
カナタ
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カナタ
Dear younger me, I love you
「親愛なる若かりし頃の自分へ。愛しているよ」
これは色々と解釈の余地のある詩ですね。もし過去の自分に手紙を送ることができたとして、その書き出しの文章に当たるのですが、もしかしたらこの詩の作者は過去に大きな失敗や人生の困難があったのかもしれません。それでも振り返って未来の自分がそれを肯定的に捉えることができた、ということを過去の自分に伝えることで、同時に今の自分に対する受容のメッセージとした、と捉える考え方が一つあります。
もう一つは「もしかしたらあの時誰かに愛されていたなら救われたのかもしれない」という後悔の念と、それを(自分自身を愛することで)自己救済する、といった意味かもしれません。いずれにせよ、過去の選択によって今の自分が形作られていますので、自己憐憫(自分を可哀想だと思うこと)に浸らずに、それを糧に未来を良くする方向に考えるようにしたいですね。
余談ですが、過去の自分に手紙を送った場合、それを読むことで行動が変わったなら、現在の自分とは別の自分になっている可能性がありますね。このタイムパラドックスを扱ったSF作品はいくつかありますが、自分は「シュタインズ・ゲート」(原作はゲームで、アニメ化されています)を思い浮かべました。「シュタインズ・ゲート」は「過去にメールを送れる装置」と、「それによって変わった世界(世界線)に移動できる能力を持った主人公」が、望む未来になるように苦闘する物語でしたが(もうちょっと複雑な内容なのですが、ネタバレなので省略)、なかなか面白いので未見の方は是非。
#sixwords #6語の物語

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The bare minimum's already so demanding.
bare minimumは「必要最小限」とか「最低限」といった意味になります。そしてdemandingは「注文が多い」とか「要求が厳しい」という意味です。それを踏まえて訳すと「最低限クリアすべき条件でさえ、すでに高すぎる」という感じでしょうか。
おそらくこの詩の作者は、何らかの「最低このくらいはやって欲しい」という条件を突きつけられたけれども、それがとても高いものだった、という経験をしたのでしょう。いわゆる「足切り」の要件を満たさないと、そもそも門前払いされてしまうという厳しい世界は、世の中には結構あるものです。そういえばその昔、大学受験の時に受けたセンター試験(今の共通テスト)の結果によって、受験さえできなかった大学があったのを思い出しました。(今でも共通テストの結果による足切りってあるんでしょうか)
あとは職業によっては何らかの資格が必要だったり何らかの試験に合格する必要があったりしますよね。たとえば裁判官・検察官・弁護士になるには司法試験、医者になるには医師国家試験に合格する必要があります。これもまた「最低限クリアすべき条件でさえ、すでに高すぎる」の一例ですね。
それ以外に思いつくのが、婚活で相手に求める要件とかでしょうか。よく言われることですが、厳しめの条件を指定すると、あっという間に婚活市場の上位数%になってしまうということもあるそうです。これでは少子化になるのももっともですよねえ。もし何らかのハードルを課す側の立場にいる人は、ある程度ハードルを下げて妥協することも考えると良いかもしれません。
あと全然関係ないのですが、この詩を読んだ時に、何故か槇原敬之の「どうしようもない僕に天使が降りてきた」か頭の中に流れてきました笑
#sixwords #6語の物語

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ちなみに今回の無料キャンペーン(たしか22日まで)は再入会の手数料(通常は3000円)も無料なので、一度やめた方の再入会にもオススメです。

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ちなみにGRAVITYは今までのお友達とのメッセージのやり取りが全部消えました笑 これは何とかして欲しいですねえ。

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隅田公園にはここ以外にも梅の木があるので、代わりにそちらを見てきました。それにしても今年は梅が咲くのが早いですね。





