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仁
そろそろザザーッときそうな感じ⚡️☔️
#倉敷 #ただいまGRAVITY

えす
多摩川をサイクリングして、「二子玉川」に行きました。去年の今頃も行ってた記憶がありますw
二子玉川の手前に大きな公園があって、よく見たら中には回遊式庭園が…ということなので園内を散歩しました🌱
大きな池にはオタマジャクシがいて、
キジバトが巣を作って、
ボタンやハナミズキ、ツツジ、藤の花がきれいに咲いていて、
青い紅葉がザザーッと風で揺れていました🍁
二子玉川に来たのには理由があって、1つは「バビーズ」という有名バーガー屋でランチをすること🍔めちゃウマでした。両隣外国の方のペアだったのに、何故かお互い日本語で会話してて謎でした。
もう一つの目的は、高島屋に出来たUNIQLOに限定Tシャツがあるというので見てみたかった👕
高島屋の象徴「ローズちゃん」が高島屋の袋を持ってるプリントのTシャツ。デザイン可愛いけどぶっちゃけそんなに着なさそう…。でも二子玉川土産にと思って一着買いました。
帰りも自転車で爆走💨
久々走ったぞ🙌
#ひとりごとのようなもの
#ファッション
#サイクリング
#庭園










こ〜ちゃん🌱
高速道路をひたすら走る旅路の途中、東京を通過する際にふと立ち寄ってみた場所がありました。そこは「海ほたる」。今回が初めての訪問でした。
車高の少し高いハイエースを運転している私たちは、立体駐車場ではなくトラックと同じスペースに駐車することにしました。駐車場に入ると、大型トラックがずらりと並び、まるで威風堂々とした巨人たちの集会のよう。その中にハイエースを止めてみると、いつもは大きく感じる車体が、まるで小さな子どものように見えました。思わず、「こんなに小さかったんだね」とクスッと笑ってしまいました。
ふと、人生の中で私たちは色々なものを比較しながら生きていることに気付きます。他と比べて優越感を覚えたり、幸せを感じたりすることもあります。でも、そんな比較がなくても心がほっと温まる瞬間って、きっとたくさんあるはず。たとえば、透き通る海と空の景色に胸がすっとする瞬間や、子どもたちが笑顔でじゃれ合う姿に目を細めるひととき。それから、パートナーの何気ない笑い声が、疲れた心を優しく包み込んでくれる瞬間――そういった時間こそが本当の幸せなのかもしれません。
「ザザーッ」と潮風が吹き抜けるデッキに出て、目の前に広がる東京湾の景色を眺めました。少し冷たい風が頬を撫で、海の香りが深く肺に広がるたびに、心の中の疲れや雑念が少しずつ消えていくのがわかります。子どもたちの「わあ!」というはしゃぎ声、パートナーの「ここ、いいねえ」と楽しそうな声が隣から聞こえてきて、私まで思わずにっこり。
そんな旅ができることが、何よりの贅沢だと感じます。幸せは、比較の中ではなく、こうした何気ない日常の延長線上にあるのだと、改めて気付かされる旅のひとこまでした。






