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ハーロック
克服するべき煩悩だそうです
即ち、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)です
貪(とん)とは、むさぼりのことです
欲が深い、ということですね
瞋(じん)とは、怒ること、腹を立てるということです
他者を憎んだりすることですね
癡(ち)とは、真理を知らず、物事が道理にかなったものか判断できないことです
欲を持たず、腹を立てず、知識が深い
なかなかそんなひとはいませんが
これは人間が目指すべき理想なのかなと、僕は思います
例えば、欲深いひとは、いくらお給料をもらったとしても、少ないと言い続けます
足るを知らないと、満足を得る事ができませんね
ひとを憎んだり腹を立ててばかりいたら、相手との関係は悪化するだけですし、自分も笑顔にはなれません
知識が少ないということは、何事にも上手く立ち回ることができません
失敗ばかりになり、また、いつも損をします
満足を知りなさい
ひとを憎めば自分も苦しいですよ
知識は自分の身を助けます
つまるところ、そういうことかと思います
3つの毒に冒される前に、自分自身を振り返り
改善すべくは心を入れ替え
ひとを許し
人間は生涯勉強をするものだと知る
そういう存在に、少しでも近づけたなら
気持ち良く生きられるのではないか
僕はそう思うのです
ちなみに僕は無宗教です
何らかの組織に属するつもりはありません
ただ、やはり仏教からは多大な影響を受けました
三毒も、そのうちの一つです
何事も柔軟に、良い考え方はどんどん受け入れ、人生が楽しくなったらいいなと思います
#希望 #仏教

ima
生きていると教えてくれた九十九里浜
beachの植物と生き物は
海といい感じに共存している
『空』と『海』は
見方を変えると
『天』と『地』だった
仏教を広めた空海さんは『存在』
だけでなく、名前まで偉大だった
#仏教 #空海


一生懸命
#愚痴らせてくださいという必要はないと思うのでさっさと愚痴れ#ジャイアンツが好きだった時もあった #犬のいない生活 #大きな幸せ #仏教

BIGCAT
悪友を避けて善友を求めよ
しかし善友が得られなければ
孤独に歩め
By 仏教の教え
善友がいない場合
寂しさを埋めるためや暇つぶしのために
悪友と付き合ったりしない事
それよりは孤独のまま自分を高めた方が良い
その時きっと善友と出逢う
みたいな意味らしいです
★避けるべき4つのひと
①自分は人に与えず
人から奪ってばかりの人
② 行動が伴わず、口先だけの人
「あのときは、ああしてあげた」と
過去のことを恩に着せて、友情を装う人。
「今度、こうしてあげるから」と
未来のことに関して友情を装う人。
なすべきことが迫ってくると、
「都合が悪い」と逃げる人。
③ 目の前ではお世辞を言い
裏では陰口をたたく人。
④ 飲酒、麻薬、ギャンブルに溺れる人。
★付き合うべき4種類のひと
① 助けてくれる人
元気がないときに守ってくれる人。
正常な判断ができなくなったときに
正しい行動に向かわせる人。
② 苦しいときも楽しいときも一様である人
窮地に陥っているときに、見捨てない人。
辛いときも一緒にいてくれる人。
③ 自分のためを思って話してくれる人
悪い道に入らないように忠告したり、
大切な情報を教えてくれる人。
④ 同情してくれる人
上り調子のときには一緒に喜んでくれる人。
落ち目になったときに心配してくれる人。
人から悪口を言われたときに、
弁護してくれる人。
心が弱っているとき、心が欲しているとき、心が憤っているときには、悪友が寄って来やすいもの。
人間関係の苦しみを手放すには「どのような人と付き合い、どのような人と付き合わないか」の基準を持つこと。
そして、何より大切なことは、あなた自身が「付き合うべき人」となれるよう、人格を磨き、友に寄り添うこと。
ツキを呼び寄せるのも、不幸を呼び寄せるのも、普段のあなたの人間関係によるものだから。
By 大愚 元勝さん
良いお話だったので
抜粋させていただきました[ほっとする]
今日も良い一日になりますように[星]
#今日の名言
#クロワッサン
#仏教
写真は昨日お会いした人から
誕生日プレゼントにと
いただいたクロワッサン[大笑い]🥐
黒い縞の方は抹茶クリーム
赤い縞の方はカスタードクリームが入ってて
美味しかったです[星]


