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なお
「性根が変わらないと、もう無理」
僕は、誰かの過ちや悪い行いに対して、心の奥底でそう決めつけてしまう自分がいます。
全存在を否定したくなる。きつく罰しないと、また同じことを繰り返すだろう、と。
でも、モーセ五書を読んでいると、そんな人間の衝動とはまるで逆の方向に進んだ人たちの記録があることに気づかされます。
神ご自身が激しく怒り、滅ぼそうとされた瞬間に、
「どうか、お怒りにならないでください」
「どうか、やめていただけませんか」
と、懇願した人たちがいるのです。
神の「怒り」の前で
創世記18章。神はソドムとゴモラの悪が甚だしいことを知り、滅ぼそうとされています。
その時、アブラハムは神に近づき、こう言います。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者といっしょに滅ぼされるのですか。」
(創世記18:23)
アブラハムは神と「交渉」を始めます。正しい者が50人いたら?45人では?40人では?…
最後には「10人」のために、と懇願し続けます。
そして出エジプト記32章。
民が金の子牛を作って礼拝するという重大な背きを犯した時、神は激怒され、滅ぼそうとされます。
そこでモーセは、神の前に立ちはだかりました。
「どうか、あなたの激しい怒りを和らげ、あなたの民に下そうとされているこの災いを思い直してください。…どうか、この民に対する怒りをやめ、あなたのしもべアブララム、イサク、イスラエルに誓われた悪いことから思い直してください。」
(出エジプト記32:12-13 一部要約)
ヘブライ語が伝える「切なる懇願」
アブラハムが「どうか…してくださいませんか」と願う時、原文では 「ナー」(נָא) という言葉が繰り返し使われています。
これは単なる「お願い」ではありません。切実さ、哀願、心からの懇願を表す間投詞です。
「ああ、どうか」「どうかお願いです」という、文字を超えた心の叫びが込められています。
モーセの言葉にも、同じ 「ナー」 が使われています。
神の前で、震えるような思いで発せられた懇願の言葉。
それは、神の「正義の怒り」を前にしても、なお「救いの可能性」を信じようとする、かすかながらも確かな抵抗の声のように僕には聞こえます。
「矯正」を超えたところにあるもの
ここで考えさせられるのは、アブラハムもモーセも、民の「悪」を否定していないことです。
ソドムの罪も、金の子牛の背きも、重大な過ちです。
彼らは「そのぐらいで大目に見よう」と言っているのではありません。
むしろ、その悪をしっかりと見据えた上で、
「それでも、滅ぼす以外の道はないのですか」
「怒りを収める別の方法はないでしょうか」
と、神との対話を求めている。
僕が「性根が変わらないと無理だ」と決めつける時、実はその人との「対話」を、もう諦めているのではないか。
相手を「矯正する対象」としてしか見ておらず、「共に歩む存在」として見ることをやめてしまっているのではないか。
アブラハムとモーセの懇願は、神に「あなたのやり方を変えてください」と願った、とてつもなく大胆な行為です。
でも同時に、それは神がそのような「対話」を許し、むしろ待っておられたことを示しているように思えてなりません。
記録されていることの深い意味
なぜ、この二人の「神の怒りを止めてください」という懇願が、聖書に詳細に記されているのでしょうか。
もし神が、ただ「悪を徹底的に滅ぼす方」だけをお示しになりたいのなら、こんな場面は記録しないはずです。
むしろ、ご自身の怒りを前にして、人間が敢えて懇願することを許し、その懇願に耳を傾けられる神の姿を、私たちに知ってほしいからではないでしょうか。
「あなたが誰かを、もう変わりようがないと決めつけ、裁きたくなる時、
わたしとの対話を忘れていないか。
わたしが、あなたの懇願に耳を傾けるように、
あなたも、もう一度、対話の可能性を信じてみないか」
そんな呼びかけが、この記録から聞こえてくるような気がしてなりません。
僕自身、誰かの過ちを前に、心を閉ざし、裁きたくなることがあまりにも多い。
でも、モーセ五書を読むたびに、アブラハムとモーセが神の前に立ち、震える声で「ナー」と懇願した姿を思い出します。
それは、怒りや絶望が最終答えではないことを、静かに、しかし力強く教えてくれるからです。
これからも、この「対話を求める勇気」について、モーセ五書を通して学び続けたいと思います。
もし、このアブラハムとモーセの、神との緊張感あふれる対話の場面を、より深く感じてみたいと思われたら、ぜひAmazonで『モーセ五書 マンガ 石川尚寛』と検索してみてください。
無料で読めますし、これらの深い場面がどのように描かれているか、きっと新たな気づきがあると思います。
#モーセ五書との対話
#神の怒りと人間の懇願
#裁きから対話へ


