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奥州高館にて
夏草や兵共がゆめの跡
芭蕉
Natsukusa ya tsuhamonodomo ga yume no ato(日本語の音表記)
有名な話であるが芭蕉はこの句の前文に杜甫の「春望」、「国破レテ山河在リ、城春ニシテ草木深シ」を引いている。芭蕉は最初に杜甫の詩の影響を実作として表した日本の詩人だと言われている。このあと日本で特に杜甫の影響を実作に表した有名な詩人は正岡子規である。日本の詩は和歌→連歌→俳諧(連句)→俳句(発句)と移り変わる。この俳諧を市井の言葉を入れてなお格調高く際立って芸術的に表現したのが芭蕉である。また俳諧の最初の発句を俳句として始めたのが子規である。その時代じだいの要請をいち早く取り入れたこの二人の詩人がともに杜甫の詩を高く取り上げているのを私は必然だと思う。先見の明=目利きであったのである。さて、この句の背景については例によって『芭蕉全発句』から抜粋する。
高館は義経の館で、義経主従は藤原泰衡の大軍に攻められて、全員討死した。その古戦場の跡に立った回顧の詠である。古戦場で命を落したつわものたちの瞋恚の執心が残って矢叫びの音の絶えない、修羅場の文学の伝統的発想があった。その慰霊の文学の伝統が、この句に脈々と伝わっているようだ。「兵共がゆめの跡」は義経伝説を育んで来た東北の民衆の間に、ずっと続いている心の伝承であり、芭蕉の詩精神がそれを己のものとすることで、おのずから詩的肺活量の大きさを示している(適宜改稿=抜粋者)。
ここからはこの句自体について見てゆくことにする。季語は「夏草」である。私はこの句の音のなかに「つわものども」の戦が一瞬にして微風に揺らぐ「夏草」の「ゆめの跡」に変化する幻を見る。それはまず「夏草や」の勢いのあるtsu音が「兵」のtsu音と変化するところではないかと感じる。つまり「夏草」→「兵共」→「ゆめの跡」、騎馬の蹄の音や鎧兜で身を固めた歩兵の「兵共」の音が蘇っては消えてゆくのは「夏草」と「ゆめの跡」に挟まれているからだと。この句の母音が軽快で開放的なa音から重量感のある執心的なo音に混ざり合い「ゆめの跡」として閉じられることからもそれが感じとれる。この世の現実が生まれて生きて死んでゆく個々人の脳の「夢」であり、さらに未来に夢を描いてしまう人間の思いという「夢」が「夢のまた夢」ということである。


sion

アル
無理シテ、倒レテ…何モエラクナイ

ウッグ✱ウググ
秋ガ過ギタラ冬ガ来テ
飽キガ来タナラ オ払イ箱サ
冬ガ来ル前 喰イ倒レ
飽キル事スラ 忘レサセルワ

闍和歌レイ
さっきのかわいい会話
嫁「ごめん!!今日外で食べてきていい!?」
ワシ「どしたん話聞こか?」
嫁「キモっ私以外にやらない方がいいよそれ」
嫁「じゃなくて久々に高校の時の後輩に会って軽く飲まないって話になった!」
俺「今日ビーフシチューだけど」
嫁「……連レテ来テモイイデスカ」
俺「んもーーーーーーあぁ〜じゃあ帰りにトイペ買っといて」
嫁「リョッス!!アジャッス!!」
なんすか先生
いや幻覚じゃありませんよ。えぇ?薬が効いてない?何言ってるんですかこの通りピンピンしてるじゃないすか笑

mashiro/

いずの
色んな状況に応じて仕草や声を使い分ける器用な子です
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