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ハシオキ龍之介

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デヴィッド・ストーン・マーティン画廊 # 23


#レコードジャケット #JAZZレコード


☆『レスター・ヤング』

村上春樹のコレクションの中からのデビッド・ストーン・マーティンが手掛けたジャケット作品にフォーカスした本を紹介している。
レスター・ヤングの4枚目は『Pres and Sweets』1955年Rec.で全8曲、片面4曲のこの時期特有の10インチ盤である。直径25cmで現在出回っているアルバムサイズのLP盤は、直径30cm盤だからそれより5cm小さい盤である。このアルバムは、レーベルがクレフからノーグランに変わったばかりの頃にリリースされたアルバムである。
後にVerve時代になってから再発された時には赤地にレスターとハリーエディソン2人の写真が並んでるだけの何の工夫もないジャケットだったが、そうやって考えるとこのノーグランの時はなんと味わいのあるDSMのイラストなんだろう、と惚れ惚れしとしてしまい、いつまでも眺めていたくなる。斜めに描かれたテナーは正にレスターの象徴である。彼のサックスの持ち方は常に斜めに斜傾されていて、彼がソリを吹く時そのマウスピースから漏れ出る空かし音から始まりややオフビート気味に奏でられる。その枯れた味わいをレスターはサックスを斜めに構えることで、体現していたのである。それをDSMはレスターを描かずして表現している。と言うか、机を意図的に描いているところを見ると、サックスはその机に置かれているようだ。一方のハリーのペットはイスに置かれている。全体の構図の中でマイクロフォンに赤い着色、ペットには青を塗る。この、演奏後の空虚感、或いはロスな心情とでも言おうか。DSMの絵画に漂う虚無感は彼独特の世界観だが、殊にレスターのアルバムではそれが顕著に表されている。
 録音された演奏はこの本の中で村上春樹が書いている通り、二人がイマイチ乗っていない。バッキングはオスカー・ピーターソン-p. ハーブ・エリス-g. レイ・ブラウン-b. バディ・リッチ-ds.と言う鉄壁の布陣だから、二人の演奏がヘナっているのが、何とも勿体無い。が、二人のベイシー時代のテーマ曲である♫ワン・オクロック・ジャンプ の演奏になると生気をとり戻したかのようだ。プレスはレスターのミドルネームで親交が深かったビリーホリデイがレスターに敬意をもって名付けたプレジデントの略称。レスターはその返礼としてビリーに、あんたは女の中の女だったよ、という最大の敬意であるレディー・デイとした。そのレスターがカウント・ベイシー楽団以来の盟友ハリー・エディソンには"スウィーツ"というミドルネームを与えた。この時期レスターはアルバムでは頻りにペッターにミュートを付けて吹くように指示している。ここでもそうで、ハリー"スイーツ"のミュートはその名の通り甘く芳醇な果実のような味わいを放つ。

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One O'Clock Jump

レスター・ヤング & ハリー・エディソン

スイングの星スイングの星
GRAVITY
GRAVITY8
aki

aki

ジーン・ハリス率いるビッグバンド。ベースにレイ・ブラウン、ドラムにジェフ・ハミルトンと豪華布陣。カウント・ベイシー往年のナンバーで身体が勝手に動き出す。
GRAVITY

