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にんじんいやだ
でもその自由って、時々すごく怖いものに感じる。
誰かを愛することで、自分を見失ってしまう気がして。
依存してしまったら、そこが自分の弱点になるんじゃないかって、いつもビクビクしてる。
だから、感情を遠ざけて、理性で壁を作ってきた。
「回避型愛着」っていう言葉を知ってても、それを変える方法なんてわからない。
まるで、鏡張りの部屋に閉じ込められてるのに、出口が見つからないみたいな感じ。
人って、誰かとの関係の中で、自分を確認していくものなんだと思う。
でも私は、そうやって自分を映すことをどこかで拒んできた。
愛って、条件なしで純粋であるべきだって、ずっと信じてた。
そんな理想が強すぎて、恋愛の中でいつも不器用になってしまう。
近づきたいのに、近づかれると怖くて離れてしまう。
この矛盾は苦しいけど、なぜかそこに安心もあるんだよね。
#随筆 #悩み
にんじんいやだ

パッピーノ
うんしょっ、、、ガコッ
よいしょっ、、、ボスッ
今日も今日とで僕は木を切る。連日の作業のせいで全身筋肉痛だし、おまけに手足に血豆までできてしまった。
はあ、はあ、全くせっかくの休日だってのに、いつまでこんなことを続けなきゃいけないんだ。
僕の実家は稀に見るジャングル屋敷で、今年の始めにようやっと父を説得して庭の木を伐採することになった。とはいえ、相手は家を建てる前からこの地に鎮座する老木たち。一筋縄にはいかない。対してこっちの戦力といったら当然電ノコなんてハイテクなものはなく、柄の朽ちかけた斧1本とノコギリ数本(漏れなく錆び付いている)だけだ。加えてタイミングの悪いことに父が腰をやってしまい、しばらく僕一人で作業する羽目に。
与えられた武器で戦うのが人生だ!!! と、いきりたっていられたのもごく最初だけ。すぐに作業の果てのなさを思い知ることとなる。初日は1本目の途中で切りきることもできずに終わってしまった。
毎週の貴重な休日を使ってコツコツ作業を進め、3月中旬から約2ヶ月強かかって5月の末にやっとこさ切る予定だった木を全て倒し終えた。
だがしかしこれで地獄が終わったわけではない。倒し終わったら次はそれらを邪魔にならないところに一旦運び、さらに最終的には薪にしなければならない。全く終わりが見えない。木を切り終えるのが先か、木が朽ちるのが先か、はたまた僕が朽ち果てるのがもっと先か、、、
泥と木くずまみれになりながら伐採した木を運び、今日は4時過ぎにやっと作業を終える。家に戻ると父が茶菓子を添えながらベイマックスの映画を観ており、丁度車が水没するシーンを見てハラハラドキドキといった状態だ。もう流石に腰もなおってるだろ、てめえも海に沈めてやろうか。ふつふつと煮だる殺意をぐっと抑え、いつか絶対に車でも何でも買わせてやると意気込むのだった。
※どうしても写真が思い浮かばなかった
2025 6/22 (日) 記
#エッセイ #随筆 #日記

