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今日はテレワークが終わったあとに東京ミズマチから牛島神社あたりを散歩してきましたが、ささやかですがイルミネーションで飾られていました。有名どころも良いですが、あまりメジャーでないところでゆっくり楽しむのもまた良いものです。




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1965 Mustang receipt unearths hidden father.
「1965年型フォード・マスタングの領収書が、父親の意外な一面を掘り起こした。」
恐らくこの詩の作者が部屋の片付けなどをしていて昔の領収書を発見したのでしょう。もしかしたら父親が亡くなって、遺品の整理などの最中だったのかもしれません。
さて、それではこの短い詩から、この詩の作者の父親の人物像を想像してみましょう。1965年型フォード・マスタングの領収書ということですので、中古で買ったのでなければ1965年に購入したと考えるのが自然でしょう。
アメリカのフォード(自動車メーカー)と言えば大量生産の大衆車メーカーの先駆けとして有名ですが、フォード・マスタングは「スポーティカー」(スポーツカーのような外観の大衆車)の先駆けとして1964年に販売が開始されたシリーズだそうです。
とすると、「スポーツカーのような外観の大衆車」を購入するのであれば20代の独身の頃だと想像できますので、1940年代生まれ、存命であれば80代であると思われます。
そして、「スポーツカーのような外観の大衆車」を所持していたことが意外だということなので、老いて物静かな父親の若い頃は、もしかしたらヤンチャだったのかもしれません。領収書は残っているけど車を所持していたことを誰も知らなかったということは、写真や日記などの記録を意図的に廃棄したのかもしれず、本人的には黒歴史だったのかもしれませんね。
1965年のアメリカと言えば、ベトナム戦争に本格的にのめり込んでいく時代でもあり、それに合わせてカウンター・カルチャーが生まれようとしていた時代になります。経済的には黄金期ですが、徐々にアメリカ一強に翳りが見えだす、そんな時代です。そうした背景からこの詩の作者の父親の人物像を想像してみるのも面白いかもしれません。こんな短い文章からでも色々と想像できるのもまた、短文詩の魅力ですね。
#sixwords #6語の物語

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地下鉄の大門駅から行ったのですが、途中にある増上寺の山門は改修中なんですね。最近は歴史的建造物の改修は外側をすっぽり巨大な建物で覆って行うことも多いようで、その外側に建造物の絵が描かれているのをよく見かけます。
肝心の紅葉ですが、それなりに綺麗でしたが、なかなか紅葉の見頃というのは難しいものですね。場所によってはもう少しあとの方が良いかなと思ったり、逆にもう散り過ぎていたりと、桜と違って見頃が難しいです。まあでも青空と東京タワーをバックに紅葉を撮れて満足しました。










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それにしても、ラーメンも高くなったものですね。


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たしか去年も来た気がするのですが、去年と全く同じ気がします笑 確かに綺麗なんですが、一度見ればもういいかな、という感じでした。



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Chaos feels better with good company
「良い仲間と一緒なら、混沌も心地よい」
companyは「会社」と訳されることが多いですが、「仲間」「一緒にいる人」といった意味でも使われます。たとえchaos(混沌、混乱、無秩序、予測不能といった意味)がやって来たとしても、良い仲間と一緒なら楽しんで乗り越えられる、ということかと思います。
そういえば、旅行とかもそうですよね。旅行には予定外のハプニングは付き物ですが、そうしたトラブル自体を楽しめる人と一緒だと、旅行は楽しいものになります。
とはいえ旅行に限らず、予定をきっちり立ててスケジュール通りに行動することも大事ですし、予測可能にコントロールされた状態を好む人も多いでしょう。これはどちらが良い悪いということではなくて、相性かなと思います。旅行の話に戻ると、一緒に旅行してみて初めてお互いの良いところ悪いところが見えたりもしますので、相性の良し悪しを知りたい場合は一緒に旅行してみるのも良いかもしれません。
さらに余談なのですが、昔読んだ「ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則」というビジネス書に「最初に人を選び、その後に目標を選ぶ」という話があったのを思い出しました。変化の激しい世の中なので、一度決めた目標は変わることもあるけれど、目標に向かって一緒に働く仲間は変わらない(まあ転職とかはあるかと思いますが)ので、素晴らしいビジョンを掲げるのも大事ですが、その前に素晴らしいチームを作ることの方が大事だという話だったかと思います。
仕事にせよ人生にせよ、何があっても楽しんで乗り越えられる仲間と一緒にいたいものですね。
#sixwords #6語の物語

