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くりねずみ

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哲学史や諸学に一切触れず哲学をする人をどう思いますか?そもそもその考えただけのものに哲学と呼ぶ必要があるのですか?哲学史や諸学に一切触れず哲学をする人をどう思いますか?そもそもその考えただけのものに哲学と呼ぶ必要があるのですか?

回答数 43>>

「個人的な探求としての哲学」と「学問としての哲学」を分けて考えたほうが良いと思います。それらは「文学作品」と「学問としての文学」が違うのと同じくらい異なっています。

タレースやピタゴラスなどのアルケーを探求した哲学者、あるいはソクラテスやプラトンが学んだ哲学の量は、おそらく現代の哲学者が学んだ量の半分どころか一割にも満たないでしょう(タレースに至ってはそもそも先駆者がいません)。ですが彼らを指して「哲学者ではない」と言う人はおそらくいないのではないでしょうか。そう考えると、「哲学史や諸学に一切触れずに哲学する人をどう思いますか?」という質問に対しては「少しもおかしいところはない」と言えると思います。

二つ目の質問については、意味を捉えかねているのですが「そもそも頭の中だけで考えたものを学問と呼んでもいいのか?」という意味だと解釈してお答えします。

これについては明確にイエスと言えるでしょう。「学問としての哲学」に限った話ですが。

同じように頭の中だけで展開される学問に数学があります。数学は哲学と同様、実験や観察が不要な学問です。たとえば1+1が2であることを証明するとき、私たちはリンゴを1つ持ってきて、さらにもう1つ持ってきて「ほら、2個になった」と言う必要はありません。数学は公理と定義に基づいた、純粋な論理と思考の積み重ねによって成り立っているからです。その点については論理学も同様でしょう。

ただし、学問として成立する重要な要素の1つに客観性が挙げられます。「私だけがそう思う」ではダメなのです。その思考のプロセスや結論が、他者にも理解・共有され、検証可能である必要があります。その点で考えると、「個人的な探求としての哲学」は学問と言うには不十分であると言えるでしょう。
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