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ハシオキ龍之介
#レコードジャケット #JAZZレコード
☆『レスター・ヤング』
村上春樹のコレクションの中からのデビッド・ストーン・マーティンが手掛けたジャケット作品にフォーカスした本を紹介している。
レスター・ヤングの4枚目は『Pres and Sweets』1955年Rec.で全8曲、片面4曲のこの時期特有の10インチ盤である。直径25cmで現在出回っているアルバムサイズのLP盤は、直径30cm盤だからそれより5cm小さい盤である。このアルバムは、レーベルがクレフからノーグランに変わったばかりの頃にリリースされたアルバムである。
後にVerve時代になってから再発された時には赤地にレスターとハリーエディソン2人の写真が並んでるだけの何の工夫もないジャケットだったが、そうやって考えるとこのノーグランの時はなんと味わいのあるDSMのイラストなんだろう、と惚れ惚れしとしてしまい、いつまでも眺めていたくなる。斜めに描かれたテナーは正にレスターの象徴である。彼のサックスの持ち方は常に斜めに斜傾されていて、彼がソリを吹く時そのマウスピースから漏れ出る空かし音から始まりややオフビート気味に奏でられる。その枯れた味わいをレスターはサックスを斜めに構えることで、体現していたのである。それをDSMはレスターを描かずして表現している。と言うか、机を意図的に描いているところを見ると、サックスはその机に置かれているようだ。一方のハリーのペットはイスに置かれている。全体の構図の中でマイクロフォンに赤い着色、ペットには青を塗る。この、演奏後の空虚感、或いはロスな心情とでも言おうか。DSMの絵画に漂う虚無感は彼独特の世界観だが、殊にレスターのアルバムではそれが顕著に表されている。
録音された演奏はこの本の中で村上春樹が書いている通り、二人がイマイチ乗っていない。バッキングはオスカー・ピーターソン-p. ハーブ・エリス-g. レイ・ブラウン-b. バディ・リッチ-ds.と言う鉄壁の布陣だから、二人の演奏がヘナっているのが、何とも勿体無い。が、二人のベイシー時代のテーマ曲である♫ワン・オクロック・ジャンプ の演奏になると生気をとり戻したかのようだ。プレスはレスターのミドルネームで親交が深かったビリーホリデイがレスターに敬意をもって名付けたプレジデントの略称。レスターはその返礼としてビリーに、あんたは女の中の女だったよ、という最大の敬意であるレディー・デイとした。そのレスターがカウント・ベイシー楽団以来の盟友ハリー・エディソンには"スウィーツ"というミドルネームを与えた。この時期レスターはアルバムでは頻りにペッターにミュートを付けて吹くように指示している。ここでもそうで、ハリー"スイーツ"のミュートはその名の通り甘く芳醇な果実のような味わいを放つ。
続

One O'Clock Jump
ハシオキ龍之介
#レコードジャケット #JAZZレコード
☆『チャーリー・パーカー』
昨年の2月下旬に刊行されたノーベル文学賞ノミネートのご常連 村上春樹が自分のレコードコレクションの中からデビッド・ストーン・マーティンがジャケットを手掛けたクレフ、ノーグラン、ヴァーブ時代のレコードジャケットに短文エッセイを添えた『デビッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界』を大阪梅田のタワレコで見付けて即買いした。こういうのがいつかは出ないかのぅ…と夢想していたら、まさかの村上春樹が刊行するとは。彼は元来ジャズ好きだから、別段不思議でもないのだが『ポートレート・イン・ジャズ』という本を以前にも出していたし、その表紙には我が敬愛のビックス・バイダーベックの有名なポートレートをイラスト化したものが載っていて、本屋で見掛けてやはり即買いしたことを昨日の事の様に思い出す。村上春樹が神田神保町の中古レコ屋に出没する件は、若杉実の『東京レコ屋ストーリー』に詳しい。
さて、デビッドの設えたレコードジャケットはその数を圧倒している。レコードの内容はイマイチでもジャケットだけでも十分鑑賞に耐えられるそんな稀少性が嬉しい。デビッドがクレフ、ノーグラン、ヴァーブレーベルのスーパーヴァイザーだったノーマン・グランツと意気投合してレコードそのものの商品価値を高めたことは、その後の12インチ時代のレコジャケ百花繚乱振りを見ればいかに彼らの仕事が先見の明があったかが分かる。
村上春樹によると当時の大手レコード会社コロムビア、ビクター、デッカのレコードを見ればジャケットには全くもって関心が無いかのようだという。まあ、レコードのメインは音楽なのだからジャケットにまで拘る必要は無かったわけで、当時の広報部辺りの言い訳が、聞こえてきそうな気がする。又、デビッドの描く絵も多分に前衛的だったから大手レコード会社がおいそれと取り上げるような代物でないのも納得的ではある。
村上春樹によると、ノーマンはデビッドには殆ど注文などせず好きな様に描かせたという。この辺もインディーズレーベルの自由度のなせる技であったという。
レコードジャケットといえば、かのアンディ・ウォーホルもデビッドほどではないにしろ、レコードジャケットを手掛けている。今は亡き神田神保町のTONYレコードの創業者西島経雄さんはアンディ・ウォーホルのイラストの見分け方は、指の爪形に特徴があるのだという。
デビッドにしろアンディにしろその後、贋作と言える類似画が山のように出回るので、TONYさんのような真贋を見分ける目が必要なのは確かである。
というわけで、これからこの村上春樹のイラストエッセイからと、ここでは取り上げられていない私が所有している幾許かのデビッド作品と不足分は拾い画で補っていこうと思う。以後のDSMの素晴らしい世界に御期待下さいまし🙇♂️🍵☕️
続
※ 1.JATPのパンフと得意気なノーマングランツ
2. デビッドストーンマーティン
3. チャーリーパーカーのアルバム
『The Magnificent』 '51