パッピーノ
皆さんは「 モノポリー 」というボードゲームをご存じだろうか。端的に説明すると、海外版人生ゲームのようなもので、加えて100倍くらい金に意地汚くしたようなものだ。ひどい言い様だがまあこれが面白かったのでちょっと紹介したい。
事のいきさつはこうだ。僕が勤めている塾でお楽しみ会を開くことになり、何かボードゲームをやりたいということでモノポリーを購入した。しかしルールをわかってる人が誰もいなかったので、ちょうど友達とさし飲みする予定だった僕がルールの勉強がてら酒の肴に遊んだ、という次第だ。
このゲームの面白いのはマスメにゴールがないところで、僕が遊んだ盤では東京の山手線上の土地を延々ぐるぐる周り続けた。
ではどうやってゲームに勝敗をつけるかというと、まず、ゲーム開始時に全プレイヤーに1億円(子供銀行専用通貨)の融資がされる。プレイヤーはサイコロをふって出た目の分だけ進み、止まったマス、例えば渋谷だとしたら、その土地を2000万円で購入することができる。
もし他プレイヤーが既に購入された渋谷のマスに止まると、そのプレーヤーは土地の利用料金ということで土地の所有者に200万円程払わなければならない。利用料金は最初は微々たるものだが、所有者がその土地を出資開発することで利用料をつり上げることができ、最終的には渋谷のマスに止まっただけで1億5000万円の請求を余儀なくされる、なんてことにもできる。
このように自分だけのトラップのマスをどんどん作って行き、相手プレイヤーを消耗させて、お金を払えなくさせて破産させたらこっちの勝ち、というわけだ。
ゲーム開始時は破産しない程度にいろんな土地を購入することに専念するため、あまり動きがない。しかし土地開発が進んだゲーム中盤になってくると額面上での激しい攻防戦が繰り広げらる。ずっと優勢だった友達が利用料1億円の僕のマスを踏んで一発形成逆転なんて激熱展開があったり、酔いも回ってきて相当に盛り上がる。
だが、このゲームの最も味わい深いのはゲームの最終局面だ。この頃になると友達は土地の利用料を払うために自らの土地を二束三文で売り払う羽目になり、こうなると僕は危険マスが減り、友達は収入がなくなるため、局面が進むごとに僕の勝ちが確定していく。それでも僕は勝ちを確実なものにするために有り余る金で売られた土地をも買い、利用料をつり上げ、これでもかと友人を額面上で追い詰める。これじゃあまさに死体蹴りだ。でもそうでもしないとゲームは終わらないし、今度は僕が滅ぼされてしまう。
もう、早く終わってくれ。そう強く願い、より一層力を込めて死体を蹴る。それでも友達はしぶとく生き続け、最後の瞬間までありもしない逆転のチャンスを狙いサイコロをふり続けた。
まるで資本主義社会の縮図のようなゲームだった。めちゃくちゃ面白かったのはたしなのだが、どこか虚しさがぬぐいきれなかった。
はたして、僕は本当に勝ったのだろうか
そんなモヤモヤの中飲み会は解散した。帰り道、千鳥足で僕は思う。優秀な人材育成としてこのゲームは有用だと思う。だが、このような勝ち方が正しいと思うような人に、少なくとも僕の生徒はなって欲しくないな、と密かに願うのだった。まあとはいえどゲームだから僕の考えすぎでもあるのだが。空には悠々とおぼろ月が揺らめいていた。
#随想 #随筆 #日記 #エッセイ


パッピーノ
それにしても御年玉を頂けるなんてつゆ思わず、本当に驚いた。貰う僕らからしたら嬉しい限りだが、あげる側となるとなかなか大変そうだ。自分も大人になったらと思うと、この頂いた1万円も使わないでそのときのために取っておこうかなんて考えたりして自由に使えそうになく、本末転倒になってしまいそうだ。
#あけおめ #エッセイ #随筆 #日記


パッピーノ
《もうやめてくれ漱石ちゃん》
「月がきれいですね」
なーんて夏目漱石の野郎が軽口叩いたせいで気軽に言うこともできない。
いま僕は家のあたりを散歩中で、今日は空気が澄んでいてとりわけ明るく美しい。作業が一段落するとこうして気分転換に星空をみるのにはまってるのだ。誰かにこの美しさを共有したい。と、いっても、SNSに投稿してだれかしらへの"におわせ"なんて思われたらたまったものじゃない。また、男友達にLINEで送ろうものなら時代が時代だけにそれすら誤解を招きかねん。それもこれも全てかの名言のせいだ。
漱石め、いまいましい。ただ単に月がキレイだと伝えたかっただけなのに相手が勘違いしてしまい、早々に散ってしまった恋のどれ程多いことか。じゃあ何て言えば誤解なく月がキレイだと伝えられるんだろう。「かぐや姫がいそうな月だね」なんていっておくか?...なんだか詩的になりすぎてこっぱずかしいな。じゃあ「月並みな肌だね」、ってこれはただの悪口だし、むしろ漱石に寄せてるじゃないか。んーっとじゃあ、、、
、、、そんな独り言をしながら歩いていると、不意に犬に吠えられて驚く。いつのまにか背後に犬の散歩のおばあさんがいたらしい。僕はたまたま全身真っ黒の服で、加えてぶつぶつ一人で喋ってたとなると完全に不審者である。あわてておばあさんに挨拶し、独り言の誤魔化しに電話をしていたフリをしたが、月明かりで見えたおばあさんの顔はニタリと笑っていた気がした。きっと真っ赤になった僕の顔もしっかり見えてしまっていただろう。こうなると吠えてきた柴犬までもが嘲笑っていたのではないかという気がしてならない。
皆様も月に見とれてうっかりしないよう、くれぐれも月にはご注意ください。
後記:写真のこいつはたまたまこのエッセイを考えていたときにお釣りで返ってきたものです。名言は憎いけど、やっぱりレアなのでなんか嬉しい。