まえさん
回答数 20>>
しゅう
アメリカの人工知能研究団体がつくった
OpenAI(オープンエーアイ)であり
そこには
「日本・日本人にとって 都合が悪い真実」は伏せるように作られていると思われる話
また「日本・日本人」を
モニタリング・動向の確認・情報扇動などに
色々使われていると想像するお話
ヨーロッパの国々は
「危険性」から 導入を拒否し
捨てられたにもかかわらず
「日本」は 勝手に利己的な政治の判断で
受け入れてしまったお話
例えば
「神社 ユダヤ教」と検索しても
Chat GPTの検索結果は 以下の通りのお話
――――
「結論から言うと、
「神社とユダヤ教に直接の歴史的つながりは、 学術的には確認されていません」
ただし、
共通点やロマンあふれる仮説があって、
そこがよく話題になります。」
―――
そのように 説明をしてしまう件
よっぽど
「神社 と ユダヤ」と「日本の関係」を
知られたくないんだと思われるお話
自民党が いつも なぜかわざわざ行く
「三重県の伊勢神宮」への参拝について
日本の国民には
ある「一般の国民」からすれば
「日本の伝統の「神社』の総本山に
自民党が敬意を表し 参拝してる」と見たり
「神道」を信仰する人からすると
「神道を崇めてくれている」と
変に好印象を受けてしまう件
「神社」と「ユダヤ」の関係を
よく知らない人は
「日本が主観の 見え方」になってしまう話
しかし「ユダヤ人・ユダヤ教徒」からすると
「イスラエルの移動式神殿」を模した
日本の神社に 日本の政治家が参拝する事は
「日本人が ユダヤ教を尊重してる」と
受け止められる事につながる件
神社の「鳥居」(トリイ)は
「ユダヤ教と関わる ヘブライ語が語源」
そして
「ユダヤ教の六芒星」(ろくぼうせい)は
日本では「かごめ紋」として知られてる件
「かごめ紋」は
「伊勢神宮・出雲大社
・京都の丹後半島の神社」」に存在してて
「自民党・自民党と関わる政治家ら」などが
一生懸命に 日々身に付けている
「◆青の色のモノ」は
(スーツ・ネクタイ・ブルーリボンバッジ)
ユダヤ教の象徴色「青」でもあるお話
なぜ 日本の悪質な政治家・経済関係者が
「やたらと「青い色」のモノを
身に付けているのか」ということに
日本人が「どこまで気付いているのか」は
非常に 疑問なお話
ちなみに「横浜市」は
「青色」を「自治体」で推し進めて
「ヨコハマブルー」などと称してるお話
日本の「政治・経済」の「闇」を知るには
「青色」が キーワードでもあると思われる話
「公人」(私人では無い)が
「いつも 青色を
やたらと身に付けるかどうか」を
意識を強く持って「メディア」を見ると
少し「日本の見え方」も変わるかもと思う話
自民党らは
「青色= 北朝鮮拉致被害者の支援」への
表明として「ブルーリボンバッジ」を
やたらと付けているものの
それが「国民をだます 言い訳」なのか
「裏に ユダヤへの敬意を 隠しているか」
果たして 真実は?

