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おはようございます。

木曜日です。

すっかりイネ博士のけいです🌾

頭のなかがお米の事でいっぱいです。


あ、白ご飯ね🍚
あーおむすびもいいなー🍙

やっぱり日本人は米やろーっ!

って、本格的に主食として日本人がお米を食べ始めたのは明治以降なんですって。
それまではお米は上納するもの。
年貢とか神様とかに捧げるために作ってたんですね。

いーがーいー☝️

あー

白ご飯にふりかけをさっさと振って
熱々のうちにいただきたくなってきた。

お昼ごはん…まだかな🍚

なんて思っていたら、綺麗な三日月が空に浮かんでました。

今日も良い一日を。

#おはようGRAVITY #木曜日 #イネ博士 #イーネ🌾 #ごはんの事で頭がいっぱい #胸いっぱい #お腹はいっぱいじゃない #おなかすいた #さっき🍚食べた #めしはぁ~まだぁかぇ~?? #まだです#それにしても、よくハッシュタグ思い付くよね #このコツを教えてください #って聞かれるけど #ひとつだけおしえちゃうYO #それはね#な~んにもか~んが~えてな~い #グルーヴ大事#そんだけ #どーんだーけー☝️
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今日のイネ博士🌾
~プロローグ~

さて、前回までフォロワーさん限定で投稿していた稲🌾のお話。
ちょっと再編集して全体投稿にしていきたいと思います。

さて、なぜイネのお話?ってことですが。

とある理由から
水稲栽培を襲ったウイルス病についての論文を読む機会がありまして。

なにやら難しい論文で読めずに投げ出してしまうかなと思っていたら
これが思いの外面白い!

え、稲🌾もウイルスで病気になるんだ!

奇しくもコロナウイルスとインフルエンザウイルスが猛威をふるう中、このタイミングでこれを読む?って感じで。

しかも、作成されたのは2010年!
最近じゃないんですよ。

コロナウイルスが出てくるずっと前に書かれていた論文。
興味を持って読むことができました。

というわけで、次回から本編いきます。


#ひとりごと
#イネ博士🌾
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今日のイネ博士🌾
~稲に謎の奇病発生!~

※フォロワーの方には重複になります。
かんにんしてくだせぇ~🙇‍♂️


少し前のお話になります。
明治時代まで遡りますね。

明治30年頃
お米農家を困らせる、稲の奇病が突然発生します。しかも、その病気は瞬く間に全国に広がり
稲が不作に陥るという事が起きました。

葉の成長が悪く、捻れるように枯れて垂れ下がる。まるで幽霊の手のように見える事から
「ゆうれい病」と名付けられました。

当時の研究者達がこの謎の病気の原因は何かを必死で調べました。
ところが、稲には病気を引き起こした痕跡が全く見当たらなかったのです。

そして約20年の時が経ち、昭和初期についにその原因が判明する。

なんと、ウイルスが原因だった!

ずっと害虫やカビ、細菌が原因だと思い込んでいた研究者達。
そりゃ、探しても見つかるわけない。

なぜそれがわかったのか。

実は1880年代(明治13年頃)に
別の稲の奇病があって、それは日本人が世界で初めて見つけたウイルスが引き起こす病気だったのです。
しかもそれはある虫が媒介することもわかっていました。

ある研究者がそれに気付いた。
研究から約20年が経った頃です。

あれ?
もしかして…ウイルスじゃね?

いくつかの虫で試験を繰り返し…
はい、出てきましたー
この虫がウイルスをばらまいてましたー!
正解⭕🙆

ウイルスを持った虫が稲の汁液を吸う←稲を感染させる。
他の感染していない同じ種類の虫がその稲の汁液を吸う←虫が感染する。
虫が卵を産むと、その子供もウイルスを持って産まれる。

はい、どんどんふえていくよーーーー

と、いうわけで。
徹底的に防疫しました。

おさまりました😌

でもなぜか1960年代にまた爆発的に感染増
加。

県によっては作付け面積の40%も被害に。
しかも30年も続いていたらしい!