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遠くに見える谷川岳は、もう雪化粧。冬も近いですね。










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"Won't do" exceeds "to do" list.
『「やらないことリスト」が「やることリスト」を上回る』
exceedは「(数量的に)上回る」というニュアンスがあり、やらないと決めたことのリストの項目数が、やるべきことのリストの項目数を上回っている、ということですね。
これは自己啓発本などでも良く出てくる『「やることリスト」より「やらないことリスト」の方が重要』という話かと思います。人は本能的に、たとえ必要なくても、つい多くの選択肢を可能な限り残そうとしてしまう特性があると言われます。可能性を失うことは痛みであり、人は「痛み」に過剰反応してしまうからだと言われていますが、他の可能性を閉じないということは、逆に言うと「選択をしない」という選択をしていることになり、それによってさっさと選択をした時に得られるはずであった利益を失っているとも考えられます。何も諦めない人は何も得ることができない、なんて言葉もありますが、投資でもよく言われる「損切り」が重要だということですね。そうは言っても、「捨てる」「諦める」ということは、なかなかできないことではあります。
そういえば関係あるようなないような話ですが、ひと昔前に「人生がときめく片付けの魔法」という本が流行ったことがありましたね。これも確か「ときめかないものは役割を終えたものだから、感謝して捨てる」ことで「身の回りをときめくものだけに限定する」ことを実現し、人生をよりよいものにする、といった内容だったと思います。
「やらないことリスト」にせよ、「ときめかないものは捨てる」にせよ、ルールを決めてそれを守り、例外は認めない、という強さが必要かなと思います。まあでも、それが出来れば苦労しないよ、という声が聞こえて来そうではありますね。かく言う自分も、なかなか捨てられないタイプです。
#sixwords #6語の物語

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Scrolling endlessly, searching for something real.
「終わりなくスクロールしながら、本物の何かを探している」
以前にも書きましたが、「six words」のサイトの投稿にはバックストーリー(何を見て、何を思ってその詩を書いたか)も合わせて投稿できるのですが、次のような文が添えられていました。
Days slipped away in an endless stream of posts and notifications. It felt like connection, but something was missing — authenticity, presence, meaning. The more I scrolled, the further I drifted from real life.
「投稿や通知の果てしない流れの中で、滑るように日々は過ぎ去っていった。それはつながりのようにも感じたけれど、何かが欠けていた――本物らしさも、今ここにいる感覚も、意味も。スクロールすればするほど、現実の生活からどんどん離れていくようだった。」
これはもう解釈の余地もなさそうなので、解説は不用ですね。デジタル・デトックスなんて言葉もありますが、SNSやショート動画には中毒性がありますので、この詩のような状態に陥ったのなら、たまにはスマートフォンから離れてみるのも良いかもしれません。
#sixwords #6語の物語

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ちなみに、本人の同意なくロックを解除して携帯の中を見る行為は、たとえ家族や恋人であっても不正アクセス禁止法に触れるほか、プライバシーの侵害に当たるため民事訴訟で慰謝料を請求される恐れがあることは知っておくと良いでしょう。

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結論としては、求めている味とは違うものでした。まあチェーン店なので、そんなものかもしれませんね。



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もう少し言うと、人は記憶を重要視しすぎる傾向がありますが、体験(経験)は記憶よりも価値があるという考え方もあります(もちろん、どちらも大事ですが)。多くの生物はその瞬間を生きるだけで記憶を持っていない(人間のように記憶を持つ生物は少数である)ことからも、そう言えるかもしれません。
あるいはちょっと意地悪に解釈をするなら、(たとえば認知症などで)記憶を保持することが困難な人は生きている意味がない、と問うているようにも聞こえます。(もちろん質問者の方にはそんなつもりはないかと思いますが)そのように解釈し直せば、冒頭の問いにも自ずから答えは出てくるのではないでしょうか。