明鏡止水
世界にはたくさんの宗教があり、某地域では宗教の考え方などの違いから争いが絶えない。
日本は信教の自由があるが、その考え方の違いからいざこざに発展することも少なくない。
どうすれば人と人は分かり合えるのだろうか。

general
お釈迦様は
掃除が得意なその弟子に
"塵(ちり)を祓わん
垢(あか)を除かん"
という言葉を唱えながら
掃除をするように伝えた
それから何十年後
その言葉を唱え掃除すると
あるときハッと悟ったという
"掃除をしているのではなく
自分の心の塵や垢を
祓っていたのだ"ということを
この弟子こそ十六羅漢の中の
一人 偉大な周利般得だ
神社やお寺は 願い事でなく
"お礼"を言いに行く場所
心の塵や垢を祓い
今ここに存在することに
感謝する場である
ゆえに神道の祝詞には
"祓え給い清め給え"という
常に謙虚な気持ちで
自らの心の穢れを祓い
磨き続ける人でありたい
#筒井寛昭
#仏教

ちなせ
世界史は苦手だけど宗教史は興味深い
ご住職が園長先生の幼稚園に通い、ご本堂でお話を聞く時間が定期的にあった
その時の光景をなんとなく今も覚えてるし、ろうそくやお線香が好きで仏教にも興味がある
#読書 #仏教 #三十三間堂にまた行きたい


慎平
#量子哲学 #意識 #現実とは #仏教 #道教 #宇宙の本質
最近ずっと考えていることがある。
私たちが「現実」と呼んでいるものは、本当に唯一のものなのだろうか?
それとも、ただ宇宙の深層にある巨大な“叠加態”から、一瞬だけ選ばれた投影にすぎないのかもしれない——。
🌀 量子の世界では、粒子は観測されるまで、複数の可能性が同時に存在していると言われている。
だけど、観測した瞬間にひとつの結果が“確定”する。この謎を「測定問題」と呼ぶ。
私が提案したいのは、「宇宙叠加態投影論(CSPT)」という考え方だ。
それは、宇宙全体が巨大な量子叠加状態にあり、私たちの“観測”とは、その超態に投影をかける行為——つまり、
宇宙が自らを一度だけ“選び取る”瞬間だという発想。
🌱 現実とは何か?
もしかしたら、私たちの意識そのものが「宇宙の投影機」なのかもしれない。
ひとりひとりの経験、感情、思考——それらは宇宙の超態から切り取られた一枚のスナップショット。
“観測者”とは、人間だけではなく、環境とのあらゆる不可逆的な相互作用。
光が物体に当たることも、記憶が形成されることも、すべて投影の一形態。
だから現実は、無数の投影の重なりでできているのかもしれない。
✨ 自由意志とは?
私たちが「選択」する瞬間、実は宇宙の投影算符がどの指针態を選ぶかを決めている。
その“選び方”にこそ、自由意志の量子的な根拠があるのではないか——。
つまり、私たちが決断することは、宇宙が自身を一瞬だけ「確定」させる行為とも言える。
🌌 時間と存在の投影
CSPTでは、時間すらも投影によって生まれる。
“時計”というサブシステムが、宇宙の中で他の状態を測るとき——その関係性の中に「今」が立ち上がる。
つまり、時間は流れているのではなく、私たちの観測によって生成され続けているのだ。
☯️ 仏教と道教との共鳴
CSPTの考え方は、実は東洋思想とも深く響き合う。
仏教では、すべての存在は「縁起」によって生じるとされる。
どんな現象も、独立して存在するものではなく、他との関係によって“現れる”。
これはまさに、CSPTでいう「観測=投影」の発想に近い。
道教では、「無為自然」や「道生一、一生二、二生三、三生万物」と語られるように、
万物は“道”という根源的な流れの中で自然に展開していく。
CSPTの「超態」は、この“道”に似た存在であり、投影によって現実世界という“万物”が立ち現れる。
つまり、量子物理が語る叠加と投影は、東洋の智慧が直感していた「一即多」「無から有への流れ」と深く繋がっているのかもしれない。
🪞もし現実が投影なら、それを映すスクリーンはどこにあるのだろう?
私たちの心? それとも宇宙そのもの?
もしかしたら、意識とは宇宙が自分自身を観るための鏡なのかもしれない。
💭 あなたはどう思う?
私たちは宇宙を観測しているのか、それとも宇宙が私たちを通して自分を観測しているのか。
現実とは、どちらの投影なのだろうか——。
BIGCAT
この塩味と歯応えと
ハム&チーズのハーモニー[目がハート]
美味しすぎて朝からウットリでした[ほっとする]
昨日はなんだか
雰囲気が怖い場所に行ってしまい
夜もなんだか思い出して
怖くて寝つけませんでした[目が回る]
でも私的にはそこは何かあったような
ホントに怖い場所ではなくて
神聖すぎるというか
歴史が古くからあるような
昔ながらの風習がありそうな村的な
(実際どうかは知らないんだけど)
そんな感じで怖く感じる場所でした[ほっとする]
人間がおいそれと近づいちゃいけないような
そんな所のような
一緒に行った人がめちゃくちゃ怖がってたから
怖かったというのもあるけどね[冷や汗]💦
観光地やパワースポットとか
空気が清々しいところが良いなやっば[ほっとする]
仏教は迷信を信じない教えだったりするけど
神道とかは目に見えないもの
感じたり祈ったりするとこあるよね
思い込みの世界で
そういうの実際は無いのかもしれないけど
日本人として日本のそういうの
気をつけるに越したことはないかもな
と思ったりもする
仏教を勉強しているし
因縁果で全ては自分と縁の結果とも思うけど
神様のようなものや
不思議な力のようなものは
全く無いとは思えないんだよね
というわけで
これからは
そんな所は近づかないようにしようと
思ったのでした[ほっとする]
その場所の神様
綺麗な景色を見せていただき
写真撮らせていただき
ありがとうございました🙏
#プレッツェル
#仏教
#神道
#観光地