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One knock, two knocks, door opens.
「ノック1回、ノック2回、ドアが開く。」
この詩の面白さの説明が難しいのですが、最初に1回、次に2回とノックは合計3回しているのですが、最初の1回目は「行動を起こす」、おそらくためらいもあったけれど、意を決してノックした、という緊張感のようなものが伝わります。
次の2回のノックは、ためらったものの行動を起こしたので、それをやり切る(欧米ではノックは3回を1セットとして行うのが一般的です)ための「追加の行動」になります。最初の戸惑いを打ち消すように、ノックしている人の「やり切るんだ」という意思を感じさせる表現ですね。
そして最後にドアが開きます。ためらいながらも行動を起こして、それをやり切ったからこそ、道が開けた、と捉えられるかなと思います。全体としては躊躇から行動へ、そして行動が変化をもたらす、という一連の流れを表現した詩なのかなと思います。
新しく何かに入門する時の緊張感であったり、面接で部屋に入る前の緊張感であったり、あるいは片思いの人に思いを伝える緊張感であったり、そういうものを想像させる、良い詩だと思いました。最初の一歩を踏み出すのは、なかなか勇気がいるものですよね。もちろん上手くいくとは限りませんが、ドアをノックしないことには何も始まりませんので、一年の初めということもあり、何らかの新たな扉を叩いてみるのもよいかもしれませんね。
#sixwords #6語の物語

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We can’t all be lifestyle influencers.
直訳すると「誰もがライフスタイル・インフルエンサーになれるわけではない」という感じですね。文法的な話をすると、いわゆる部分否定の表現になります。
ライフスタイル・インフルエンサーとは何かですが、「この人みたいな暮らしをしてみたい」と思わせるような情報を発信している人、という感じかなと思います。自分にそういう興味がないせいか見たことはありませんが笑 TikTokとかにはけっこうそういう人がいるみたいですね。
もとの英文に戻ると、そんなキラキラした生活を誰もが送れる訳がない、という少し皮肉を含んだニュアンスか、それに比べて自分は凡庸だという自嘲気味なニュアンスも含まれるかもしれません。
SNSを見ていると、ついつい幸せそうな他人が目に入って、それと自分を比較して惨めな気持ちになることもありますね。一言で言うと嫉妬なのですが、自分が幸福かどうかの尺度を他人との比較で考えない方が良いかもしれません。
あとは、SNSで見えている他人というのは、その人のある一面でしかない、ということはあらためて意識しておくと良いかもしれません。たとえばSNSに上げられた豪華な食事をいつも食べているわけではなくて、普段は質素な食事かもしれません。素敵な恋人がいるように見えて、実際はうまく行っていないかもしれません。どうしても嫉妬心が消えない時は、そういう「裏の苦労」を想像してみるといいかもしれません(まあでもそれは品のいいことではないので、あくまで想像に留めて、口に出したり書いたりはしない方が良いでしょう)。
#sixwords #6語の物語