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自分が読んだ中では(直接はレジリエンスの本とは言えないかもしれませんが)こちらがお勧めです。かなり古い本なので、今では入手困難かもしれませんが。

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(村上春樹の短編集「螢・納屋を焼く・その他の短編」より「めくらやなぎと眠る女」冒頭から引用)

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We dance on porches not ballrooms
「私たちはボールルーム(舞踏会場)ではなく、ポーチ(玄関)で踊る」
ボールルームは社交ダンスを踊る場所であり、欧米であれば華やかな社交の場というイメージがあります。ちなみに日本では社交ダンスという文化が根付かなかったため、現在の日本のホテルのボールルームは主に宴会場(立食パーティー)やウェディング会場、講演会場(大会議室)として利用されるため、日本だとあまり華やかなイメージがありませんね。
そしてポーチは玄関前の屋根のある部分のことですね。この屋根は雨傘や日傘をさす・畳む場所として役に立つほか、雨に濡れるのをある程度防げるので荷物を一時的に置くといった使われ方をします。
元の詩に戻ると、ボールルームではなくポーチで踊ることは何を意味しているかと言うと、華やかで格式ばった場所ではないところで自由に踊るんだ、という意思表明なのかもしれませんし、何らかの理由で舞踏会場には行けなくたって玄関前で踊ることはできる、身分や所得に関係なく人生を楽しむことはできる、といったことを言いたかったのかもしれません。
ちなみに余談ですが、冒頭で日本には社交ダンスの文化が根付かなかったという話をしましたが、大正時代とその前後あたりには東京の銀座や日比谷あたりには複数のダンスホールが建ち、いわゆるモボ・モガ(モダンボーイ・モダンガールの略)たちの象徴的な娯楽でした。そういえば谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」でも主人公の譲治とヒロイン(?)のナオミがダンスホールに行くために社交ダンスのレッスンに通うエピソードがありましたね。
その後時代は昭和になり、戦時体制が強まるにつれて、社交ダンスは風紀を乱すものとして禁止されたため、廃れていきました。まあでも社交ダンスでなくても日本には昔から盆踊りがありましたし、バブル期にはディスコ、現在はストリートダンスがありますので、これからも踊るということ自体は形を変えて続いていくのでしょう。自分は普段は踊る機会はないのですが、たまには踊ってみるのもいいかもしれませんね。
#sixwords #6語の物語

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Razor sharp pencil. Cutting edge story.
「鋭く研いだ鉛筆で、新しい物語を切り開く」
これは色々と解釈できるので難しいですね。単純に解釈すると物理的に先の尖った鉛筆で物語を書くという意味になりますが、今の時代に鉛筆と原稿用紙で文章を書くというのは考えにくいので(まあでも文豪みたいでちょっと憧れますね)、これは比喩だと考えるのが自然でしょう。
とすると何の比喩なのか、まず「鉛筆」が何を表しているかですが、書き手を表していると考えると、筆者が鋭い感性を持っているか、あるいは風刺の効いた文章を書くのが得意だということなのかも知れません。
そして後半の「新しい物語」が何を表しているかですが、筆者がこれから書く文章、あるいは作品のことだと考えられるかなと思います。すごい文章を書いてやるぞ、という意気込みかも知れませんし、あるいはよく言われる「ペンは剣よりも強し」を体現したいということかもしれません。
あとはテクニカルには、前半のrasor sharp(カミソリのように鋭い、という意味)と後半のcutting edge(刃の先端、転じて最先端という意味)が対比になっていて、どちらも鋭さをイメージさせる語句であることも詩的な表現になっています。こういう言葉遊びも短文詩の醍醐味の一つですね。
#sixwords #6語の物語