Captain Bill

The Gene Harris All Star Big Band

JAZZの星JAZZの星
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ハシオキ龍之介

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デヴィッド・ストーン・マーティン画廊 # 21


#レコードジャケット #JAZZレコード


☆『レスター・ヤング』

村上春樹のコレクションの中からのデビッド・ストーン・マーティンが手掛けたジャケット作品にフォーカスした本を紹介している。レスター・ヤングによって、それまでトラッド一辺倒だった私も徐々にモダン開眼していった。レスター・ヤングは別にモダン派ではないが、去りとて古臭いコーニーなトラッドスタイルを堅持していた人でもなく、こうした人を故.大橋巨泉氏は"中間派"と名付けて新たな立ち位置としてジャズ史に地平を切り開いた。トラッドとモダンの中間に立つミュージシャンだから中間派。誠に判りやすい。但し、この中間派と呼ばれる為には後々のモダン派ミュージシャンへの影響力がモノを云う。
レスターはそう言う点でも同じカウント・ベイシー楽団のテナー奏者ワーデル・グレイを始め前回この本📖´-で村上春樹が推していたスタン・ゲッツなどもレスターそっくりだ。テナーもアルトも両刀使いだったソニー・スティットもパーカーやレスター譲りのソロを吹いた。その肝心のレスターは、若き日にビックスとフランキー・トラムバウアーの相乗効果で有名な♫Singin' The Blues
のレコードをそれこそ擦り切れるほど聴いたと云う。あの二人の寛ぎに満ちたコルネットとCメロディー・サックス(ソプラノサックスとも違う。アルトとテナーの中間音)のチェースが、現実でギスギスして辛酸を舐めるような私生活を送っていたレスターが聴いて束の間の現実逃避が出来たのだ。そのフランキー・トラムバウアーの滑らかなフレイジングから強く影響を受けたレスターには、当時既にジャズ界を席巻していたテナー奏者コールマン・ホーキンスが激しいブロウでギャラリーを喜ばせ、バンド仲間を鼓舞する様が段々と違和感を醸成してゆく。当時の狭いジャズ界においてサックス🎷は総じてホーキンス張りのブリブリ・ビブラート一択の様相を呈していたが、レスターは敢えてそんな流れに"NO"を突きつけたのだ。レスターのソロスタイルはホーキンスのそれに比べたらまるで正反対。ビブラートはノンブレスで直線的、必要以上の音数を吹かない、カウント・ベイシー楽団時代のレスターは震えないビブラート以外はホーキンス張りだったが、年月が経てば経つほどその音数が少なくなっていった。これはボスであったカウント・ベイシーのピアノスタイルである所謂、節約奏法スタイルをピアノからサックスに置き換えた奏法だ。そう考えるのが自然であろう。1933年、レスターは初めてカンサスシティーでカウント・ベイシー楽団に参加した頃、カンサスシティ(以下KCと表記)の有名なクラブチェリー・ブロッサムにコールマン・ホーキンスが出ているという噂が瞬く間に町中に流れ、30分と経たずしてレスター・ヤングやベン・ウェブスター、ハーシャル・エヴァンスなど若くて活きのいいサックス奏者らが続々とクラブにプレイしに詰め掛けてきた。ホーキンス(以下、ビーンと表記)はKCのテナープレイヤーがどんだけのものなのかは知らなかった。「ビーンは一晩中プレイした」が、太刀打ち出来なかったという。その日のうちにビーンは当時専属だったフレッチャー・ヘンダーソン楽団とセントルイスに移動しなければならず、レスターらがベン達とセッションしている間、ずっと自分が入る隙を伺っていたが遂にタイムオーバーとなりセッションに加わることは遂に出来なかった。つまりは一晩中プレイしてなんかいなかったのが事の真祖のようだ。これはレスター寄りの者たちによる「ホーキンスの敗北」神話であり、この話がベースとなり尾ヒレが付いて流布したらしい。ホーキンスがレスターに敗北した、という話がひと頃のジャズ本には必ず書かれていたものであり、さもレスターとビーンがテナバトルの一騎打をしてレスターが勝った、という話はでっち上げだったことがデイヴ・ゲリーのジャズマスターピースシリーズのレスターの伝記を読むと、最初から闘っていないことが判る。しかもレスターはビーン以外のミュージシャンとそこでセッションしていた訳で、ビーンは土俵にすら昇れていないことが、上記の記述でハッキリする。フレッチャー・ヘンダーソン楽団の移動でタイムオーバーとなった口述をしたのはレスターらと同時期にKCでピアノを弾いていたメリー・ルー・ウィリアムズ女史の証言だからほぼ間違いない。正確なジャズ史は如何に客観的な意見を口述或いは記述しているかを読む側がキチンと選別しなければならない良き例であろう。
さて、前置きが長くなったがレスターのノーマン・グランツコレクションで村上春樹が二番目に取り上げたのが『COLLATS』である。まだマーキュリー時代の1951年に10インチアルバムとしてリリースされた初期のアルバム形態である。我々が今日び、LPとして認識しているアナログ盤は30cmの直径でこれが12インチ盤となる。10インチは直径25cmである。現在出回っているLPよりかはやや小さい。この10インチ盤は現在殆ど見なくなった。大滝詠一は1977年にコロムビアから自分が手掛けたCMソングの音源をLPでリリースしたが、4年後にCBSソニーからリリースしたコロムビア時代の旧譜をリイシューした際にこの『NIAGARA CM SPECIAL VOLUME.2』として10インチ盤で敢えて出した。大滝さんとしてはレコードの変遷の中でLPの12インチの前に10インチの時代があった事を形として残しておきたかったのであろう。それだけ歴史を重んじていたミュージシャンであったということである。
話が逸れたが、そのレスターの『COLLATS』から本日は往年のスタンダード♫Polka Dots and Moonbeams を紹介する。このアルバムリリース当時、ノーマンはビニライト盤のアルバムと同時に2曲が表裏にプレスされたシェラック素材のSP盤もリリースしている。つまりはバラ売りしていたのである。素晴らしき商魂だが、実際にまだビニライト盤の普及率が上昇していなかった頃の話だから、SP盤リリースはある意味必定だったのかもしれない。私は中古レコード店でこの♫ポルカドッツ… と♫ Too Marvelous For Words と
♫ Frenesi の3枚をSP盤で買った覚えがある。計8曲入りのアルバムだったからあと1枚見付けられたらこのアルバムのSP盤を全て揃えられたのだが、惜しかった。

