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学歴は、学生として学ぶ中で努力や知識、様々な問題に対処する方法を学んできた証なので、ある程度仕事に必要な要素はもちろんあります。ですが、勉強ができない人でも仕事になるとよく動ける人もたくさんいます。どちらが優れているという話ではなく、優れている分野が違うというだけです。
勉強というのは、社会に出て直接役に立つことの方が少ないと、個人的には思います。
僕自身も一応名門と言われる大学に行きましたが、それは仕事のできるできないにはほぼ関係ありません。あくまで仕事をする上で「今までこう頑張ってきました」と言えるアドバンテージしか無いと感じました。
根本的に、人間というのは原始の時代から、団体行動をしてきました。マンモスを狩るなどもチームで行っていたことです。
マンモスをチームで狩るために最も必要なことは、知識でもなく、力でもなく、コミュニケーションです。連携が取れていなければ、チームとしては動けません。
仕事も同じで、コミュニケーションが取れるかどうかで大きく仕事の成果が変わってきます。
これは勉強だけして身につくものではなく、勉強以外の部活やサークル、遊び、もちろん仕事もですが、そういったことを通して身につくものです。
コミュ強が最強!と言っているわけではなく、実際人と仕事をするにはコミュニケーションが必要という話です。
もちろん勉強して身についた知識も大事ですし使えることもありますが、あくまで仕事をする上では付加価値でしかありません。
また国民の義務として労働、納税がある以上、数字的に見れば優れているのは働いて社会貢献している人であると言えます。
よって、勉強だけしている人より働いて社会貢献しているけど勉強ができない人の方がやばいという主張は、成り立たないものと考えます。

わた氏
自分の実績作りと地域のアートを盛り上げるつもりで、県展やら地域の展示やらいろいろ出せるものはなるべく出してきましたし、
障がい者アートにも興味があったので
お絵描き会など開いて支援を続けてきました。
もう、地元ではある程度やりきったくらいがんばったその到達点には
地元の上澄みの人たちがいました。
その上澄みの人たちはみな
わたしが卒業する前に都会に旅立っていった
恩師の先生の名前を口にするのです
○○先生とは仲良かったよ!と
わたしは少し複雑な心境です。
もし、そのいなくなってしまった先生が地方に残っていてその人について回っていたら
学校卒業時点でつながっていたであろうコミュニティやらのコネクションに
ようやく自力で10年かけてたどり着いたと?
レールのない道はとてもたいへんでしたよ
道しるべはあったのに道なき道を進んできました?そんな労力必要なかったかもしれないのに?
みんな自力では無理だから
コネを頼ってもいいんですよ
美術界コネがない者が損をする世界です😢
自分で成果を出すまでは
誰々先生のところの生徒さんですか!と
師匠の名前が屋号のかわりをする世界でもありますから
今どき、地域で何かしらのアドバンテージなしに全部地道に自力でやるなんてつらすぎるし続くわけない
コネでインチキ審査してもらえ!と言うことではなく、コミュニティとコネクションがないと活動自体が自力では難しいと思う

ノグ
ミリトンの怪我だってオフサイドディレイしてなければ無理してスプリントしなかったし、
ベリンガムも審判の管理ミスだし
アロンソもアドバンテージ取らなかったからだし、
カレーラスのも審判の謎やり直しで積み重なったフラストレーションが爆発したものだし
さすがリーガ

あき
仕事におけるノンストレスを目指す方法論の一場面
組織に新人として所属すると
「自分の思い通りにしたい上長や先輩」
ってよくいます。
私はこういう人ほど得意でした。相手の思い通りにすればいいのですからある意味楽です。その人の前ではその人のクローンになって、その人の思考で応対すると喜びます、わかりやすい。
私には最凶最悪な父が身近にいたせいか、どんな人も父より全然ましに思えました。
こうしたアドバンテージがあったとはいえ多くの本を読んで、人の考え方、方法論には結局優劣がないということを知っていたので、自分の考えと異なるやり方であっても、たとえ非効率そうな方法であっても、相手が喜ぶなら相手のやり方に合わせることができます。
多様な価値観に触れていない人は自分の価値観を優先しがちに思われます。勉強や読書が大事なのはここにあります。
自分の思い通りにしたい人ってのは、相手の反応に敏感で、表面的な「はい」には余計にイライラするようです。中途半端な気持ちで従っている姿勢を見せているとお互い疲れるだろうと思われます。
だからこそできるだけ我を捨て100%寄せていきます。
それを半年も続ければ、その人にとって私は必要な存在になります。
ここがターニングポイントです。私は目の前のことではなく長いビジョンに立っています。
自分の思い通りにしたい人にとって、自分の思い通りに動いてくれる人は心地よさがあると思われます。
最低半年ですが、1年以上寝かせるだけ寝かせ熟成させてから必要なタイミングで、相手に「NO」を突きつけます。
間違いなくびっくりして、怒鳴ってきたりすることもあります。ここでより感情的になるようでしたら、もう主導権は私に移っています。
相手はそれまでの自分が心地よかった状態に戻すべく、再び私が「イエッサー」と言うようにと「私のこと」を初めてよく考え始めます。
ここでようやく相手が双方の考え方を知ろうとする対等なラインに立つことになるのです。
自分の思い通りにしたい人ってのは自分の経験を最優先においているので他者、ましてや新人のことなんて考慮しません。
だからこそ高圧的な態度ができるのでしょう。
この状態から対等になる方法論の1つが上記のやり方かと。
私が求人誌の募集から代議士秘書になった時、しがらみと特有の慣習だらけで、バックもなく何も知らなかった私は多くの人に怒鳴られました。
風邪をひいてしまうと
「バックが無い人間はせめて体調管理はちゃんとして出席日数だけは稼ぎましょう」
真夏、スーツ上着着用で顔から汗が溢れ出すと
「暑苦しいから帰れ」
結局、数年後にはこの2つとも乗り越えました。10代の時の風邪をひいて大雨の中の新聞配達の方がずっと大変でした…
その「自分の思い通りにしたい人」たちは、
1つ目の怒鳴った方は亡くなられた葬式で奥さまから
「あなたがあきさんですか、いつもあいつはダメなやつだとうちで言ってましたけど、あきさん以外の話をわたしにしたことが無かったので主人はあきさんのことが大好きだったと思います」
2つ目の怒鳴った方は後年私が立候補する時の選挙資金にと、土地を遺贈する遺言書を残しました(もちろん相続拒否しました)。
今生で最終的には対等な関係になっていたと思います。

帰宅部

スペクトルO型
理系科目好きとか、百人一首できるとか、まどマギ好きとか

𰻞𰻞

sabobo@QB

ま
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