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When you love, you sometimes lose.
直訳すると「あなたが愛するとき、あなたは時々失うこともある。」意訳すると「愛するということは、失うというリスクを伴う。」という感じでしょうか。
これはまあ、解説は不要でしょうか。おそらくこの詩の作者は何らかの愛の対象を失ったばかりなのでしょう。恋愛、家族愛、あるいは何らかの趣味や仕事などの時間をかけて情熱を注いだ対象が、何らかの理由である日突然(あるいは徐々に)失われる経験は誰しも持っているかと思います。
あるいは、失うことを恐れては愛することも出来ないので、「それでも愛するんだ」という作者の覚悟を謳った詩なのかもしれません。まあでも、愛が深いゆえにその愛の対象から疎まれるということもあります。愛は相手があってのことですので、長く続けるには距離感もまた大事かなと思います。これもまた難しいことではありますが。
あとは詩的なテクニックの話としては、前半の3語と後半の3語はそれぞれ文を成していて、動詞が「love」と「lose」と一文字違いの単語を用いている点が挙げられます。いわゆる「韻を踏む」というやつですね。似た語感の動詞なのに、loveはポジティブ、loseはネガティブな単語ですので、その対比を際立たせたる効果もあるかもしれません。
もうちょっと穿った見方をすると、「lose」には「負ける」という意味もあります。愛が負けることもある、とすると、三角関係的なものも想像するかもしれません。三角関係といえば夏目漱石の「こころ」が有名ですが、「先生」と「K」は1人の「お嬢さん」を争い、その結果「先生」は勝利して、「K」は自殺してしまいます。その後、残された「先生」と「お嬢さん」は結婚しますが、「K」は自殺することで「お嬢さん」への(K自身の)愛を守ったと「先生」は考え、それゆえに絶対に「K」には勝てない(「お嬢さん」を心から愛することができない)ため、それに勝つには「先生」も自殺するしかない、という考えに支配されていき、明治天皇の崩御に殉死するという形でそれを実現します。愛を勝ち負けにしてしまうと、こういう悲劇を生むかもしれません。
愛は白か黒かの勝ち負けではなくて、その間にある無限のグレーの中にあるのかもしれません(ミスチル)。正解はありませんし、倫理的に許されないこともあるかとも思いますが、色々な愛の形があっても良いのではないかなと、個人的には思います。
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「ようかんぱん」は、あんパンに羊羹をコーティングして、中心にバニラクリームを入れたもので、これはなかなか美味しかったです。
「黒はんぺん」はいわゆる静岡おでんの具として使われる、おもに青魚を使った練り物ですね。これはまだ食べていないのですが、静岡おでん自体も食べたことがないので楽しみです。
「かけるあおさ」は「食べるラー油」に似ていて、あおさ海苔やフライドガーリックなどが胡麻油に漬けられたもので、白いご飯にかけて食べるとこれだけでご飯が食べられて危険ですね。パンに塗ったり餃子にかけたりパスタに入れても良さそうです。
おそらく現地で買うよりは割高かもしれませんが、足を運ぶ交通費を考えればそんなもんですね。そういえば浅草にも以前「まるごとにっぽん」という似たようなお店があったのですが、少し前に閉店してしまいました。こちらのお店は自宅から少し遠いのでそれほど頻繁に行くわけではないのですが、なくならないで欲しいものです。




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Surviving with grace is noble pursuit.
これは訳すのが難しいですね。直訳調に訳すなら「品位を保ちながら生き延びることは、高貴な志である。」、もう少し意訳すると「品位を保ちながら生き抜くことは、最も価値のある挑戦である。」という感じでしょうか。
解説すると、これは「生きるか死ぬかという場面で品位を保てるか」ということを問うているのかなと思います。たとえば何らかの災害に遭った時、自分が生き残るのを優先するか、それとも人を助けるのか、と言ったことを思い浮かべると良いかもしれません。
この詩を読んで連想したのが、先月にオーストラリアのビーチで起きた銃撃事件ですね。多くの人が逃げ惑う中、銃撃犯の1人に向かって走り、格闘して銃を奪い取った人がいたそうです。目の前で人が殺されていくのを見かねて自然と体が動いたそうですが、これはなかなか真似できそうもありませんね。
また東日本大震災の時に南三陸町の職員が防災無線で最後まで逃げずに避難を呼びかけ続けて、その職員自身は津波の犠牲となったということもありました(これを美談として良いものかは、なかなか難しい問題ではありますが)。これ以外にも東日本大震災ではさまざまな「災害時でも品位を保った」エピソードはたくさんあったかと思います(いっぽうで災害時とはいえ残念な話もまた多くあったと思います)。
というわけで、さすがに銃撃犯に立ち向かったりといったことは誰もが出来ることではないのですが、品位というか「自分はどうありたいか」は普段から意識しておくと良いかもしれません。そうは言ってもいざという時に動けるかというと、なかなか難しいことではありますが。
#sixwords #6語の物語

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単にどら焼きに路面電車の焼き印を押しただけ、と言えばそれまでなんですが笑 美味しいどら焼きでした。
ライトライン(宇都宮に新しくできた路面電車)には先日乗りに行ったのですが、全区間は乗っていないので、いつかまた乗りに行きたいですね(終点付近はホンダの工場しかないみたいですが笑)。



