共感で繋がるSNS

人気

かず1/4

かず1/4

なつかしりーず
#NaS
#ICan
GRAVITY

I Can

Nas

GRAVITY
GRAVITY2
おっさん(55)

おっさん(55)

外は寒そうなので出陣しようかどう悩みちゅ〜🤔。もう、ウエアに着替えてるだけどね。

時間潰しに自分のバイク紹介。

フレーム ビゴーレのクロモリ
コンポ 電アル12速
ホイール ICANエアロ50ミリ
サドル 初代スペシャライズド ローミン
ハンドル TNI スティフ
ペダル アルテSPD

人 50代ロードバイ出戻りオッサン

オシリのローミンは前のバイクの形見。一生物で同じローミンをもう一つ買ってます。
アルミハンドルは硬くて体幹が弱い私は肩が疲れるので安いカーボンにしました。
ホイールは都内住みなので平地巡航用。

主な出没地 江戸川サイクリングロード
荒サイは色々と怖い😆

良かったら、皆さんのバイクも見てみたいなぁ。聞きたいことあったらコメお待ちしています。

じゃ!そろそろ出かけます〜🚲️🚲🚲🚲=33
ロードバイク好きの星ロードバイク好きの星
GRAVITY2
GRAVITY10
早くに目覚めた土曜日

早くに目覚めた土曜日

#政治の星
平和への私見です。

武装、排外主義、所謂軍国的思想が目立ちます。
米国の要求が過剰になってきているこのタイミングで、米国安保から離れ核を自国で持つべきだ、とも街頭で聞かれるほど。

戦争行為が語られる時、賛成の声の中も反対の声の中でも、利己的な視点ばかりが目についてしまいます。
「じゃあ自らが率先して戦地へ行けるのか、自分の命を捨てて」なんて。
核兵器とは抑止が主目的でしょうか?
破壊兵器ではないのでしょうか。
大量破壊兵器、と言うではないですか。
大量に破壊するんです。
核を持つなら使用することが何を意味するのか考えねばなりません。
次の広島や長崎を首謀すると言うことを。

戦争行為で失われるのは自己の生命だけではありません。
太平洋戦争で戦った私の祖父は強い反戦で共産党支持者でした。
戦争体験はほとんど語りませんでしたが、最たる根底に人を殺めたことを強く恥じていたようでした。自らが死にかけたとこよりも。

「人を殺める」
と言うことを考えなければなりません。
僕は子供たちに、人を叩いてはならない、と教えています。
「悪いやつは叩いていい」とは教えませんし、アンパンマンは正直好みません。

世界的な情勢の中、軍事に頼らないやり方は様々あるんです。
前に挙げた中国の一带一路倡议もそうです。
核廃絶なんかは協調が必要です。
日本被団協のようた単国団体もノーベル賞をとりましたが、ICAN(同ノーベル平和賞)など国際的な取組みが必要ですね。
抑止力と言われるだけに。

そういう意味では同じ平和への信心を持ち政治的にも関与しうる団体として、創価学会に活路があるようにも思います。
国内でら近年公明党は軍国化の一翼を担ってしまっていますから大幅な原点回帰が必須ですが。

最後に、被爆80年目の8月6日の広島県知事のメッセージを転載します

/**************
草木も生えぬと言われた75年からはや5年、被爆から3代目の駅の開業など広島の街は大きく変わり、世界から観光客が押し寄せ、平和と繁栄を謳歌しています。しかし同時に、法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、剥き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、私達は今、この繁栄が如何に脆弱なものであるかを痛感しています。

このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし本当にそうなのでしょうか。確かに、戦争をできるだけ防ぐために、抑止の概念は必要かもしれません。一方で、歴史が証明するように、ペロポネソス戦争以来、古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような、普遍の物理的真理ではないからです。

自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、身を以て示しています。

実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、核兵器使用手続きの意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。

国破れて山河あり。
かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。

国守りて山河なし。
もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味があるのでしょう。

抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために、頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。

核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。被爆で崩壊した瓦礫に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進み、最後は抜け出して生を掴んだように、実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標です。

諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。
そこに向かって這っていけ。

這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか。

広島県として、核兵器廃絶への歩みを決して止めることのないことを誓い申し上げて、平和へのメッセージといたします。
GRAVITY18
GRAVITY15

関連検索ワード

おすすめのクリエーター