サザエ
子どもの頃、時々おばあちゃんと一緒に北京へ行き、ひいおじいちゃんに会いに行っていた。
ひいおじいちゃんの家は小さな庭付きの一戸建てで、初めて行った時からすごく気に入った。いわゆる「フルシチョフカ」(縦長の古い集合住宅)みたいな団地ではなかったので、見た瞬間にもう屋根に登るルートを3、4本も頭の中で思い描いてしまって(笑)、こんなに登りやすそうな家は初めてで、心の中で花が咲いたように楽しかったのを覚えている。
庭には鶏小屋があって、小さな畑が2〜3区画あり、家と家の境は木の柵で仕切られていた。今ではもうあまり見かけない光景かもしれない。
家の中は、外屋と内屋をつなぐ部分に、ちょっとした室内の小さなサンルームのようなスペースがあって、そこでは、当時はまだ珍しかった独身主義を貫いていた小姨(祖母の弟の娘)が、大きなチンチラ(龍猫)を飼っていた。彼女はもともと野良猫をたくさん引き取って飼っていたのだが、ある時1匹の猫が死んでしまってからはもう飼わなくなったそうだ。おばあちゃんによると、兄や弟に殺されたのではと疑っていたみたいで…。それ以来、ただ野良猫にキャットフードをあげるだけになったらしい。
その住民区ではよく年上の子どもたちが走り回っていて、私も混ざろうとしたが、遊び方があまりに激しくて、耳や頭を叩かれた記憶がある(わざとではなかったと思う)。それを見ていた家政婦のおばさんが、「猫にエサをあげてみたら」と言ってくれた。
当時の私は背が低く、中国の家によくあるラジエーター(暖房器具)の上に置かれたキャットフードの袋にやっと手が届くくらいだった。おばさんが袋に切れ目を入れて、手に5〜6粒入れてくれた。それを持ってサンルームの外に手を伸ばすと、猫たちは最初逃げてしまった。仕方なく地面に置いて食べさせ、その隙に背中をなでると逃げずにいてくれた。敏感で触ろうとするとすぐ逃げる子もいたが、他の猫が食べているのを見て羨ましくなり、時間が経つとそっと近づいてきた。
彼らが少し食べるたびにまた袋から取り出して与える、という繰り返しだった。中には、足りないと感じたのか、食べたあと私の手のひらをペロッとなめる子もいた。背中をなでたい時は、左手にたくさんキャットフードを準備しておかないと、すぐ食べ終えて逃げてしまうので大変だった。
一度だけ小姨が餌をあげているのを見たことがあって、その時は地面にザザーッと大量にまいていて、私は「こんなにあげるの?」と驚いた。すると彼女は「もちろん!この子たちはこれだけ食べるんだよ。あなたはいつも少なすぎる」と笑っていた。そして話が止まらなくなった彼女は、昔ある猫がドアを開けると堂々と家の中に入ってきて、我が物顔でキャットフードを食べていたことを話してくれた。でもその猫はもういなかった。「ゴミをあさっていて、病気になって死んでしまった」と彼女は言っていたが、それは“毒殺されたのでは”と疑われていた猫かもしれない。彼女はそのことを深く悲しんでいたが、それ以上は語らなかった。
また、小姨は「大きな黒猫が他の子をいじめて、特に白くて臆病な子猫を追い払う」とも話していた。だからその白猫に少しでも多く食べさせたい時は、大きな黒猫を追い払ってから白猫にご飯をあげたそうだ。白猫は怯えながら黒猫をチラチラ見つつ、やっとの思いでご飯を食べていたとのこと。黒猫も仕方なく、白猫が食べ終わるまで待たなければ自分も食べられない、という状況だった。
ひいおじいちゃんの家に行くたびに、胸が重くなるような気分になった。みんな優しいのに、そこには愛を少しも感じられなかった。ある時、ひいおばあちゃんが突然ベッドに座ったまま子どものように大声で泣き出し、昔、飢饉の時に嫁いだ妹が帰ってきて家の価値ある物を全部奪って行き、自分には何も残さなかった話を繰り返していた。家族は「もうその人は死んでるんだから、大丈夫だよ、大丈夫!」と必死に慰めていた。7歳の私には、彼らが若い頃どれほど威勢があったのかを知らず、ただ気の毒に思っていただけだった。
ひいおじいちゃんが亡くなり、その葬式で祖母の世代が最後に集まった。その場でみんなで楽しく記念写真を撮ろうとした。黒と灰色の群影の中から、真っ赤な服を着た舅姥姥(祖母と同世代の親戚)がひときわ目立っていた。
時はこの世のあらゆる情念を洗い流すと言われるが、彼女は本当にすべてを手放したのだろうな。
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えす
都内在住
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こ〜ちゃん🌱
50代男性です💪フォローはどうぞ👌フォロバ100%👍アウトドアが大好き。小さなアジやサバを釣ることが多いですが、次はもっと大物を!
趣味は登山や釣り、DIY、BBQを楽しんでいます。釣った魚を使って料理を作るのが好きです。筋トレを始めて、体を鍛えることにも力を入れています💪
「イケオジ」目指して頑張っています。料理投稿多めのです。見ていただけると嬉しいです。いいね❤️してくれると嬉しいよ
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仁
175/68。ばついちフツーの会社員。お仕事でもプライベートでも西日本各地を行ったり来たりしている独り身。
タマゴのソムリエ、温泉ソムリエマスター、温泉健康指導士、災害備蓄管理士。
老若男女問わずいろんなお友達欲しいです。
ごめんだけどお返事遅めのこと多。
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サザエ
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请教我「去码头整点薯条」的地道日语表达是什么?
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