なお
良かれと思ってしたことが、
実は「感謝されたい」という気持ちや、
「正しいと思われたい」という
自分自身のエゴだったんじゃないか。
そんなふうに、自分の心がチクッと刺さる瞬間が、
最近、増えている気がします。
「利他」という美しい言葉の裏に、
「押しつけ」が隠れていないか。
そんな問いを抱えながら、モーセ五書を読み返していました。
そこで、ある一節が胸に深く突き刺さりました。
創世記22章2節。
神がアブラハムに、最愛の息子を捧げるよう命じる、あの難しい場面です。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて……」
ここで「愛する」と訳されたヘブライ語は、
「アハヴ(אָהַב)」 という言葉です。
実はこの「アハヴ」、
聖書全体で人間が誰かを「愛する」文脈で使われるのは、ここが最初なのだそうです。
神はわざわざ、
「あなたが愛する」 と強調されました。
そのことに、深い意味を感じずにはいられません。
わたしたちは、愛する人や、正しいと思うことに対して、
無意識のうちに
「自分の所有物」のように接してしまうことがあります。
「愛しているからこそ」
「あなたのためを思って」
その言葉が、時として、
相手を縛る鎖になってしまうことはないでしょうか。
振り返れば、私にも覚えがあります。
相手の幸せを願っているようで、
実は 「自分の思い通りに動いてくれること」を
無意識に期待していた瞬間が。
それは、利他ではなく、
形を変えたエゴだったのかもしれません。
アブラハムにとって、イサクは何よりも大切な存在でした。
だからこそ、その愛は「執着」に変わる危うさもあったはず。
「アハヴ(愛)」の語源には、
「与える」「息を吹き込む」 といった意味があるといわれます。
真の愛とは、
相手を自分の枠に閉じ込めることではなく、
自分から切り離し、
その人をその人自身の人生へと解き放つことなのかもしれない。
「こうあるべきだ」という
自分のエゴを握りしめている間は、
そこに神が入り込む余地はありません。
そっと手を開き、結果を委ねたとき、
初めて、「利他」の清い風が吹き抜ける。
自分の中にある「押しつけ」に気づくたび、
わたしは少し深呼吸をして、
この「アハヴ」の原点を、思い返すようにしています。
---
聖書の古い言葉は、
数千年の時を超えて、
今を生きるわたしたちの、
小さな心のつかえに、優しく光を当ててくれます。
完璧ではない自分を抱えながら、
これからも、この深い物語を、
一歩ずつ歩みながら紐解いていきたい。
もし、この気づきの旅を、
少しでも共に分かち合える方がいらしたら、
これほど嬉しいことはありません。
この心の葛藤や、神との対話を、
わたしはマンガという形で表現し続けています。
もし宜しければ、ぜひご覧ください。
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共に、人生の本当の歩み方を、
探していけたら幸いです。
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#創世記からはじめよう
#エゴを手放す


めんちかつ
#45歳からの挑戦 #ヘブライ語 #経済学 #イスラエル Hebrew Israel Economics


なお
僕は聖書を読むとき、時に、たった一言の言葉の前に立ち止まることがあります。
今日、心に引っかかっているのは、二つの小さな言葉。
「ヒネニ」と「アーメン」です。
この二つは、まるで対になるように、神さまとの関係の中で輝きを放つ言葉だと気づきました。
まずは「ヒネニ」から。
これはヘブライ語で「הִנֵּנִי」と書き、意味は「ここに私はいます」「お呼びでしょうか」。
神さまからの呼びかけに対して、「はい、私はここにいます。あなたのために何ができますか」と、全身全霊で応答する姿勢を表す言葉です。
モーセ五書の中では、アブラハムが息子イサクを捧げるようにという、あの難しい招きを受けたとき(創世記22章1節)、彼は「ヒネニ」と答えました。
また、神さまが夜、少年サムエルを呼ばれたとき(サムエル記上3章ですが、五書の精神に通じます)、彼も「ヒネニ。あなたのしもべは聞いています」と答えます。
この「ヒネニ」には、「私は完全にあなたの前にいます。私の全てを差し出します」という、信頼と委ねりの気持ちが込められているように感じます。
僕はこれを読むたび、「私は、目の前の神さまに対して、これほど全存在をかけて『います』と言えているだろうか」と、胸が締め付けられる思いがします。
そして、もう一つの言葉が「アーメン」。
ヘブライ語では「אָמֵן」。これは「確かに」「そのとおりです」「真実です」という意味の、確認と同意の言葉です。
モーセ五書では、特に申命記の27章から28章にかけて、神さまの祝福と呪いの言葉に対して、民が「アーメン」と応答する場面があります(申命記27:15-26)。
民は、神の言葉が真実であることを認め、「その言葉が、わたしの上にもその通りありますように」と、自分自身に引き受けて宣言するのです。
「ヒネニ」が神への「応答」だとすれば、「アーメン」は神の「言葉への同調」。
「あなたがおっしゃることは真実です。私はそれを自分のものとして受け入れます」という、深い信仰の姿勢がここにあります。
僕はこの二つの言葉を見つめながら、祈りとは何かを考えさせられます。
神さまへの祈りは、一方では「ヒネニ」——「私はここにいます。あなたの御心のために」という、能動的で献身的な姿勢。
他方では「アーメン」——「あなたの約束は真実です。その御言葉に全てを委ねます」という、受動的で信頼に満ちた姿勢。
この両方が、まるで呼吸のように交互に働くとき、神さまとの生きた関係が育まれていくのではないでしょうか。
今日、僕自身に問いかけてみたいと思います。
私は、日常の中で、神さまの細やかな呼びかけに「ヒネニ」と答えられているだろうか。
また、聖書を通して語られる神さまの真実な約束に、心から「アーメン」と言えているだろうか。
小さな言葉の一つひとつに、これほど深い意味と覚悟が込められている——モーセ五書を学ぶたびに、僕はその豊かさに驚かされます。
まだまだ知らないことがたくさんあります。これからも、一節一節を大切に読み、その響きを心に留めていきたいと思っています。
もし、この「ヒネニ」や「アーメン」のような、聖書の言葉の深みを、もっと身近に感じてみたいと思われた方がいましたら。
ぜひAmazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。
僕自身の学びの旅が、形になったものを、あなたと分かち合えれば嬉しいです。
#ヒネニとアーメン
#モーセ五書マンガ
#聖書の小さな言葉