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ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス

レスター・ヤング

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ハシオキ龍之介

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デヴィッド・ストーン・マーティン画廊 # 14


#レコードジャケット #JAZZレコード


☆『イリノイ・ジャケー』

村上春樹のコレクションの中からのデビッド・ストーン・マーティンが手掛けたジャケット作品にフォーカスした本を紹介している。
 1955年のアルバムで、ジャケーがリーダーだが、カウント・ベイシー楽団時代の同僚ハリー・エディソンがミュートtp.で参加している。村上春樹おすすめの♫Cool Bill はラストでジャケーとエディソンの二人のチェースが聴ける。普通チェースは火花散る激しいアドリブの応酬に陥りがちだが、ここでの2人はもっと和んでいて、久しぶりの邂逅にやァーやァーと縁側で茶でも啜っているような、穏やかな共演である。ハリー・エディソンはジャケー同様、カウント・ベイシー楽団以後ノーマン・グランツのJ.A.T.Pに参加して頭角を表した。レスター・ヤングとは幾枚もマーキュリー時代に名盤を残し、ヤングからスウィーツというミドルネームを貰い後に自分のアルバムでもその名を冠してすっかりお気に入りだったようだ。ハリー・エディソンと言って忘れられないエピソードと云えば、やはり3枚目に貼ったこの最初のJ.A.T.Pコンサートの時のデビッドの有名なジャケットだ。このペッターのモデルは一体誰か?と論争になった時、しゃしゃり出てきたのが「俺様さ」と名乗りを上げたのがエディソンだった。J.A.T.Pを牽引したリーダーペッターは誰を置いても俺以外にないじゃないか!と意気軒昂だったエディソンだが、作者がデビッドからは遂にはっきりしたことは告げられず、この論争はすぐに収まる。エディソンは中間派ペッターとしてはジャズ史的にはロイ・エルドリッチらの後塵を拝する位置づけ的存在に終わるが、一連のヤングと吹き込んだ盤はどれも名盤の名に恥じない立派な内容だが、それはまた別のお話。
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Cool Bill

イリノイ・ジャケー

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