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Mincing. Mixing. Mingling. Meals. Music. Memories.
「刻む。混ぜる。歓談する。食事。音楽。思い出。」
解説すると、最初の二つの単語は、何か料理を作っている様子が想像されます。その次の三つの単語はパーティーを想像しますね。そして最後が、楽しかった思い出となるわけです。
また訳してしまうと分からなくなってしまいますが、6語すべてMから始まるのがポイントですね。いわゆる韻を踏むというやつで、食材を切ったり混ぜたりする音や、会話のざわめきや音楽といった様々な音をリズミカルに表現しているとも考えられます。
パーティーの準備、開催、そしてそれが楽しい思い出になる、という一連のプロセスを6語に上手く落とし込んだ、なかなか良い詩ではないでしょうか。日本語の俳句もそうですが、こんなに短い文からでも活き活きとした情景を読み取れるというのも、短文詩の魅力の一つですね。
#sixwords #6語の物語

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久しぶりに餃子を食べに宇都宮に行きたくなりました。



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Unreconciled History Will Create Violent Reckonings.
直訳的には「和解されていない歴史は、暴力的な形での清算を生み出すだろう」、意訳すると「和解されないまま放置された歴史は、やがて暴力的な形で決着を迫るだろう。」という感じでしょうか。
これを見て連想するのは「進撃の巨人」ですね(以下ネタバレを含みます)。禍根を残したままの和睦、つまり145代フリッツ王による不戦の契りや、地ならし後の(アルミンが代表する)エルディアと世界との和平交渉は、いずれまた次の戦争を生むことになりました。悲しいかな、そうして歴史は繰り返されて行くのでしょう。
これはちょうどいまベネズエラで起きていることにも言えますが(これは非常に複雑で、単純に何が正義で何が悪かとは言えないものですが)、間違いなく言えることは将来に禍根を残すということでしょう。じゃあどうすればいいのか、どうすれば良かったのか、エレンがそうであったように、何とも言えないもどかしさがあります。我々に出来ることと言えば、こうして物語として語り継ぎ、次世代に何かが変わることを期待するくらいでしょうか。歴史は繰り返しますが、全く同じことの繰り返しではないと信じて。
#sixwords #6語の物語

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お肉は美味しかったです。今回はランチで来ましたが、次は夜に飲みに来てみたいですね。
そういえば、もう梅が咲いていました。早いですね。







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New Year's Resolutions: Reflect, Heal, Expand
「新年の抱負。振り返る、癒す、広げる。」
My word for this year: intentionality.
「私の今年のテーマは『意図を持って生きること』」
My new resolutions are my handlers.
「新年の抱負が、私をうまく操っている。」
新年ということもあって、今年の抱負的な投稿が3つありましたので、合わせて取り上げてみました。
一つ目は「反省する・癒す・挑戦する」という感じでしょうか。何事も(上手く行っても行かなくても)振り返って「もっと上手くできるようになるにはどうすれば良かったか」を考えるのは大事ですね。またそうは言っても自分を責めすぎるのも良くないので癒しも重要です。また新しいことに挑戦するのも大事ですね。
二つ目ですが、自分もわりと流されるタイプなので、自分の意思で行動するように心がけてみるのもいいかもしれません(が、そうは言っても性格なので、なかなか難しいですね)。
三つ目ですが、こういう「新年の抱負」を立てることで自分を変えるように意識する(自己暗示にかける)のも、時には有効かもしれませんね。紙に書いて壁に貼っておくのもいいかもしれません。休みもあと一日ですので、自分も一年の抱負を何か考えてみようかなと思います。
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ただ。うっかりライスも付けてしまったのですが、ライスは余計でした笑 歳をとったせいか、炭水化物の摂りすぎはキツいですね。




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ちなみに、自分は以下のような質問(プロンプト)を投げてみました。回答は引用しませんので、回答が気になる方はChatGPTやGeminiに聞いてみてください。
・「千と千尋の神隠し」で千尋の家族が迷い込んだ世界はどのようなものだと解釈すれば良いですか。
・ハクが銭婆から盗んだ「魔女の契約印」とは、どのようなものですか。
・作中で湯婆婆が鳥の姿でどこかに飛んでいく場面が2度ありますが、どこに行っていたのでしょうか。
・作中で雨が降ったあとに海ができ、その向こうに町が見えます。リンはいつかそこに行くんだと言っていましたが、遠くに見える町はどのようなところですか。
・千尋が受けた「この豚の中から両親を当てる」という試練はどのような意味がありますか。またなぜ千尋はこの中に両親がいないと分かったのですか。