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High chairs. Musical chairs. Rocking chairs.
ハイチェアとは座る部分を高くすることのできる、赤ちゃんが大人と同じテーブルに座るための椅子ですね。その次のミュージカルチェアとはそういう名前の椅子があるわけではなくて「椅子取りゲーム」という意味になります。最後のロッキングチェアとは揺り椅子とも訳されますが、椅子の足の下に反ったスキー板みたいな曲がった板(いわゆる木馬の足)のついた、前後にゆらゆらと揺することのできる椅子で、欧米では老人が座る椅子というイメージがあります。
話を元の詩に戻すと、それぞれがchairsと複数形になっていて、定冠詞のtheが付いていません。なので何か特定の椅子を表現しているのではなく、赤ちゃん椅子・椅子取りゲーム・老人椅子のそれぞれが表すイメージを列挙した詩だと捉えることができます。具体的には人は生まれ、競争し、静かに老いる、そんな人生の縮図を表現したものと考えられます。たった6語で人生を表現した、とても巧い詩ですね。
あとは野暮な解説を付け加えるなら、真ん中の「椅子取りゲーム」は権力や社会的地位を奪い合う様子が想像できます。chair(椅子)という単語自身にも地位という意味が含まれることもありますね(王座は分かりやすい例です)。勝ち組・負け組なんて言葉もありますが、その椅子取りゲームの結果がどうあれ、最後には誰もが揺り椅子に静かに座って過ごすことになる、という社会風刺と捉えることもできるかもしれません。
誰かを介護する経験をしたことのある方はご存知かと思いますが、人生の老年期には徐々に出来ることは減っていき、最後には地位や所得に関係なく同じような生活を送ることになります。なので、他人との競争はほどほどのところで降りて、老年期になる前に人生を充実させる方向に注意を向けた方が、人生をより豊かに過ごすことができるかもしれません。まあそうは言っても人はつい他人と比べてしまいがちなので、そうした生き方を選ぶことはなかなか難しいかもしれませんが。
#sixwords #6語の物語

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もうクリスマスマーケットが出ているとのことで見に行ってみたのですが、今日は天気が悪いせいかクリスマスグッズ類のお店はお休みで飲食店のみ営業していました。夜にはライトアップされますので、夜に来た方が綺麗かもしれません。
クリスマスマーケットを見ると、今年もあと少しで終わりだと実感します。1年経つのは早いものですね。


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目黒駅からスタートして、色々な坂や高低差を感じられるところを見たり、数えきれないほど坂を上り下りしました。長泉院というお寺の境内にある現代彫刻美術館は、斜面に建っているのでなかなか眺めが良いところでした。ここは何と入場無料です。そういえば今日は行かなかったのですが、目黒には目黒寄生虫館という寄生虫の博物館がありますが、こちらも入場無料。こういう文化的な施設が無料で利用できるのは有難いことですね。
そういえば東急東横線には祐天寺という駅がありますが、その駅名の由来となった祐天寺というお寺にも初めて行ってきました。なかなか立派なお寺ですね。紅葉は色づき始めという感じで、紅葉を楽しむにはもう少し後の方が良かったかもしれません。
祐天寺の前を走る道路沿いにランチできそうな店がいくつか並んでいたので、その中にあったハンバーグ屋さんに入ってランチしてきました。なかなかボリュームがありますね。










