仏法仏道の悟りとは何か自体間違えて語る者が多過ぎ執着から解き放たれるというのは、般若智空の入り口で悟りではそもそもありません空は物事は場に於いてしか存在し得ないという場の事ですこれは悟りに至る途中の段階です仏法仏道の悟りは法界智で、世界は法理で成り立っていると自ら自身で捉える智慧です現在の人間は、この物理宇宙は物理法則で成り立っていると知識として知っていますが、物理宇宙だけではなく、世界そのものが理によって成り立っているという事を、自ら自身で捉えるのが仏法仏道の悟りです物理学は物理宇宙が物理法則で成り立っている、という前提から始まり、その法則の理を物理学者は研究して発見して行きますよねつまり世界が理としてあると捉える事は終着ではなく、寧ろ世界そのものの理を捉えて行く事の入り口であり、前提ですつまり仏教の悟りとは、世界そのものを捉えて行く入り口に至る事です執着から解き放たれるとは、科学はフラットに客観的に見る事だというのと同じ意味です只、物理学でも量子論レベルになると、客観視点というもの自体が存在しなくなるだから客観的に見るという事自体が過渡的段階という事です仏教の悟りというのであれば、まず最低限、仏教の悟りとは何かぐらい、教学レベルで知識としてで良いので知ってから話してください仏教の悟りが何か自体が誤った前提で語られると、それを知らない者に悟りとは何か自体を誤った知識として流布する事になる#仏教 #仏道 #仏法