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さつき
『こころ』夏目漱石
「私はその人を常に先生と呼んでいた。」という冒頭から始まるこの小説は、「私」「先生」「妻」「K」の4人について、私の視点、あるいは先生の手紙によって描かれます。人称や視点の妙も良かったですね。
私は夏目漱石の小説の中でこころが一番好きなのですが、そのタイトル通り、こころ、つまり、精神がそれぞれ描かれているところに魅力を感じます。自らの精神のために死を選ぶとはなんなのか……。
言文一致以降の小説ですので比較的現代の言葉に近いですが、100年も前の小説で読みづらさはあるかもしれません。ただその少し古めかしい言葉遣いがとてもかっこよく、鋭く感じられて私は好きです。
高校の教科書にも採用されていますが、たぶん教科書のものは一部抜粋なので、一度すべてを読んでみてください。
さつき
『コンビニ人間』村田沙耶香
ちょっと前に読み終わったので、ご紹介です。
第155回芥川賞を受賞した純文学作品です。
主人公はコンビニで働く普通の、ではなく、とても人と異なる感覚をもった女性です。
古倉恵子は小さいころ、男の子の喧嘩が起こったとき、まわりの人が「止めて!!」と叫んだその言葉を文字通りに受け止め、男の子を止めるため、ためらいなく暴力を用いた。先生が「どうしてそんなことをしたの?」と聞いても、「止めてと言われて、それが一番手っ取り早かった」と、何が悪かったのかと言わんばかりに答えてしまうような女の子だった。
そんな古倉恵子は大学時代にコンビニのバイトを始め、18年間コンビニのアルバイトとして勤務している。
普通ではない古倉恵子は、できる限り普通になるように努力をするが、コンビニ以外では働けないため、ずっとコンビニにすがり続ける。
「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ」
普通の人間として生きられないコンビニ人間。人間のように生きようとするが、生きられない。人間になろうと古倉恵子の感情を描写したくなるのが人間の性だけれど、決してそこに古倉恵子の感情はない。コンビニ人間に感情はないのだ。
この作品にはたくさんの“普通の人間”が登場する。普通に結婚した人間、普通に子どもを産んだ人間、普通に就職した人間。
読んでいると普通の人間が“悪”のように感じられるが、さてそれはどうしてだろうか。もしかして私も普通の人間ではないからだろうか。それとも、普通の人間なんてものは存在しないのだろうか。
書影はコメント欄にて。
さつき
『読んで楽しむ百人一首』吉海直人
次は何を紹介しようかなぁと考えてたら延々と投稿しない気がしたので、この前読み終わった本を。
百人一首関連の本は割と持っているのですが、こちらは、よくある解説書を読んだことある人向け、といった内容でした。
「ちまたの解説書だと〇〇という風に訳しているけど、それじゃ辻褄合わないからこうだよね?」という解説がちらほらあります。
清少納言の「夜をこめて」の訳に関しても、「あなたを帰したりしませんよ?」と訳してあり、理由を読んでなるほどと思いました。
別の歌で、龍田川が元々紅葉の名所ではなく、言語遊戯として詠まれたことを背景に、龍田川を紅葉の名所にする運動がなされたという解説も面白かったです。
また「大江山」の歌は、小式部内侍が母である和泉式部の代作を疑われ、それを見事な歌をその場で返した歌とされています。でも本当は恋人であった定頼と仕組んだものなのでは…?との見方も提示され、抒情的な読みだけでなく、現実的な読みもあって、面白かったです。
百人一首がお好きな人は、ぜひ一度読んでみてください。学校で習ったころとは、イメージが変わって見えてくるかもしれません。
書影はコメント欄にて。
さつき
昔読んだ本を忘れがちなので、思い出したいというのが個人的な本音です。笑
あと、本棚ってその人のいろいろな側面を映し出す鏡のようなものな気がしていて、私の人柄?人間性?が分かれば何でも屋さんの依頼もしやすいのかな、と。笑
さつき
『名探偵のままでいて』小西マサテル
いつもは過去に読んだ本をピックアップしているのですが、最近読んで面白かったのでご紹介。
第21回『このミステリーがすごい!』の大賞受賞作で、ミステリ界隈で評価されただけあって、最初から最後まで謎→解決の流れがスムーズで、かつ無駄がなく、読んでいて気持ちがよかったです。
認知症のおじいさんと、その孫娘の周辺で起こる日常の謎を解き明かしていくミステリなのですが、探偵は孫娘、ではなく、安楽椅子探偵のおじいさん。
ミステリの名著を作中に登場させ、それをオマージュした物語を作り上げていて、そこで一層作品に奥深さが出ていて面白かったです。
「女か虎か」の使い方も面白かったのですが、ロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」のセリフはどこで見てもいいですね。
「おとといは兎を見たわ、きのうは鹿、今日はあなた」
世代的にCLANNADの1ルートも思い出してしまいます。笑
ところでこの作品、「物語は紫煙の彼方に」というのが原題で、書籍化にあたってタイトルが変更されたのですが、「名探偵のままでいて」との違いはどう思いますか?