ななし
xxに神は居ないのに、人間にとって都合の良い神なんて居るわけないじゃん。
という感じでしたが、記事みて目から鱗でしたね。
#解釈更新
宗教の源流を追ってみると時代によって教えや表現は変わっているんです。
例えば、ヘブライ語の「サタン(ha-satan)」は、もともと固有名詞ではなく「敵対者」や「告発者」という役職を意味する一般名詞。
彼は神の会議(御前)に出入りを許された御使いの一人であり、地上を巡回して人間の不義や不信心を神に報告する「検察官」のような公務に就いていました。という感じ。



なお
気づいていますか?
何も感じなくても、何も求めなくても、神の声は確かに届いているということを。
僕自身、聖書を読んでいて、時に無感動になることがあります。
毎日をこなすだけの日々の中で、神の言葉が遠く感じられるとき。
けれど、ある一節と出会ったとき、その思いが変わりました。
申命記30章19節──決断を迫る神の声
「私は今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出す。私はあなたの前に命と死、祝福とのろいを置いた。あなたは命を選びなさい。あなたもあなたの子孫も生きるために」
この言葉は、モーセがイスラエルの民に語りかける最後の場面のひとつです。
ヘブライ語で「命」は「ハイイーム」、「選ぶ」は「バハル」。
ここで深く心に刺さったのは、神が私たちに「無関心でいる選択肢」を与えていないことです。
無関心も、実は選択なのだと
「バハル」──この「選ぶ」という行為は、能動的な意志を必要とします。
何もしないこと、無関心でいることさえ、実は私たちの「選択」の結果なのかもしれない。
僕はこの節を読んで、ハッとしました。
無感動になっている自分は、いつの間にか「命から目を背ける」という選択をしていたのではないかと。
神はここで、天地を証人として呼び出します。
まるで、この決断がいかに重大かを強調するかのように。
毎日が、選び直すチャンス
この「今日」という言葉も、ヘブライ語では「ハヨーム」。
聖書の「今日」は、単なる暦上の日付ではありません。
それは、今この瞬間から始まる新しい決断の時。
無感動に流されていた昨日までとは違う、今日という選択の時なのです。
僕たちは毎朝、目が覚めたときから「今日、何を選ぶか」を決めています。
無関心を選ぶことも、命に関わることに目を向けることも。
神が望むのは、あなたの「反応」そのもの
無感動な人への神のメッセージは、シンプルです。
「選びなさい」
感情がなくてもいい。
心が動かなくてもいい。
ただ、意志をもって「命に向かってみる」という選択を。
その一歩だけで、天地が証人になるほどの意味があるのだと、この言葉は語りかけています。
僕自身の学びは続く
僕はまだ、完全に無感動から抜け出せたわけではありません。
でも、この申命記の言葉を胸に、毎日「今日、何を選ぶか」を意識するようになりました。
モーセ五書には、こんな風に現代の私たちに直接語りかける言葉が、まだたくさん隠れています。
一つ一つのヘブライ語には、訳された言葉だけでは伝わらない深い響きがある。
もしこの気づきが、少しでもあなたの心に触れたなら。
もし無関心の殻に、ほんの小さなひびが入ったなら。
気になった方は、ぜひAmazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。
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僕自身、このマンガを通して、聖書の言葉がどれだけ今の自分に語りかけるものかを学び続けています。
あなたも、一緒にその発見の旅に出てみませんか。
#モーセ五書マンガ
#申命記からの気づき
#聖書の今日という言葉


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ゲジェムはヘブライ。
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フォンはタイ。
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ボローはモンゴル。
ウアはハワイ。
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さて、答えは?
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