
性格だって内向的で、そのくせ
本当の自分に気付いて欲しがる。
めんどくさい野郎だ。
でも自ら望んでそうなったわけじゃない。
クソッタレな自分になりたくて
なったわけじゃない。
だから必死になった今の僕がいる。
僕を見ろ。
君は悪くない。
君のせいじゃない。
君は、悪くない。
やり直せるさ。


楓花(ふうか)
朝6:30に山手通りで発見されています」
「そこで犯人はタバコの空き箱を捨てた…」
「何か違和感が?」
「もし…犯人は今日も足の踏み場のない
小部屋で孤独を甘やかしてるのだとしたら…」
「?」
「不穏な悲鳴を愛さずにいられず、
未来など見ないで、確信できる今だけを
重ねているのなら…恐らく犯人は…」
「犯行がバレる事を望んでいる…!?」
「そう…私の名前をちゃんと呼んで…
身体を触って…必要なのは…」
「是だけ…認めて…ですか。その証が
このタバコの空き箱だとするならば…」
「犯人はタバコロードのセクシーばあちゃん
こと、トメさんです」
「分かりました。逮捕状を用意します」
「早くして。次の犯行は恐らくすぐです。
これじゃばあちゃんもつらい」
「じいちゃんもいないで」
「情けないもんね」
「Oh year…」

罪と罰

楓花(ふうか)

回答数 6134>>
違和感を察知して「どした?」と聞くが
そうでない場合は流す。

楓花(ふうか)
そしてその直後を見た目撃者がいた。
その目撃者が犯人の横顔を見ていた時、
丁度その視線に交わるように一匹の蝿が
飛んでいた。
目撃者はそれを「大きなホクロ」と認識し
警察に伝えた。
「左頬に大きなホクロを持つ男」に該当する
事件現場周辺に住む男が一人該当した。
誠実さだけが取り柄の不器用なその男は
警察の誘導尋問にまんまと引っかかり、
そのまま刑務所に入れられた。
50年経ってようやく無実が確定し、
彼は釈放され、とある町で暮らすようになった。
だが周辺の人間は彼を「過去に大きな過ちを
犯した人間」として認識し、テレビにて
彼がどんなに気持ちを伝えたとて
それが周辺の人間に伝わる事はなかった。
なんせそのインタビュー映像が流れたのは
午後4時の15分から30分の間の15分間だけ。
見ていた人間は少数。
その少数が多数の人間にそれを伝える事は無かった
事件は事実として起きた。
ハエはホクロと勘違いされた。
警察はそれを事実として認識し、
事件概要を創作した。
その創作物は50年間事実とされた。
誤認逮捕された男の気持ちは
多数の「常識」によって打ち消された。
誰もそれを訂正しない。誰も男の気持ちを
聞こうともしない。男も皆に伝えるその気持ちを
伝える気力を、50年間の中で失った。
結局真犯人は誰も分からない。
どんな人物像かも分からない。
何故それが起きたのかも、分からない。
それと同じような形で私達は他者を見る。
事実と勘違いと嘘と常識が
全てを狂わせる。
本当の気持ちなんてのに触れられる機会は
滅多に無い。
そのような存在が自身を
「理路整然とした論理的存在」と自称するのは
とてもとても、愚かしい行為だ。
だが、それも「本当の気持ち」からなるモノに
変わりはない。

楓花(ふうか)
3Dモデルとして捉えて動画を生成してるわけでは
ない。
膨大な学習データを元に「恐らくこう動く」で
出力される。
そしてその仕組みが人間の脳と似てる以上、
逆説的に人間もそれに似ていると言える。
人間が三次元構造物をキチンと認識出来てたら
鉄人28号やらガンダムやら
「その設計じゃそうは動けない」ような
創作物は作れない。
あとは夢の中で見るような光景や物体を
その時よく観察していれば、人間の認識が
どれほど曖昧なものであるか、分かる。
私たちの頭の中には3DCADなんか入っちゃいない
ましてや間違えることの無い計算機すら
入っちゃいない。
経験によって「恐らくこうだろう」という推測の元
世界を見ている。
そしてその僅かな誤差が人間に可能性を
与えている。
滅びの可能性も含めて。

楓花(ふうか)