関連惑星
魔入間の星
131人が搭乗中
参加
魔入りました!入間くんが好きな人達が楽しめる場所にしたいです!
アニメ勢マンガ勢魔フィア勢などなどいろんな人達を歓迎します!
みんなで仲良く正しい使い方してください(*^^*)
お気に入りの音楽🎶の星
109人が搭乗中
参加
好きな音楽🎵や
今日の気持ちはこんな感じ♪な曲
洋楽、邦楽、ピアノ、バイオリン、管楽器
などなど。
あなたの音楽をみなさんで共有しませんか
入院生活の星
107人が搭乗中
参加
入口と出口の扉の星
75人が搭乗中
参加
人生は選択の連続
何かを始めたり終わりにしたり、どれもこれも
新しい挑戦を始めるのにも終わりにするにも
色んな入口と出口を通ります
見たことない世界への扉
興味あるけど開けるのが怖い扉
仕事終わりに閉じる扉
毎日は入口と出口に満ちています
素敵な場所への入口
興味ある扉
疲れて閉じる扉
色んな扉を見せてください
音ゲー専門店
74人が搭乗中
参加
音ゲーが大好きな人!チュウニズム、maimai、オンゲキ、太鼓の達人などのアーケードゲームや、プロセカ、あんスタ、フィグロス、Arcaea、デレステなどのスマホ音ゲーのリザルトを載せてみんなで仲良く頑張りを認めあったり、アドバイスしあったりしましょう!
ゾーン没入BGMの星
7人が搭乗中
参加
集中している時に聞いている音楽を投稿する星。
どんな曲でもどうぞー!
お蔵入りの星
3人が搭乗中
参加
ボツでしかないけど投稿したい!てなった時は是非この星で投稿してください。
人気

た
回答数 154>>

トトロ
回答数 102>>

OTN
回答数 192>>

そら
回答数 189>>


ぱんあ

ちょる

バロ

バロ
もっとみる 
関連検索ワード
新着
ウルシカ
何度か誘導失敗した辛い(時間かかる)
・幼い頃に両親没、孤児になり三更天へ助けを求めるように入門後、修行と任務の日々
・二十五歳
■自宅の道順
・いつも立ってる地点から道なりに真っ直ぐ、橋を超えて柳の木が見えたら左折、茶屋が見えてきたらその前も通り過ぎて小道が見えたらそこへ入るとすぐに家があるらしい
■間取り
玄関入ってすぐ大きめの囲炉裏の間、右側に仏間(仮)、囲炉裏の間の右奥に台所、
囲炉裏の間の奥に一間置いて寝室に続く。一間の左置くに風呂場、厠は位置的に風呂場奥の外で竹林になってるところにあるという
・玄関から出て右方向に石段、しばらく登ると途中に木橋がかかるところがある。その先に岩窟があって、そのなかに小さな温泉あり。木橋はもとからあったものを修復して使えるようにし、温泉を利用できるよう綺麗に整備したのが海長虫ただ一人だという(すげぇ)
しかも着替え用の小屋を近くに建てただと・・・超人か・・・
・梅ういむ、ジャスミン茶、ほうじ茶、塩粥が好物
くそ真面目かとおもいきや控えめに冗談言ってくる
いいぞ・・・かわいいぞ・・・
一旦区切る

縁側

カナタ
「喫茶去」とは禅の公案(こうあん、禅問答の課題のこと)のひとつ、「趙州喫茶去」という有名な話から来ているそうです。仏教の禅宗では公案の課題を元に師と弟子とで禅問答をする修行があるそうで、考案集(要するに問題集ですね)もいくつかあるようですね。代表的なものとして「無門関」「碧巌録」「従容録」などがあるそうです。
「趙州喫茶去」は趙州録(中国の唐の時代の最高峰の禅僧であった趙州禅師の言行録)にある公案で、次のようなものです。
———
趙州禅師のもとに1人の修行僧がやって来ました。趙州禅師は修行僧に「以前にもここに来たことがあるか」と尋ねたところ、来たことはないと答えました。すると趙州禅師は修行僧に対し「喫茶去」と言いました。
また別の修行僧が1人、趙州禅師のもとにやって来ました。趙州禅師が修行僧に「以前にもここに来たことがあるか」と尋ねたところ、来たことがあると答えました。すると趙州禅師はその修行僧に対して「喫茶去」と言いました。
それを見ていた院主(寺の寺務局長)は趙州禅師に「初めて来た修行僧にも、以前来たことのある修行僧にも、同じように『喫茶去』と言ったのはなぜか」と尋ねました。すると趙州禅師は院主に対して「喫茶去」と言いました。
———
さて、以上が「趙州喫茶去」という公案(禅の問題)なのですが、そもそも「喫茶去」とはどういう意味でしょうか。どうも「お茶でも飲みなさい(お茶でも飲みませんか)」という意味にも、「(お茶を飲んで来い、つまり)出直して来い」という意味にも取れるそうです。どっちの意味で取るかによって、だいぶニュアンスが変わる気がしますね。
それを踏まえて、この公案はどう捉えれば良いでしょうか。もちろん公案には正解はなくて、これをテーマとして議論することが修行の一環(悟りが人それぞれなように、公案の回答も人それぞれ)なのだそうですが、やはり正解は何なのか気になりますね。
ありきたりの解釈としては、入門者・経験者・寺の関係者と立場が違っても、同じように接することが大事だ、というものがありますが、そうは言っても趙州禅師は当時の最高峰の禅僧ですから、そんな単純な答えではない気がしますね。なかなか難しいものです。
ということで「喫茶去」は禅の用語として有名なのだそうですが、そこからの派生として茶道でもよく使われる言葉だそうで、「お茶を点てて、飲み、去る。その短い時間に全てを込める」といった感じでしょうか。禅の話に戻ると、悟りは難解な修行で得るものではなくて、お茶を飲むと言う日常の何気ない行為の中にある、ということを趙州禅師は言いたかったのかもしれません。
翻って自分の場合は「お茶でも飲みませんか」という場合、純粋にそういう意味だけでなく、あわよくばの下心がある場合もあります。禅僧と比較するものでもないのですが、煩悩にまみれてますね笑
そんな感じで、誰かをお茶に誘う時は「喫茶去」について、ちょっと思い出してみるのもいいかもしれません(が、蘊蓄として語ると嫌がられるかもしれませんので、お気をつけください)。

トランス
回答数 54>>

きゃん
投資が身近になったことの弊害だよな🥹
ちゃんと勉強する層だけが手を出すわけじゃないから厄介なのよ

Automaton

💤
もっとみる 