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NAC
今回は仏教の読書感想(素人による)
戒律により精神統一をしやすくなる
渇愛をすぐ捨てるのは難しいので、
(対象をとらえる)念やヴィパッサナー(智慧による観察で無常に気づく(止観)
それにより五感による感受からの自動的な判断(妄執)を捨棄できる
これが今世での貪欲を捨てることになる
(色界の初禅、第2禅)
ただし
前世のカルマの結果である、
感覚による自動的な感受(快不快など)
はまだのこる
ので、それら(快、不快、非苦非楽)
は貪り、怒り、無痴によるものなので、智慧により観察し、捨棄する
(色界の第3禅、第4禅)
さらに
幻の識はのこるが
そこで
空無辺処
識無辺処
無所有処
非想非非想処(非有想非無想)
へ依存するのではなく
これら無色界の処への依存も
無明(主体)による有為のものだとしり
寂静にもどる(滅尽 涅槃 阿羅漢)
ことになります
戒律などにより精神統一をしやすくする
とかきましたが
くわしくは
八正道によります
たとえば
正見(四聖諦をしる)
正思(欲、怒り、害意をやめる)
や
正念(サティ)
正定(第1から第4禅)
などです
ちなみに素人の感想としては
無明による渇愛の対象である
色受想行識の
受は領受心(前世の影響による快不快)
想は推度心(前世の影響による自動的な判断 大まかな考察 尋)
行は速行心(それにつづく今世による自動的な妄執 伺 細かな考察)
にあたるのではないかとおもわれます
ヴィパッサナーにより
速行心(欲想 伺の考察)を第1禅で遮断し
推度心(尋の考察)第2禅で遮断し
領受心(快不快、非苦非楽)を第3禅で捨棄するのかもしれません
そして
第4禅(色界)から
色の業生身を捨棄し
無色界の4つの処への依存
(これも無明による有為なので)は捨てて
滅尽(阿羅漢)となるのかもしれません
#仏教
#スピリチュアル
NAC
まだ
真の癒し(真の慧 真の止観)ではない
執着している境地というのは
色受想行識の五蘊のうちの
識を自らだと勘違いして
その意識として念により世界(のこりの色受想行)を集中してみているにすぎない
そうではなくて
法にも執着しない真の慧は
12因縁という無明からの仮の主体の識
からの
幻の止観ではなく
在るがまま(真如)からの
真の止観であり
因縁の滅尽である
#仏教
#スピリチュアル

