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愛善院
回答数 38>>
セムハム教であれば法と神に「与えられている」が、道教神道仏教儒教の混じり合う日本では与えるのではなく「はえぬく」のだ。

愛善院
回答数 27>>
イエスキリストはユダヤ教を「神はもっと優しいよ」とした、セムハム教のいち預言者です。
三位一体で「神の子」すなわち「神」と同一視してもよいよね、は別の時代に決めました。

愛善院
回答数 12>>
いわゆるセムハム教の「大いなる意志」の奴隷でありさえすればよい。私たちは最も不自由なものに自由という呼称を与えたようだ。しかたがない、物質リソースがないのだから。私たちが「選択している」のは、そういう「大いなる意志」が働いているだけだ。
こういうカルトやらスピやらに混じりこんだ宗教と戦ってきた身としては、実に不快な仮定だとは思うが、これに委ねてしまえれば人類は楽でもあろうねぇ。

愛善院
回答数 6>>
そもそもロシア・トルコ・ドイツあたりだと、セムハム教にまぎれた「太陽信仰」があります。
たとえば「雪の女王(魔女)」の類のヴィランは、冬と死の象徴、およそ「ガラス」をその象徴とします(シンデレラのガラスの靴も、白雪姫のガラスの棺も、少女としての死という暗示です)。
この雪の魔女は、季節の精霊でもあるので、時間のコントロールもできます。
雪の魔女の従者は「朝」「昼」「夕」「夜」
その太陽の色の馬に乗りやってくる騎士(死神)でもあります。
すなわち、朝は金の馬に乗った騎士がやってきて、昼は銀の馬に乗った騎士がやってきて、夕は赤銅の馬に乗った騎士がやってきて、夜は黒檀の馬に乗った騎士がやってきます。
果物とは「手を伸ばせば届く太陽」でもあるのです。手を伸ばしても届かない太陽に、信仰を。手を伸ばせば届く果物に、多大なあこがれと象徴を、人類はまとわらせたといえましょう。
