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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

Uber Jazz ♯ 50

 ☆『スイングジャズの花形ボーカリスト.24
[最終回]』

 ハリージェイムズ楽団の花形シンガー ヘレンフォレストが在団していたさ中に一番売れたレコードは1942年にリリースされてヒット・チャートで13週もの間、1位の座を続け、当初B面として発売したレコード会社は急遽A面とB面を入れ替えたという♫ I’ve Heard That Song Before 日本では
「いつか聴いた歌」というタイトルで馴染み深い。生前、人気イラストレーターの和田誠さんがジャズエッセイを出版された時にこの邦題を本のタイトルにした程だった。ハリーのスイートから脱却した素晴らしいスイングスタイルで、長い前奏から唄い出すヘレン・フォレストの甘美かつチャーミングな歌声で色香を振り撒いた後に再びハリージェームズのリードする締まったブラスセクションの歯切れのいい演奏で一気にエンディングまで持ってゆく、という構成は、スイングジャズの本質を見事に表現した傑作であった。この歌が売れた要因としては同年にアルバート・S・ロージェルが製作・監督した、ミュージカル・コメディ映画「YOUTH ON PARADE」で使われたことも大きかったと思料するが、戦時中ということもあり我が国ではとうとう未公開に終わった。戦後大分経ってから日本でも公開されたロバート・ミッチャムがフィリップ・マーロウを演じた「さらば愛しき女よ」(Farewell, My Lovely-1975)やウディ・アレンの「ハンナとその姉妹」(Hannah And Her Sisters-1986)などの映画にも出てくるのだが、ウディが好きな私などはやはり後者の印象が強い。
1943年にヘレン・フォレストが失意のうちにバンドを去ったが、ハリーは次々とボーカリストを替えて行きバンドの人気は保った。1945年に入りハリーはデューク・エリントンともビッグバンドジャズの共に先輩後輩という関係以上に仲が良く親交があった。デューク・エリントンのバンドメンバーで人気サックス奏者だったジョニー・ホッジスがデュークの楽団リハーサル中に不意に吹いたアドリブ演奏のフレーズが気に入り記譜したところ、デュークと仲の良かった作詞家のドン・ジョージが大変気に入り、詞を付けて是非録音する様にデュークに促したが、何故かデュークはバンドで録音することに懐疑的だったと云う。こうして名曲♫ I’m Beginning to See the Light 邦題:灯りが見えた は数年放置されたが、'45に入りデュークの勧めに応じる恰好でハリーも作曲者に名前を連ねることを条件にハリー・ジェームズ楽団で録音されることとなった。当時起用仕立ての女性ボーカリストである、キティ・カレンが華を添えた。OP.とED.にアラン・リュースの小粋なギターのカッティングが入り、この演奏がただならぬスイングジャズではない予感。サックスセクションの中和音のベーシックなアンサンブルも頗る恰好いいが、やはりリーダーのハリーのtp.ソロはそれまでの華やかなスタイルから一転、黒っぽいブラックスタイルなジャージーな見事なソロで、ハリーがただのビッグバンドリーダーなどではなく、優秀なジャズペッターであることの証左である。
私は実はこの曲は1980年代に我が国の優秀な女性シンガー金子晴美のヴァージョンで初めて聴いていたが、やはりこのオリジナルを聴いてしまうとこのキティカレンの独特の声に惹かれる。唄そのものはキティより金子の方が数段上を行っているが、キティのこのくぐもった様なそれでいて甘い声に、ジャズヴォーカルの真髄を聴いた気がする。つまり唄と云うものは単に上手けりゃいいと云うもんじゃないと云うことである。この二律背反した心境はなんとも難解な解釈だが、自分でもそれを詳しく解説する言葉を持ち合わせない。キティの声は私が想像するに、ミルドレッド・ベイリー⇒ケイ・スター⇒キティ・カレンと云う系譜に属すると思う。飽くまでも声の解釈だから勿論、歌い方では決してない。生まれも育ちも三人とも皆、バラバラだから出身や人種と言った所の問題では無い気がする。因みに金子晴美のこの歌が入っていた1985年のアルバム『マイ・リトル・ドリーム』は、ガーシュウィンが作曲した楽曲でありながらそれまで未発表だった♫ PAY SOME ATTENTION TO ME がA面冒頭で聴ける実に稀有なアルバムであった。金子は1983年に当時のサザンのストリングス&ブラスセクションアレンジャーだったジャズピアニストの八木正生を迎え、桑田佳祐の一連の楽曲をド直球のジャズヴォーカルアルバムにまとめた『スペシャル・メニュー』もリリースして話題を集めた。どれも素晴らしかったが♫Just A Little Bit は渾身の一曲だった。サザンファン、桑田ファンなら必聴の1枚である。
さて、話が逸れたがこの『Uber Jazz』コラムでのスイングエラの女性ボーカリストシリーズ最後に紹介したいのが前曲と同じ1945年にハリー・ジェームズ楽団、ヴォーカル:キティ・カレンのヒットチューン♫It's Been a Long Long Time 邦題: 久しぶりね である。この楽曲こそ私が学生時代に友人たちと夏に東京の西端の山奥の渓谷にキャンプ🏕に訪れた際に、ラジオから不意に流れてきてカラダ中に電流が流れた、と云う程のショックを受けた楽曲である。イントロの楽団員全員による感動的な始まりで早速心を掴まれた。そして24人に増員されていたストリングス短いブレイクに次いで流れるように颯爽とハリーのペットが咽び泣く😭昔、我が国ペッターの第一人者バンちゃんこと、光井章夫もハリーのこの最初のペットソロを聴いてプロのペッターを目指した、と云うエピソードを思い出させる。ハリーのソロのバックではブラス&ストリングスセクションが低くとも己らの主張をしていて、そしてブリッジはまたしても大弦楽器群が華麗に飾りキティのヴォーカルが始まる。何処を切り抜いても只管大袈裟で甘美なアレンジになっているのは、この歌が大戦に参加した若き兵隊達が帰還するに際し、待人であった彼女や奥さん達が、どれだけ貴方を待っていたことでしょう、ねぇ、キスして!そしてまたキスして、何も考えずに今はただ抱きしめて、只管キスして欲しい……と云う再会の感動を謳い上げた歌だったから、その歓喜をビッグバンドジャズ表現したものであることから、この様なアレンジになってしまったのだ。同年にはこの楽曲はビング・クロスビーのレコードも大層売れたと聞く。そちらは好対照に、小編成でビングらしいあっさりとしたもので、逆にサラりと淡白だからこその味わいと云うか、ハリー・ジェームズのレコードとは真逆だからこそ売れたと云うべきか。人々の再会にも様々な形があると言いたげな人生模様をレコード盤を通して知る事が出来るようになっているのである。ハリーのレコードで唄っていたキティ・カレンはやがて時代が8ビート全盛になってからもフェイメールのジャンルで売れ続け、今でも相当量のCDになっていることがネットでも確認出来る。
スイングエラと呼ばれた約10年に及ぶ時代は第二次世界大戦を挟んでスイングミュージックが世界的に隆盛を極めた時代でもあった。今後もスイングジャズを深堀りしてゆくのでお楽しみに。
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It's Been a Long, Long Time (feat. Kitty Kallen)

ハリー・ジェイムス&ヒズ・オーケストラ

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