パッピーノ
前回のエッセイから久しく間があいてしまいましたが、
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
あれから3ヶ月弱も経ち、
梅も桜もツツジも散り、
すっかり夏らしくなってしまった今日この頃、
逆にうちのハイビスカスはつぼみのひとつもつけていない5月病まっただなかです、、、
と、丁寧な挨拶をしたからといって執筆をサボっていたのがチャラになるわけではないのだが、とにかく僕は元気でした(過去形)。 最近の蒸し暑さは異常で、もういっそ縁の下にでもすんでやろうかと、頭までやられる始末です。
僕がバテて脳ミソを煮えたぎらせるなか、近所の小学校からは運動会の大歓声と徒競走の定番曲「天国と地獄」が鳴り響いてきては頭蓋骨の中で何度も反響し、僕の意識を揺さぶる。ガキんちょたちはよくこんな暑さのなか直射日光を浴びながら駆け回れるな、と羨むと共に、既に枯れ草のような我が身の衰えも感じざるを得ない。もっとも、僕よりもご年配な保護者の方々は砂漠の遭難者たちが残された水を求め殺し合うが如く、わずかな日陰に集まって押し合いへし合い、ひしひしとせめぎあっているに違いない。
皆さんは気がつけなかっただろうけど、こんなくだらないことを書くのに、既に一週間使っている。はい、そうですよ。はっきり言うと五月病なのですよ僕も。3月初旬から始まった五月病。この先夏の終わりまで続くかもわからない五月病。そして冬になったらコタツから抜けられないコタツ病が始まって、、、
僕がこうしてダダと屁理屈をこねている間にハイビスカスはとっくに五月病から抜け出し、虫に葉っぱをかじられながらも花をつけ、春の終わりを真っ赤に彩っていた。
想えば、僕の人生の大半がこんなもんだったような気がする。つまらないことに悩み続け、時間ばかりがいたずらに過ぎ、何も変われない自分の無力さに絶望する。
そんな自分と対照的に、周りの人々は「五月病なんてとうの昔に終えたよ」「まだやってるんだ笑」と言わんばかりにそれぞれの人生を謳歌してる。ちょうど今のような、薄暗い部屋から夏になっていく街の景色を見るようだ。
でも違った。僕は自分自身でもわからない所で変わり続けていた。つまらないはずだったことが僕を変えていた。おいていかれているように感じたのは僕が別方向に進んでいたからだった。彼らが進むように僕もまた進んでいた。無駄なことなんてなかった。最近、やっとそう思えてきた。
つまり今は夏というビッグイベントに向けてだらだらと英気を養っているのだ。そして一年のうちに1、2ヶ月ほど五月病があるのだから、同じく人生にも1、2年くらい、もっと言えば10年くらいの五月病はあって当たり前なのだろう。
だから今はゆっくりでいいのだ♪
抱えたツボミを押し潰さないよう気をつけて僕は寝返りをうつ
#随筆 #随想 #日記 #エッセイ


L
#現代詩 #詩 #エッセイ #文学 #随筆


リュウ(千椿)
桜が水面に散って筏のように集まっている様をそのように言う。
その僅かな間が愛おしい。
ふとスパイスの香りが漂ってくる。
辺りを見回すとこってこてのインド料理店があるではないか。
気が付けば、店内でカレーを浸したナンを頬張っていて我に返る。
結局は花よりカレーであった。
#随筆
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