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New Year. More wrinkles to love.
俳句風に訳すなら「年明けて 愛すべき皺(しわ)が また増える」という感じでしょうか。
six wordsの投稿サイトは「6語の詩」に合わせて写真やバックストーリー(詩を詠んだ背景)も一緒に投稿できるのですが、(おそらく)詩の作者と思われる人物の笑顔の写真と、バックストーリーとして作者は2003年以来癌で2度の手術をしていること、それから20年以上が経ち手も顔もしわくちゃになったけれど(その皺も)愛おしく感じること、人生は貴重で瞬間瞬間を楽しんで欲しい、といった文が添えられていました。
病気、特に癌になると世界を見る目が変わるとは良く言われることですが、幸いなことに自分はまだそうした世界観が変わるような大きな病気をしたことがありません。いずれにしても人生は一度きりですので、あとで後悔しないように、やりたいことは元気なうちにやり切ってしまいたいものですね。
この詩は1月1日に投稿されていたのですが、元旦らしい良い詩ですね。ここ数年は年の初めに目標を立てることもなく過ごしているのですが、一年の初めにバケットリスト(死ぬまでにしたいことのリスト)を見直すのも良いかな、と思わされました。
#sixwords #6語の物語

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ランチは美術館の地下一階にあるレストランに行ってみました。ちょっとお高めですが、店内は広々としていて、なかなか良かったです。








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初詣は押上天祖神社というところに行ってみました。スカイツリーをバックに撮影できる神社なのですが、あまり知られていないのか誰もいませんでした。まあでもゆっくり初詣できて良かったです。
その足で東京ソラマチに行って、初売りの福袋をいくつか買ってきました。これはお得だなと思うものもありましたが、うーん微妙と思うものもありました。まあ、福袋なんてそんなもんですね。



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明日は初詣で大勢の人が来るのでしょうけど、今日はそこそこの人出でした。とはいえそれでもけっこう混んでいました。神田明神に来たのは久しぶりですが、以前はなかった気がするお土産物屋さんやカフェなどがあり、さすが商売の神様と言ったところでしょうか。
ついでに秋葉原に寄り道して、ノイズキャンセルのイヤホンを買ってみました。電車で通勤中にAudibleを聴くために買ったのですが、イヤホンは使ってみないと良し悪しが分からないのが難しいところですね。
夕食は年越しそばを食べました。2025年も終わってみればあっという間でしたね。
それでは皆さん、良いお年を。




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「喫茶去」とは禅の公案(こうあん、禅問答の課題のこと)のひとつ、「趙州喫茶去」という有名な話から来ているそうです。仏教の禅宗では公案の課題を元に師と弟子とで禅問答をする修行があるそうで、考案集(要するに問題集ですね)もいくつかあるようですね。代表的なものとして「無門関」「碧巌録」「従容録」などがあるそうです。
「趙州喫茶去」は趙州録(中国の唐の時代の最高峰の禅僧であった趙州禅師の言行録)にある公案で、次のようなものです。
———
趙州禅師のもとに1人の修行僧がやって来ました。趙州禅師は修行僧に「以前にもここに来たことがあるか」と尋ねたところ、来たことはないと答えました。すると趙州禅師は修行僧に対し「喫茶去」と言いました。
また別の修行僧が1人、趙州禅師のもとにやって来ました。趙州禅師が修行僧に「以前にもここに来たことがあるか」と尋ねたところ、来たことがあると答えました。すると趙州禅師はその修行僧に対して「喫茶去」と言いました。
それを見ていた院主(寺の寺務局長)は趙州禅師に「初めて来た修行僧にも、以前来たことのある修行僧にも、同じように『喫茶去』と言ったのはなぜか」と尋ねました。すると趙州禅師は院主に対して「喫茶去」と言いました。
———
さて、以上が「趙州喫茶去」という公案(禅の問題)なのですが、そもそも「喫茶去」とはどういう意味でしょうか。どうも「お茶でも飲みなさい(お茶でも飲みませんか)」という意味にも、「(お茶を飲んで来い、つまり)出直して来い」という意味にも取れるそうです。どっちの意味で取るかによって、だいぶニュアンスが変わる気がしますね。
それを踏まえて、この公案はどう捉えれば良いでしょうか。もちろん公案には正解はなくて、これをテーマとして議論することが修行の一環(悟りが人それぞれなように、公案の回答も人それぞれ)なのだそうですが、やはり正解は何なのか気になりますね。
ありきたりの解釈としては、入門者・経験者・寺の関係者と立場が違っても、同じように接することが大事だ、というものがありますが、そうは言っても趙州禅師は当時の最高峰の禅僧ですから、そんな単純な答えではない気がしますね。なかなか難しいものです。
ということで「喫茶去」は禅の用語として有名なのだそうですが、そこからの派生として茶道でもよく使われる言葉だそうで、「お茶を点てて、飲み、去る。その短い時間に全てを込める」といった感じでしょうか。禅の話に戻ると、悟りは難解な修行で得るものではなくて、お茶を飲むと言う日常の何気ない行為の中にある、ということを趙州禅師は言いたかったのかもしれません。
翻って自分の場合は「お茶でも飲みませんか」という場合、純粋にそういう意味だけでなく、あわよくばの下心がある場合もあります。禅僧と比較するものでもないのですが、煩悩にまみれてますね笑
そんな感じで、誰かをお茶に誘う時は「喫茶去」について、ちょっと思い出してみるのもいいかもしれません(が、蘊蓄として語ると嫌がられるかもしれませんので、お気をつけください)。