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Grades can’t capture my quiet grind.
「成績は、私の静かな努力を捉えきれない」という感じでしょうか。
以前にも書きましたが、「six words」のサイトの投稿にはバックストーリー(何を見て、何を思ってその詩を書いたか)も合わせて投稿することができ、こちらの詩には次のような文が添えられていました。
Got my test results today. I worked hard, but the marks didn’t show it. I’m still proud of myself for trying. I’m learning that progress matters more than perfection.
「今日テストの結果が返ってきた。頑張ったけれど、点数にはそれが表れなかった。それでも挑戦した自分を誇りに思う。完璧よりも前進することの方が大切だと学んでいるところだから」
努力や成長と言うのは、なかなか結果に表れない、外からは見えないこともあります。だからと言って努力していれば成長していないわけではありません。たとえ評価や結果につながらなくても、頑張った自分をほめてあげましょう。
また成長というのは連続的ではなく不連続な場合もあり、ドラクエのレベル上げのようにある程度経験値が貯まらないと次のレベルに上がらないと言ったこともあります(コツが掴めることで一気に上手くなるとか)。結果に現れるまで客観的に見て変化がないように見える時は苦しい時でもありますが、そこで止めずに続けることで次の段階への道が開けることもあるので、苦しくなったらそんな事も思い出しつつ努力を継続すると良いかもしれません。
ただし、人には向き不向きがあるので、どうやってもその分野では努力しても成長が見込めないということもあります(プロスポーツや芸能の世界など)。やみくもに努力するのではなくて、自分が何に向いているのかを冷静に分析してから努力する方向を決めた方が良いかもしれません。まあ、このあたりは難しいことではあります。
外から見て変化がないように見えて、中では実は成長しているというものの例としては、(以前にも書いた気もしますが)雛になる前の卵が挙げられます。外から見ると「全く変化のなかった卵が、ある日突然殻が割れて雛に変わった」ように見えますが、卵の中から見ると「雛は少しずつ成長していき、やがて殻の大きさを超えるほどに成長すると殻が破れて外に出る」という感じで、中から見ると殻を破るのは成長の一つの過程に過ぎないことが分かります。自分の成長は自分自身がよく分かっている、ということもあるかと思います。外部の評価を気にせずに努力し続ければ、ある日突然評価につながる(殻が破れる)こともあるかもしれません。
長々と書きましたが、何かに努力している全ての人を応援したいと思います。ガンバレ!
#sixwords #6語の物語

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i’m not weird; i’m limited edition
「私は変じゃない。限定版なんだ」
weird(変な)という単語には、どこか否定的なニュアンスがありますが、limited edition(限定版)というと肯定的な(希少価値がある、といった)ニュアンスになります。どちらも「普通ではない」という意味なのですが、捉え方によって良くも悪くもなる、というところがこの詩の面白いところです。
これは「リフレーミング」とも呼ばれ、捉え方を意図的に変えることで新たな視点や解釈を得る手法です。たとえば「飽きっぽい」と言うと否定的ですが、「好奇心旺盛」「新しい環境にすぐに馴染める」と捉えると良い面もあることが分かります。ほかにも「おせっかい」は「世話好き」とか、「口が軽い」は「隠し事をしない」など、何事も捉え方によって良くも悪くもなります。つい否定的に見てしまうという人は、別の視点で捉え直してみると新たな発見があるかもしれません。
あるいは適材適所という言葉もある通り、ある場所ではその人の欠点だと思われたことが別の場所では長所になると言うこともあります。まずは自分の特性を自己分析した上で、それを活かせる場所を戦略的に目指すことで、人生を豊かなものにすることができるかもしれません。特性分析はさまざまなものがあります(有料ですが、たとえばクリフトンストレングスはお勧めです)ので、試してみるのも良いかもしれません。
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アイコン変えると「誰?」ってなりそうですが笑 引き続きどうぞご贔屓に。

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Distressed mess, still an f’ing princess.
これはかなりのスラングなので訳すのが難しいのですが、意訳すると「どんなに最悪な気分でも、私はまだちゃんとお姫様」という感じでしょうか。
これはもう色々な背景が考えられるので解説するのも野暮なんですが、おそらくこの詩の作者には何か嫌なことがあったんでしょう。それでも「私はお姫様」と自己肯定することでアイデンティティを保っているのかもしれません。あるいは「自分自身の価値を決めるのは自分だ」という宣言かもしれません。
詩的なテクニックとしては、この詩はとても汚い言葉遣いを(おそらくあえて)しているのですが、それと対比して「お姫様」という上品な単語を入れることで、その対比を際立たせているのでしょう。この「矛盾する表現を同居させることで詩を際立たせる」というテクニックは、これまでにも何度かご紹介しましたね。
またもう少し邪推すると、いわゆるジェンダー論やフェミニズムといったテーマも見え隠れします。以前にご紹介した詩でも同様のテーマのものがありましたが、色々な意見がありますので、このあたりは扱うのが難しいものですね。
#sixwords #6語の物語