スデニアル
geminiに聞いた一番仏教的な曲
ランキング
第1位:情熱の薔薇
第2位:TRAIN-TRAIN
第3位:少年の詩(うた)
ヒロトがめちゃめちゃ仏教的なんだよな
#仏教 #ブルーハーツ
NAC
から煩悩による
空性12因縁についての補足です(仮説)
無明
行
識
のあとの
名色について
名は精神(心)
色は物質性のことである
色取薀とは、4要素により構成された肉体
のことである
構成される4要素とはつまり地水火風の要素のことである
構成された色取薀(肉体)
は内界とよぶことになります
4大種(4要素からの)所造色としての肉体は
業生身です
つまり心の対象は4要素(環境)ではなく
肉体を通じての接触(触)となっていきます
まだ名色の段階では
心は、界という対象について
まだジャッジをしておらず、ただ単純に対象としてみています
そしてすでに述べたように業生身がある次の縁起の
六処の段階では
内界(肉体)と外界の関係により、
例えば
耳と音から
耳識がおきます(そして心に伝わると 触)
すると
感受(領受心)
想(細かな考察)
尋(大まかな考察)がおきます
この段階ではもうすでに自動プログラム(カルマ)により
好き嫌いも自動的におきています
しかし
念により対象をとらえておいて(止)
ヴィパッサナー(観)により滅をみているならば
尋の次の
速行心(7回くりかえされる心の波 妄執)
は
如実に慧によってみられるため
智の速行心へ変化します
つまり
色
受(領受心)
想(推度心 細かな考察 大まかな考察である尋)
行(速行心 妄執)
識(有分心 輪廻心)
は無常、苦、そして非実在であるとします
それゆえに
次の縁起である
渇愛
が断たれます
これにより色界よりも下位である
欲界への執着(取)
がなくなります
つまり次の縁起である
取(欲界への輪廻転生)
が断たれるのです
このため
4つの欲の取著はなくなります
すなわち
欲取
見取(常見による色を堅固、永遠と誤ってみる有愛、反対の失う虚無観である非有愛である断見という誤った見解がなくなります
諸行はは空想、空性のエネルギーとして癒され帰還していきます)
戒禁取(まちがった行動の規範)
我語
がなくなります
そもそも
渇愛、以前の縁起の段階である
色受想行識
の段階がすでに無常であるために
私は(慢)
私のもの(愛)
私には我がある(真我という対象概念 常見)
私には我が無い(断見 虚無観)
は
如実に慧により非実在、空性としてみられて
捨(平静)で在るからです
欲界をはなれると
色界禅定である
初禅(欲が消滅、不善の法をはなれます)
第2禅(細かな考察、大まかな考察が消滅 心の統一、喜楽)
第3禅(喜びが消滅 平静と楽のみ)
第4禅(業生身から発生する出入息が消滅 楽も苦もない)
以下は無色界(業生身という色がない段階)
空無辺処(色想が消滅)
識無辺処(空無辺処の消滅)
無所有処(識無辺処の消滅 主体のみ)
非想非非想処(無所有処の消滅 主体は非実在性)
想受滅(想と受が消滅 いかなる空想念もない)
中継車経による経の説話の例えより
多くの車(戒律などの最初の段階から)
を乗り継ぎ(階梯)
想受滅である阿羅漢(仏)
つまりニルヴァーナ(癒しによる統一のあとの 解放 真如)に帰還するのである
素人による仏典感想まとめの補足です
(読書途中にとりあえず書いてみました)
#スピリチュアル
#仏教
#12因縁
#ノンデュアリティ
#非二元
NAC
#仏教
#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元


通りすがりの詩人
命名―三業の迷い―
口に高徳を説きながら
足元は泥濘(でいねい)に深く沈み
日々の糧、求むる品、惹かれる影に
その者の「業(ごう)」は隠しようもなく漏れ出す
魂の格とは、飾られた言葉にあらず
何を尊び、何に執着し
他者の鏡に何を映し見るか
その一点にこそ、法(のり)の姿は現れる
大言を吐く者ほど、無明(むみょう)の闇
にあり
目は開けども見えず、耳はあれども聞こえず
因果の理(ことわり)を袖に振り
自ら蒔いた種に、自ら絡め取られてゆく
「我は理性的」と誇るその心こそ
煩悩の風に吹かれる、ただの一枚の葉
知恵の衣を纏ったつもりの感情が
幸福という名の岸から、舟を遠ざけてゆく
誠に哀れと言わざるを得ない
高き悟りへの道、その厳しさを知らぬまま
虚(きょ)なる理想を追うのなら
せめて足るを知り、穏やかな日常の波に身を委ねればよいものを
因果は巡り、行(ぎょう)のみが真実を語る
言葉の城が崩れる前に
その眼(まなこ)を開き、己の足跡を凝視せよ

スデニアル
・二元的ジャッジをしない
善悪、優劣は無い
・期待しない
周りはあなたに良い反応はしない、
でもそれを悪いと思わず受け止める
・他人と比較しない
#仏教

スデニアル
「夢は目的だから、バンドを始めた瞬間に叶ってる。今もずーっと叶いっぱなし」
完全に仏教の「今ここ」だよね
かなりブッダに近い人だと思う
#ブルーハーツ
#仏教

スデニアル
モテたとて幸せとは限らない
モテなくても不幸とは限らない
限られた条件のなかで幸せに生きる道はあると思います
#仏教
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