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なー

なー

天才とは努力する凡才のことである
人生とは自転車のようなものだ
学ぶことをやめたとき、あなたは死んでいる

私は子供達にこう説いている。
アインシュタインのお有難い名言!

私たち凡人は努力すれば
努力した天才と大差ないクオリティになれる!はず笑

思考しなければ虫と変わらない
考えろ!高度の知能を持った
人間として生まれてきたんだから!と…

合ってるか間違ってるかは
わからないけど
私は母にそう言われていた。
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またんぎ

またんぎ

しかし、弦理論における「弦」、ヒッグス粒子(上帝粒子)、重力子、エーテル、暗黒物質(ダークマター)、暗黒エネルギーなどは、純粋に人間が捏造したものであり、その存在は完全に虚偽である。真実の一面など存在せず、そもそも存在しないものなのだ。
過去へのタイムトラベルや時間の逆行も、純粋に存在せず、完全に我々人間が想像して作り上げたものである。
7. 時間は人間の感覚であると言うことは、唯心論的な観点ではないか?
もし、時間は純粋に人間の脳内の想像に過ぎず、あらゆる物体や空間とは無関係であると考えるなら、それこそが真の唯心論的な観点である。
上述の時間に関する定義から分かるように、時間は周囲の空間における光速の発散運動に対する人間の「感覚」である。それは明らかに人間という物体に関係しており、かつ空間の中に(当然ながら客観的かつ実在的に)存在している変化である。宇宙は「空間」と「物体」という2つの基本要素で構成されている。客観的に存在する空間の中で実在する物体が運動している様子を描写しているのに、どうして単純に唯心論だと見なせるだろうか。
8. 相対性理論における「単一の物体が空間中を運動することに意味はない」という記述をどう見直すべきか
相対性理論では次のように考えられている:
物体の空間位置における運動変化の描写は、別の物体に対して相対的であって初めて物理的な意味を持つ。単一の物体が空間中を運動することを描写することには、物理的な意味はない。
しかし、上記の時間の物理的定義においては、時間概念の獲得は「観測者(人間)の周囲の空間の運動」に由来することが明確に指摘されている。
運動の相対性から見れば、それは「人間」と「空間」の間の相対運動である。ここには「人間の体」という一つの物体しか存在しない。
この両者(相対性理論の主張と本理論の定義)は明らかに矛盾している。では、果たしてどちらの思想を修正する必要があるのだろうか?
解説・補足
* 上帝粒子: 「神の粒子」とも呼ばれるヒッグス粒子のことです。
* 唯心論 (Idealism): 外界の事象よりも精神や意識を根本的とする哲学的な考え方です。
* 筆者の主張: アインシュタインの相対性理論では「物体Aと物体B」の比較が必要ですが、この文章の筆者は「人間(物体)と空間そのもの」の相対運動によって時間を定義できると主張しており、既存の物理学に対して批判的な視点を持っています。
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幾多斗

幾多斗

2セットしか付けないならダヴィンチよりアインシュタインの方が効果量でかそうだが、自分の攻撃力と相手の防御力どっちが高いかによるなぁ
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コロ

コロ

博物館にこんなもの展示するのかよ なんの博物館だった?博物館にこんなもの展示するのかよ なんの博物館だった?

回答数 94>>

アインシュタインの足の親指の切った爪
大喜利のお題の星大喜利のお題の星
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人間︎︎ ♀

人間︎︎ ♀

私アインシュタインと同じ誕生日なの今知った
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急須屋

急須屋

多数派で優位な相手側が賢くない・寧ろ賢さとは逆方向というから抗っているのだろうし、それなら徹底的というくらいに上手にやる必要がある。なのにそんなでもないとか程遠いとかだから碌な成果もなく続けているのだろう。争いは同程度でこそ起こり続くと昔からいうし。さらに、上手とは程遠いひとたちとは付き合ってられないという離脱者が続出し、現在いる人員も高齢化で数も行動力も下がる一方。離脱者が相手側へ行かなくても、自分たちの側へは非協力的になる。勝てるわけないし、勝つ気があるかも怪しい。同じことを繰り返して違う結果を望むことはありえないとかなんとかはアインシュタインだっけ? ま、ダメだな。革新というなら、自らを革新するほうが先。
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めろ

めろ

教えることの責任。
『授業は業(わざ)を授(さず)けることだ』と漫画にかいてた

ぼくの祖母は裁縫が得意で
ミシンでちゃちゃっと作っちゃうから
あこがれだった

義務教育で、家庭科の授業のとき
エプロンをつくる課題があった。
憧れだったミシンの操作方法を教えてもらえるってなってうきうきしたけど、ぼくの指導を受け持った教員はぼくの理解力のなさに教えることを放棄した(機械オンチ)

なんどもきいたけど全然わからなくて、いよいよ展示日に間に合わないぞってなって、ぼくのエプロンはその教員がつくった
だからぼくはいまもミシンがつかえない

手芸はだいすきだしミシンへの憧れはずっとあるけど、過去のその教員のぼくへの対応、いらだちや諦めなんかのネガティブなきもちがぼくの心をつかんで、挑戦する元気をうばう

だから学校へ行くことをやめた今でも、誰かに教わる勇気がわかない
だいすきな祖母を困らせたくないから、「教えて」なんていえなかった
そしていま、もう祖母はミシンを使えなくなってしまった


義務教育時代、いろんな教員にいじわるされた
日本の教育機関はゴミだとおもった
教員たちの中身はガキだとおもったから、教員免許を与えちゃった時点でもう機関のトップが終わってるとおもった
だからぼくは先生と呼ばれている人間がにがてだ


学校に限らず、バイトでも社会でも、教える側の責任について考えてる。
初めての体験は強く強く心に残りつづける

教える側は子供の未来をつくる
子供たちに未来を与える存在がすきだ
子供たちにたくさんの選択肢を与えることが出来る存在は奇跡だとおもう
ぼくはであえなかったから、ぼくにとっては奇跡。
『知る』ことは世界が広がって可能性が増えてとびきりたのしいことなんだよ、って相手に伝えられる存在に憧れる


やさしく賢い教育者が増えれば、
ぼくのように悲しむ子供がへるのにとおもった
不登校もへるし、きっと子供の自殺者世界一の我が国は変わるのにとおもう


『6歳の子どもに説明できなければ、理解したとは言えない』とアインシュタインさんは言った

そのものごとへの深い理解がないとかみくだいて分かりやすく教えることはできないし、
忍耐力がないと伝えることはできないし
感情もコントロールできなきゃ、子供に教えるなんて出来ない
じゅうぶんな時間的余裕も大切だ


他人を批判することに力をそそぐことよりも、ぼくがそれを出来る存在にならなきゃとおもって、日々色んなことを学んでる
ミシンは諦めたけど、その他のことはがんばる
ぼくの未来のために、明日もがんばる
GRAVITY
GRAVITY15
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