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I’m sure my house isn’t haunted.
「もちろん、私の家に幽霊なんか出るはずがない」
以前にも書きましたが、「six words」のサイトの投稿にはバックストーリー(何を見て、何を思ってその詩を書いたか)も合わせて投稿できるのですが、次のような文が添えられていました。
My housemates are convinced our house is haunted. I’ve lived here for 274 years and not noticed anything strange.
「私の家の住人たちは、この家には幽霊が出ると思い込んでいます。私はここに274年も住んでいますが、何もおかしなことは感じたことがありません。」
野暮な解説をすると、この詩の投稿者が実は幽霊だった、というアメリカンジョークでした。これもハロウィンらしい詩ですね。
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My Halloween Treat. Heart of gold.
「私のハロウィンのご褒美は、金のハート」
ハロウィンの「Trick or treat?」という掛け声は有名で、trickはイタズラ、treatはご褒美(お菓子)と訳され、「お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ」と訳すのが定番ですね。
金のハートをどう訳すかですが、実は「six words」のサイトの投稿にはバックストーリー(何を見て、何を思ってその詩を書いたか)も合わせて投稿できるのですが、金色に紅葉したポプラの木から落ちてきた落ち葉がハートの形だったそうで、それを見て詠んだ一句だったそうです。
というわけで、ここでの金のハートは物理的な「ハート型の黄色い落ち葉」なんですが、heartには「心」という意味もありますので、heart of goldは「思いやりのある優しい心」といった意味にも取ることができます。こちらの意味で詩を解釈すると、ハロウィンでもらえるのは物理的な「お菓子」そのものではなくて、それを渡してくれた人々の思いやりや優しい心こそが「ご褒美」だと言っているのかもしれません。
折しも昨日はハロウィンでしたので、今の季節を上手く詠んだ良い詩ではないでしょうか。
#sixwords #6語の物語

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ようやく行っても大丈夫そうな感じになったので、6年ぶりの海外旅行をしてきました。行き先は台湾の台北です。実はコロナ禍前に最後に行った海外旅行が2019年で、その時の行き先も台湾の台北でした。
今回で台湾訪問は確か7回目くらいだったかと思います。そんなに行って何をするの? と思われるかと思いますが、基本的にはノープランの行き当たりばったりで特定の目的はなくて、コンビニに漂う煮卵の八角の香り、街中の至る所にある道教の神社の派手な色彩、街の公園で不思議な声で鳴く南国の鳥たちの声、早朝のテイクアウトの客で賑わう豆漿の店の軒先で食べる鹹豆漿と肉まんの味、朝の通勤に向かうバイクの群れが走る音など、ただひたすら異国の地を五感で感じるのが楽しいのです。
言葉が通じるか不安はないの? と思われるかもしれませんが、だいたい日本語のメニューがあったり、スマホの翻訳機能でやりとりできたりと、まあ何とかなるものです。まだ行ったことのない人は是非。
#海外旅行 #台湾 #台北










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Recovery does not look one way
「回復の仕方は一つではない」という感じでしょうか。
これはまあ、解説は不要でしょうか。回復の仕方は人それぞれで、遅い人もいれば速い人もいます。また繊細な治療が必要な人もいれば荒治療が向く人もいます。いずれにせよ、その人を尊重し、その人に合った治療法を選択できると良いですね。
そういえば余談ですが、「ファクトフルネス」という本の中に『「悪い」と「良くなっている」は両立する』という話が出てきます。今は状態が良くないが回復してきている、という状況はありえる、という当たり前の話なのですが、つい人はどちらかだけを見てしまい、「悪いものは悪い」と解釈したり、「良くなっているのだから良い」と見てしまいがちだということでした。
この本はひたすら「世界は少しずつ良くなっている」ということをデータで示す、という内容なのですが、だからと言って世界は必ずしも楽観視して良い状態ではない、ということも忘れてはいけないとも言っています。悲観しすぎるのも楽観すぎるのも良くないので、『「悪い」と「良くなっている」は両立する』ということは忘れないようにしたいですね。
#sixwords #6語の物語

