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まこと

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イスラムに配慮なんなん。コーラン読めないエセイスラムだろそれ。
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めいか

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ある『キリスト教徒』と『イスラム教徒』が、それぞれに自分の宗教の教義は正しいと認識し、正対正の衝突が置きている場合、これを解決するための対話には何が必要か?ある『キリスト教徒』と『イスラム教徒』が、それぞれに自分の宗教の教義は正しいと認識し、正対正の衝突が置きている場合、これを解決するための対話には何が必要か?

回答数 31>>

まず「外部を攻撃しようとすることは、真の信仰ではない」と唱えます。

そもそもどちらの方も、【深く教えを信仰しているという姿勢そのものが素晴らしい】のです。
お互いに自分の宗教の教義を信じ、それに従って行動ができているのであれば、「その姿勢を続けることこそが最も神の御心に沿うこと」ではないでしょうか?

例えば旧約聖書において預言者たちが神の使命を果たせなくなる場面では、必ず周囲や内面からの言葉による揺さぶりが関わっています。
言葉によって信仰が揺らぐと、「神の意志を伝えるという役割を全うできなくなる」のです。

また新約聖書における福者や聖人、守護聖人たちは、悪魔の甘言や誘惑に打ち勝ち、信仰を実践し続けた人々です。
言葉や説得に左右されずに自らの行動で信仰の価値を示したことが、彼らを真の聖性へと導きました。

さらに、イスラム教においても同様です。
預言者ムハンマドや信仰深い信者たちは、悪魔や周囲の誘惑による言葉の影響に揺らぐことなく、コーランの教えと神への信仰を体現しました。
彼らの行動が、信仰を実践する模範として後世に伝えられています。

そのことから、「争い合っている時間を全て信仰のために注ぎ、言葉ではなく黙々と続ける姿勢と態度でもって体現することで、相手に自然とその素晴らしさが伝わるのではないでしょうか?」
それこそが真の信仰者の姿である、と私は唱えるでしょう。
哲学哲学
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罠猟師

罠猟師

聖書もコーランも読まずに宗教を叩く人は頭悪い
マジで教科書
旧約聖書も読め!
全部書いている

まずは読んで理解して

ガハハ
こんなバカな話があるか!

読め
めっちゃおもろい
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