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昨年は年末にコロナに罹ってしまったので参加できなかった納会にも久しぶりに参加してきました。普段は職場でお酒を飲むなんて許されないことなのに、なぜか納会だとOKというのも不思議な感じがしますよね。そういえば花見もそうで、桜の木の下であれば何故か屋外で宴会しても許される、というのに似ているかもしれません。
そういえば仕事納めというのは日本独自の儀式のようで、背景には年神信仰(年神様、新年に家々を訪れて一年の幸福をもたらす神様)があり、仕事納めのあとに年神様を迎える大掃除が続きますが、これはまず社会的な役割(公的な自分)を納めた後に私的な自分を納め、新たな年(年神様)を迎える、という一連の儀式の一環なのだそうです。
納める、というのは単なる終わりを意味するのではなくて、整理するとか心を落ち着かせる、といった意味もあります。一年を区切りとしていったんリセットし、一年間を振り返ると言うのも大事かなと思います。
仕事にせよプライベートにせよ、あらためて今年一年を振り返ると、良かったことや悪かったことも含めて、色々なことがありましたが、関わった全ての人に感謝して今年を終えたいと思います(まだ数日ありますが)。
来年はどんな年になりますかねえ。

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クリスマスといえばサンタクロース、クリスマスイブの夜にトナカイの引くソリに乗って世界中の子どもたちにプレゼントを配る、赤い服を着て口髭を蓄え、太った小人のような外観の陽気な老人について。
サンタクロースのモデルは聖ニコラウスだと言われています。聖ニコラウスは4世紀ごろ、現在のトルコに実在した司教で、貧しい人や子どもを密かに助ける慈善家だったとされています。
ということで発祥はトルコなのですが、聖ニコラウス信仰が様々に形を変えて世界中に広がった、という経緯のようですね。
なのでソリとトナカイや小人のような外観といったものは後付けで、19世紀ごろの創作だとされます。赤い服についてはコカ・コーラの宣伝だとされる逸話が有名ですね。
さらに、(聖ニコラウスはトルコ出身ですが)サンタクロースはなぜか現在はフィンランドに住んでいることになっています。これは北欧の民間信仰と聖ニコラウス信仰が結びついた結果だとのことで、トナカイが後付けだという話をしましたが、フィンランドには多くのトナカイがいることからもサンタクロースを連想させるため、そのあたりが「サンタクロースはフィンランド在住」と言うことになった経緯かなと思います(このあたり、因果関係は曖昧ですが)。
ちなみにフィンランドには「信じる・信じないとは滅多に言わず、肯定も否定もしない」という文化があるそうで、サンタクロースについてフィンランド人自身は信じているとも信じていないとも言わず、肯定も否定もしない、というスタンスのようです。フィンランド語の信じる(usoka)は「確証のないものへの全面的な同意」という意味が含まれるそうで、そのために「信じる」と言うことには慎重で、否定も肯定もしない表現を使うことが多く、外国人からすると何だか曖昧で、ちょっとイラッとすることもあるかもしれません。
余談ですがフィンランドと言えば、吊り目ポーズ(アジア人差別的ジェスチャー)がフィンランドでは日常的に行われており、それが差別だと認識されていないことが(主にアジア人から)批判され、先日話題になりましたね。この期に及んでもまだ「あれは幼稚だが差別とは言い切れない」という空気がフィンランドでは支配的だそうですが、それもこうした文化から来ているのかもしれませんね。(だからと言って差別を許して良いことにはなりませんが、難しいものです)