原因は、戦後の食料不足から同じ土地での麦と米の二毛作を国が指示したから。

実は、麦はその虫の大好物だったのです。
その為、またどんどん増えていきました。

同じ土地で麦を刈って、春先から水稲栽培を始めると・・・
その虫達が、稲の苗へ・・・

そのあとはお察しの通り。

と、いうところで
今日はお時間となりました。
次回お楽しみに。

#イネ博士
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今日のイネ博士🌾

今回が最終回。
まとめの第二部です。

第一部はこれまでのまとめ。
第二部はこれからの問題提議を個人的な見解を含めて書きたいと思います。

第一部を呼んでいない方は
ひとつ前の投稿からご覧ください。


では、第二部スタートです。



ここでひとつ問題提議したいと思います。

ゆうれい病は、なぜ広がったのか。

ひめちゃんも、そのウイルスも自然界に以前からあったものです。
自然界の食物連鎖の中で人知れず、ひっそりと暮らしていたのでしょう。

それが突然表舞台に出てきたのはなぜなのか。それは、人の手によって引き起こされた事象だということなのです。

食糧難から大量生産、大量消費社会になっていった戦後の日本。
その結果、稲作ではひめちゃんが大量発生し被害が出ます。そして減反によって収束するわけですが、これはひめちゃんが悪いのでしょうか。

人が、自然界のサイクルの幅を越えた行為をしたために、引き起こされたと言えないでしょうか。

とはいえ、私たちは食を支えている農家の方々の努力の結果、飢餓にならずに済んでいることも忘れてはいけません。
生産と消費のバランス。
そして、自然界のバランスを考えないと
またこのような事が起きかねないのです。
そして、事が起きると人はこう言うのです。
「この虫、動物、ウイルスが悪い」と。
それらを増やしたのは、紛れもなく人なのです。

この地球上で、何かが大量発生するとき。
何かが蔓延していくとき。
それは、何かの要因によって自然界のサイクルが破壊されている時です。
私たち人間が関わってるかも知れない。
私たちの何気ない行動が、自然のサイクルを壊しているのかもしれない。

これからの私たちが出来ることは、こういった過去にあった出来事をしっかりと検証し、どうすれば良かったかよく考えること。
次の被害を出さないために。

過去の苦しみを無駄にはしてはいけないと思うのです。

イネ博士🌾 完


#イネ博士🌾
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今日のイネ博士🌾
はい、ちょっと空きましたね。
楽しみにしていた方、ごめんなさい。
(っているのか?)

前回は、最近になってゆうれい病が次第に収まっていった理由と日本の米作の闇について触れました。

今回は、その病気を広げる虫についてのお話です。

ゆうれい病を広げるウイルスを媒介するのは
ヒメトビウンカという体長3~4mmの小さな虫です。
※虫嫌いな方もいると思うので、以下は「ひめちゃん」と表記しますね。

全国に土着し、寒い冬も幼虫の状態で越冬します。
ひめちゃんは、春先になるとブンブン飛び回り、稲から稲へと移動していきます。
その時に、稲の汁液を吸ってお食事をしていきます。

もともと、すべてのひめちゃんがウイルスを持っているわけではないそうです。
保毒率は3~5%で、これだけではひとつの田んぼが全滅するほどのウイルスをばらまく事はできません。

考えられる要因としては二つ。

ひとつめは、ひめちゃんの大量発生!
そこらじゅうにひめちゃんがいる状態です。
その結果、保毒しているひめちゃんが稲を感染させ、その稲の汁液を吸った他のひめちゃんが感染することで広げていったと言うこと。

もうひとつ。
実は、ひめちゃんのウイルスは
卵を介して、子供にも保毒させます。
つまり、保毒している親から生まれた子供はウイルスを持っているということになるのです。

二毛作や生産性の効率化が、結果として保毒ひめちゃんの増殖を促してしまったということなのですね。

しかも、このひめちゃん。
農薬とかにも耐性があってなかなか駆除しきれない。
それに、ウイルスを持っていても
ひめちゃん自身は何も発症したりしません。
増える一方で減ることがない。

こりゃ困った。

ゆうれい病が減らない理由は、こういった媒介感染させるひめちゃんの特徴によって引き起こされていたからというわけですね。


さて、この後のお話はウイルスの特徴や構成など、専門的なものになっていくので
そこはすっ飛ばします笑

で、次回はまとめとしてイネ博士🌾の感想などを述べて最終回として投稿します。
お楽しみに🌾

#ひとりごと
#イネ博士🌾
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今日のイネ博士🌾
~米作の闇~

戦後の食糧難を克服するために
米と麦の増産を指示した当時の政府。

昭和30年に水稲の収穫量は最大になり
その後も高い水準で推移していきます。
また、前回のお話にもあった二毛作を行うことで、麦の収穫量も増えていきます。

それと同時にゆうれい病が再流行し、その後約30年も続いたというのが前回のお話でした。


では、なぜ約30年経ってゆうれい病が収まったのでしょうか。

まず一つ目。いつどのタイミングで感染しやすいのか。感染しにくい品種があるのか。
その研究が進み、海外種や陸稲が比較的感染しにくい事がわかります。
それがわかれば品種改良も進んでいきます。
二つ目は、農林省(現農林水産省)が全国的な対策に踏み込んだ事が効果を発揮したということ。
そして三つ目。これが一番大きな要因となります。
それは、国が指示した減反政策です。
昭和30年以降は安定した米生産力を確保できた為、政府は増産ではなく、一転して生産調整を指示したのです。

え、たくさん農地を作ったのに?
稲を作らない休墾田(空き地)を作れと??

