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あめ

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ソシュールの記号論によると、超簡単にいうと、言葉の定義は他の言葉との差異によるものである。だから矛盾ない言葉の定義定義は不可能。だったら自然科学系の専門用語も抜けや重複がでるはずだから、いつか大きな穴とか無駄が生まれるのかな??もうあるかもしれないけど。数字とか演算の定義とかどうなんだろう。正しいと"勘違い"しているだけなのかもしれない。
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おおみや

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言語学者ソシュールは、「言語が現れないうちは、何一つ分明なものはない」と述べた。
この世界は本来、連続的で曖昧なものだ。しかし人間は、そこに「言葉」という記号を与えることで、それを切り分け、具体化し、秩序立て、意味を与えてきた。
逆に言えば、言葉があるからこそ、私たちは「世界」を持つことができている。



それは、音楽においても言えるかもしれない。

クラシック、ジャズ、ポップス——心地よい旋律が、耳から心に届くことがある。
けれども、それを言葉にできる力や、音楽的な理解がなければ、せっかく内側に響いた音楽も、曖昧なまま消えていく。
しかし、音楽の仕組みが分かれば、音の流れの中に隠された心の動きを明確に捉えられるようになる。
言語が世界を切り分けるように、音楽的知識は「音の世界」を切り分け、そこに意味を与えるのだ。

だが、知識を持っているだけでも不十分だ。
どんなに難しい理論を説明できても、音に心を揺さぶられる感受性がなければ、音楽は本当の意味で届かない。
「音」という表現は、知識だけでは意味を持たず、感情だけでは形を持たない。
知識という言語が感受性と結びつくとき、漠然としていたものが初めて輪郭を得るのだ。



こんな考えが浮かんだのは、うみにヴァイオリンを教え始めたのがきっかけだった。

私自身は、子どものころから音楽に親しみ、譜面を読んだり、聞いた音が頭の中で楽譜に変わったりする世界を当たり前として生きてきた。
でも、うみは違った。
彼にとって音楽は「聴くもの」だった。そんな彼が初めて触れた「奏でる音楽」の世界。
私がこれまで当たり前にやってきたことも、うみにとってはすべてが未知のことで、楽器を習う彼は、まるで新しい言語を学んでいるかのようだった。

その姿を見て、私は音楽を「聴くこと」と「奏でること」はまったく異なる世界の営みなのだと実感させられた。
同じ音楽を相手にしていても、立っている場所が違えば、見えている景色はまったく違うのだ。



私は、うみの音が好きだ。

楽器と自分に向き合い、慣れない世界にたくさんの疑問を抱え、葛藤や悔しさの中で一生懸命に練習していることが、音や弾き方から伝わってくる。
演奏者の心が反映されるというのも、音楽をはじめとする芸術の特性なのだろう。
多くの芸術がそうであるように、音楽もまた、自分が他の誰かの見ている世界を受け取るための「言語」なのだ。

その美しい世界を、私はうみの音に見せてもらっている。
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蘇我霊幻道師准尉

蘇我霊幻道師准尉

誤読についてどう思いますか?誤読についてどう思いますか?

回答数 21>>

「言語変化は諸言語の歴史における言葉の創造性の表れである」――コセリウ(1921-2002)は,変化すること自体が言語の本質であり,変化することによって言語は言語であり続けると喝破した.音韻論とソシュールに始まる「科学主義」によって硬直した言語学を解放に導く挑戦の書。


と言われるけど、何となく日本語は流行りの言い回しに拠ってるだけな気がする。誤読の前に国語で誤読の授業をすれば意識が変わると思うんだよね。あと業界用語もあるから面倒なんだよ。遺言も「いごん」「いげん」「ゆいごん」と3パターンある。仕方ない気がするなぁ。
哲学哲学
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