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そういえばクリスマスは25日なので、クリスマスのディナーはいつ食べるのが正解でしょうか。前日のイブでしょうか、当日でしょうか。
と言うわけで軽く調べてみたところ、実はキリスト教では日没が一日の変わり目だとされているそうで、そういう意味では24日の夜はキリスト教的には25日に入っているとみなされるので、クリスマスディナーはクリスマスイブに食べるのが正解のようです。
ただ、そういう意味では25日の日没までは25日ですので、25日の陽が沈む前、昼から夕方にかけてゆっくり食事を楽しむというスタイルもあるそうです。まあでも25日の日没後はキリスト教的には26日なので、特にこの時期の日没が早い日本(というか東京)だと25日の夜だとタイミング的には遅いかもしれません。
まあでもそもそも日本では宗教的な意味はなくて季節イベントのひとつでしかないので、結論としてはどっちでもいいんじゃないでしょうか。
余談ですが、欧米でクリスマスといえば家族で過ごすイベントなのですが、日本ではなぜか恋人と過ごすイベントになっている気がします。起源は不明ですが、おそらく犯人はユーミンなのではないでしょうか。
さらに余談ですが、そもそもクリスマスってキリストの誕生日ということになっている日ですが、そもそもキリストの誕生日は正確な記録がないそうで、25日かどうかも定かではないそうです。もっと言うと産まれた年すらも紀元前6〜4年ごろだそうで、西暦ってキリストが生まれた年を西暦1年としたんじゃなかったっけ、とツッコミを入れたくなりますね。
さらについでの余談ですが、日本の「建国記念の日」が2月11日である理由も、調べてみるとズッコケます。本当、記念日なんていい加減なものですね。なので、クリスマスに独りでもあまり気に病む必要はないかなと思います(これが言いたかった)。

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Slices of happiness before year ends
「年末までに味わう、いくつもの幸せの断片」
これを聞いて真っ先に思い浮かべたのが、「シュトレン」というドイツの菓子パンです。これをクリスマスに向けて少しずつスライスして食べるのがドイツのクリスマスでは定番だそうです。日本だとクリスマスケーキといえばイチゴのショートケーキが定番ですが、国によってクリスマスの過ごし方が違うのは面白いですよね。
余談ですが、日本ではクリスマスにケンタッキーを食べるという話をすると外国の人(特に欧米の人)に驚かれるという話をよく聞きますね。欧米ではクリスマスに七面鳥を食べますが、日本では七面鳥は入手しづらいのでその代わりとしてチキンを食べるのが普及したという説が有力ですが、どうなんでしょうね。そういえばクリスマス以外だとバレンタインチョコなんかも欧米にはない風習ですね。まあ、日本では宗教的な意味はなく、季節イベントのひとつという扱いなので、それでも良いのかもしれません。
さらに余談ですが、クリスマスは冬の寒いイメージがありますが、南半球だと季節が反対になりますので、南米やオーストラリア、ニュージーランド、アフリカの南部あたりは真夏のクリスマスになるようですね。実はまだ一度も赤道を越えたことがなく、南半球には行ったことはないのですが、いつか真夏のクリスマスというのも体験してみたいものです。
#sixwords #6語の物語

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