「編集者ちゃんと仕事してるなぁ~」と思ったのですが、「物語は紫煙の彼方に」というタイトルを聞いたとき、多くの人は「作品を表していていいじゃん」と思うし、私も思ったのですが、「名探偵のままでいて」というタイトルにすることで、表紙イメージを孫娘のほうにすることができるんですね。煙の中の老人と、老人を思う孫娘、手に取る人が多いのは、きっと後者ですよね。
物語自体も老人の話ではなく、視点主人公である孫娘のお話ですし、何より「孫娘じゃなくて認知症のおじいさんが探偵なのか」というミスリードにも一役買える。
本格的なガチガチのミステリだったら原題でもいいのですが、読みやすい日常ミステリというところからも、改題のほうが合っている感じはあるように思います。
長くなりましたね。笑
書影はコメント欄に載せておきます。
さつき
『ちはやふる』末次由紀
本棚には漫画もあるよ、ということで、今回は漫画です。
日本人に競技カルタというものを、あるいは百人一首というものをより広く知らしめた作品と言っても過言ではないでしょう。
漫画で将棋だったり、スポーツだったり、いろいろ題材にすることはあるんですけど、そういうものの多くはその題材にしたものを描くことに終始してしまって、登場人物が解説役になっていることがあります。『ちはやふる』の良いところは青春全部を懸けた少年少女や、あらゆる年代の競技カルタファンを描いているところに、諸作品との違いを感じます。
上の句を聞いて、下の句だけを書かれた札をとる競技カルタ。「め」で始まる句は一首だけなのでその音を聞いた瞬間に「雲がくれ…」の紫式部の歌を迎えに行ける。コンマ数秒の世界で競い合う畳の上のスポーツを、美しいカルタの世界を見せてくれる漫画です。
アニメ化もされていますが、2期,3期とシーズンが変わるにつれて予算が減らされているのが分かる出来なので、どちらかなら漫画をおすすめします。
実写映画は広瀬すずさん主演で、とても良く表現されていました。広瀬すずさんは2次元性が高く、実写化向きの女優さんなので良いですね。
神戸でやってるちはやふる展も行きたいなぁ。
コメント欄に書影を載せておきます。
さつき
『セカイ系とは何か』前島賢
物語が多かったので、今回は評論系の本です。文学系のお話も多かったので、漫画やアニメといったジャンルの本を選んでみました。
多くの人が国語の教科書などで読んできた文学。文学を読むとき、私たちはいろいろ腰を据えて読むと思います。それは作者論だったり、テクスト論だったり、自分なりにいろんな解釈をして、より深く読もうとします。
もちろん、アニメや漫画にそれをすれば、もっと面白くなります。
今回の評論では、個々別々の作品について細かく論じるのではなく、例えば国語の授業で明治時代の文学をいくつか集めて名前をつけてたような、そういったものをアニメや漫画でおこなっています。アニメ・漫画を物語的な側面でジャンルとして区切って論じている、そういう本です。
「アニメオタクなら知ってるよね」みたいな言葉だったセカイ系ですが、今はアニメオタクの人口も増え、教養語的な位置づけになっているでしょうか。
90年代、00年代のそれぞれの代表的なアニメといえば、私は「新世紀エヴァンゲリオン」と「涼宮ハルヒの憂鬱」だと思っているのですが、それら2つもセカイ系と言われたり、言われなかったりします。
エヴァは少し前に完結し、大ヒットを記録しました。セカイ系三大作品の中の一つ、「ほしのこえ」は、今も上映中の「すずめの戸締まり」で有名な新海誠監督の作品です。
そんな今の物語にも密接に関わりそうなセカイ系とは何なのか、ぜひ読んでみてください。
余談ですが、「すずめの戸締まり」面白かったですね。新海誠監督は最近の傾向として災害をテーマにした作品を描いていますが、災害こそセカイ系的な想像力を生んだものなんじゃないかと思います。
セカイ系的な敵の描写されない戦争は、まさに災害という原因の描写しえない災いと同じ。「君の名は。」のときから、「この人の根底にはあの頃のセカイ系がずっとあるんだな」と嬉しかったものです。
コメント欄に書影置いときますね。
さつき
『ヴァーチャル日本語役割語の謎』
今回ご紹介するのは、学術書寄りの本ですが、内容が分かりやすく面白い本です。先日?文庫化されたそうなので、お手にとりやすいかなと思い……。
大学時代に卒論を書くときに読んだので、少し古い記憶を呼び覚まして書きますが……「役割語」と呼ばれるものについて書かれた本です。
役割語とは、簡単にいえば、「~なんじゃ」という語尾を使っている人を想像するとき、きっとお爺さんや博士(例えば阿笠、オーキドのような)を想起すると思います。
その人物像を想起させるような言葉を役割語と呼びます。
「~ですわ」だったらお嬢様ですよね。そういうやつです。
でも不思議じゃないですか?
私たちは「~なんじゃ」と喋る博士に出会ったこと、ないですよね。それなのに、共通認識として「博士っぽい喋り方だな」と思ってしまう。
その謎に迫るのがこの本です。
その謎の答えは、京都の言葉遣い、江戸の言葉遣いまで遡ったり遡らなかったり……
ぜひ本を手に取ってみてください。
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