オー・プリヴァーヴ
ハシオキ龍之介
#レコードジャケット #JAZZレコード
☆『レスター・ヤング』
村上春樹のコレクションの中からのデビッド・ストーン・マーティンが手掛けたジャケット作品にフォーカスした本を紹介している。
レスター・ヤングの3枚目は『COLLATES No.2』
である。村上春樹の記述によるとこの時期は丁度マーキュリーからノーマン・グランツがクレフとノーグランをその販売網から離脱した頃、と書いているように、レーベルやアルバムがどれで、どの時期のものか?が混沌としてイマイチ掴み辛い。私もレスター・ヤングにはかなり心酔したので、凡そのことは判るが未だにクレフとマーキュリーのレーベルがごっちゃになってしまう。或る時代までよくあった中古レコ屋もかなりアバウトにこうしたレコードを売っていたものだ。例えばレスターのマーキュリー盤をクレフのレコード袋に入れてシレーっと売られていたりetc…。これなどは未だ可愛い方だが、ノーマン・グランツが後に興したジャズの名門レーベルの一角を占めることになる『Verve』期にレスターのクレフ時代の音源を十把一絡げにして一連のレスターのオスカー・ピーターソントリオとのセッションをアルバムの枠を取っぱらい曲順もバラバラ、おまけにどのアルバムにも所収されていない未収録音源なども混ぜて改めて『pres』と云うアルバムで再発したものに至っては、もう収拾が付かないことになっている。嘗てのマーキュリーだとかクレフ、ノーグランを知らない新興のファン達はこの『pres』がオリジナル盤だと思っている人が一定数存在するからだ。更に、サブスクもこの『pres』を元ネタに音源をアップしたりしているものだから、『COLLATES No.2』では中々ヒットしない、と云う事態に陥っている始末である。これはノーマン・グランツと云う御仁がオリジナルだのディスコグラフィーに余り拘らなかった考えが、現在までこうした混乱を招いていることに、依拠するのであろう。日本でなら大滝詠一がそうであった。『自分は詠み人知らずになりたい』と或る時、親交の深かった音楽評論家の萩原健太に語ったと云う。つまり、自分が作った作品が世に流布してくれたら、自分の名前は流布しなくてもよい、と云う考えが彼を支配していたと云う。
されば、どんな形であるにせよ自分が関わった作品たちが後世にミャクミャクとうたい継がれて行ってくれたら本望だ、と云う訳だ。だから尚更正史は出来たら自分で質すべきでは?と思うのだがそれは後に継ぐ、出来る人間の役割と言わんばかりである。ノーマン・グランツもレーベルを次々と売却して新しいレーベルを更新していった。プロデューサーと云う言葉を嫌い、敢えてスーパーヴァイザーと言ってみたり、その取組は新機軸に富んでいたが、プロデューサーそのものへの関心やジャケットのイラストは一貫して好きなイラストレーターを使うとか、更にはエンジニアに誰を起用した、と云うことをわざわざレーベルに印字したりなど、後にサブカルチャー的に普遍となるこうした職人気質人たちに注目を集めさせるそうした切り口にスポットライトを当てたのも業界ではノーマンも大滝も初めての試みだった。
レスター・ヤングから話がかなり逸れてしまった。
本回は前回に引き続き『COLLATES』の№2を紹介する。録音年月は前回と同じ日のセッションである。本回はこの中からレスター垂涎のビックス・バイダーベックの十八番でレコードも残されている♫ザウ・スウェル をレスターが取り上げているのが所収されていたので、サブスクで早速拝聴願いたい。
このジャケットについて村上春樹の見解を最後に引用する。尚、デビッドのジャケットはこのコラムのレスターの項でいちばん最初に紹介した「ウィズ・オスカー・ピーターソン・トリオ」と全く同じデザインだが、色合いがまるで違う。薄青の単色刷りの方が最初に紹介した方である。
……この右手に剣(らしきもの)を持ったドン・ジョバンニ風のレスターの姿はなかなか魅力的だ。しかしなぜレスター・ヤングを騎士に見立てるのか、その理由はわからない。レスターは終始平和と安穏を好む、傷つきやすい性格の人だったから、そんな人に剣をもたせてもなぁ・・・という疑問は残る。しかしおそらくDSMにはそれなりの思いがあったのだろう。レスター・ヤングは彼にとって永遠の輝かしいヒーローだったのかもしれない。……
続


ザウ・スウェル
