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けい
~米作の闇~
戦後の食糧難を克服するために
米と麦の増産を指示した当時の政府。
昭和30年に水稲の収穫量は最大になり
その後も高い水準で推移していきます。
また、前回のお話にもあった二毛作を行うことで、麦の収穫量も増えていきます。
それと同時にゆうれい病が再流行し、その後約30年も続いたというのが前回のお話でした。
では、なぜ約30年経ってゆうれい病が収まったのでしょうか。
まず一つ目。いつどのタイミングで感染しやすいのか。感染しにくい品種があるのか。
その研究が進み、海外種や陸稲が比較的感染しにくい事がわかります。
それがわかれば品種改良も進んでいきます。
二つ目は、農林省(現農林水産省)が全国的な対策に踏み込んだ事が効果を発揮したということ。
そして三つ目。これが一番大きな要因となります。
それは、国が指示した減反政策です。
昭和30年以降は安定した米生産力を確保できた為、政府は増産ではなく、一転して生産調整を指示したのです。
え、たくさん農地を作ったのに?
稲を作らない休墾田(空き地)を作れと??
振り回される農家の人々。
減反イコール収入減になりますからね。
しかしこれが、皮肉にもゆうれい病が終息に向かうための道筋になるのです。
休墾田が増え、農地が減ったことで
密集度が小さくなり、病気を拡げる虫の移動を抑えることに成功したんですね。
その結果、病気の発生が減っていき、次第に収まっていったのです。
さて、困ったのは農家の人々です。
できるだけ、調整はせずにいきたい。
そこに登場するのが、地元基盤の政治家なんです。
「私が国にお話をしましょう」
そうやって地元票を獲得。
米所の地域が強い人、政党などなど…ここでは明記しませんがいるんですよね。
『農業,とりわけ米はもともと政治的利害に左右されやすい「政治作物」というそうだ。最近では,政局に振り回される「政局作物」とも言うようだ(2009 年8月 13 日,朝日天声語)』
というように、政治や国の政策によって振り回された人々。
そのような闇を抱えているのも
日本の米産業なのです。
さて、今日はここまで。
次回もお楽しみに。
#ひとりごと
#イネ博士🌾
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1Bもこなせるらしく、捕手無理でも石塚、井上の間に入ってくる可能性があると。
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Kei
政策の影響を受けしまう農家。 そして、それをある意味、利用(?)されてしまう… でも、一方でその政策によってゆうれい病が解決する… 何がどう転じるかわからないものなんだね。 次回も楽しみにしてます! イネ博士!