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その昔「美味しんぼ」で見たやつだ! とちょっと期待したのですが、漫画で表現されていたほど真っ黒ではないですね(たまに真っ黒な枝豆もありましたが、全部ではないです)。
あ、お味の方はとても美味しかったです。ご馳走様でした。


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reading my feminist literature in peace
「静かにフェミニズム文学を読んでいる途中」
myの解釈が難しいのですが、
・この詩の作者が物理的に読んでいる最中のフェミニズム文学の本が詩の作者の所有物である
・この詩の作者はフェミニストであり(自分の思想を文学に例えている)、それを客観視している
の2通りに解釈できそうです。
いずれにせよ、フェミニズム(社会的・政治的・経済的な平等を求める思想や運動のこと。もともとは女性を対象としていた(ラテン語で女性を意味するfemiaから来ていることからも分かります)が、最近では女性に限らず全てのジェンダーを対象としているそうです)と聞くと何となく攻撃的で激しいものをイメージしますが、この詩の作者はそれとは対照的に「静かに(in peace)」行っている、というのがこの詩のポイントかなと思います。以前ご紹介したsix wordにもありましたが、対照的な二つのことを詩の中に同居させることで詩を際立たせるというのは良くあるテクニックですね。
話を元に戻すと、世間では騒がしいフェミニズムだけど自分は静かに考えたい、ということかもしれません。あるいはフェミニズムというのは割と誤解を生む思想で議論を呼びやすいので、これは自分の思想であり他人と議論をしたいわけではない、ということをあえて宣言した詩なのかもしれません。
(たまたまですが)折しも女性総理が誕生しそうなタイミングでもありますので、そういった意味でも味わい深い詩なのではないでしょうか。皆さんはこの詩をどう解釈しますか。
#sixwords #6語の物語

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ハンバーガーは相変わらずの美味しさで満足しました。色々と他のメニューもあるので、また食べに来たいと思います。




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べったら漬は「皮付き」と「皮無し」があるようで、せっかくなので両方買って帰りました。食べるのが楽しみです。






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Aspiring to live outside of context.
直訳すると「文脈の外で生きることを目指している」という感じですね。
contextは文脈と訳されますが、派生して「社会的な背景・常識・伝統」といった意味もあります。不文律みたいなもので、流れを読むと当然そうなるよね、分かるでしょう? といったものです。
そして、その外側で生きることをaspiring(目標に向かって努力する、熱烈に志望する、野心を持っている、といった意味を持ちます)しているので、おそらくこの詩の作者は今は逃れられない何らかの「常識」の中にいるけれど、それに縛られない人生を切望している、ということかなと思います。
とはいえ、常識や伝統、固定概念というものから逃れることは、なかなか容易ではないですよね。法的に問題がなくても倫理的な理由で世間から叩かれる著名人の例は枚挙にいとまがありません。その世界で生きる上ではその場の常識や固定概念(イデオロギーと言ってもいいかもしれません)に縛られるものなので、それが嫌ならその世界から離れるしかありません。とはいえ、なかなかそんなことはできることではありません。
あとほ常識に何らかの堅苦しさを持ったり、あるいは常識に苦しめられることはあるかと思いますが、常識というものは長い年月で培われてきているだけあって、多くの場合には常識は正しい(というか、総合的に見て合理的である)ことが多いことも知っておくと良いでしょう。もちろん、過去には合理的であったものの、時代と合わなくなった常識もあるかと思います。そういったものは変えたりやめたりしてもいいかと思いますが、その常識の価値を変えてみて(やめてみて)初めて気づくこともあります。そうしたものは一度変えると(やめると)元に戻すのが難しいこともあるので、悩ましいですね。
そういえば新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」の作中でヒロインの三葉が「もうこんな町いやや!」と言っていたのも、この詩に通じるものがありますね。三葉は「なぜ続いているのか分からない」町の伝統のお祭りに反発していましたが、そのお祭りが続けられた理由はちゃんとありました(物語の後半で明かされます)。なんだかよく分からないけど続いている伝統や常識といったものにも理由があったりするので、変えたりやめたりする判断というのもまた難しいものです。
#sixwords #6語の物語