振り回される農家の人々。
減反イコール収入減になりますからね。

しかしこれが、皮肉にもゆうれい病が終息に向かうための道筋になるのです。
休墾田が増え、農地が減ったことで
密集度が小さくなり、病気を拡げる虫の移動を抑えることに成功したんですね。
その結果、病気の発生が減っていき、次第に収まっていったのです。

さて、困ったのは農家の人々です。

できるだけ、調整はせずにいきたい。
そこに登場するのが、地元基盤の政治家なんです。

「私が国にお話をしましょう」

そうやって地元票を獲得。
米所の地域が強い人、政党などなど…ここでは明記しませんがいるんですよね。

『農業,とりわけ米はもともと政治的利害に左右されやすい「政治作物」というそうだ。最近では,政局に振り回される「政局作物」とも言うようだ(2009 年8月 13 日,朝日天声語)』

というように、政治や国の政策によって振り回された人々。
そのような闇を抱えているのも
日本の米産業なのです。



さて、今日はここまで。
次回もお楽しみに。

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今日のイネ博士🌾
~事件は現場で起きてるんだ!~

※今回もフォロワーの方には重複になります。
お代官さまぁーかんべんしてくだせぇ🙇‍♂️


前回は稲の奇病「ゆうれい病」が明治30年頃に発生し、一度は収まったものの
昭和初期の1960年代に再流行し
稲作農家は大混乱になったお話でした。

今日はその要因について語ります。

戦後の食料不足によって、 米や麦の増産を指示した政府。

じゃーどーすりゃいいの!(現場の声)

事件は会議室で起きてるんじゃない!
現場で起きてるんだ!!!

と言ったとか言わなかったとか。


そこで、推奨されたのが
昨日も出てきた二毛作。
冬場から春先にかけて麦を植え、水を張り、 その麦の畦に米の稲の種子を撒く。
そうすると、 苗代を使うことなく、
そして田植えをしなくても稲が育つ!
なんて合理的💡

あ、ちなみに
稲は種子から育てる田(苗代)と田植えをする田で別に育てます。
いわゆる田植えは、 苗代で育てた赤ちゃん稲を本田に植える作業。

大事に育てられるんですねぇ…

って、それをすっとばーす。
ばばーん!
効率化成功。

更に、作付け量を増やすために
稲の密集度をあげる。
ぎゅっとする。
肥料を改良して栄養価が高いものに。
すると、病害が起きやすい。

そんなときは・・・
じゃーん! のうやくぅー♪

病気が出ないように
秘密道具の「のうやくぅー」をバンバン撤きます。

結果、米の生産量は上がりました。
消費量に対しても安泰な収穫量。
それが1960年代の稲作。

すると・・・ ゆうれい病が多発!!!

まぁ、麦も二毛作にしたしね。
密集度上げたしね。
肥料で栄養たっぷりだしね。
農薬 ? なにそれ、 耐性できちゃったもんね。
(媒介者の虫さん談)

と言うわけで、 全国的に広がってしまい
以後なんと約30年も苦しむことに。

ではなぜ、30年後、つい最近に収まったのか。

そもそも、そんなに米を作らないといけない理由はなんなのか。 ←これ、 結構深い闇だった。

その辺に触れたいと思います。

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今日のイネ博士🌾

ずいぶんと開いてしまいましたが…
今回が最終回。
まとめに入ります。

文字数の関係で今回は二部構成にします。

第一部はこれまでのまとめ。
第二部はこれからの問題提議を個人的な見解を含めて書きたいと思います。

では、第一部スタートです。



明治30年頃に突如発生した水稲の病気

「ゆうれい病」

ヒメトビウンカ(以下ひめちゃん)がもつウイルスが稲に伝染する事で広がって被害が出る事がわかり、一度は収束しました。

その後、戦後の食料不足や高度成長期に合わせて米の需要が大幅に上がり、米の増産が求められました。

効率を高める為に行った米と麦の二毛作や密度を上げて生産を行った結果、ひめちゃんが大量発生し、ゆうれい病が再流行。その後約30年も苦しめられる事になります。

その後日本人の米離れなどもあり、生産量は次第に減少するものの、地方に根付いた政治家などの力関係もあり、なかなか減反に踏み切れずに米が余ることに。

政府が減反に踏み切ると作付け面積が減り、次第にゆうれい病も収束していくのです。


続く


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