さて同一かと言われれば、絶対に違う。けれども文学によって哲学は美しく語られるし、文学にとって哲学は欠かせないエッセンスでもある。ホラティウスやルクレティウスは詩でそれを表現したし、老子には韻律があるし、多くの優れた文学の中には哲学が編み込まれている。
ルクレティウスの槍を投げれば、槍視点での世界が無限であることがわかる。もし、世界が有界だとしたら、境界点に近づくにつれ、我々の自覚なしに、槍のより高次の速度のようなものが減少し、境界にたどり着けないってかんじなのかも。例えば、空間が境界に近づくにつれ無限に歪んでいくとか